2008年2月 3日 (日)

人生のかなしいところ

人生のかなしいところ

そこで生まれ そこで育ち

そこを離れ そこへ還る

人生のかなしいところ

いまわたしのかなしみも

いまあなたのかなしみも

めぐりめぐる 永遠の淵

人生のかなしいところ

春に笑い 夏に涙し

秋に慰み 冬に眠る

人生のかなしいところ

いつか来る その日を迎え

いまここにある このかなしみは

生まれ来た よろこびのうらがえし

両手に抱えきれない

そのかなしみと そのよろこびと

つないでいく 永遠の時

人生のかなしいところ

静かに静かに 高く高く

遠く遠く 深く深く

人生のかなしいところ

人生の旅立つところ

人生のかなしいところ

人生の生まれるところ

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2006年5月 4日 (木)

人生は尾で決まる。

尾を意識したことがあるだろうか。尾をなくしたボクたち人類には、なかなか尾のある生活が理解できない。でも例えば足の小指を机の角にぶつけたとき、尻尾を踏まれた猫の気持ちがわかったりする。

尻尾が主人公になるのは、不意の事故や不測の事態に見舞われたときだけであり、日々誠実に過ごしていても誰も注目してくれない。まさにサラリーマン人生そのものなのだ。なにかヤバイことが起こったときに、「担当者は誰だ!?」といって見つけられ叱責される。ヤバすぎる事態では解雇もある。まさにトカゲの“尻尾”切りだ。

だが、人生とはそういうもんだと割り切って尻尾を常に意識できるようになると、世の中をもっと冷静に観察できるようになる。尻尾が身体のバランスをとっているということに気づく。尻尾からの視点を持つと思わぬ発想が湧いて出たりもする。

誰もが意識していないけれど、誰もが尻尾を持っている。尻尾をどう使うかで人生は決まる。一度振った尻尾は後から隠せはしない。どうせ使うなら他人に見せてこびるためでなく、自分を客観視するアンテナとしたい。また、切られた尻尾の気持ちを理解できる人生でありたい。

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2006年2月18日 (土)

人生は鉛筆。

生まれたときはみんな同じ可能性を持ってる。
芯の固さはまちまちだけど正解なんてない。
鉛筆は削られて、はじめて生きる価値をみつける。
誰かの力で身を削り、芯をすりへらして生きていく。

鉛筆の芯は無限の可能性を持ってる。
芯をすり減らしながら、足跡を残していく。
鉛筆一本では、すぐに力尽きそうになる。
そしてまた、誰かの力で身を削りながら生きていく。

誰かに知識を与えながら、
誰かの想像力を発揮させながら、
さまざまな、本当にさまざまな人生を歩む鉛筆。
そして気がつくと小さくなっている。

小さくなったら補助軸の助けで生きていく鉛筆。
小さくなったら顧みられなくなる鉛筆。
最後の最後までは削られることの無い鉛筆。
鉛筆が残してきた足跡だけが生きた証しだ。

そしてまた新しい鉛筆が、新しい人生を歩みはじめる。

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2006年2月11日 (土)

人生はうんこ

人間には様々な欲がある。食欲、性欲、睡眠欲、支配欲、消費欲などなど。これらは本能と密接に結びついている。しかしこれらはほとんど何も生み出さない。生きるために摂取・吸収するとか、精神的満足感を得るための欲望だ。だが性欲だけは子孫を残すという大事業への動機付けであり生産的だ。性欲の発達こそが人類にとって重要な社会的行為であり、人類はもっと性欲に注目すべきだ。

人生は性欲だって話しになってきたが、実は人類の本能はもうひとつ生産している。そう、それがうんこだ。あらゆる人類が生産し続けている有機物、それがうんこだ。子孫とうんこを同じ管と穴から作っているのは偶然ではないと思う。すべての人類はそこに集約される。

青年は生きる意味を考えて無駄な時間を過ごすが、考えることなど何もない。ジッと座っていたら便秘になるぞ。それこそ非生産的だ。書を捨てよ、街へ出よう。そして恋愛して子どもも作り、毎朝うんこしよう。それが人生だ!

それでも悩める青年よ。こう考えたらどうだろう。君は君のために生まれたのでも生きているのでもない。うんこをするために生かされているのだ、と。もっとうんこの気持ちになれ。感情移入しろ。うんこをするために食べ、快便のために運動する。

うんこを人生の中心に据えてみれば、あらゆる悩み事なんてちっぽけなことだと思えるはずだ。健康的な生活がうんこも子孫も生み出せるのだ。死ぬまでうんこをし続けることこそが、あらゆる生命の根源的な使命なのだ。うんこが出ればみんな平等だ。うんこが出ればみんな平和だ。人生はうんこ。うんここそ我が人生。

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2006年1月16日 (月)

人生は隕石である

みんながみんな好きで地球に向かっているわけじゃない。だが向かうからにはそれなりの事情ってもんがあったんだろう。出自も大きさも速さもみんな違うが、なんのめぐり合わせか地球に向かって飛んでいる。

決して落ちているなんていわないでくれ。地球から見れば落ちるものかもしれないが、こちらから見ればいつのまにか軌道のうえを飛んでいるだけなんだから。目標を定めているヤツ、どうなるか不安なヤツ、いろんなのがいるが、それぞれの思いで地球に向かっていることだけは確かなんだ。落ちようなんて思っているヤツはいねえよ。

だが、みんながみんなたどり着けるわけじゃない。ほとんどのヤツらは途中で燃え尽きちまうのさ。たとえ辿りつけても、そこになにが待っているのかなんて知らない。だがよ。飛んでいる限りは、みんな地球に向かうのさ。それが人生ってもんだろ。違うかい?

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2006年1月15日 (日)

人生はアロマテラピーである

人生がレトリックで表現しきれるかどうかの実験ブログを始めることに。それはつまり、あらゆるものは人生のメタファ(比喩)たり得るという実験でもありんす。

さて、第一回目はアロマテラピー。あいうえお順でなんとなく決定!それも人生だ!

人生はアロマテラピーだ。

そもそもアロマテラピーって何だ(笑)。
知っている人は知っているが知らない人はぜんぜん知らない、それが人生だ!

匂いは香りと言い換えられる。でも香りと言い換えられない匂いもある。
うんちの香りとは言わない。香水の匂いというとお里が知れる。それも人生だ!

アロマテラピストは匂いを調合して香りを作れたりする。それで治療もしてしまう。
人の心や体は匂いで変化するわけだ。未知の匂いにも受け入れ易さ・難さがある。
人生のなかで人は様々な匂いに支配されている。人生はそういうものだ!

この世から匂いがなくなったら、ずいぶん味気ない世の中になりそうだ。
でもアロマテラピーがなくても生きていけるような気がする。それが人生だ!

こんな感じで続くかなぁ...。これも人生か?(笑)
人生につまずきそうになったとき、自分の人生を何かに例えて欲しい人募集中。
ただしそれで癒されるとは限りません。それも人生だ!
癒されたい方は、アロマテラピーでもやってください。よろしく哀愁!

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本館「ひとくちメモ」とはまったく無関係なので、ひとくちメモでの告知もしないことに。プロフィールページではちゃっかりつながっているけど。それも人生ね。人生オンリーの自立したブログにしていきたい。それが人生だ!

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