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2022/07/31

盛岡プチ散策 ~江口寿史「彼女」展~

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7月29日(金)朝9:32大宮駅発の新幹線はやぶさで盛岡駅にやって来た。最初の目的は山下達郎ライブのはずだったが、達郎がコロナウイルスに感染して中止となってしまった。先々週の東京公演の後、21日に発表され、その週末の札幌公演2Daysが中止になった。このときはまだ、盛岡公演には言及されず、無症状なら28日から行動可能なのかもとの淡い期待もしたが、スマチケ引き換え日の26日に正式に中止が発表された。

すでに新幹線もホテルも予約しているし、久々の旅行でもあるので盛岡に来ることにしたわけだ。都内では3万人を超える感染者が出た。今月24日までの1週間当たりの新規感染者数は日本が約97万人と世界で最も多くなっているというニュースもあり、都会を脱出しようとも思った。都内感染者数が1日4万人突破のニュースを盛岡についてから知った。

山下達郎ライブがないなら観光をと思い調べると、岩手県立美術館江口寿史イラストレーション展「彼女」が開催されていた。これは好都合。この展示に行こうと思った。

江口寿史「彼女」展の情報をtwitterで検索していたら、盛岡市に気になるレコードショップがあった。Sound Channel MUSIC STORE というアナログレコード中心に買取・販売をしている店だ。そこで配布している『CITY POP ON VINYL 2022』の表紙が江口寿史さんのイラストだったので、これも何かの縁かなとこのショップを訪ねてみた。

ビルの2階で、まさに「マニアックなレコードショップ!」という佇まい。階段をあがると目当ての小冊子が店頭に置いてあり、無言でもらって立ち去ることも出来たが、このマニアックな店の雰囲気に一期一会な感触を感じたのでドアを開けて入った。

店の男性がカウンターに独りいらっしゃるだけの小さな空間に、アナログレコードがびっしり置かれていた。山下達郎の「SOFTLY」のアナログ盤も飾り棚に置かれていてポスターも貼ってあった。

埼玉県から来て山下達郎ライブを見るはずだったことを伝え、いろいろ話した。観光だけになったのでこれから江口寿史展を観に行くことや、CITY POPの小冊子につられてやって来たことを話すと、額装された「CITY POP ON VINYL 2022」の表紙ポスターとか、大瀧詠一さんのロングバケーション40周年の江口寿史コラボポスターとか、うれしいものを見せてもらえた。旅先でのこんな出会いが大好きな私には、とても楽しい時間になった。小冊子はもちろんGETした。

その後、盛岡冷麺大同苑さんで仙台牛の幻ロース(友三角)、ネギタン塩、上タン塩、冷麺のセットランチを食べた。実はこれまで冷麺をあまり美味しいと思った経験がなかったが、大同苑さんで本場の冷麺を食べて印象が変わった。箸がどんどん進む。幻ロースもタンもすべて美味しかったなぁ。

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昼食が済んだので、このまま美術館でも良かったが、完全に逆方向なのと、個人的には岩手県民会館を見ておきたいと思っていた。開催見送りの張り紙も、ある意味で旅の記念だ。そこで県民会館に向かった。まさに山下達郎が好きそうな規模のホールだった。そっけないお知らせを記念撮影し、幻ライブが載った7月の催事案内をGETした。このとき気分はもう観光だったから、こんな行動も何気に楽しい。

その後は、中津川沿いを街ブラしながら、啄木賢治青春館などを見学し、14:30頃に流しのタクシーを拾って岩手県立美術館へ向かった。

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●江口寿史イラストレーション展「彼女」は圧巻!

美術館の入口を入った瞬間、来て正解だったと感じた。江口寿史のイラストには力がある。まさに時代のアイコンだ。だけど古くならない強さを持ってる。一枚の絵としての力と、それが一堂に介したときの圧倒される存在感。

撮影OKの展示だったので、ここでも記念撮影をした。展覧会の看板やポスターさえも作品の一部に見えてくる。場を吸引する力とでもいおうか。午前中に Sound Channel MUSIC STORE さんで見せてもらったロンバケ40周年コラボポスターも大判で展示されていた。また、吉田拓郎のアルバム「一瞬の夏」からジャケ裏と中のイラストを出力原画で鑑賞出来たのも嬉しかった。彼女というコンセプトの展覧会だからこの2枚だったんだろう。

Bornin1970昭和45年女 Born in 1970』創刊号の表紙イラストの彼女も出力原画で展示されていた。以前、『昭和40年男』で私に「中島みゆきの歌に出てくる女たち」を依頼してくれた竹部さんがこの新雑誌の編集長なのだ。いや、なんかうれしいね。

原画も複製も出力原画もあったが、最終的には商業出版物に掲載されることを前提に描かれた作品群だ。それをこうして美術館という場所に置いてみることの現代性。現代アートともなにか違うイラストレーションのわかりやすさ。だが、この展示の面白さの裏にある徹底した作家性にグッとくる。

中島みゆき、佐野元春、山下達郎、大瀧詠一らのアーティストを語ろうとするとき、いつも作家性と書いてしまうが、個性というより作家性と言いたくなる作家がいて、その作家性の在り処に興味がある。ジャンルは違うが江口寿史もそのひとりといえる。

常設展も鑑賞し、お腹いっぱいな充実感とともに盛岡駅行きの路線バスに乗った。ホテルは開運橋近くのダイワロイネットホテル盛岡駅前だったので開運橋で下車した。

バスを降りたのは17:30近くだったが、妻が行きたがっていたお菓子屋さんが18:00までだったはずと、歩いて向かった。しかし残念ながら閉まっていた。時間が遅かったからではなく、このあたりの商店街でコロナ感染者が1名出たからのようで、シャッター商店街になっていた。こんなところにもコロナ禍の時代の空気が影を落としていた。

仕方なく北上川沿いをホテルまで歩いた。川沿いはライトアップされていて、ここに屋台がズラッと並んだら博多っぽくなりそうな雰囲気の道だった。屋台はなく、オシャレなお店がいくつか並んでいた。

ホテルにチェックインしてから着替えて、夕食を食べにまた開運橋を渡って繁華街へ。この日は良く歩いた。暑さも和らぎ、さいたま市と比べるとベタつかない乾いたそよ風が気持ちよかった。

夕食はヌッフ デュ パプ (Neuf du Pape)さんで。アメリカンドラマに出てくる飲み屋な雰囲気。エビスを飲みながら、メカジキのカルパッチョやイチボステーキ、ソーセージ、締めにジェノベーゼを食べた。美味しかった。帰り際に、ビルのなかに江口寿史「彼女」展のポスターを見つけた。ほんと、どこにあっても目を引くアイコンだなと思った。

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2022/05/05

致景〜亀山裕昭展@森の美術館

今年のゴールデンウィークは3連休×2回+土日で平日を2回挟むが、全部つなげれば10連休だ。ま、我々夫婦は暦通りで、最初の三連休は買い物とスマホの乗り換え(通信費が半額になった)に使い、次の三連休は文化的生活をしようと考えた。

文化的生活の候補はいくつかあったが、そのひとつが画家の亀山裕昭さんの個展だった。流山市にある「森の美術館」は行ったことがなく事前予約が必要だったのでハードルは高かったのだけど、5月4日は亀山さんが在廊されているとの情報があり、あわよくばご挨拶くらい出来るかもと思って当日(5月4日)の朝電話してみたら運良く予約を入れられた。そして運の良さはこれで終わらなかった…。

●「香路」との出会い

亀山裕昭さんの作品との出会いは、ホキ美術館で2016~2017年に開催されていた第2回ホキ美術館大賞展だった。このとき、鑑賞者の投票で決まる特別賞があり、そこで私が選んだ作品が亀山裕昭さんの「香路」という作品だった。そのときのツイートにはこう書いていた。
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ホキ美術館ではいま第2回ホキ美術館大賞展を開催していて2月までは好きな作品に投票できる。1点だけ選ぶのはものすごく迷ったけれど、亀山裕昭さんの香路に1票入れた。懐かしい現代日本の原風景のようでもあるし、それでいて雪のなかに挿し込まれたパープルが効いてて、さすがメタルの人だなとw
午後8:14 · 2017年1月7日

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日本の原風景のようでありながら、何処か不思議な感覚に囚われた。その時は、雪の中に差し込まれたパープルがその原因だと考えた。そしてアンビエントハウスに感じた“過激な静けさ”を連想させた。もっとも御本人は嘔吐リバースというメタルバンドのベーシストで、アンビエントとは真逆だったのだが。音楽的な何かを感じたのは確かだ。

今回の個展にも「香路」は展示されていた。そして作家ご本人にお話しを聞くことができたのだった。

●亀山裕昭さんとの出会い

13:00から予約していたので、10分前くらいに森の美術館についた。武蔵野線からつくばエクスプレスに乗り継いで流山おおたかの森駅に着いたのが12:30前後。そこから歩いて20分ほど。森というので山の中かと思いきや、新興住宅街のようで整備されたとても雰囲気の良いところだった。小学校の側を抜けると、こじんまりとした建物が見えた。

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建物の左側出入口の前にイーゼルが立っていた。そういえば今日は天気が良いから外で絵を描くと亀山さんがツイートされていたなぁと思って近づくと、係員の女性と亀山さんが建物から出てこられた。思わぬ展開だったが、とりあえず挨拶しようと「こんにちは」と声をかけた。思いがけず挨拶するというミッションコンプリート。しかし単なる通りすがりでないこともアピールしておこうと、予約していることを告げた。

これまで見ていた写真が嘔吐リバースっぽい長髪メタル系だったので、怖いのかと思いきや、亀山さんは終始にこやかだった。天気が良いから外で写生していると言われた。写真を撮ってよいか聞いてみると「どうぞどうぞ」という感じだったので、厚かましくもパレットの絵具や描きかけの絵画を撮らしてもらい、並んで記念写真まで撮ってもらった!

こうなると、私もファンであることを告げとかないとなと思い、ホキ美術館で「香路」に一票入れたんですよとお話しすると、「ありがとうございます。あのときは3位になってしまって…」と少し寂しげな表情に。嘔吐リバースっぽいメンタルなのかと思っていたのだけど、とても純粋な方でここでも好感度がアップした。

絵を見る前に亀山裕昭さんとおしゃべりして写真まで撮ってテンション上がりまくった状態で、美術館内へと入っていったのだった。

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●切り取られた空間との出会い

20年のキャリアの中で描かれた風景画には、独特の視点がある。私にとっては「香路」が最初だったので雪の道がやはり最初に目につくが、今回は山の中の廃屋、捨て置かれたバスや重機、廃業したガソリンスタンド、ご自身の出身地である東北の風景などバラエティに富んでいた。

米国ではアンドリューワイエス、日本では向井順吉といった好きな画家がいる。2009年に「物語を想起させる原風景」としてこの二人のことを書いたが、どちらも心の原風景といわれる風景画が多い。亀山さんの絵画も第一印象は原風景だった。そこが惹かれたポイントなのは確かだ。

例えば「老婆心」(2010年)は、今回の個展のチラシにも使われた奥松島の風景を切り取った作品。曇った空と水たまり。入り江に複数のヨットが繋がれ、電柱、電線、プレハブ小屋、自販機、営業車、軽トラ、フォークリフト。同時代の原風景ともいえる“モノ”が配置された風景。どこにでもある(あった)地味な風景。どうして「老婆心」というタイトルなんだろう。聞いてみればよかったな。

震災の年の9月に奥松島を訪問した。声も出ないくらい破壊された風景に呆然とした。そんな体験があると、この大震災前に描かれた、晴天でもなく誰もいない寂しげなその“モノ”だけの風景のなかにも日常の幸せを感じる。

小さな美術館なので作品をじっくり見ていられる。コロナ禍で入館者制限もされていて、この時間はほとんど我々だけだった。一周回ったところで撮影OKのプレートを見つけ、あらためてディテールの写真を撮りながら回った。すると、そこに亀山さんが現れた。外で描いていたけれど暑くて涼みに来ましたとおっしゃる。私には作品についてお話を聞かせてもらえる大チャンス到来だ。何から聞こう。考えるほどに舞い上がっていく意識(^^;)。

「雪の道を描かれてることが多いですよね。」と聞いてみた。宮城県石巻市のご出身なので原体験としての雪の道には思い入れがおありのようだった。「香路」の紫色についても聞いてみた。雪に紫色が入っているのが山口県人の私には新鮮で、光のプリズムがこういう風に見えるのかと思った。すると「青を際立たせるために補色を入れている」ということだった。確かに全体から感じる青のイメージがこのパープルで際立っていた。それが不思議な魅力となっている。写実という領域から少しずれたファンタジックな風景になっている気がした。

空間をキャンバスに切り取るとき、三次元を意識されているという。その見えている景色の裏側だったり、キャンバスの外側だったり、そこに確かに存在する風景も取材をし、見えない部分を表現に取り込まれる。その見えない風景への誘いによって、作家から鑑賞者へとバトンが渡され、鑑賞者それぞれの感性で空間の広がりを創造(想像)していける作品になっている。

カンボジアに取材されたマザーフッドとブラザーフッドという大作2点も、空間の広がりを説明してもらえた。こういう大作を並べて鑑賞できるのは美術館ならではだ。2枚の絵には同じ建物がひとつだけ描かれていた(下記写真・部分)。しかし視点は同じ場所からではない。(昔の宗教画にあるような)横に平行移動してつながる2枚の絵ではなく奥行きや高低差がある。

強く関連する2枚だが、並べるとそこに三次元的な広がりができる。そのためのちょっとした仕掛けがこの遠景の建物というわけだ。妻は両方にこの建物があることを見つけていた(私は見逃してた…)。この説明を聞いて、あらためて空間の広がりを感じることが出来た。この2作はぜひ美術館で観て欲しい。マザーフッドのお母さんを探すことも忘れずに。

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●切り取られた時間との出会い

雪の道に続いて「廃屋も多いですよね」と聞いてみたら、空間の広がりとともに時間の広がりも意識されていたことが分かった。さらに廃墟や廃バスなどに人間の姿がほとんど描かれない理由も聞かせていただき目から鱗だった。

いまそこにある朽ち果てた廃屋や廃バスを描くなかで、そこに至るまでの時間の経過を意識されていた。その場所や道具の歴史には、確かにそこで生きた人々がいた。そこで使われていた“モノ”が役割を終えてそこに在る。作品の前で、そのすべての人々の時間を想像してほしい。

この視点は私にはなかった。人を描くと現在の時間に限定される。その人が作品の中心になりかねない。しかし亀山裕昭さんの廃屋の風景には、描かれていない多くの人々が存在し、そこに在る朽ち果てた“モノ”がその人々の存在した時間を感じさせるのだ。だから単なる自然の風景でなく、人工物が多いんだなとそのとき合点がいった(下記写真・部分)。

この個展のタイトル「致景」は、通常この上なく美しい景色のことを表すが、ここに「致」という漢字の持つ時間感覚も読み取りたい。物事の行き着く先にある風景。最後まで極めた“モノ”のある風景。それこそがしっくりくる作品群のように思えた。

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この時間感覚は、民俗学者宮本常一の視線を想起させる。宮本常一は日本中の庶民の生活を丹念に書き記した世間師だった。膨大な写真に当時の生活や道具を収めていた。そこには芸術家としての視点はなかったが、芸術として捉えようとしているのが亀山裕昭さんなのかもしれない。

亀山さんはこれからも日本中を旅して風景を描きたいとおっしゃった。「効率は悪いですけれど」とも。確かに効率は悪いが、そこで使われた時間も作品の一部だと思う。今朝のテレビ朝日モーニングショーで、Z世代(2000年以降生まれ)は映画も倍速で観て数をこなしコミュニケーションのツールとして情報を仕入れているといった話題を見たが、私などは効率がすべての世の中にあえて時間をかける豊かさを見出したい昭和世代なのだ。道草こそ人生は一貫している。

●サインとの出会い

こうして見ていくと、亀山裕昭という画家は、私の中では、アンビエントハウスの過激な静けさとの共通点から始まり、向井順吉のような旅の画家(そこに川瀬巴水を加えることもできるだろう)の系譜にも勝手に入れて、宮本常一の民俗学的な世界観をも共有する感性があり、毎年私がふるさと納税し続けている石巻市のご出身であり、山口県の隣の広島市立大学大学院も出られているというやや我田引水な親近感すら持ってしまう画家なのであった。

帰り際に初出版された画集を購入した。美術館を出て外で写生を続けられていた亀山裕昭さんにも「ありがとうございました」と挨拶すると、購入した画集を見て「お名前入れましょうか」とおっしゃってくださった。もともとサイン本だったが、あらためて我々夫婦の名前と日付を入れていただき、特典に嘔吐リバースのCD「胃もたれイモータル」(枚数限定)も付けていただき、帰途についた。嘔吐リバースをいつ大音響で聴くか、それがいまの課題である。

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2021/12/30

2021年のこと

今年も残すところ2日となった。2021年(令和3年)という年は未来から見ると分水嶺になるような気がする。特に日本で一年遅れのオリンピックが強行されたのは象徴的かもしれない。これを花道に引導を渡され、先進国から徐々にフェードアウトしていく起点になるかもしれない。安倍晋三政権という前代未聞の堕落腐敗した時代に、国家としての日本は実質終わったという感覚を持っているが、実体経済や一般社会のモラル崩壊の発現にはタイムラグがあり、それらが次々と示現していく起点が今年なんじゃないだろうか。当たらないことを祈るばかりだ。

そんな暗い時代だが、生きる時代は選べない。昨日、『嫌われた監督』について書いたが、そこでアドラー心理学を引いたのは、自分自身の環境も自分自身が望むようにしかならないという思いを再認識したかったから。国家の物語と、個人の物語とは密接だけれども、個人の物語を描いていくことが大切なのだ。

というわけで、次回の夫婦アルバムのラフスケッチになるよう、記憶を掘り起こしておこう。

●2021年前半

Img_20210101_112152 正月は今年も新型コロナウイルスにより実家には帰れず自宅で過ごした。妻の実家から送られて来た自然薯をすりおろして食べた。

自然薯の髭をコンロでチリチリと焼き落とし、すり鉢にすりおろす。すりおろした自然薯には味濃いめの鯖汁を投入してさらにすりおろす。これをご飯にかけて刻み青ネギで食べる。この美味さはたまらん。妻を娶るなら静岡県人おすすめです。食材が豊富で。怒られるかな…。

『昭和40年男』の原稿は1月中には書き上げて、2月1日に編集者さんに送付した。その後、いくつかのやり取りをして完成。締め切り前に原稿を上げるのは『まんが道』で学んだ(笑)。人生の節目節目で読んだ藤子不二雄先生の名作。愛蔵版で持ってます。

この仕事は占星術的には「風の時代」が始まるジャストタイミングで依頼をいただいた。不思議な縁だった。とても楽しく書けた。発売は3月11日だった。一方で中島みゆきさんのラストツアーが感染拡大の影響により中止となった年でもあった。来年は急遽ラストツアーライブCDが発売される。

2月13日、震度4の地震でDVDの棚からディスクが飛び出した。今年は、いや今年もか、地震が多発している。南海トラフ地震や首都直下型地震はもはや避けられないところまで来ているともいわれ、TBSの日曜劇場では10月枠で「日本沈没」がリメイクされた。

3月13日は武道館で佐野元春40周年ライブに。昼は銀座の肉いささんで。午後から暴風雨になったが、充実した一日だった。4月10日には松任谷由実ライブ配信をホームシアターで視聴。感染症によってライブ配信も一般的になってきた。

4月25日からフォンテーヌブロー熱海さんへプチ旅行で一泊。2020年のオーベルジュ・オーミラドー以来、オーベルジュが夫婦のプチブームになり、伊豆箱根方面への国内旅行ではオーベルジュが必ず候補にあがる。仙石原もぜひ行きたいと思った。チェックアウト後はMOA美術館を鑑賞した。天気が良くて静かな休暇を過ごせた。

●2021年後半

今年は、マリトッツォブームに乗り、様々なマリトッツォを食べた。なかでもドロゲリアサンクリッカのマリトッツォは最高に美味しかった。こじゃれた店の名前なんてまったく覚えられない私がドロゲリアサンクリッカを覚えてしまうくらいに。今年2回食べた

このあたりまでは、前回の夫婦アルバムにも掲載済みなので、ここからが必要な情報になる。ふぅ…。

7月30日から一泊だけだが、東京五輪の喧騒と感染症を回避して中禅寺湖へプチ疎開した。中禅寺金谷ホテルも由緒正しい宿だった。滝めぐりをしてマイナスイオンをいっぱい浴びたが、行く前から右足を負傷(捻挫?)していて、杖をつきながらの行程だった。もう回復しないかと思っていたけど治ってよかった。

8月15日からは一泊で房総半島へ。朝から雨が降っていたが、まずは腹ごしらえに成田山に向かい川豊本店のうな重を。成田山も静かな休日を過ごすにはとても雰囲気の良いお寺だった。正月の人混みには突っ込みたくない…。そこから3時間程度のローカル線の旅。土砂降りのなか、宿のリゾートゆうみに到着。近すぎるイメージからか、千葉がこんなに観光地だとは知らず、今後はもっと掘り下げたい地域になった。せっかくなら次回は晴れた日に…。

9月11日、山下達郎のシアターライブ配信を視聴。昔、新宿バルト9に観に行った映画。山下達郎ライブは高品質配信なので、これまではPCスペックの問題で見送ってきたが、今年はWindows10のノートPCを購入していたので、これをホームシアターに接続してスクリーンで堪能した。妻はヤマタツライブを体験したことがなかったので良い機会になった。

9月25日は和光市へ小松亮太さんのバンドネオンコンサートへ。今年はピアソラ生誕100年で良い記念になった。アストルピアソラを知ったのはキムヨナが現役ラストイヤーに舞ったアディオス・ノニーニから。素晴らしい演技に素晴らしい楽曲。こういうつながりの広がりが私の人生の一番うれしい瞬間だったりする。

Dsc_1147_cocolog 10月7日にまた地震。震度5強だから相当な揺れだった。10月には衆議院選挙もあった。こちらはほぼ揺れなかった。日本人の鈍感さもここに極まれり。しかしれいわ新選組から3名の衆議院議員が生まれ、山本太郎が国会に戻ってきた。また初当選した大石あきこ議員(れいわ)はかつて橋下徹に抗議した元大阪府職員。維新という愚連隊への強力なアンチテーゼとなってほしいものです。

10月10日に浦和駅のさぼてんでかつ丼を注文して待っていたら突然停電に。蕨にあるJR東日本の変電所火災が原因だった。テロかと思った。お店では調理中、私のかつ丼に卵をいれる直前だった。妻の定食は来ていたので、それを分け与えてもらって食べたが無料にしてもらえた。

10月12日川口リリアホールで松任谷由実コンサート。今回はリアルなユーミンに会えた。やはりコンサートは生が一番良い。誰もがわかっていながらそれが出来ないもどかしさ。感染症はその感染力だけでなく、人間からコミュニケーションや仕事を奪い、ストレスを生む。その二次災害の大きさが侮れない。

10月30日新宿のSOMPO美術館で川瀬巴水展を鑑賞。美術館も事前予約制となり、フラッと行けなくなっている。この日は新宿野村ビル50Fにある星空の中へさんでうな玉ランチの昼食をとり、少し早く美術館についたので受付で予約より早いが入れてもらえないか交渉したところ、客が多くない時間帯だったためOKが出てゆっくり鑑賞できた。

Img_20211123_999_cocolog 11月23日初台オペラシティで映画「銀河鉄道999」のシネマコンサート二本立てを鑑賞。劇伴がオーケストラの生演奏というオペラコンサートは、平成の終わりに見た「砂の器」が最初だったけれど、それが想像以上に良かったので、機会があれば何度も行きたいと思っている。二本立てはさすがに疲れたが。タケカワユキヒデさんも出演されて盛り上がった。

帰宅途中に妻が帽子を紛失した。オペラシティでも一回落としていて、それは私が見つけたのだが、帰宅中は気づかなかった。JRにもオペラシティにも確認したが見つからず。ヴィヴィアンウエストウッドのベレー帽で大きなロゴが入ったお気に入りの帽子だったのに残念。

11月27日、特に記念日でもないが、埼玉県の共通食事券を購入していたので、うなぎの名店小島屋でうな重コースを食べた。コースはうな重が出てくるまでにお腹いっぱいになる量だったから、今後はうな重だけでいいなと思った。今年は鰻を多く食べた年だったな。

そして12月7日、個人的には今年最大のイベントだったキング・クリムゾンの日本ラストコンサートの追加公演でオーチャードホールへ。平日で妻は仕事もあり、プログレは敷居が高そうだったので一人で行った。もう見れるとは思っていなかったが、チケットがあることを数日前に知り、行けるなら行くしかないと思った。これが大正解だったわけだ。

現在のキングクリムゾンはトリプルドラムを前面に出した7人編成で、実に重厚で素晴らしいサウンドだった。とにかくトリプルドラムというアイデアは斬新でいて説得力があった。奇をてらっただけでないところはさすがにロバートフィリップだ。もし数日ずれていたら新型コロナの感染拡大懸念で開催できなかったかもしれない。パンデミックの間隙を縫うように来日して、ホテルでの隔離生活も送りながらの日本ファイナルツアーをしてくれたメンバーには感謝しかない。その場に立ち会えただけで最高の気分だった。演奏ももちろん最高だった。

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こうしてみると、今年は配信も含めて思いのほかコンサートを鑑賞してる。12月19日にはWOWOWで矢沢永吉武道館ライブが生放送された。これも鑑賞した。矢沢永吉のライブを生で見るのは初めてだったが、さすがのステージだった。立ち振る舞いがまさにカリスマだった。

クリスマスイブには、浦和に新規開店したつけ麺狼煙に妻を連れて行った。私自身は大宮の本店開店以来14年ぶりの狼煙だったが、浦和なら何度でも行けそう。次回はカレーつけ麺だ。

そしてクリスマス、毎年、一陽来復のお札をもらっている穴八幡宮へ。昨年は閑散としていたが、今年は参拝客もずいぶん戻ってきている。無事、お札を受け取り、妻が行きたがっていた表参道のフランセへパニエを食べに行った。ユーミンが好きなお店らしい。そこで期間限定のピスタチオ味パニエを食べた。コーヒーカップとお皿のデザインがとてもよかった。聞くとノリタケ食器によるフランセのオリジナル食器だった。

12月29日、テレビ回りの片づけと模様替え。テレビ台を左右入れ替え、これまでテレビ台に置いていたJBLスピーカを本来のスピーカースタンドに設置し復活させた。その際、テレビ台でつかっていたインシュレーターをスピーカースタンドに置いてみたら、更に安定するような気がした。迫力のある音が迫ってくる。たまには模様替えしてみるものだ。

12月30日(今日)、片付けで置き場のなくなった、S-VHSデッキと、DENONのプリメインアンプPMA-390IIを廃棄した。今夜は外食の予定。大晦日はコンラッド東京のアフタヌーンティに行って来る予定。コンラッド東京はなんだかんだで毎年行ってるな。

海外旅行もできない日々が続いているが、日常はそれなりに楽しんでいた2021年だった。

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2021/12/17

2021年私家版ことしの漢字

2052021年ももうすぐ終わり。年々早く感じる。今年も新型コロナウィルスは根絶されず。夏には最大級のパンデミックが発生するなか、1年遅れで東京オリンピックが開催された。学生時代に犯罪レベルの障害者いじめをしてそれを雑誌で吹聴していた小山田圭吾の過去が暴露され、開会式の音楽担当をドタキャンするゴシップで幕を開けた。

世界的にワクチン接種は進んだが(私は未接種)、年末にはオミクロン株という変異種が再び猛威を振るっている。早期ワクチン接種していた国ほどパンデミックが進行中。個人的には破裂音の多い言語の国で感染拡大しているように見える。ワクチン接種で周回遅れ、言語に破裂音も少なく多くの民がマスクをしている日本で感染は広がっていないが、感染第6波がいつ来るか予断を許さない年末を迎える。早く経口治療薬が開発されてほしい。イベルメクチンの研究も進んで欲しい。

実体経済では世界的なコンテナ物流が滞留し長期インフレが始まった様相。ここでも幸か不幸か日本は周回遅れだが、来年以降、日本はグローバル経済の渦中でスタグフレーション(不況下での物価上昇)に陥るリスクが高い。粉飾された日本株の落としどころも見つからない。先の読みずらい時代に突入している。

というわけで今年の漢字は「読」にしたわけではなく、今年は読書が豊作の年だった。その印象から「読」を選んだ画像は毎年おなじみの漢字辞典オンラインさんから引用してます)。

●今年の読書は豊作だった

結婚してから読書をする時間がずいぶん減った。音楽を聴く時間も減った。ドラマを見る時間は増えた(笑)。二人での外出もずいぶん増えた。時間の使い方が変わったわけだ。

昔は一度に何冊も購入し、斜め読みや積読状態になっていた読書習慣が、たまに読める時間にしっかり一冊を読む習慣に変わった。だから大量買いもしなくなった。それでも並行して3冊くらいは読むわけだが、読書にあてる時間が少ない分、ちゃんと読もうという気持ちになる。渇望こそ意欲の源なのだ。これは良い傾向なのではないか。最近はこの習慣に慣れてきた。

今年読んだ書物には有意義なものが多かった。ビジネス書も珍しく読み物として読める書物を読めた。

起業の天才
Dark Horse
失敗の殿堂
良い戦略 悪い戦略

ビジネス書のうち3冊が翻訳モノというあたりが、日本と私との乖離を表しているのかも。

ビジネス書以外にも、松本清張の『砂の器(上・下)』をあらためて小説で読み地図でも読んだ。昨年末の『チーム』からの流れで堂場瞬一『ヒート』も読了、清武英利『後列のひと』はいま読んでいる一冊。SF小説かビジネス書かというヤニス・バルファキス『クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界』もいまコスタに感情移入しながら読んでいる。

音楽書も豊作の年だった。1月は門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』、2月にロバート・ヒルバーン『ポール・サイモン 音楽と人生を語る』という良書で始まった今年。サイモン&ガーファンクルのCD全集とか、若きポール・サイモンの「ソング・ブック」も買ってしまった。

その後、近田春夫『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』を読み、田家秀樹『風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年』と続いて読了。松本隆さんトリビュートアルバム「風街に連れてって!」の初回特典本も重要なMOOKといえる。そしてこの年末(あるいは年始になりそうだが)に、中部博『プカプカ 西岡恭蔵伝』という分厚い書物を読んでいく予定。

おっと、忘れちゃならない、3月には『昭和40年男』Vol.66号が発売された。中島みゆきさんの歌詞に出てくる女たちについて書かせてもらった。「中島みゆきを語る」という仕事は、中島みゆきさんと深い信頼関係にあるライターさん以外には手を出しにくい“分野”なんだと思う。それ以外のライターは周辺を語ることしか出来ず、おいそれと受けられる仕事じゃないんだろう。そんな状況の中、数十年来のファンで無邪気に「書きたい!」と妄想している私は、実は稀有な書き手なのかもしれない…。

こんな感じで、読めなくなったというわりに、紹介していない本も含めて結構ちゃんと読めていた。さらに雑誌に書いてもいるわけで、「読んでくださった皆さん、ありがとう!」の思いも込めつつの、今年の漢字「読」なのであります。

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2021/08/29

鋸山美術館で吉田堅治展に出会う

8月16日(月)ビーチサイド温泉リゾートゆうみで一泊した後、どこに行くかはノープランだった。晴れていれば鋸山だったが、雨で鋸山からの眺望は望めない。緊急事態宣言下で日本寺も閉園中。景色のよさそうなところは基本的に却下。いっそ、海ほたるPAまでバスで行って昼飯でも食べて、またバスで千葉に戻ってきて電車で帰るかとも考えた。しかしこれもまた風雨の中で行ってもなぁという感じ。木更津アウトレットも雨だとテンション下がる。去年も行ったし

それなら美術館でもと内房線沿線の主だった美術館を探したが、月曜はことごとく閉館している。水害から復帰したホキ美術館に久々に行こうかとも思ったが、感染症対策で予約制になっていたりしてちょっと敷居が高かった。

東京湾フェリー金谷港のりばからフェリーに乗る道も模索した。フェリーで横須賀まで行っちゃうかとか。しかしそうすると帰宅するのに東京都を横切ることになり、感染爆発の都内を通ることになって気分が乗らない。そんなとき、鋸山美術館が月曜開館だという情報を妻が発見した。フェリーのりばのすぐ側だった。

検索すると小さな美術館だったが、「吉田堅治展」という知らない画家の特別展をやっていた。地元の画家なのかとも思ったが、知らないことを知るのは楽しいし、いま行かなければ行くこともないだろうし、ゆうみの送迎車で金谷港フェリーのりばまでは送ってくれることが分かったので、鋸山美術館を目指してみることにした。これが正解だったね!


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Kenji Yoshida 吉田堅治は地元の画家ではなかった。終戦間近のころ、特攻隊員に志願したが戦地に向かう前に終戦となり、生死の淵で「生命」を考えた画学生だったようだ。40歳になってパリに渡り「生命」について深く洞察した作品を作っている。日本ではほぼ知られていないとのことだったが、欧州では知られていて、存命中に大英博物館で回顧展が開かれた最初の日本人画家だという。鋸山美術館で流されていた動画で、大英博物館で開かれた回顧展を見た。その中の吉田堅治はとても話好きでイギリスの若者とも人懐っこく話していた。

その作品の変遷を見ていくと、色彩のない時代から、金箔・銀箔など日本画の技法を取り入れ、さらにメキシコやキューバの色彩を取り入れ、どんどん生命力に満ちた作品になっていくように見えた。しかしその「生」の表現と表裏一体の「死」が常に作品のなかに存在し、生死が混然一体となって「生命」の熱だったり混沌だったりが作品のなかに込められている。

こんな日本人画家がいたなんて。もっと日本で評価されても良いと思う。鋸山に雨が降っていなければ出会っていなかったわけだが、こんな偶然もうれしい。とても良い出会いだった。

その後、裏にある鋸山資料館も行ってみた。基本的には小中学生の見学コースのような造りの資料館で、案内ロボットが出迎えてくれる。私たちがいる間にほかの客は来なかった。昔のチラシやパンフの展示もあったりして、なかなか面白かった。

大きな荷物(リュック)を預けて美術館と資料館を見学したが、その後、フェリー乗り場の土産物屋で少し買い物もしたかった。他に客も少なかったので、リュックを美術館で預かってもらったまま、買い物にも出かけられてよかった。美術館では絵葉書を数枚買った。吉田堅治以外に金谷町を描いた良い絵葉書もあった。作家名が書かれていなかったので、後からいろいろ工夫して検索したが作家名を見つけることは出来なかった。

鋸山美術館を出て、えどもんずというカフェを目指した。月曜は定休日ではなかったが準備中で入れず。仕方なく浜金谷駅まで歩き、電車に乗った。このまま帰っても良かったが、千葉駅まで行って下車し、エキナカのピーターパンでカレーパンほかを購入し、駅のホームで軽く昼食をとり、帰途についた。

夏休みの間中、雨に降られたが、トータルには出かけてよかった。トラベルはトラブル。リゾート温泉に夕陽を見に行って大雨に出くわした体験のほうが記憶に残り、思い出話になることは、過去の夏旅で実証済みなのであった。

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2021/08/11

東京オリンピックの思い出

疫病が蔓延の兆しをみせるなか、7月23日に一年遅れの東京オリンピック開会式が行われた。菅義偉政権は東京オリンピックはバブル方式(関係者は徹底管理された環境のなかだけに行動を制限する)で運営するため新型コロナウィルスの蔓延にはつながらないと言い、小池百合子都知事も、オリンピックはステイホームを促し人流を減少させると述べた。

しかし、飲食店を休業に追い込み、一般人の旅行も外食も制限していながら、海外からやってくる選手は日本中で合宿をしていた。終わってみれば昨日(8月9日)時点で458人の関係者が感染した。バブル方式は最初から絵に描いた餅だった。

小池百合子都知事の言い分もまったく的外れだった。五輪の視聴がステイホームに有効ならその理屈で延期などせず東京オリンピックを開催すればよかった。感染防止のために。

当時はまだ現在の100分の1程度の感染だった(発表ベースで)。都内で34人の感染者が出た2020年6月2日、東京アラートが発動し、都庁とレインボーブリッジがレッドライトで赤く染まった。20人以上が東京アラート発動の基準だったからだ。東京五輪が開催された今年、7月28日には都内感染者数が3177人と3000人を突破、五輪も後半戦の8月5日には5042人を記録した。いま「記録した」と書いているが、これで治まるかどうかわからない。

首都圏はもはや見えない敵に襲われていた。嬉々とした大衆は五輪万歳と叫び、同じ阿保なら踊らにゃ損損状態。興味のない大衆は別の娯楽を求めて街に繰り出し、これ幸いと帰省や旅行も増加した。摩訶不思議な屁理屈によって徒手空拳で戦っている政治家の戯言が続く。「政策を間違った」とは間違っても謝らない政権と官僚。検査数も病床数も一向に増えない。(平時ならほとんど重症レベルの)中等症者は自宅療養せよと医療放棄の状態。2年も無策でこの状態に追い込まれた大衆は、ほとんど政府の発言は聞かず、メディアやSNSの情報(噂話)で自ら判断する。まるで未開の地だ。

海外ではワクチン接種済みという免罪符をもって出歩く人々が、さらに疫病を広げている。疫病のほうも次々変異し、現在はデルタ株という感染力の強い新型コロナウィルスが主流となった。こちらもいたちごっこだ。日本も周回遅れでこの道に進もうとしている。

この状態は戦争だと思った。ミサイルは飛んでこないが、無能な政府と未知の生物との戦争状態にある。不織布マスク、石鹸手洗い、アルコール消毒、換気の徹底、そしてワクチン(打ってないが)。これが現在の人類が持っている武器。ほぼ防戦一方だ。未知の生物は実態が見えず次々と変化しDNAの転写エラーを起こしながら急速に進化しては人から人に感染拡大していく。

この後、どんな世界が訪れるのかわからない。グローバル資本家はこの惨事に便乗して信じられないほどに儲けている。日本の超長期停滞を尻目に米国はインフレ懸念。気鋭の哲学者斎藤耕平は東京オリンピックを「祝祭資本主義」と断罪した。

疫病と五輪とを別問題だとしても、どちらも対応を失敗した日本政府だと思う。ツケは必ず来る。歴史が証明している。しかし歴史をイノベーションの連続(つまりは失敗の連続)と捉えるならば解決先もきっと見つかると信じたい。そのベクトルが現代に蔓延る強欲資本主義の延長にはないという思いを強くした東京オリンピックだった。

バブル方式で行われたオリンピックが終了した翌日、IOCのバッハ会長は銀座を散策。終わればバブルもなくなったというわけではない。選手は帰国するまではったりバブルのなかで行動制限されていた(もちろん違反者は出た)。さらにパラリンピックもこの後始まるのだ。バッハ会長の行動を丸川珠代五輪担当大臣は「不要不急かは個人が判断すべきだ」と発言した。

私はバッハを五輪貴族と呼んだが、オリンピックは五輪貴族にとってのコロッセウム、選手は古代ローマ帝国の剣闘士だ。その構図をもはやオブラートに包みもしない強欲資本主義の時代。運動万博はその役割を終えた(いやもはや役割すらなかったか)。

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2020/12/29

2020年のこと

Uso_2307振り返れば、今年はブログを1つしか書いてない。それも小池百合子なんかのことだった。都知事選落選を願ったが現職として圧勝した。そしていま東京は暗闇のなかをさまよい続けている。

2020年は歴史上稀に見る疫病の年となり、いまだ終わりが見えない。安倍晋三の嘘も小池百合子の嘘も、もはや歴史の大局とは関係のないゴシップ、スキャンダルとなり、2020年は新型コロナウイルスCOVID-19が世界中をパンデミックに陥れた年として記録される。カミュの『ペスト』やデフォーを扱ったNHKテキスト『ペストの記憶(100分de名著) 』が書店の平台に並んだ。

しかし、日本という国家のタガが外れ(私はもう滅んでいると思っているが)、安倍政治の嘘にまみれた7年間が終焉した年でもあった。安倍政治に翻弄されて自決した官僚のことも、カネにまみれたあらゆる嘘もそのままにして、ただ総理大臣を辞めた。持病の再発が理由だった。これがウソでなければよいが、また復活しないとも限らない。

嘘にまみれた政治と嘘のような世の中とで、今年の漢字は「嘘」とした(画像は毎年おなじみの漢字辞典オンラインさんから引用してます)。

Img_20200523_125131最近は、旅先や出先でスマホを使って写真を撮れば、場所も時間も記録してくれる。だからブログに残さなくても自動的に旅日記は出来てしまう。あとは「公開してみるか」というモチベーションを持てるかどうか。独身の頃はひとりの時間もあったし、妄想を言葉にする楽しみもあり、それをネットに書くことで多少なりとも反応をもらえて喜んだりした。

結婚後はブログの優先順位が下がったとはいえる。ひとくち“かます” だけならツイッターで事足りる。毎年6月に1年分の写真から厳選して夫婦のアルバムをPhotoZINEで作っている。増刊号も合わせるともう6冊くらいか。これが楽しい。一年間を振り返りながら1冊のMOOKを作っていく感覚。そこに文章も書く。記録はもうそれで充分という気分もある。

ただ、そのアルバムの文章をブログを読み直しながら記憶をたどってコピペすることはある。だからやはりブログも必要だと思い、年末に書いておこうと思い立ったわけだ。ブログは未来の自分への手紙でもある。

Img_20200919_112652_s ちなみに右の画像は9月に行った日光東照宮の階段にあった自動販売機。おーいお茶がズラッと並んでいて、思わず「多い!お茶」と叫んでしまった。ここにしか置き場がなかったので、ここに載せておきたい。

●2020年のメモ

Dsc_0389  正月は2月のキッチンリフォームを控えて大掃除に充てた。それで実家には帰らなかった。こんな疫病の時代になるなら帰っておくべきだったかもしれない。初詣は大宮の氷川神社に詣でた。年明けの連休は、毎年の恒例行事で友人たちと祐天寺で飲み会をした。これも来年は厳しいかもしれない。密を避けねばならない。菅義偉や二階俊博などの政治家のように会合三昧とはいかない。

2月はキッチン&トイレリフォームをした。2019年の秋からショールームを観に行ったりリフォーム業者さんと打合せしたりと忙しかった。キッチンはトクラスに決めた。ホワイトキッチンが妻の希望で、ではどんな白を選ぶかとなったときに予算とグレードとの兼ね合いで「白練」にした。扉の角にアールをつけた処理もポイントが高かった。扉のサイズは縦900mmと大きな収納にした。トクラスは元ヤマハグループだ。ピアノ塗装の技術を持っているということもさることながら、やはりヤマハ=中島みゆき、これだ。結婚式は葛城北の丸、キッチンはトクラス、そゆこと。

今年も新国立美術館にDOMANI明日展を鑑賞に行った。その道すがら、梅の咲き誇った青山霊園を散策し、星新一さんのお墓を参った。美術展の後は渋谷で佐野元春ライブを鑑賞し、妻と友人らとでスープカレーを食べて帰宅。

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3月、高輪ゲートウェイ駅が開通した。その一週間前にそのあたりを散策していた。その時のツイッターでは「今日高輪ゲートウェイ駅が開通した。見物客で混雑してたらしいけど僕の価値観だとこれからいつでも見られる駅よりも、開通前の失われゆく景色と始まる前だけにしか見ることのない未完成の風景が重なる一瞬の時間にこそ面白みがあると思うわけさ。楽屋裏探訪的だけど。それで一週間前に見に行ってきた。 」と書いている。過去と未来の重なる一瞬の時間が好きだ。

リフォームも完了し、そのお祝いというわけではないが、コンラッド東京のコラージュに高級フレンチを食べにも行った。実に美味しかった。アルコールが飲めない妻に名匠ソムリエが薦めてくれたFXピヒラーの葡萄ジュースも美味しかった。今年の3月29日には雪が降った。公園の桜に雪が積もった。

4月、新型コロナウイルスはどうやらそうとう危ないとわかって来た頃だ。マスク不足で、実家から母の手製のマスクが届いたりした。4月10日に大林宣彦監督が永眠。ホームシアターで『野ゆき山ゆき海べゆき』を鑑賞した。

5月、外出もままならないので、久しぶりに素描をしたりして過ごした。シャーペンで妻の絵を描いた。思いのほか楽しいので、ネット通販で新しいスケッチブックを購入。シャーペンのノリがいいと噂の「Too コピックスケッチブックSサイズ」で、暇つぶしのお絵かきにはちょうどいい。とはいえ、多少は出歩いていて、明治神宮百年大祭から新国立競技場のあたりを散策し、シェイクシャックのハンバーガーで遅めの昼食。

6月、都知事選は今年唯一ブログに書いた小池現職が圧勝。れいわ新選組の山本太郎も挑んだが完敗。山本太郎には国政に専念してほしいという支持者の声が多かったが、目の前に救うべき人々がいてそのチャンスがあるならと出た都知事選だった。コロナ禍のいま、山本太郎が都知事だったらどんな都政をしていただろうかという思いはある。妻が『映画に学ぶ!ヒーローの問題解決力』という通信講座を始めた。

Cimg62417月から8月にかけて、今年の夏旅は疫病で中止にせざるをえず、帰省もしないため、ぽっかり空いた時間で近場にショートトリップすることにした。まずは近すぎて行ったことがなかったが、怖いジェットコースターに乗ろうと東武動物公園へ。思った以上に怖いが2回乗った。2回目は目をつぶってみたが、その方が逆に怖い!ホワイトタイガーも実にカッコよかった。何気に楽しめた。午後から天候が悪化した。

8月5日には、ホキ美術館へ。一度は妻を連れて行きたかったので。微妙に遠いため、GoToトラベルを使って宿も押さえ、美術館の翌日にはアウトレットモールに行った。GoToトラベルはコロナ禍が収束してから始める経済テコ入れ政策だったはずが、小康状態のさなか開始されてしまった。冬にはこれが大失敗政策だとバレるわけだが、このときは税金を使って予算が無くなったら終了ということなので、できる限り使おうと思った。

お盆には草津温泉の宿望雲へGoToトラベル。隠れ家的な宿で、デカい和室と洋室と二部屋続きだった。夕食はデカい和室で、就寝は洋室で、朝食は別の個室ブースでと、ウイルス対策も万全だった。料理もすべて美味しくいただいた。草津の温泉はやはりいい。箱根も好きだが草津もいい。夜の西の河原公園には人影もまばらでお盆の観光地とは思えない静けさだった。

Cimg64889月になり、さらにGoToトラベルは続く。今度は日光東照宮から鬼怒川温泉へとショートトリップ。日光は草津よりもガツガツしてる感じ。神社仏閣での有り難いお話がすべて商売に絡んでいてお坊さんが営業マンに見えた。まぁそれもひとつの楽しみなのだろうが。鬼怒川方面ではSL大樹にも出会えた。時間的に終点で待つしかないかと思っていたら、途中でSL大樹が私たちの電車を追い抜くときに、外で写真が撮れるとの社内アナウンスに気分が上がった!(乗った電車の運転手さん曰く)東武鉄道が社運を賭けて取り組んでいるSL大樹。カッコよかった。

10月、筒美京平さんが80歳でこの世を去った。90年代後半にボクのプロフィールページ用に作った音楽ツリーを見ると、人生のなかで筒美京平さんの影響がとても大きかったことがあらためてわかる。

Img_20201101_163201_s 11月のとある日のおやつは葡萄。クイーンニーナとピオーネの食べ比べ。ラーメン師匠からフルーツ求道師に路線変更したS氏ご推薦のフルーツ店で買って来た。どっちも美味いが、クイーンニーナの甘さがスゴイ。6月に妻が始めた通信講座の最終月。満点で修了する。この間、テキストに載っている多くの映画を鑑賞したことも良い思い出。GoToイートで大宮のエイジングビーフを食べに行った。

楽天モバイルのフリーSIM機の調子が悪いので、秋葉原まで(メーカー保証外の)電池交換に。5Gスマホの値下げ合戦が喧しいが、通話機能なしなら毎月1200円くらいで3.1GB(翌月繰り越し可)が使えるこの環境(2台持ちの1台)を変える必然性・合理性がない。高額スマホが安くなるということは低額スマホは相対的に高くなるようなもので騙されているとしか言いようがない。資本主義も腐りきったね。

音楽の秋では、ハル・ムーニーに心酔しネット通販で2枚購入。1枚はスイスのショップから、1枚はスペインのショップから。日本以上にコロナウイルスが猛威をふるう欧州からだからか、随分待たされた。しかし実に素晴しい音楽。50年代後半のビッグバンド、オーケストラのゴージャスな音。刑事コロンボなど劇伴で活躍したハル・ムーニーを再評価した年だった。

Cimg6540_hakone_s 4回目のGoToトラベルで箱根に行った。これまでは東京を回避していたが、箱根には都内を通らざるを得なかった。箱根ではオーベルジュー・オーミラドーに宿泊。伝説のシェフ勝又登さんのオーベルジュ。シェフも既に70代であり円熟の技を堪能した。日本に本格的なオーベルジュを最初に作ったのが勝又シェフだ。ボクはパリには何度か行ってるけど「フランスの片田舎」って憧れがある。でも敷居は高い…。GoToトラベルさまさまですわ~。いまやるべき政策じゃないけどね。

読書の秋では、楡周平さんの『食王』を単行本で購読した。妻も読了した。楡周平さんのビジネス・流通小説は我が家のプチブームになった。その後、箱根に行くってんで箱根を舞台とした小説を読もうと探し、松本清張の『蒼い描点』や堂場瞬一の『チーム』などを次々と読了した。

Img_20201218_115558_s12月、友人が東京クリスマスマーケットの舞台で歌うというので観に行った。早めに行ったがものすごい人なのでウイルスを避けていったん会場を出て食事をし、舞台の時間に会場に戻った。まだこの日はそれほど厳しくなかったが、翌週末からは入場規制がかなり厳しくなったようだった。

2月以来のコンラッド東京に、アフタヌーンティーで訪問した。さすがに美味しい。結構お腹いっぱいになった。紅茶を6杯くらい飲んだだろうか。グリューワインティーの酸味が気に入り2杯飲んだ。

そして12月22日。約20年周期で木星と土星とが重なるグレート・コンジャンクション(大会合)。それも今年は水瓶座のなかで起る。占星術で言えば、これは240年ぶりくらいのことらしく、これまでの200数十年続いた「土の時代」から次の200数十年続く「風の時代」への大転換点だという。

ポップンポールとタロット占いについては前に書いたけど、星占い(というより石井ゆかりさん風に「星読み」といったほうがいいかな)は、タロットと似た面白さがありますね。星々それぞれに性格・性質、いやここも物語といった方がいいかな、そういう付加情報(ゆるい決めごと)があり、それらが時計のようにそれぞれの時間で回転し付いたり離れたりする。その距離が新しい物語を紡ぐという構造です。

どの星とどの星で物語を紡ぐかもあるし、付加情報どうしの干渉・影響をどう物語るかでもあるし、読み手の数だけ物語は生まれるわけです。それを受け取る側にも実は内的な物語がありそれが共鳴する。だけど大会合のように共通の物語も織り込まれてくる。

こういった人の思いによって案外社会は動いたりする。自然現象の見え方にも影響する。それがまた面白かったり哀しかったりする。そんな道草というか余裕というか不可知な物語が人生には必要なんじゃないかと思ったりする今日この頃です。本当か嘘かで断じることの出来ない、別のレイヤーにある物語(虚構)の世界がね。

そんなことを考えていたこの大会合の日に1本のメールが届きました。9年前の「ねこみみ」の編集者さんからでした。そんなこともあるんだね。風の時代、機会があるなら、風に吹かれてみようと思います。

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2020/01/01

ひとくちメモのTwitter

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2019/05/12

平成から令和、そして夜会工場VOL.2へ

Img_20190430_235457 令和元年最初のひとくちメモは、中島みゆきさんの映画「夜会工場VOL.2 劇場版」になりました。と、その前に、平成から令和に代わるあたりの近況についてちょっと書き残しておこうかな。ちょっとと言いつつ前置きが長いのは令和になっても変わりませんが。

●平成最終日は渋谷のオーチャードホールで「砂の器」

平成最後の日、4月30日は渋谷にいました。昼は明治神宮内のレストランでランチ。妻は春限定のランチセット、私はパーコー麺を食べました。私にとっての平成はある意味“ラーメン行脚”の時代でした。平成11年に「ポップングルメ紀行 1999年・夏」を書きましたが、ラーメンに目覚めた頃で、そこからはラーメン師匠と共にラーメン行脚に明け暮れました😃 そんな私の平成最後のラーメンが明治神宮のパーコー麺というわけです。

その後、御朱印待ちの長蛇の列を横目にお参りをして、Bunkamuraのオーチャードホールへ。「砂の器シネマコンサート」を鑑賞しました。昭和の名作「砂の器」はDVDで何度も見直すほどに好きな映画で、年明けに妻にも見せたのですが、それで妻がこのシネマコンサートを見つけてきたのです。音楽が素晴らしい映画だからシネマコンサートに向いているとは思っていましたが、想像以上に素晴らしかったです。

映画とジャストにシンクロする生のオーケストラ(竹本泰蔵指揮・東京交響楽団)と近藤嘉宏さんのピアノによる交響曲「宿命」がホールに響くと、心の中で「おおーっ!」と叫んでしまいます。途中は映画にのめり込んでるけれど、音楽が鳴ったとたんに、その音圧に毎回「おおーっ!」って感じる。この感覚はシネマコンサートならではです。いやー、いい体験でした。また違う映画でも体験したいな。

Bunkamuraは夜会の聖地のような場所ですよね(オーチャードホールではなくシアターコクーンですが)。思えば夜会は平成時代の中島みゆきの活動のコアであり、平成時代がそのまますっぽり夜会時代といっても過言ではありません。そんなBunkamuraに平成最後の日に訪れたのもなにかの縁のような気もしました。

シネマコンサート終演後、近くにあるレストランVIRONで遅めの夕食をとり、渋谷駅に向かいました。あと数十分で平成が終わります。テレビ局の車やパトカーがたくさん出動していて、109の看板のうえに既に「令和」の文字が見えました。これも時代の1頁かなと思い写真に収めました。

●令和になってまた下血…

そして翌日、元号が令和になりました。そもそも元号なんてなくてもいいって生き方をしてきた私でございますが、そうはいっても「昭和」を、あるいは「昭和」という括りで語ることはこれまでも多かった気がして、合理性が求められる実務を離れたところでは日本の元号に目くじら立てたりはしません。そもそもイベント好きなんで、なんでも記念日にして楽しめればいいんです。いまの天皇制には反対です。

5月1日は浦和の調(つき)神社にお参りをして、初めて御朱印帳を書いていただきました。だから私の御朱印帳は調神社のもので令和元年初日から始まります。妻はOLの王道を歩いてきたような人なので(笑)、伊勢神宮の御朱印帳の裏表にぎっしり御朱印が溜まっています。ま、私が神社に参るのにその影響がないとは言えません。神社を戦争利用する人たちは嫌いです。

調神社では雨に降られてしまいまして、それが悪かったのかもしれませんが、翌5月2日に体調を崩します。午前中はまだよくて、御朱印帳も作ったしと大宮の氷川神社にお参りをしました。この日も行列でしたがありがたく御朱印をいただきお参りしました。しかしその帰りあたりから下痢の症状が出て、帰宅後トイレで下血しました。その症状は昨年9月下旬のときと同じでした。

令和になって二日目、ゴールデンウイーク10連休の真ん中で下血。病院もほとんどお休みに入るタイミング。そこで前回病院に行ったときを思い出し、経口補水液だけを取ることにして安静にしました。明日から2泊で予定していたプチ旅行の電車と宿もキャンセルしました。そして66時間後、なんとかおかゆと具無し味噌汁を食べました。下血も最初の一回だけで済み、GW明けから社会復帰できました。妻には心配かけました。そのせいか、妻はGW明け3日後の5月9日に体調を崩してしまいました。

●夜会工場VOL.2 劇場版に思ふ

5月11日(土)になり、ようやく妻の体調も戻り、多少動いたほうがいいかもというので、GW中の5月3日に公開されて見に行けていなかった映画「夜会工場VOL.2 劇場版」を見に行きました。個人的には旅行に行っていて初日は見れないと思っていましたが、まさか下血して寝込んで見れなくなるなんて…。

中島みゆきの夜会が始まった1989年は平成元年。中島みゆきさんにとって平成はまさに夜会とともにあった時代でした。ただ、私は初期の頃はまだコンサート派で、夜会はそれほど見ていません。学生にとっては高額チケットでしたし入手困難でもありました。たぶん、初めて見に行った夜会はシャングリラだったと思います。

そして2014年の「橋の下のアルカディア」を最前列で鑑賞するという幸運にも恵まれました。この作品は夜会のひとつの完成形と思えます(異論はもちろんあるでしょうが)。それはVOL.19で再演された後、平成最後の作品となったVOL.20の「リトル・トーキョー」がシャングリラ以来の既存曲と新曲との混合で成立する舞台になったこと、そして平成から令和への時代の変化とみゆきさん自身のメタモルフォーゼ癖(?)に起因するような気がしているわけです。

平成最後の作品と書きましたが、中島さんは基本的にほとんど過去を振り返らないので、リトル・トーキョーという作品は、平成の次の時代を見据えて作られていると思えてなりません。つまり平成=夜会時代の集大成は「橋の下のアルカディア」だったのではないかという私の妄想です。

昭和の中島みゆきは歌姫でした。そんな歌姫が平成という時代の始まりとともに夜会で歌い演じる舞姫になったわけです。歌から言葉の実験劇場へと変態(メタモルフォーゼ)した時代が平成でした。

この流れを踏まえて「夜会工場VOL.2 劇場版」はどのような存在なんだろうと思っていたとき、映画を見ながら「輪廻」という言葉がふと脳裏をよぎりました。歌から舞台へ、そして再び歌の世界へ。夜会工場VOL.2は歌(歌唱)の力を夜会から切り取って脱構築したコンサート映画(舞台)でした。

前に「橋の下のアルカディア」は「ストーリーに拘泥せず、各シーンをショートストーリーのように捉え、言葉と音に集中するといい」というひとつの見解を書きました。これは夜会全体に言えることだと思っています。このような見方をもっと過激にかつ分かりやすく構成してくれたのが「夜会工場VOL.2」のように感じました。

また前後の物語から切り離された歌そのものの有り様は、シュルレアリスム的ともいえます。しかしそのディテールは突拍子のないものでは決してなく、夜会の歴史を知っていればいるほどに、その知識が楽しみを増幅する顧客満足度の高いコンサートでもあります。ファンであればあるほど深く楽しめる大仕掛けなわけです。

このような大仕掛け、つまり30年間という時間を費やした「夜会」という体験を脱構築して提示してみせた夜会工場とは、言葉の実験劇場をリスペクトし続けたファンへの謝恩会、令和記念特別セールのようなものなのではないでしょうか。シーンをつなぎ合わせるわけでなく、曲ごとの世界観(ディテール)を楽しみなはれってことです。

これを中島みゆきの音楽回帰と捉えるのは尚早に過ぎるとは思います。しかし夜会VOL.20「リトル・トーキョー」と「夜会工場」にその片鱗を見ることはできます。昭和の歌姫と平成の舞姫の二雙の舟がひとつになることを意味していないでしょうか。令和になって何姫になるか楽しみな中島みゆきさんです。

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2018/09/01

終わらない夏旅 2018 前編

懸念された今年の夏旅。まぁ、その懸念材料は私自身の結婚だったわけだが。妻から「行ってくれば」とのお許しをいただき出発できた。

今年は西日本大災害もあったので太平洋側のルートではなく日本海側に出て西を目指すという漠然としたイメージがあった。富山から城崎温泉を通り山口県へ、かつて行ったところを再訪して巡ってもいいかなと。

そこに思いがけなく一本のメールが届いた。それは2015年から毎年夏旅で寄っていた岡山県のQUCHIの店員さんからだった。

なんと今年結婚退職をされるとのこと。さらに我々が今年も訪ねてくれるかもと退職時期をずらしてくれた旨が書かれていた。

メンバーにこのメールのことを話すと、当然ながら「こりゃ行くしかない!」と即決となり、岡山駅を目指すことが決まった。ただし何日目になるかはこの時点で未定だ。そのゆるさが夏旅なのだ。これでいいのだ。とりあえず出発するが日程決まらずとメールを返した。

出発日も8/7か8/8かで迷ったが、埼玉出発の三人のうち私とE氏の二人が8/8ならスタートから同乗可能となった。この二人は昨年の夏旅で二人とも新大阪まで新幹線で行って合流したわけだが、どうせならスタートから一緒にということで、8月8日の朝出発となった。

運転するS氏も買ったばかりの新車だ。前のシトロエンはとにかく故障のオンパレードで維持費がべらぼうにかかり、外車には懲り懲りしたようで快適な国産車での旅となった。自動運転はロングドライブには欠かせない(らしい)。

Geroonsen_20180808もう一人のM氏は名古屋から合流するのだが、確実に渋滞する東名高速は避けたい。しかしM氏は8/10には仕事で8/8に合流したら翌日には離脱というハードスケジュールだった。だから「じゃあ富山で合流」とも言いづらい。

そこで白羽の矢を立てたのが下呂温泉だった。初日は下呂温泉に宿を事前予約し、埼玉組は車で、名古屋のM氏は電車で来ることになった。だが、名古屋から下呂温泉までの在来線は昨今の西日本豪雨の影響で運行中止だとわかり、M氏は急遽バスで往復することとなった。こんな日常にも異常気象が入り込む2018年の夏だ。

●泉質には折り紙付きの下呂温泉!

ここ数年、どうも天候が異常だと巷ではみんな言ってる。2020年にはこの炎天下で東京オリンピックが開かれる予定で死人が出るんじゃないかとみんな言ってる。そんな世間の声が届いたか届かないか知らないが、これまで何一つ正解を出したことがない政治家森喜朗元総理大臣がオリンピックのためにサマータイムを導入してはどうかと言い出している2018年。2時間時計を早めようという。愚かさ、極まれり。きっとこの暑さで頭がやられたんだろう。

そんな異常気象のなか、下呂温泉は西日本豪雨の影響でJR高山線の運航中止に続き、8月6日には国内2位タイの気温41.0度を記録した。その二日後に思い立って下呂温泉に向かった我々。交通と天候とダブルパンチで観光客を遠ざけている下呂温泉だからこそ、我々にとっては宿が探しやすかったのかもしれない。

下呂駅前の老舗ホテル水明館を予約した。とても居心地の良いホテルだった。日本三名泉(有馬、草津、下呂)といわれるだけあり、入った瞬間にわかる実に良い温泉だった。お土産もこのホテルで買った。このホテルはまた来たいと思った。

夕食は川を渡った先の個人経営の居酒屋で下呂の郷土料理鶏ちゃんなどを食べた。夫婦で仕切っている店だったが、それなりに繁盛していた。注文を取る奥さんに何人前くらい量があるか聞いたときのめんどくさそうな受け応えが印象的で味は覚えていない。


●初の名田庄参上!中村伸一院長との邂逅は!?

さて、今回の夏旅は個人的に所縁の方の土地を回る旅に偶然なった。下呂温泉は私の師匠であるマット今井氏の選挙区であり、ポスターをいたるところで見かけた。出会った頃はまさか政治家になるとは思っていなかったし、ハッキリ言って今の所属政党をまったく支持しないけど、個人的には日本のために頑張って欲しいとは思う。もう10年くらい会ってないな…。

翌朝の8/9、水明館から出発。バスで名古屋に帰るM氏を下呂温泉のバス乗り場まで送った。これで全員がこの新車に乗ったため、夏旅成立となった瞬間だった。ま、特にルールがあるわけではない。縛られるのが嫌いな行き当たりばっ旅だから。

Natasho_20180809_155603ここから先は岡山県に向かうが、一日では進めないため出発前にメンバーに途中のルートで福井県の旧名田庄村で寄りたいところがあると告げていた。そこは「名田庄診療所あっとほ~むいきいき館」。NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で紹介された中村伸一院長の仕事場だ。中村院長はドラマ「ドロクター」のモデルでもある。

中村伸一院長のことを知ったのは2009年の3人の中村伸一トークライブだった。そのライブのことを私が熱く()ブログに書いていて、中村院長にも知ってもらえた。その後、院長の書籍をご担当されている編集者のIさんと別の講演会でたまたま知り合い、講演会後に初顔合わせといったご縁だった。最近は年賀メールくらいだったけれど、著書はすべて購読してる()。

事前に、8/9に職場でお会いしたい旨を院長にメールしていた。こっちは夏旅中だが院長は神聖な職場でお仕事中なので、ご挨拶程度でもお会い出来ればという感覚だった。院長からも握手と写真くらいしたいとの心強い返信をいただいた!

そして勇んで名田庄地区に向かったわけだが、天候が悪く雨が降り初め、また思った以上に遠かった…。

院長はお昼休みくらいの到着をイメージされていたのだが、こちらは午後何時に着けるか分からないまま進んでいた。途中、ショートメールで何度かやり取りさせてもらったが、院長は午後から出張に出られるとのことだった。それでもギリギリまで待っていてくださった。

我々はようやく15:40ごろ名田庄診療所に着いた。受付に「中村院長は…」とお尋ねすると「ギリギリまでお待ちだったんですよ…」とのご回答()。おそらく数分の差と思われたが、中村院長は出かけられた直後だった。

仕方なく診療所のなかを少しだけ見学させてもらい、インターンの若い医師や看護師さんにご挨拶して名田庄地区を後にした。その後、残念メールを入れて、「また名田庄で会いましょう」とのご返信をいただきました…。

中村伸一院長には会えなかったが、名田庄地区がどんなところか見て来たことは有意義だった。こういう深い自然のなかで生活する贅沢といったものはなかなか頭で考えても実感できない。ただ、やっぱ遠い…。

無念の名田庄訪問を終え、我々はどこに向かうか協議を始めた。この先の岡山県までのルートは決まっていない。だがどこかに泊まる必要はある。さて、どこにするか。GoogleMapを眺めつつ、ホテル予約サイトも検索しつつ、この日の宿を探す我々であった。

(後編につづく。たぶん…)


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