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2018.10.15

終わらない夏旅 2018 後編

Saijyousama_20180810_1613168月10日、京丹後市を出発し、岡山県久米郡美咲町にあるたまごごはんの聖地かめっちを後にして、一路岡山駅を目指しても良かったが、実はこの日の朝、QUCHIの店員Mさんにメールして19:00に予約を入れてもらっていた。

そうなると結構時間があるので、途中でどこか寄れるところを探した。そして訪問したのが最上稲荷山妙教寺。何の知識もなく訪れたわけだが、オフシーズンだったため静かにお参りできた。幸運ショップゆかりという売店があり、とても涼しくて助かった。

この売店には感心した。これだけの種類のグッズというか御守を揃えるのはすごい。お稲荷さんの面目躍如というか…。おかげでいくつか妻にお土産を購入できてよかった。

お参りを終えて、あとは奈義ビーフのレストランQUCHIを目指すのみだ。先日の西日本豪雨で大きな被害をうけた農家さんもあったという話だったが、我々に出来るのはただ復興を願って食べることのみ!

これまでの夏旅のなかでもっともQUCHIに近いホテルにチェックインし、QUCHIに向かった。

Quchi_20180810_223409

もう言葉はいらない(lovely)。我々の岡山訪問を待って退職日をこの十日後にずらしてくれたMさんに感謝。退職後は学びたいことがあるとのことだったが、来年には結婚され、四国で新しい生活を始められるそうだ。

結婚式も家族だけでとのお話だったので、PhotoZINEで作った私の結婚式スナップ集をお見せしたところ、かなり喜んでもらえたので、一冊進呈させてもらった。サンプルとして使ってもらえればありがたい。食べ終わって記念撮影もして店を出た。

来年以降のことは分からないが、岡山県に宿泊するときにはQUCHIを目指したい。そこは変らない(confident)。

QUCHIまで参加してくれたE氏はここでお別れ。この日最終の新幹線で名古屋に向かった。なんでも翌日(の夜に)名古屋であるコンサートを鑑賞に行くそうだ。グッズ販売の列には朝4~5時から並ぶ猛者どもが数百人いるそうで、その中にE氏も参加するのだという…。そんな強行軍で参加してくれたE氏に感謝!

Hiroshima_20180811_113130翌朝、8月11日。ここからは実家の山口県に向かうばかり。長崎県出身のドライバーS氏も出来るだけ早く帰郷したいと先を急いだ。

とはいえ、朝食は食べたい。そこで山陽自動車道(下り)の福山SAのレストランでモーニング尾道ラーメンを食べた。これが不意をつかれた美味しさで大満足。フードコートが激混みなのにこちらは閑散だったけどラーメン好きならオススメするな。この朝ラーメン

朝食も食べたし、高速道路を好調に走っていたが、ところどころに西日本豪雨災害の爪痕を見た。日本では本当に災害が多くなったと実感する。規模の大きな地震に台風、さらに台風でない強風豪雨でも激甚災害に認定されるレベルの被害が次々と起きている。この傾向は今後も続くのだろうか…。

こうして19年目も夏旅は終わることなく続けることが出来た。来年もし実施できれば20周年アニバーサリーとなるが、メンバーそれぞれの予定すり合わせだけでなく、天変地異も気にせざるを得ない気がする。

※これを書いている10月15日(月)は、妻とのハワイ4島クルーズから帰国した翌日。ようやく夏旅2018後編を書き上げることが出来て良かった。私の休暇はもう一週間あるので、そこでひとくちメモもハワイ旅行までたどり着ければいいのだが…。

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2018.09.30

終わらない夏旅 2018 中編

名田庄を後にして、岡山県に向かうまでの間は、完全にノープランだった。私は中村伸一院長に会えず意気消沈していた。雨も降り続き、山道をただただ西へと走っていた。ただ、ここから一足飛びに岡山県へというわけにもいかず、どこかで一泊することだけは確かだった。それをどこにするか迷っていたが決定打がなかった。

そこで、まずは琵琶湖を北ルートで進むか南ルートで進むかを検討した。どちらもこの夏旅では走ったことがあった。ただ、南ルートは何度も通っているのに対して、奥琵琶湖方面は2011年の夏旅で城崎温泉を目指した年、一度しか走っていない。

また、その先の日本海側の京都には泊まったことがない。山口・九州方面を目指す我々がなかなか行かない(通らない)うえに、泊まるという選択もほぼない土地、それが“日本海側の京都”だった。だからこそ、こういう機会に泊まる意味はあるんじゃないかと思い、日本海側の京都のどこかを目指すことにした。

こうなると、あとは泊まれるホテルのある場所で、できれば美味いものが食えそうなところを目指すことになる。さらに深夜についても美味いものにはありつけないから、夕食時間には到着できるところでなければならない。そして決めたのが京丹後市だった。名前がいかにも京都風で、なにか古都の風情が残っているんじゃないかと期待した。

しかし、お世辞にも古都の風情とはいえない片田舎といった雰囲気だった。

●京丹後市のあみ☆けんで舌鼓

スマホで当日宿泊予約を入れたホテルは結婚披露宴なども予約できるところだったのだが、着いてみるとほぼビジネスホテルだった。ホテルの周りも車で3週くらいしてみたが、ほとんど夕食を取れそうな店はなく、喫茶店とラーメン屋(ここはちょっと興味をそそられたが)くらいしか見つけられなかった。こりゃ夕食はホテルのレストランかなくらいの感じで、まぁ翌日の熟成肉もあるし、ここは通過点と考えようと思っていた。

Img_20180810_151427とはいえ、S氏がスマホを駆使して一軒の店を見つけた。美味いものへのあくなき欲望でS氏にかなう者などいない。とりあえずホテルから明かりが見えるあたりにいい感じの店を見つけた。いつも満席といった評価だったのでS氏が電話して予約を入れて店に向かった。これが名店あみ☆けんさんとのファーストコンタクトであった。

あみ☆けんさんについてはツイートをしているのでそこにリンクしておきたい。

@hitokuchimemo 2018/8/9 21/28

とにかく居心地のいい店内。我々が食べながら味についていちいち大声で絶賛していたのが聞こえたという店長さんからお礼を言われてしまった(happy01)。死ぬほど食べる3人だからな…。そればかりか、帰りには表に見送りに出て来てくれて、なんかまた来たいなって気持ちになった。旅先でこういう美味しい店を偶然見つけることは行き当たりばっ旅の醍醐味のひとつといえる。

翌朝、近くの喫茶店でモーニングを食べ、せっかく京丹後に来たのだから丹後ちりめんのひとつも見たい(買えれば買いたい)と思い、近くを検索して道の駅てんきてんき丹後に向かった。

ここに限らず、今回の夏旅では道の駅をいつもより多く訪問していると思う。それはS氏が道の駅ガイド本を持って来ていたから。道の駅に敏感になっていたので、いつもより連想しやすかった。

道の駅てんきてんき丹後は朝から開いていて、ちりめん商品もいくつか販売していた。妻へのお土産をここで買えたのはよかった。このとき購入した花柄のちりめん巾着はいま化粧品入れとなっている。

●卵かけごはんの聖地を再訪

道の駅てんきてんき丹後を後にして岡山県に向かった。若干小雨が降っていた。今年は降ったりやんだりと天気の変化が大きかった。

京丹後市から岡山駅までの区間を地図で見ていて、あることに気づく。

「そうだ。卵かけご飯の聖地いこう!」

私とS氏とは昨年訪問済みだが、何度行っても飽きることなどない。聖地とはそういう存在だろ?

しかも今回はE氏もいるので、聖地を体験してもらうにはベストなタイミングだった。

聖地に着いた頃には雨もやみ、店の前には入店待ちの人々が数組いた。むろん我々も待った。350円で卵かけご飯(黄福定食)食べ放題という安さにも惹かれるが、シンプルに美味くて満足という感覚。たまにしか行けないし。

後編につづく(たぶん)。

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2018.09.01

終わらない夏旅 2018 前編

懸念された今年の夏旅。まぁ、その懸念材料は私自身の結婚だったわけだが。妻から「行ってくれば」とのお許しをいただき出発できた。

今年は西日本大災害もあったので太平洋側のルートではなく日本海側に出て西を目指すという漠然としたイメージがあった。富山から城崎温泉を通り山口県へ、かつて行ったところを再訪して巡ってもいいかなと。

そこに思いがけなく一本のメールが届いた。それは2015年から毎年夏旅で寄っていた岡山県のQUCHIの店員さんからだった。

なんと今年結婚退職をされるとのこと。さらに我々が今年も訪ねてくれるかもと退職時期をずらしてくれた旨が書かれていた。

メンバーにこのメールのことを話すと、当然ながら「こりゃ行くしかない!」と即決となり、岡山駅を目指すことが決まった。ただし何日目になるかはこの時点で未定だ。そのゆるさが夏旅なのだ。これでいいのだ。とりあえず出発するが日程決まらずとメールを返した。

出発日も8/7か8/8かで迷ったが、埼玉出発の三人のうち私とE氏の二人が8/8ならスタートから同乗可能となった。この二人は昨年の夏旅で二人とも新大阪まで新幹線で行って合流したわけだが、どうせならスタートから一緒にということで、8月8日の朝出発となった。

運転するS氏も買ったばかりの新車だ。前のシトロエンはとにかく故障のオンパレードで維持費がべらぼうにかかり、外車には懲り懲りしたようで快適な国産車での旅となった。自動運転はロングドライブには欠かせない(らしい)。

Geroonsen_20180808もう一人のM氏は名古屋から合流するのだが、確実に渋滞する東名高速は避けたい。しかしM氏は8/10には仕事で8/8に合流したら翌日には離脱というハードスケジュールだった。だから「じゃあ富山で合流」とも言いづらい。

そこで白羽の矢を立てたのが下呂温泉だった。初日は下呂温泉に宿を事前予約し、埼玉組は車で、名古屋のM氏は電車で来ることになった。だが、名古屋から下呂温泉までの在来線は昨今の西日本豪雨の影響で運行中止だとわかり、M氏は急遽バスで往復することとなった。こんな日常にも異常気象が入り込む2018年の夏だ。

●泉質には折り紙付きの下呂温泉!

ここ数年、どうも天候が異常だと巷ではみんな言ってる。2020年にはこの炎天下で東京オリンピックが開かれる予定で死人が出るんじゃないかとみんな言ってる。そんな世間の声が届いたか届かないか知らないが、これまで何一つ正解を出したことがない政治家森喜朗元総理大臣がオリンピックのためにサマータイムを導入してはどうかと言い出している2018年。2時間時計を早めようという。愚かさ、極まれり。きっとこの暑さで頭がやられたんだろう。

そんな異常気象のなか、下呂温泉は西日本豪雨の影響でJR高山線の運航中止に続き、8月6日には国内2位タイの気温41.0度を記録した。その二日後に思い立って下呂温泉に向かった我々。交通と天候とダブルパンチで観光客を遠ざけている下呂温泉だからこそ、我々にとっては宿が探しやすかったのかもしれない。

下呂駅前の老舗ホテル水明館を予約した。とても居心地の良いホテルだった。日本三名泉(有馬、草津、下呂)といわれるだけあり、入った瞬間にわかる実に良い温泉だった。お土産もこのホテルで買った。このホテルはまた来たいと思った。

夕食は川を渡った先の個人経営の居酒屋で下呂の郷土料理鶏ちゃんなどを食べた。夫婦で仕切っている店だったが、それなりに繁盛していた。注文を取る奥さんに何人前くらい量があるか聞いたときのめんどくさそうな受け応えが印象的で味は覚えていない。


●初の名田庄参上!中村伸一院長との邂逅は!?

さて、今回の夏旅は個人的に所縁の方の土地を回る旅に偶然なった。下呂温泉は私の師匠であるマット今井氏の選挙区であり、ポスターをいたるところで見かけた。出会った頃はまさか政治家になるとは思っていなかったし、ハッキリ言って今の所属政党をまったく支持しないけど、個人的には日本のために頑張って欲しいとは思う。もう10年くらい会ってないな…。

翌朝の8/9、水明館から出発。バスで名古屋に帰るM氏を下呂温泉のバス乗り場まで送った。これで全員がこの新車に乗ったため、夏旅成立となった瞬間だった。ま、特にルールがあるわけではない。縛られるのが嫌いな行き当たりばっ旅だから。

Natasho_20180809_155603ここから先は岡山県に向かうが、一日では進めないため出発前にメンバーに途中のルートで福井県の旧名田庄村で寄りたいところがあると告げていた。そこは「名田庄診療所あっとほ~むいきいき館」。NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で紹介された中村伸一院長の仕事場だ。中村院長はドラマ「ドロクター」のモデルでもある。

中村伸一院長のことを知ったのは2009年の3人の中村伸一トークライブだった。そのライブのことを私が熱く(good)ブログに書いていて、中村院長にも知ってもらえた。その後、院長の書籍をご担当されている編集者のIさんと別の講演会でたまたま知り合い、講演会後に初顔合わせといったご縁だった。最近は年賀メールくらいだったけれど、著書はすべて購読してる(scissors)。

事前に、8/9に職場でお会いしたい旨を院長にメールしていた。こっちは夏旅中だが院長は神聖な職場でお仕事中なので、ご挨拶程度でもお会い出来ればという感覚だった。院長からも握手と写真くらいしたいとの心強い返信をいただいた!

そして勇んで名田庄地区に向かったわけだが、天候が悪く雨が降り初め、また思った以上に遠かった…。

院長はお昼休みくらいの到着をイメージされていたのだが、こちらは午後何時に着けるか分からないまま進んでいた。途中、ショートメールで何度かやり取りさせてもらったが、院長は午後から出張に出られるとのことだった。それでもギリギリまで待っていてくださった。

我々はようやく15:40ごろ名田庄診療所に着いた。受付に「中村院長は…」とお尋ねすると「ギリギリまでお待ちだったんですよ…」とのご回答(weep)。おそらく数分の差と思われたが、中村院長は出かけられた直後だった。

仕方なく診療所のなかを少しだけ見学させてもらい、インターンの若い医師や看護師さんにご挨拶して名田庄地区を後にした。その後、残念メールを入れて、「また名田庄で会いましょう」とのご返信をいただきました…。

中村伸一院長には会えなかったが、名田庄地区がどんなところか見て来たことは有意義だった。こういう深い自然のなかで生活する贅沢といったものはなかなか頭で考えても実感できない。ただ、やっぱ遠い…。

無念の名田庄訪問を終え、我々はどこに向かうか協議を始めた。この先の岡山県までのルートは決まっていない。だがどこかに泊まる必要はある。さて、どこにするか。GoogleMapを眺めつつ、ホテル予約サイトも検索しつつ、この日の宿を探す我々であった。

(後編につづく。たぶん…)


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2017.11.01

夏旅2017 ~ファイナル!?~ 

夏旅も今年で18年目を迎えた。お盆前、九州方面に帰省する男どもと単なる旅好きな男が集まって、最初はガソリン代&高速料金を浮かせようと始まったこの帰省旅行だが、いつのまにか旅行がメインとなり、途中宿泊地も増え、明らかに主旨が変わっていった。18年も続いたのは楽しい旅だったことに尽きる。

だが漠然とこの旅もいつか終わりが来るのかなという思いがよぎらなかったわけではない。それがどんな風に訪れるんだろうかなどと旅の途中に話したか話さなかったかも記憶が定かでない。とはいえ、まさかこのオレ自身が結婚してそのトリガーになろうとは数年前までは夢にも思っていなかった。

もちろんこの旅が今後も続く可能性はあり得る。今年の夏旅はそのモデルケースのような感じもした。

これまでは最初から山口県までずっと同じメンバーで車に乗ってスタートしたが、今回は自動車の持ち主かつ言い出しっぺのS氏がひとりで出発した。8月、初日は静岡県在住の元上司I氏の自宅を訪問し旧交を温めたそうだ。

その翌日、名古屋にて創設メンバーのM氏(名古屋在住)をピックアップし、ふたりで和歌山県へ向かったという。なんでもNHKスペシャル「列島誕生 ジオ・ジャパン」で紹介された日本一の巨石“古座川の一枚岩”を観に行きたいということで、男二人の一枚岩観光となったようだ。前日は台風で大変だった中部地方だったが、その日は快晴だったようだ。

●今年のメモリアル森友学園の大阪へ

8月9日(水)にようやくオレとE氏とが合流する。二人とも別々に出発し新大阪駅集合とした。ポケモンGoでかなりのステージにあるE氏は早朝から新大阪入りし、ポケモン探しで大忙しだったようだ。どこかの公園で知り合ったという地元の同レベルのポケモンマスターと意気投合し、その後は二人でポケモン行脚をしていたという…。最近のポケモンは集団でかからないとダメらしく渡りに船だったようだ。オレにはさっぱりわからない世界だが、打ち込める趣味があるのはいいことだ。

オレはゆっくり出発し昼前に新大阪に着いた。汗だくのE氏と改札前で合流し、和歌山組を待つが、案の定遅れている。想定内だ。とりあえず喫茶店に入り涼んで待つことにした。こういうときはスマホのおかげでどこまで来ているかの連絡がとれるからイライラせずに済む。18年前には考えられなかったことだ。こんな瞬間に世の中の移ろいを感じる(confident)。

ようやく和歌山組が到着したので、駅の近くにあったキャプテン翼スタジアムというフットサル場横でシトロエンピカソに乗り込み全員集合。

とりあえずオレが「今年行くならここだ!」と思っていた場所へ向かった。そこは「瑞穂の國記念小學院」だ。

瑞穂の國(安倍晋三)記念小學院

まさに2017年を象徴する建造物だ。安倍首相の妻昭恵氏を名誉校長と称え、国の土地をこっそり8億円も値引きして安く売り飛ばし、安倍晋三記念小學院とも言われたが、その疑惑がバレそうになると一転、籠池理事長を罵倒し詐欺で投獄してしまった安倍政権。売り飛ばした証拠書類を役人に廃棄させ、その隠蔽の実行犯を国税庁長官に任命した安倍政権。同時に明るみになった加計学園の獣医学部設置問題とあわせ疑惑追及が厳しくなると、国会の冒頭で解散権を発動した安倍政権。これほどまでに腐敗した安倍政権のまさに象徴としての記念小學院というわけだ。

建物自体はとても素晴らしいもので、これはこのまま残して何かに使った方がいい気もするが、解体されるのだろうか。こういう技術をもっと誠実なかたちで使える国になって欲しいものだ。

観光がひと段落したところで、遅めの昼食にしようとなった。和歌山組は元祖ネギ焼きの店にこだわっていたが、あいにく定休日だったため、お好み焼きの美味そうな近くのお店を探すことになった。これもスマホだ。そして決まった店は「AT THE 21」というお店。ヘアサロンのような外観だったが、量も味も大満足のお店だった。和歌山組はネギ焼きを食べていた。オレはオムそばを食べた。

●毎年恒例の岡山県QUCHIへ

大阪を後にして岡山県に向かった。岡山県といえば安倍晋三のお友達、加計学園のお膝下。まさに安倍晋三のお友達めぐりの旅の様相だが、そんなつまらない時間を過ごすためでなく、今年もQUCHIで奈義ビーフの熟成肉ステーキを堪能するために岡山入りした。

2015年の夏旅で初めて訪問して以来、2016年の1月、同年8月、そして今回が4回目のQUCHIになる。

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今年も女性店員さん(演劇と星を眺めるのが好き)と談笑しながら注文したが、2年越しでようやくどのくらいの量が適切かがわかって来た我々(delicious)。それでもついつい食べ過ぎてしまうわけだが。

また今回は結婚報告もさせてもらった。2年間で4回しか来ていない客なので常連というほどではないが、死ぬほど食らう4人組は目立つからか(coldsweats01)、とてもよく覚えていてくれて、デザートを注文したらオレのだけスペシャルヴァージョンで作ってくれた。
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夏旅が今回ファイナルだとすると、今後は毎年というわけにもいかなくなると思うが、今度は夫婦で訪問することを約束した。

岡山県で一泊し、翌朝、ポケモンマスターのE氏は早朝に宿を出て東京に戻った。武道館でコンサートがあるという。強行スケジュールのなか夏旅に参加してくれてうれしい。名古屋のM氏もここで別れ、実家の神奈川に戻った。ここからはS氏とオレの二人旅だ。

●たまごかけごはんの聖地へ

オレが糖質制限を始めたのは2012年のことだった。最大12kgくらい減量できた。あれから5年、ちょっと糖質摂取量が増えて来て若干(2kg程度)の体重増はあるものの、ほぼ維持出来ている。

S氏もオレから遅れること数か月、糖質制限を始めて16kgほど減量に成功した。しかしなんとなくもとに戻ってきている感じは否めない…。

そんな二人が、この夏旅の懸案事項となっていたたまごかけごはんの聖地を目指すのはファイナルにふさわしい行事に思えた。以前、高速道路の降り口を間違えて素通りしてしまっていた。リベンジするならこのときしかない。

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たまごかけごはんの店、食堂かめっち。1杯350円、おかわり無料で何度でもOK。ただし卵だけのおかわりは有料。極少量でもごはんをつけておかわりすれば無料というシステムだ。おばちゃんがグイグイおかわりを勧めてくる。バクバク食べる客を見守るのが大好きといった感じだ。それに甘えて我々は、2杯、3杯、4杯とおかわりした。4杯目あたりではもう勧められなかったが、帰りがけに「もー、腹いっぱいです!」と告げると、おばちゃんも満足気な笑顔で見送ってくれた。

●日本海側へ

西へ向かうことだけが夏旅の基本ルール(帰省だから)だが、岡山駅前から美咲町までたまごかけごはんを食べに行ったことで、ちょっと逆行してしまった。そこからまた瀬戸内に戻っても新鮮味がないため、中国山地を越えて日本海側へ行こうということになった。このあたりの決断は、行き当たりばっ旅らしさそのもので楽しい。

とりあえず、真庭市を抜けて境港を目指した。目的地はないわけだが、こういうときは岬を目指すのが正解だ。だって日本は島国だから(happy01)。無目的に走り続ければ必ず突端に行きつくのだ。そして美保関灯台に到着した。

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若干小雨もパラつく天候だったがこういうう機会でないと来ない気もする。ロケーションとしてはとてもいい。気持ちの落ち着く風景だった。

ここからの道程は何も決まっていなかった。しかしすでに午後2時を回っており、どこかでもう一泊という雰囲気ではあった。とにかく西へ向かおうということで出雲方面へ。

しかし長崎まで帰省するS氏は、出来るだけ西へ進んでおきたいということで、浜田市か益田市を目指すことにした。どちらにするかは道路の混み具合と今夜の宿がとれるかどうかによる。結局、益田市までは行けず、浜田市のワシントンホテルプラザに宿泊し、近くの居酒屋で夕食をとった。のど黒祭りをやっていた。

●周南市へ

8月11日(金曜)山の日。朝から雨が降っていた。後は帰るだけなので早々に出発。朝食を食べるところもなく走りつづけた。途中大雨に降られたりしながら、315号線を周南市に向けて走った。実家に着くころには雨は上がっていた。

こうして18年間続いた、夏の行き当たりばっ旅ファイナル(?)はゴールしたのであった。オレを実家に降ろしたS氏は長崎へ向けて走り去っていった。その風景は毎年同じように見た風景だった。

結婚しようかなと漠然と考え始めたのは2011年3月11日の大震災がきっかけだったと思う。人生のなかで遭遇する天変地異としては最大の大災害だった。9月に震災地を巡って、その思いは更に大きくなっていったような気がする。とはいえ、映画を観に行くようにじゃあ結婚するかとすぐに夢の世界に没入できるほど世の中は単純でもなく、6年後に実現したというわけだ。

つまり2011年にある意味ビッグバンによって結婚願望の芽生えがあり、翌2012年に運命的に糖質制限と出会い、2014年頃から断捨離も断続的に続け、身心ともに健康的になったところで幸運にも良い縁があったという流れのなかで振り返るとき、あらゆる行動には理由があり、つながっているんだなと思ったりする。そしてある行動が次の行動を誘発する、ある種の再帰性によって導かれていく人生ゲーム。なんだか楽しくて仕方がない。

結婚後、この夏旅を知っている人から、この旅は続けた方がいいと言われた。こういう付き合いの大切さは一生モノだぞということだった。来年どんな夏を過ごしているかは分からないが、導かれるままに楽しめれば人生は豊かになるんじゃないかと思う今日この頃です。

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2017.01.04

『ジェームズ・ボンドは来ない』そしてボクは間に合わなかった…

昨年の夏、直島に行ったときにはまだ文庫化されてなかった『ジェームズ・ボンドは来ない』(松岡圭祐著・角川文庫)。正月休みの復路の新幹線で読み終わりました。

直島訪問当時はこの本の存在も知らなかったけれど、帰って来て後輩に直島の話をしたときに、007映画を誘致するっていう面白い本があるという情報を聞きました。その後、書店で文庫のタイトルに「ジェームズ・ボンド」という名前を見た時ピンと来て、手に取ったらビンゴだったというわけです。

文庫化にあたり、「まえがきにかえて」という著者の解説が書かれていますが、読み終えてみて、確かにこの物語を何の説明もなく読めば、フィクションのように思えてしまいます。それほどまでにストーリーは面白く、登場人物が魅力的で、荒唐無稽な村おこしのお話なのです。

直島にコンビニや診療所が出来るよう自分も何か役に立ちたいと思っている直島の女子高生遥香が主人公。そんな彼女の日常に、たまたま直島を007映画のロケ地として誘致しようという話が持ち上がります。そしてその誘致活動にのめり込んでいく高校生の遥香。そこで巻き起こる誘致活動の紆余曲折の物語は、まるで高校生が大人になるまでの清々しい青春小説のよう。

何の産業もない(と思われた)島から出て行くのか、留まるのか悩む若者の苦悩。降って湧いたロケ地誘致話に島の未来を夢見つつ、目の前の受験や親との確執、観光協会の仲間達や友人との信頼関係を通して、挫折を味わいつつも幸せをつかみ取っていく様子は、これが小説でないことを忘れさせてくれます。そこは著者のうまさでしょうか。

また、地方行政のいやらしさとか、村おこしのための涙ぐましい努力とか絶望とか、地方のいろんな問題も見え隠れします。村おこしに尽力しても成功しそうになったらもっと大きな行政の長がしゃしゃり出て来て、おいしいところを全部持って行こうとしたり…。しかしいざ頓挫しそうになると、さーっと引き上げる地方行政のえげつなさ。

途中、すべての取り組みが急展開を見せるのですが、後半の畳込むような“イタさ”の連続はまるでコメディ映画のようですらあります。これが実話だというのが本当に可哀そう…。だけど、直島観光協会の人々の真剣さが逆に笑いを誘ってしまいます。

誘致活動を始めた頃、高校1年生だった遥香は6年後、短大を卒業しています。ジェームス・ボンドはまだ来ません。それはこの文庫本のタイトルもそうだからネタばれじゃないですよね。それどころか誘致活動そのものが頓挫しそうです。だけど、ただ来ないだけで終わらなかったところがすごい。

終盤のこの展開には、遥香自身の6年間の集大成として書いた手紙が奏功したのでしょうか。はたまたひょんなことから出場することになったコンテストでの演説が奏功したのでしょうか。いずれにしても、まさに事実は小説よりも奇なりです。ヒトの思いって、たとえ全部じゃなくてもその痕跡を残すものなんですね。その痕跡を掘り起す面白さがノンフィクションにはあるように思います。

時代背景としては、第1回瀬戸内国際映画祭が始まったり(3年に1回開催で2016年は第3回でした)、AKB48のオーディションがあったり、東日本大震災の前後数年でもあり、ノンフィクションとして同時代性も感じることができました。

最後にはほろっと泣かせるいい話だし、どんでん返しのような展開も待っていて、この物語こそが映画になりそうなお話でした。直島がある香川県出身かつ青春映画の名作「幕が上がる」を撮った本広克行監督が映画化してくれないかなぁ。ジェームズ・ボンドもチョイ役で出てくれないかなぁ(coldsweats01

昨年の夏旅の前に読めていれば、必ず訪れたであろう直島の「赤い刺青の男記念館」はまだ続いているのでしょうか…。直島を再訪した暁にはぜひ訪れてみたいものですね。この文庫本を持って写真を撮りたいものです。たとえ跡地であっても。昨年は間に合わなかったな~!

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2016.12.23

富士山、クレマチスの丘、詩

Mt_fuji_20161217

15日の夜から静岡県三島市に3泊した。平日は仕事で週末は観光。連日いい天気で富士山がとても美しかった。

三島から見る富士はとても大きく、夕方にはまさに赤富士となり、多くの文学者が富士の山に喚起されて来たのも分かる気がする。そしてこれからも富士が多くの芸術を生んでいくような気もする。

私は富士が大好きだが、一歩たりとも登りたいとは思わない(bearing)。富士は遠くに眺めてこそ美しい。

Vangi_museum_20161217●クレマチスの丘

一番おもしろかったのは仕事だったのだが、それは書けない。週末の観光ではクレマチスの丘を初めて訪問した。三島駅から9:40発の無料シャトルバスで約20分。道中にも富士が見える。

クレマチスの丘は静かで清潔で落ち着く空間だった。朝いちばんだったこともあるだろうが、とても贅沢な時間だった。

まず、ヴァンジ彫刻庭園美術館とIZU PHOTO MUSEUM の2館共通チケットを購入した。共通チケットはいろんな組み合わせが出来て便利だった。

ヨヘン・レンペルトの写真展「せかいをさがしに」は地味な企画展だったが、生物学に裏打ちされた写真群は面白かった。

ジュリアーノ・ヴァンジの彫刻は独特だった。キュビズム的に人体を具象化しようとしているのか、デッサンの崩れたような人物像が多い。しかし見る角度によって表情がまったく異なるのが面白い。

人間の多面性をひとつの作品で表現しようともがいてる感じだ。展示館内の照明や配置はヴァンジ本人がこだわりを持って設置しているそうで、確かにそこに何らかの意図を感じさせる配置だった。

庭園にはユーモラスな彫刻がいくつかあった。右上の写真はガラス面に鼻をくっつけている男(タイトルは違うと思う)を横から撮った。最初は誰かに見られてるのかと思った。そういうドッキリ彫刻がいくつかあった。

壁をよじのぼる男も面白かった。ちゃんとネクタイをして壁をよじ登っていた…。この男の顔も右と左とでまったく別人になる。

Vangi_museum_01_20161217

●ベルナール・ビュフェ美術館

Buffet_museum_20161217クレマチスの丘の真打は、ベルナール・ビュフェ美術館だろう。この時期は「ビュフェと1940-50年代 不条理に対峙する絵画」展というコレクション企画展と、「ロベール・ドアノーと時代の肖像 - 喜びは永遠に残る」展が同時開催中だった。

ビュフェの絵画は一度見ればすぐにビュフェとわかるような強烈な個性、あるいはトーンを持つ。ビュフェのサインはもはやサインの域を超えて、それ自体が絵画のデザインの一部、絵によっては主役ではないかとも思えるような大きなサインだ。美術館の壁に大きく描かれているのも、そのサインだ。売れっ子だったんだろう。このサインがあるだけで売れた時代があったんじゃないだろうか。

ロベール・ドアノーの写真展も面白かった。有名人のポートレートは単なる肖像ではなく遊び心がある。また街で捉えた一瞬のおもしろスナップやおもしろ構図写真の数々は、梅佳代に通じる写真芸術のひとつの潮流にも思える。素直に人間って面白い、写真って面白いと思える。ポートレートにしろスナップにしろ、やはり撮っておくべきだと思った。

またドアノーが惚れ込んだ小説家ジャン・ジオノへのオマージュとしての連作写真「ある羊飼いの物語」も実にいい写真です。羊飼いの大移動に同行して撮った数々の写真は、ひとつの時代のポートレートになっていました。

不満だったのは、絵はがきが少なかったこと。ドアノーの写真は数枚購入しましたが、ビュフェのほうは買いたい作品がありませんでした。また、ドアノーの図録もせめて展示作品はすべて載せて欲しかった。「門出の歌」が欲しかった(笑)。

昼過ぎまでクレマチスの丘を歩き回り、またシャトルバスに乗って三島駅に戻った。美味しいうなぎ屋があるというので南口に回って、桜家といううなぎ屋さんでうなぎが3枚乗ったうな重を。遅い昼食となりこの日はホテルに戻ってぐっすり寝た。

●谷川俊太郎展

Tanikawa_shuntarou_20161218

翌朝、帰宅前に駅前にある「大岡信ことば館」で谷川俊太郎展を鑑賞した。Z会の建物内にある。美術館でもなく博物館でもない。ことばを展示する空間。しかしお勉強感覚でもなく、ことばをビジュアルに展示しようという意欲があって好みの展示空間だった。

先日のDOMANI明日展のときに感じた、情報社会におけるアートとことばのコラボレーション感覚をここでも強く感じた。こっちはことばがメインだけど、谷川俊太郎さんの詩や詞はとても五感を刺激する。

谷川さん自身の朗読に耳を傾ける(文字通り耳を傾けて聞く)展示が4か所あった。寝かせたスピーカから筒が伸びており、その先に蓋がしてある。蓋を取って耳を傾けると、その筒から谷川俊太郎さんの声で詩の朗読が聞こえてくるのだ。

谷川俊太郎さん、役者だね。ポエトリーリーディングの抑揚に惹き込まれる。素晴しい詩を書けても、朗読は上手くない詩人もたくさんいると思う。坂本龍一の歌がお世辞にも上手いといえないように(catface)。でも谷川さんの朗読は実にいい。シンガーソングライターならぬリーダーポエムライターだ。絵本と詩のコラボレーションも多い谷川俊太郎さん。様々なメディアと絶妙にマッチする。

谷川さんのお父さん(哲学者の故・谷川徹三氏)から子ども時代の俊太郎君に宛てたハガキも展示されていて、そのことば感覚に驚いた。この父にしてこの子ありなんだなぁ。

ボクは中島みゆきファンで、中島みゆきさんを通して谷川俊太郎さんの詩に出会った。中学生の頃。詩集を読み漁るようなタイプの人間ではなかったが、こうして展示された空間でひとつひとつの詩と向き合うのは楽しかった。

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2016.11.09

写実絵画の殿堂ホキ美術館へ行ってきた!

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いや、遠かった(笑)。だけど気分は最高!そんな一日だった。千葉県の土気駅まで電車を乗り継ぎ約2時間、そこから徒歩23分(バスも出てるけど)。朝から出かけたが着いたのは11時過ぎだった。目的地はホキ美術館。2010年11月3日に開館した新しい美術館だ。

今日は米国大統領選の投開票日。朝から木枯らしが吹く寒い日でダウンジャケットを着こんで出かけた。土気駅に降り立ってから、RCサクセションの2時間35分を口ずさみながら歩いた。途中の薬局で目薬を購入。写実絵画をじっくり見ると目が疲れるだろうから。

美術館までの歩きも快適だった。一軒家が多いのだけど色彩に統一感があり街並みがとても美しい。ちょっとポワシーからサヴォワ邸に向かう街路に似てた(褒め過ぎか happy01)。気分も高揚してたからな。

ホキ美術館はそんな住宅地の一角に刺し込まれたひとつのオブジェのように佇んでいた。遠くから見ると自然と住宅地に溶け込んでいるのだが、正面までたどり着くと現代建築の風貌(上記写真)で出迎えてくれる。思わず美術館のまわりを一周した。この建築も話題だというのは一目でわかる。

●現代日本の写実絵画を浴びるように鑑賞する

ホキ美術館を知ったのは、先日初めて購入した『Artcollectors No.92』(2016年11月号)の写実絵画特集だった。そこに紹介されている写実画の素晴しさ。そしてこれらがホキ美術館を始点にジワジワ人気だという。

それでホームページを見ると、ちょうど「心をゆさぶる写実絵画」という企画展が組まれていて、その会期が今週末(11/13)までだったのだ。その後は大阪の阪急うめだで「ホキ美術館名品展」が開催されるため数日休館となる。これはもう行くしかない!と思い立ってからは我ながら素早い行動だった。

チケットを購入して入口まで行くと、創設者の保木将夫社長が座られていた。実は建物の前に着いた瞬間、ガラス越しに「保木社長がいらっしゃる!」と気づいた(上の写真のガラスの向こうにも写ってたりしますが)。話しかけようかとも思ったけど、初回だし、まずはコレクションを見てからにしようと遠慮してしまった。

美術館の展示室に入ると、ほとんどすべての絵画が油彩の写実画で圧倒される。現代アートでない現代の画家による写実画という、これまでの常識では考えられないジャンルだ。そこに特化したことによる美術館の個性という意味でも、これほどのコレクションはなかなかないのではないか。

これだけの量と質の写実絵画の原画を見ると、印刷物では決してわからない“絵”を発見できる。写実画は印刷されると写真と見まごうばかりで、ミーハー感覚でぶっちゃけるなら「それなら写真でいいじゃん!」となるかもしれない。だが、例えば五味文彦氏の「樹影が刻まれる時」などは印刷媒体で見るのと原画を見るのとではまったく違う感想を持つ。

原画をこうして目の当たりにすると、これらは紛うことなき絵画なのであった。そして写真とは異なる世界観の実現や一瞬のきらめき、あるいは実際には存在しない風景、人物、瞬間を創造し得る手法なのだと実感する。裸体も写真よりエロティックかもしれない。写真なら数分で撮り終えられる複数のポーズが数か月から数年に渡って描かれる。その時間が筆跡のなかに透けて見える。

●故・森本草介画伯の裸婦の変遷

昨年亡くなった森本草介氏の絵画はひとつの見どころだった。ホキ美術館の最初のコレクションも森本草介氏の「横になるポーズ」という作品だったそうだ。

今回の展示でギャラリー2には森本草介作品29点が一堂に会していた。森本氏の淡い色彩こそがホキ・コレクションの重層低音のようなものかもしれないと感じた。土気駅からホキ美術館までの街並みもまるで森本草介氏の作品のような色合いだったなと思いながら、この画伯とホキ美術館との結びつきを感じたりした。

描かれた時期は異なっても、すべてが森本草介カラーとでも呼びたくなる色彩で統一されているように見え、ギャラリー2の入り口に立っただけで満たされた気分になる。写実絵画のなかに光る上品な個性はこの美術館のコンセプトに深く影響を与えているようにも思う。

そんな森本作品だが、見ているうちに同じような裸婦でも、例えば1996年の「女 FORME」と2012年の「NUDE」とではタッチが異なる。年を経るにつれソフトフォーカス感が強くなっているように思えた。髪や顔、肩のラインなど徐々にふわっとベールがかかったように変化してる。その代り色彩は「女 FORME」のほうが淡く、「NUDE」はリアルな肉体に近づく。その間の1998年「白い帽子」にも同じ感想を持ち、そこから裸婦の描かれた年度を再度確かめながら鑑賞した。

印象派のモネの絵も晩年は過度なソフトフォーカス(というか抽象的)になっていったのを思い出した。しかしモネの場合は白内障の影響があったはず。森本氏の場合は裸婦へのまなざしの変化じゃないかと思う。乳首が描かれるようになるのも新しい作品のほうが多い気がした。年を経るにつれ裸婦全体はよりソフトに、しかし細部は肉感的に、そんな意識の流れを感じた。

ホキ美術館のサイトに寄せられた森本草介氏の言葉のなかに、ご自身の人物画への向き合い方がこう書かれている。

モデルは神秘のベールの向こう側にいて、彼女についての具体的なことは何ひとつわからないというのが理想です。

背中からの構図が多いのもこういう意志に基づいているということだと思う。そしてソフトフォーカスが増していくのもきっと神秘のベール(への作者の意志)が増していることの表れなのだろう。その分、裸婦の写実に求められるいくつかのプロパティを肉感的に描きバランスが取れた作品に仕上がっているのかもしれないと思った。

●係員さんのミュージアムトークがお得

日によっては、係員さんの解説付きで30分ほどいくつかの作品を鑑賞できるミュージアムトークという企画がある(無料)。今回11時半頃から鑑賞し始めて、かなり先まで進んだところで「13時からミュージアムトークを実施いたします」との館内放送が流れた。これを逃す手はないとフロントまで戻り参加した。

既に一度見た作品だったが、ミュージアムトークと一緒に鑑賞すると裏話が聞けたりして、とても面白いのでおススメ!藤原秀一氏の「萩と猫」の猫の名前とか(wink)。ちなみに猫はクッキーちゃん。猫の写実画は珍しいそうだ。

そんなお話もあれば、生島浩氏の人気作品「5:55」の有名な逸話(帰りたがっているモデルの話)、五味文彦氏の木霊シリーズの裏話や静物画でもっとも描くのが難しい食材話、石黒賢一郎氏の驚異的な背景へのこだわり話、小尾修氏の画風の変化話、島村信之氏の「コントラポストI」の作画時間の短さとその理由(衣がないと速い)、原雅幸氏の風景画の秘密、塩谷亮氏の美女は奥さん(奥さんをモデルにする画家は多い)などなど、とても楽しいお話が聞けた。

いつミュージアムトークがあるのかは、ホキ美術館ホームページのお知らせに掲載されているので確認して行くといいと思う。

あっという間の3時間だった。充実した時間だった。帰りがけ、受付のところで保木将夫社長と係員さんたちが談笑されていた。話題は米国大統領選(笑)。15時を回っていたが、この時点ではまだトランプかヒラリーか結果は出ていないといったお話が聞こえて来た。

ショップで気に行った作品のポストカードを20枚購入。20枚買うなら図録を買ったほうが安いわけだが、いろいろな美術館訪問の記念にポストカードを買ってファイリングしているのでポストカードはマストアイテムなのだ。好きな絵画やエポックとなった絵画を並べて持っておくと記憶が鮮明によみがえる(はず)。

ちなみに今回展示されていたなかで好きな作品を感想も込めて5つあげるとすると、

・山本大貴「静寂の声」:ギターを持った美少女大好き!
・大畑稔浩「瀬戸内海風景 川尻港」:川瀬巴水と故郷を想起。
・石黒賢一郎「存在の在処」:超有名な超絶作品!圧巻。
・島村信之「日差し」:美人の奥さんと衣服と光の描写力。
・生島浩「Card」:モデルさん超かわいい(笑)。

かな。明日には違う作品を選ぶかもしれないけれど。全部ポストカード購入。その後、美術館を後にして土気駅まで歩いた。そしてまた2時間ほど電車に乗り帰宅した。そのころにはほぼトランプ勝利が固まりつつあったが、メディアは信じたくないような報道ばかりだった。

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11月18日から2017年5月15日まで第2回ホキ美術館大賞展が開催されるという。これも電車を乗り継ぎ必ず鑑賞に行こうと思っている。作品の人気投票は2月末までで、人気の3点が常設になるようだ。ということは、それ以外は常設にならない。大賞展で見ておく必要がありそうだ。

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2016.10.22

スタートレックBEYONDを見て初海外旅行を懐かしむ

映画の内容についてはほぼ触れませんのであしからず。

10月21日(金)、映画「スタートレックBEYOND」が封切られた。トレッキーの末席に座す私としてはやはり見ておこうと思い、封切日の最終上映で鑑賞した。せっかくならとIMAX 3Dシアターで鑑賞した。

これが初めてのIMAX3Dだったので、3Dメガネはどうすればいいのかとか、メガネの上から3Dメガネをかけるのかとか、不安もいっぱい(coldsweats01)。行く前に数人に3Dメガネ情報を聞いたりしたがよくわからず、予約しておいたユナイテッド・シネマ浦和に向かった。窓口で質問したらメガネの上からも掛けられるIMAX3D専用メガネを入口で貸し出しすと教えてもらい、何の不安もなく入場できた。

3D映画をなんとなく敬遠していたのは確かだ。ギミック(雑情報と言ってもいい)に引きずられて気が散るのではないかとか、目が疲れてしまうんじゃないかとか、そもそもハリウッド大作なんてお子様映画なんじゃないかとか、そういう不安もいっぱい(bearing)。

そんな不安を払拭するにはスタートレックがうってつけだと思った。それは私がトレッキーだからに他ならない。作品への信頼があるから、3Dなんかに引きずられることなく物語に入っていけるはずと思ったわけだ。

しかし、もうIMAX 3Dのカウントダウン画像の時点で完全にIMAX 3Dに惹き込まれてたな(happy02)。3D映画はいいね!奥行き感がたまらなくいい。もちろん、わざわざ3Dのために撮ったようなアングルもたくさん盛られているわけだけど、映画の後半にはそういうギミックはまったく気にならなくなっていて、3Dそのものがごく自然に"映画"していた。

字幕の文字が浮き上がって見えるのが読みやすくていいといえばいいが、やはりネイティブのほうが映画への没入感は高いだろうな。

●スタートレックとIMAXとパリの思い出

前作の映画「スター・トレック イントゥ・ダークネス」は2013年秋のパリ旅行のとき、飛行機のなかで見ることが出来た。日本公開はその年の夏だったから「こんな新作を飛行機でやるんだ。時代は変わったなぁ」と思ったものだった。そしてトレッキーのくせに映画館で見ていなかった私は嬉々として見たのだった。

IMAX 3Dも今回初めて見たと書いたがそれは嘘だ。実は25年前に初めての海外旅行で行ったパリで見ていた。IMAXという言葉もそのとき初めて知った。わけもわからず工事中のラ・ヴィレット(公園)に向かい、ジェオードと呼ばれる銀色の球体を発見した。それがIMAX3Dシアターだった。

ウィキペディアによると1985年開業らしいから、私が見たのは開業6年目だったことになる。公園はまだ工事中だけど映画館だけは先行して開業していたんだろう。せっかくだから見ようとチケットを買って立体映像を見た。内容は忘れてしまったが、確かにその立体映像には感激した。IMAX 3Dにはそれだけの歴史もあり、子どもだましの立体映画ではないことを思い出した。

せっかくだからアルバムを引っ張り出し、そのときの写真をスキャンしてみた。前にもひとくちメモで写真スキャンしていたので、今回はアルバムに書いた手書きメモも一緒にスキャンしてみた。クリックで拡大。

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この当時、まだデジカメはなく使い切りのフィルムカメラで撮った写真。だから1枚1枚がそれなりに貴重で、決意の一枚なんて言葉が出てくる(笑)。

いままた欧州に興味を持ち始めたタイミングで、パリ旅行とスタートレックとIMAX3Dが繋がったのはなんとなく嬉しい。もちろんスタートレックBEYONDも面白かった。

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2016.08.27

HDRアートモード画像で綴る夏旅2016

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最近はスマホがあるので通常のスナップなどはそれで事足りるけれど、HDRアートモードはアプリじゃなくカシオのデジカメで撮るのがやっぱ好き。2012年の夏旅で撮りまくったHDRアートモード。今回も同じカシオのデジタルカメラで撮ってきました。

今回の西日本は太陽光線がギラギラ照りつける熱い夏。鞆の浦や岩国錦帯橋では波光きらめく海辺や河川、コントラストの強い石畳がとてもHDR向きでした。

アートモードの点では、ちょうどいま新版画の川瀬巴水に惚れてる時期だったことも大いに影響してます。川瀬巴水の版画のような風景画をデジカメで撮りたいというひとり遊び感覚で風景を眺めていました。

直島地中美術館でモネの睡蓮を鑑賞し、ちょうど瀬戸内国際芸術祭2016の期間中だったりして、脳内で印象派と新版画とが共鳴しあい、「風景版画のようにHDRアートモード画像を激写する!」という目標が出来たのは直島から宇野港に戻った時でした。それで宇野港以西のHDR画像しかないわけですが(confident)。

鞆の浦、阿伏兎岬、錦帯橋、そこには川瀬巴水も訪れた美しい街並みが残ります。それを版画のような構図でHDRアートモードで撮ろうとしました。なかにはちょっと現代アート風の写真もありますが、それも含めて「“私家版”瀬戸内国際芸術祭2016」と銘打ってみました(smile)。

●HDRアートモード写真展示会2016

写真は縮小してますが、サイズ以外の加工はしてません。カシオZR200で撮ったままの画像です。こんなファンタスティックな画像が一瞬で撮れてしまうカシオのデジカメはすごい!(と2012年にも語ってます。)

画像にカーソルを当てるとどこで撮ったかが表示されます。また、画像をクリックすると大きく(800×600pix)表示されます。

画像だけの転載は不可です。

直島便フェリーの岡山県側宇野港周辺での自画像

鞆の浦の路地裏に続く小路

鞆の浦の階段

鞆の浦の路地

鞆の浦医王寺の仁王門大わらじ

鞆の浦海へ続く路地の水たまり

鞆の浦鞆港の水際

鞆の浦海老の天日干し

阿伏兎観音直下の海

阿伏兎岬の阿伏兎観音(磐台寺観音堂)

岩国吉香公園の噴水広場

岩国錦帯橋

青葉のなかの錦帯橋

錦帯橋から望む錦川

こんな感じ。版画っぽいアングルを意識してるつもりだけど成功してるかどうか…。鞆の浦は戦火で焼けず昔の風景が残った街。それゆえに近代産業化は難しいけれど、観光地としてはとても素晴らしい資源です。外国人にもっと紹介して美しい日本の風景と歴史を語り継いで欲しいと思います。

最初の現代アート風の写真がHDRアートモードらしい写真だったので、その気になって旅の節目節目でHDRアートモードで撮影していました。もっと早く思い出しとけば、フェリーや明石、直島からの風景も撮れたのにな。

直島にはモネの睡蓮を模した庭が作ってあって、そこをアートモードで撮ってみたかった。それがかなわなかったのでモネの庭で撮った普通の写真を自宅で印象派風に加工してみました。それも出品してみます。

直島地中美術館横のモネの庭

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2016.08.21

『島はぼくらと』~夏旅2016番外編~

Naoshima今年の夏旅に出かける前、世間はポケモンGO一色に染まっていた。誰もがポケモンを探して市中を徘徊していた。これなら映画館も空いてるだろうと7月最後の日曜日、話題の映画「シン・ゴジラ」を朝一で鑑賞した。思った通り映画館はずいぶん空いていた。都会の夏休みのシネコンはお子様映画の長蛇の列が常なのだが、すんなりチケットが買えた。ポケモンGO解禁直後のおかげだと思う。田舎で観ようか迷っていた「シン・ゴジラ」だったがIMAXで鑑賞出来て良かった。

映画を見た後、書店に立ち寄った。旅先や実家で読む本を探すためだ。読みかけの書籍はたくさんあったが、どれも旅の気分には合わない気がして、今夏の旅専用文庫本を物色しようと思ったのだった。

今年の夏旅は東京湾からフェリーで四国の徳島港まで行き、そこから明石の宿に泊まり、翌日は岡山県の直島観光をするというところまで漠然と決まっていた。前半は海がテーマのような感じだ。

そこで目に留まった文庫本が辻村深月さんの『島はぼくらと』だった。元来島好きでもあり、今回の旅先に直島が入っていたこともあって、平積みになっていたこの文庫本に目が留まった。

直木賞作家、辻村深月さんの小説は読んだことがなかった。小説そのものをあまり読まなくなり、読んでも城山三郎などの経済小説、企業小説が多かったが、最近は美術関係や手軽な新書ばかり読んでいる。

久々に小説が読みたくなった。それも流行りのミステリーのように殺人事件がどうのこうのとか、企業小説のようにギスギスした駆け引きみたいなものじゃない小説。そういうややこしい虚構には感情移入出来ない(いや、したくない)という気分でもあった。

『島はぼくらと』の文庫本表紙は五十嵐大介さんのイラスト。高校生らしき男女2人ずつ。そしてオビには「17歳。卒業までは一緒にいよう。この島の別れの言葉は『行ってきます』。きっと『おかえり』が待っているから。」とあった。

フェリーで本土の高校に通う冴島の高校生4人の卒業までの青春ストーリー。他愛ない青春小説(ライトノベル)かとも思ったが、どうやら殺人事件やギスギスした大人の世界とは無縁の物語のようだと思い、島の若者の話だし夏旅向きかもと思ってこれに決めた。

●謎解きあり島の人間関係あり…。期待を裏切る面白さ!

読み終えてみると、最初に選んだ条件のうち、殺人事件はなかったものの、ミステリー仕立てのストーリー展開もあり、企業小説ではないものの、行政やマスコミ、一枚岩でない島民間のいざこざ、人間関係の機微などがしっかり描かれていて、ライトノベルなどとは呼べない作品だった。

それだけに読み応えもあったが、全体に漂う清々しさは作者の目線が常に島の生活を肯定的に描いているからだろう。4人の高校生だけでなく、Iターンで冴島を選んだ人々の思い、島の伝統を重んじ代々島で生きてきた家庭の思い、様々な思いで島を離れていった人々…。それぞれの立場で生きる冴島内外の人々を暖かく見つめる作者の意図が伝わった。

またこの小説は2013年に刊行されていたものの文庫化だった。それは東日本大震災から2年後の世界であり、文学が震災とどう向き合うかが問われていた、そしてそろそろ答えが出始めてしかるべきと思われていた頃だ。もっとも文学から遠のいている私などが言える立場じゃないけれども。

そんな時代背景を重ね合わせると、この小説がさらに重要な作品に思えてくる。冴島が火山島でかつて避難した人々がいたことも重要なファクタとなっており、また冴島の活性化に欠かせない仕事をしていたヨシノが福島に向かうところも同時代性を感じさせる。

「幻の脚本」もひとつの柱になっているが、この謎解きのところで印象的な言葉があった。「今は、子どもは三人しかいないかもしれないが、いずれ、一人、二人と戻ってくるだろう。噴火で散り散りになっても、子どもは絶対に戻ってくる。」

この信念による仕掛けこそ、「幻の脚本」が幻たる所以につながるわけだが、その思いを引き継いでいく島の高校生矢野新や、その新を叱咤激励する気鋭の脚本家赤羽環の存在は、作者の未来に対する意志表明を感じさせた。創作物が時代を超えて人々を楽しませ勇気づける。

これらの同時代性や未来志向が単なる描写上の工夫ではなく、ひとつのテーマとなっていることは瀧井朝世さんの文庫本解説でも読み取れた。辻村深月さんは地方都市を重要なテーマとしているそうだ。

ただし常に肯定的なわけではなく、『島はぼくらと』が異色作ということだったが、地方都市の未来がバラ色だとは誰も思っていないこの日本で地方都市万歳とばかり言っていられないのが当然だろうし、そうでなければ信頼できない。

そんな危うい世の中であっても、清濁併せ飲んで生活し、コミュニティの生活を良くしていこういこうとする意志こそが貴いわけだ。その体現が冴島の村長だったりヨシノだったりする。島の高校生女子のふたり、朱里と衣花もきっとその意志を継ぐ者になるのだろう。

解説でもうひとつ、この小説が瀬戸内国際芸術祭での島めぐりやインタビューから構想されたことを知った。ちょうど今年旅した直島も瀬戸内国際芸術祭2016の只中にあった。こんなめぐりあわせもちょっと嬉しい。

読み終わって「辻村深月、いいじゃん!」と思い、別の作品も読んでみようと思った。赤羽環が登場するという『スワロウハイツの神様』がいいかなと思った。同じ登場人物が別の作品にも登場するというのは手塚治虫から藤子不二雄へと受け継がれる伝統芸だが(笑)、藤子ファンという辻村深月にも受け継がれているのか?

それはともかく、この作品は上下巻と長いのでもう少し先にとっておき、短編集の『ロードムービー』を実家の近所の書店で購入して帰宅した。短編集というのが手軽でいい。“気弱で友だちの少ないワタル”という登場人物も親近感が持てて。ボクの名前もワタルなので。

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