854 posts categorized "日記・コラム・つぶやき"

2020.01.01

ひとくちメモのTwitter

ひとくちメモの普段のつぶやきはこちらのツイログで

ブログひとくちメモの雑多な記事(coldsweats01)を検索されたい方は、PCなら右サイドバーでサイト内検索を。スマホでサイドバーが表示されない場合は、検索エンジンに「ひとくちメモ popn 」と入れてから、キーワードを入れると見つかりやすいかも(wink)。「ひとくちメモ popn キムヨナ」とか「ひとくちメモ popn 中島みゆき」とか。よろしくです。

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2017.04.01

ひとくちメモ、重大発表!?

えー、私ごとながら、重大発表がございます。


実は…、

ついに一か月ブログの更新をしませんでした!

coldsweats02

なーんて、今日はエイプリルフールなので、一発ウソをかましてみた!

…というのこそ真っ赤なウソで、本当に3月にひとつも書いていなかったのだ。


いまから日付をごまかして3月付の記事を書いてやろうか!?

エイプリルフールだしな。ふふふっ!


なーんて、そんなことしても一人遊びにもならん。ウソだよ~。


めんごでやんす(crying

こんなことはひとくちメモを始めてから一度もなかったんじゃないだろうか。

少なくともツイッターに登録した2009年11月まではなかったと思う。

2009年ってもう8年前かよ!

早っ!月日早っ!


でも3月はいろんなことがあった。

本当にあっという間に過ぎた濃厚な一か月だった。

大震災から6年、世の中は少しでも良くなったのだろうか…。

それにしても、人は忙しくなるとブログを書けなくなるのか!?

あると思います!


特にひとくちメモがひとくちでなくなり長文化して来てからは…。


それなりにオリジナルな視点らしきものもいれたいわけで。


推敲したりする余裕がなきゃなかなか書けないわけで。


こうして現状報告だけならツイッターでも出来るわけで。


でも3月に何も書いてないことを未来のボクはほほえましく思い出すだろうか…。

それを期待して、こうしていま書いてる気がする。

3月は毎週末、とても忙しかったけれど、とても充実していたと思い出そう。


とりあえず3月に食べた写真をある分だけだが残しておこう(delicious

wine3月5日昼食 銀座スイスで千葉さんのカツレツカレー
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wine3月10日早めの夕食か遅めの昼食 周南市プチポワのドリア
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wine3月11日夕食 周南市レストランオーセムの肉盛り合わせ 
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wine3月19日遅めの夕食 銀座パエゾのファジータ
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肉が多めの3月でした(毎度のことかっ!?)


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2016.12.29

ひとくちメモ的今年の漢字で振り返る2016年

Ten_374驚くべきことに、このひとくちメモ的今年の漢字で振り返るシリーズが3年目を迎えた。これもひとえに応援してくださるファンの皆さまのおかげではまったくなく、ネタを考えるのが面倒な年末の慌ただしさの露呈だ。

過去の漢字を振り返っておくと、2014年は「捨」2015年は「盗」だった。ならべるとシャトーだ。BGMはブルーシャトー。どっちかと言えばネガティブと取られがちな漢字だったが、いま振り返ると気持ち的にはそればかりでもなかった。ゴミを捨ててスッキリ、バイクも盗まれてスッキリ…。降りていく生き方に共感する身にはどちらの漢字も決して100%ネガティブではない気がした。

そして今年、選んだ漢字は「転」だ。今年も漢字画像は漢字辞典オンラインさんから。

「転」という漢字、訓読みは「ころぶ」ということで、直近では全日本フィギュアスケートの女子フリーで樋口新葉が転んで200点に届かず残念だった。キス&クライで「あー!あと一点もない!」と悔しがる声がテレビマイクに拾われていた。そんなお転婆な15歳だが、2位で世界選手権の切符を手にした。キムヨナの流れを汲むスピードと安定の樋口新葉は今後も大注目だ。

お転婆も「転」だからついでに書いちゃうと、昔からお転婆な子が好きだった(coldsweats01)。だからフィギュアでも樋口以外だとラジオノワが好きだったが、成長とともにおしとやかになり演技も少し大人しくなってしまったのが残念だ。

●アレッポ、沖縄、そして日本。絶望からの転換を

世の中に目を向けると、今年明らかに世界は転換した。英国のEU離脱、そしてドナルド・トランプ氏が米大統領選挙でヒラリー・クリントンに勝利。このふたつは2016年に専門家の予測や予想が大外れした2大椿事だった。

しかし歴史が転換するとき、思いがけない事件がきっかけになることもまた歴史が証明している。

中東情勢も収拾不能ではないかと絶望的になる。シリアのアレッポ虐殺の残した禍根はそうそう消え去ることはないだろう。難民を生み出す構造の転換がなければ、世界各国で台頭している排他的、右翼的な空気や政治がさらに増長増幅し憎しみの連鎖は止まらない。そんな気持ちのツイートも書いていた。

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2016年12月03日(土)
ポップンポール@hitokuchimemo
世界中の極右が集まって難民を出さない世の中を造り出すなら素晴らしいと思うが、そこを放置して受け入れ拒否の内向きポピュリズムばかりなのが右翼という思想の限界で、グローバル化した地球にはいまひとつマッチしてない。グローバル化した問題を解決可能な右翼思想が出てきても良さそうなものだが。
posted at 17:40:25

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沖縄では高江にヘリパッド工事問題、辺野古埋め立て問題、オスプレイ墜落事故、こちらはまったく転回せず、一直線に米国占領下の政治が続く。ここでは「転」を目指す市民の力がますます重要になっていく。目取真俊さんが来訪された浦和での講演会が紛糾したのも、沖縄と日本との距離を感じた事件だった。その日のツイートもあらためて残しておきたい。

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2016年06月05日(日)
ポップンポール@hitokuchimemo
目取真俊氏の講演会@浦和から帰宅。つまらない質問者に烈火のごとく怒った目取真氏。あの質問者に限らず質問と称して自説を延々と述べただけの全質問者にボクは苛立ちを覚えた。いわゆるサヨクの悪い面が全部見えた会だったけれど、沖縄が戦場だという実感を首都圏で持つことの絶望的な難しさもある。
posted at 23:06:30

ポップンポール@hitokuchimemo
目取真俊氏の思いはシンプルだ。数十人でゲート前に座り込みをしても排除されるが千人で座れば止められる。そこに座る人か座らない人か。それを問うために講演をされていた。それだけを皆迫られてると言ってもいい。沖縄の基地で座らない人間には何も求めていなかった。とても厳しいがそれが戦闘だ。
posted at 23:12:58

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イデオロギーの限界はもうずっと前から言われているだろうが、世界が劇的に転換しようとしているとき、つまり2016年以降の世界を俯瞰してみるとき、視野の狭い保守は右翼に転じ、意固地な頭の反体制サヨクも暗躍しはじめる。きな臭さが世の中を覆う。必要悪だとは思わない。転換した社会が少なくとも、より良い社会になるためにどう動くべきかを両者も含めた地球人全体で考えるときが来てる。

●個人的には転機の年だったか?

私的な方面では、いろいろ転機といえそうなこともあった。書けること、書けないこと含めて…。出会いの数だけ別れもあるのが人生だ。だって最後には必ず死という別れが待っているのだから。だけど出来れば別れは人生の後回しにして、単年度では出来るだけ出会いの数を多くしたいものだ。

今年はうれしい出会いがいくつかあった。ヒトとの出会いもそうだけど、芸術面で今年は思いのほか美術館や美術系の作品に出会う機会が多かった。川瀬巴水の新版画との運命的な出会いに始まり、夏の瀬戸内国際芸術祭2016ホキ美術館での超絶写実絵画との出会い、そしてダリ展より正直面白かったDOMANI明日展、12月には三島のクレマチスの丘にあるビュッフェ美術館も訪問した。

また足利市で見た平原綾香さんのコンサートについて書いていたら、そのスタッフさんから平原さん本人に知らせてもらえて、ご本人からツイッターでコメントをもらえたのもうれしいニュースだった。

読み直してみると(最近はツイッターで満足してブログを書く回数も減ってるから読み直しが楽!)、今年の最初のブログは富士山の写真で幕を開けた。暖冬で雪の少ない富士だった。そして今年の終わり、ひとつ前のブログ記事は雪を纏った美しい富士の姿を掲載できた。同じ富士山の姿も環境でこれだけ変化する。

来年も心機一転、すべてが良い方向に転がっていけばいいが。転がる石のように=ライク・ア・ローリング・ストーン、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した年でもあったな。時代は変わる、か…。生生流転。

なにはともあれ、酉年を飛翔の年に致しましょう。

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2016.12.11

ダリ展からDOMANI明日展へ

「真の画家は、空っぽの砂漠を前にしても、カンヴァスを途方もない場面で満たすことができるはずである」という作品の絵はがきはなかったがトートバックがあったので購入し図録を入れて帰宅した。12月10日(土)は朝から風が強かったが天気は良く、クリーニングを出してから国立新美術館に向かった。開催中の「ダリ展」が12日までなので、開催中最後の週末だった。着いたのは11:40頃ですでに行列は20分待ち。その後70分待ちにまで行列は膨れ上がっていったらしい。その様子をアニメーション化したくなるほどの大人気だ。行列を写真に撮っている外国人もいた。

ダリ展に来たのは2回目。最初は1987年、山口県下関市下関市立美術館の「イメージの魔術師ダリの世界」だった。「自分の仕事の中で、絵画は氷山の一角にすぎない」とダリ本人も語っており、画家でなく著述家、挿絵家としてのダリに焦点を当てたマニアックな展覧会だった。そしてこの当時、ダリはまだ存命中だった。1984年の火災で全身火傷を負ったことがニュースになった。その3年後のダリ展だった。そして1989年にダリは永眠した。

29年後に観た今回のダリ展では、ダリという捉えどころのない多彩なタレントを、時代ごと、ジャンルごとに整理し、多角的に捉えた展示だったと思う。

ボクにとってサルバドール・ダリというタレントをどのように評価するかはとても難しい。ダリに出会ってからこちらも年を取って、若干芸術に対して保守的にもなってきた。ボクが10代の頃、自らシュルレアリストを気取っていた。ダリやデュシャンやマン・レイの影響だったが、それを恥ずかしくもほほえましく思い出す。胎児の顔だけダリになっているダリ・ベイビーという作品を作ったことがある sweat02

ダリの初期の作品は時代背景もあって印象派からフォービズム(野獣派)の影響を受けているようだ。そこからキュビズム、シュルレアリスムへと当時の現代アートともいえるような流行に乗った作品を描いていた。

画家ダリはシュルレアリストとして位置づけるのが一番しっくりくるが、それは作品の完成度というか、もっとも脂の乗っていた時期がたまたまシュルレアリスムの時代だっただけなんじゃないかという気がする。

細い指先、光沢指向、透明指向、引出し、蟻、鍵と鍵穴、時計、ピアノ、言葉、様々なダリの断片が波状攻撃のように繰り出され自由自在に配置される。それはいずれ絵画の世界を飛び出し、新しいメディアに乗って大衆に突き刺さる。そしてダリ自身がメディアのなかで確信犯的にキャラクターとして確立し、それが作品の評価にもフィードバックされる。

コマーシャルな世の中になり、マルチタレントのはしりのようなダリの誕生だが、1989年に永眠してなお、2016年にこれだけの人々を呼び込むパワーを持ってる。特に日本ではマルチな才能が受け入れられやすいのかもしれない。

●DOMANI 明日展

ダリ展から出た後に、同じ国立新美術館で開催されている「DIMANI 明日展」を観に行った。この日が初日だった。今年は第19回というDOMANI展だが、見に来たのは初めて。ダリ展がなければ出会っていなかったが、今後は毎年でも見に来たいかも。

この展覧会は文化庁新進芸術家海外研修制度の成果を発表する場だ。現代アートの最前線に登場してくる未来のアーティスト発掘の場であり、その作品をまとめて鑑賞できる。

海外研修制度についてはホキ美術館の写実画でもいくつか気になっている絵画もあったりして知ってはいたが、この展覧会の図録を読み、1967年からこの制度が続いているというのに驚いた。また文化庁のメディア芸術祭との相関関係もわかった。

ダリが広告を利用して手広く活動分野を広げてきたマルチタレントのはしりだとすれば、もはや時代は誰もがあらゆる素材や機材を用いて表現活動を行うことが出来、何を使ってどう表現しても受容される世の中に“進化”した。

それだけに新奇性=現代アートという等式はないと言っていいだろう。観客は驚きのその先を求めてくる。それは鑑賞する側の“深化”であり、創造する側には酷な世の中かもしれない。だが、そこに言葉ありきということもまたダリは教えてくれていた。

言葉によって作品世界が深まる。タイトル、解説、作品のなかの文字そのもの、言葉そのものがアートにとって重要な意味を持つ。ピュアな作品だけで鑑賞が終わらないのも情報化社会らしい。もちろん作品だけから感じるものだけを鑑賞する自由も担保されている。

作者がことばによって作品を(あるいは作品の一部として)語り、その情報のうえに作品を見る。その循環が作品を豊かにし、鑑賞者の感覚も育成されていくようだ。

13名の芸術家の様々な作品があったが、3つの映像作品がとても印象に残った。南隆雄さんの「Medi」(2016)は6つの映像が大きな縦長パネル6枚に映し出されている。相互にゆるく繋がりながら、青や黄色の原色で加工された風景を映し出す。映写機が90度回転して縦に設置され、6枚の画像を縦にゆっくり流していく。とても落ち着く。

平川祐樹さんの「Vanished Tree - Teufelsberg」(2015)というビデオ・インスタレーションもとても良かった。木の切り株を真上から撮影したものと、樹木がそよぐ真上の空を撮影したものを天地に配置してある。モノクロ映像だ。切り株をじっと見ていると、時たま風が吹いて木くずが動いたり、虫が動いたりする。10分ループ作品とのことだったが永遠の時間を感じる作品。時間とはただ循環しているものなのかもしれない。

折笠良さんの「ペンタゴン」はクレイアニメーションなのだが、5人の作家がそれぞれ1つのテーブルの上でクレイアニメ作品の粘土をこねていて、カメラがそれぞれの作品にフォーカスすると、その作品だけがアニメーションとして動き出し、他の粘土や背景の人物などは風景(雑情報)となる。その移り変わりが面白い。また壁一面に映写されていた「水準原点」もすごい作品だった。怒涛の粘土の波のなかに刻まれていく文字、言葉。圧倒された。

これらの作品だけでなく、静的な作品も実に多彩で面白かったのだが、そういう作品はネットで画を見ることが出来るから、ここでは動的な作品について書いてみたかった。

ダリ展から始まり、現代アートの歴史を辿ってからのDOMANI明日展は、ボクにとっては地続きだった。未来に向けてアートシーンはいまも少しずつ進化しているんだろう。終わることなく。

DOMANI展の出口の売店に来年が酉年なのにちなんで、鳥の落書きボードがあり、観客がマジックでとり・鳥・酉の文字や絵を描いて完成させるというコーナーがあった。初日だったのでまだ余白が多かった。せっかくだから何か書こうと思い、右側の鳥の背中のうえに「申+1」と書いて帰ったら、DOMANI展長さんがツイッターで紹介してくれた。ぜひ売店でぼくの作品もご鑑賞ください(smile)。

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2016.11.30

今日は川瀬巴水デーだった。

今年の夏に箱根で川瀬巴水の新版画「あけび橋の月」に偶然出会ってから、川瀬巴水の新版画に大変興味を持ってます。

その後、渡邊木版美術畫舗さんで「雪の向島」(後摺)を購入したので展示会等のDMが届くようになり、松坂屋上野店での展示即売会を知りました。このDMも絵はがきになってていいんだよね。今回は「木場の夕暮」という大正9年(1920年)の作品で、初刷は時価135万円くらいの作品です。

松坂屋上野店の展示即売会は今日が初日ということで、午前中から出かけました。故スティーブ・ジョブスもコレクターだったという川瀬巴水作品は近年とても人気があるようなので、もし購入するなら初日午前中から行かなければという思いはもちろんありました。

到着すると、さすがに初日の午前中だけに購入しようというお客さんらしき人々がチラホラ。版画と価格を見ながら携帯電話で確認してるおじさんや係員にいろいろ聞いてるご婦人。すでに売約済みの印のついた作品も数点ありました。結構高額のものから売れてる印象です。

近年摺られた後刷(初摺と同じ版木で後年新たに摺った版画作品)と比べると、初刷は安くても10倍くらいの価格なので、購入するかどうかは結構迷いました。今年の夏訪問した阿伏兎観音も購入可能な金額でまだ売約されていませんでした。

しかし結局購入しませんでした。版画は和紙なので保管が難しく、川瀬巴水の初摺の名品を私が状態を維持しながら飾れるだろうかと考えると、ちょっと怖気づきました(coldsweats01)。然るべき人に保管していただき、たまに展示会で鑑賞できればいいじゃないか、もう物欲は捨てよう…と思った次第。

でもやはり初摺の良さがわかる作品もいくつかありました。売約済でしたが、「木場の雪」(648,000円)の雪の版画らしい描写はとても良かったです。またこれも売約済みだった「東海道風景選集 品川」(410,400円)。これは画集で見た時からいい構図だなと思っていた作品だったので今回初摺が拝めて良かったです。

展示会ではDVD「版画に生きる川瀬巴水」を売っていたのでそれを買いました。川瀬巴水の旅と作品制作過程を渡邊木版美術畫舗が映像化されていたのです。私はこういう職人技を見るのが大好きなので、貴重な映像に大満足しました。絵師・川瀬巴水、彫師・前田謙太郎、摺師・斧銀太郎、その仕事を映像で残されているのは本当に素晴らしい!1956年の作品なので60年前のカラーフィルム映像ですよsign03

●大田区立郷土博物館にはしご

Kawase_hasui_ohtaku90松坂屋上野店の展示即売会を思いのほか早く見終わったので、その足で大田区に向かいました。ちょうど大田区立郷土博物館で川瀬巴水展をやっていたので。これも前から知ってはいたのですが、結構遠いので迷っていました。川瀬巴水の大田区居住90年記念という、このなんでも記念にしてしまう感覚、好きだなぁ(happy02)。

でも12月25日で企画展は終わりだし、今日行かなかったらもう行かないかもしれないと思い、今日を川瀬巴水デーにしよう、そしてブログに書こうと思い向かいました。ブログがあるから踏み出せたパターンです。これまでもちょいちょいありますね。出不精の私が行動のモチベーションにブログを使う。実に健康的じゃないか(wink)。

これが大正解だったなぁ。めちゃめちゃいい企画展!作品の量も質も申し分なし。版画だけでなく、肉筆画あり、旅のスケッチあり。試摺と本摺との比較もあれば、ワタナベ印の解説もあり、実に初心者に優しい展示です。しかも入場料500円!安い!さすが行政!ほんとに行かないと損ですわ。千円札が不足してるらしいので500円玉を持参して向かってください(笑)。

インテリアから考える、新しいフレーム・フレーミング・額縁・額装専門店。また入口で川瀬巴水作品のポスターをくださいました。4枚入り!太っ腹!さすが行政!なくなり次第終了かもしれないけど。

ただ、このポスターはサイズが412×420という変則サイズだったので額装するのはちょっと難しいです。55角の正方形の額に特注サイズ(たとえばフレーミングshop Marco Blancoさんで特注1100サイズ)のマットで調整するとかすれば映えるかも。もちろん、図柄によってサイズはまちまちだと思うのでそこは自己責任でお願いしますshine

また、大田区立郷土博物館発行の図録『川瀬巴水』(2,000円)が、これまた素晴らしすぎる!

私と巴水との最初の遭遇作品「あけび橋の月」も写生帖含め複数載ってるし、購入した「雪の向島」(図録では雪乃向嶋)のスケッチも掲載されていた。他の図録では見たことがない。レゾネは知らないけども。

一般販売されてる図録と異なり、豊富なスケッチや落款(雅号印)、巴水が明治時代に書いたはがき絵まで収録されていて、作品群のカテゴリ分けも独自な感じで、これが2,000円なんてウソでしょってくらいの質とボリューム!行政の力はすごいわ。

この図録に絵はがき8枚セットを2種類購入して帰りました。本当に充実していて、すばらしい企画展でございました。

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2016.11.19

二年ぶりに大掃除を計画(笑)

というわけで、2014年1112月のひとくちメモを読み直してみた。一大決心をして(coldsweats01)、大片づけを始めたのが2年前の11月だった。ひとくちメモ的2014年の漢字は「捨」だった。

画鋲を踏んだ日」に「あれもゴミ~ミナ・ゴミ」という替え歌の名作(迷作)も2曲生まれた。

あれから2年経ち、まぁそれなりにいろんなことがあったわけだが、また大片づけ、そして大掃除をしようかなという気分になっているところ。

2年前にかなり処分出来ているのは大きい。若いころに比べると圧倒的にインプットは少なくなっている。インプットとは様々なメディア商品、パッケージ商品のことだ。音楽業界や出版業界が不況なのも分かる。このオレがCDをほとんど買っていないわけだ。

年間で考えればCDよりもブルーレイのほうを多く買っているだろう。それでもかなり少ないと思う。2年前に片づけてから、それほどモノが増えていないのだ。片づけたCDやDVDなどを視聴したいときもたまにある。しかしそのほとんどは片付いたまま取り出すことはない。

それはモノがあふれていた2年前までもわかってはいた。所有しておきたいとは単純にそれだけのことなのだ。二度と取り出すことはない。それを片づけるスペースがあり置いておくか捨ててしまうかの違いだけだ。

しかし99%の死蔵と1%の再視聴との狭間で、その1%がいったいどの作品になるのか、未来の自分が予測できないから全部保管したくなっていたのだ。

だがそれは未来のほうが長いだろうと予測していた年頃の発想だ。クオリティ・オブ・ライフという意味で人生の折り返し期間を過ぎたとすれば、ここからは見極めが必要なのだと思う。

定期購読雑誌も3点あり、どれも10年以上購読してきた。ぜんぶ保管するつもりでいたが、これも2年前に過去の雑誌を捨てた。これで途切れたため、その後はあまり躊躇することなく廃棄できる。今後は毎月届く雑誌をどのくらい保管しておくかの見極めが必要だ。

逆に廃棄できない雑誌は、たとえばすでに休刊となってしまった過去のコンピュータ雑誌『PC WAVE』だ。完結してしまってるだけに捨てられない。皮肉なもんだな。全巻そろってないのに捨てられないのは『噂の真相』とか。

他にガラクタで捨てられなかったものとしては、シールドケーブルとかPCの周辺機器。二度と使えないけど燃えないゴミにできるかどうか微妙なパーツ類。(合わなくて)使ってないしもう使わないシャンプーとか液体類。ただ捨てる作業が面倒で置いてあるわけで、今回はこれらは一気に廃棄したい。

それとウチのなか全体を片づけるのはひとまず考えず、ほぼ一部屋集中主義で取り組み始めたい。その部屋だけ徹底的に片付ける。スローガンは「ルームシェアしても大丈夫なくらい片付いた部屋」だ(happy01)。

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2016.07.18

箱根で美術鑑賞~川瀬巴水の新版画と遭遇~

先週の箱根プチ旅行ではポーラ美術館と彫刻の森美術館を訪問しました。ポーラ美術館ではモダンビューティ展という企画展を鑑賞。フランス絵画と化粧、ファッションの歴史を辿れます。かつてのファッション誌やその挿絵など個人的には実に興味深い展示でした。

この企画展のアイキャッチとなっているエドゥアール・マネの「ベンチにて」をはじめ、常設の絵画も含めて非常に質の高い展示になってると思いました。初めて訪問したのですが箱根という場の力も得てすばらしい美術館です。箱根には今後も何度も行きそうなので、その都度訪問してみたい美術館になりました。今回の企画展は9月4日まで。

アンケートに答えると絵はがきが1枚もらえるというのでアンケートに答えてレオナール・フジタ(藤田嗣治)の「ラ・フォンテーヌ頌」をいただきました。他の絵はがきも5枚購入。購入したのは、マネの「ベンチにて」、クロード・モネの「サン=ラザール駅の線路」と「散歩」、野獣派キース・ヴァン・ドンゲンの「乗馬(アカシアの道)」、そしてアンケートでもっとも好きな作品と答えたアメデオ・モディリアーニの「婦人像(C.D.夫人)」です。

印象派も野獣派も、その命名はマスメディアや業界人らによる皮肉が起源なわけですが、保守的な業界に生まれた革命的な仕事は、常にこのような批判や嘲笑から始まるわけですね。そして一つの流れを作り古典と共存していく。保守と革新とは対立軸ではなく多様性の獲得となってこそ進化につながると、絵画を見ながら考えてしまうご時世なのであります。


●彫刻の森美術館にて

彫刻の森美術館は20年以上ぶりの訪問だと思います。こちらでは「横尾忠則 迷画感応術」という企画展をやっていてそれを目的に行きました。しかしポーラ美術館からの流れで来てしまうと、その作品のふり幅にかなり混乱してしまいました。

80年代から親しんできた450(ヨコオ)アートなのですが、だんだんボク自身の趣味が保守化してきたのか、その秘宝館的な作品群にときめきはなくなっていました。でも彫刻の森美術館をテーマに描かれた新作「At Box Roots」の絵はがきを買いました。絵の中に「大涌谷通行止」という文字があり、2016年という同時代性をそこに感じたので。

その後、彫刻の森を散策がてら緑陰ギャラリーの「日本の風景 日本のわざ」というコレクション展 の会場に入りました。ここで川瀬巴水(かわせはすい)の新版画に初めて遭遇し、その素晴らしさにしばし立ち止まって見入ってしまったわけです。

この展示では「見南山荘風景(箱根)」の連作(1935年)を鑑賞できました。なかでも「あけび橋の月」という作品が浮世絵とは明らかに異なるモダンな版画で、ジブリ作品の背景画をも想起させるような美しくも静かな風景画だったのです。

川瀬巴水という名前を忘れないようにと絵はがきを探しましたが、残念ながら販売されていませんでした。

●川瀬巴水の新版画に出会う

とりあえず展示作品の一覧がプリントされた用紙を持ち帰り、川瀬巴水について調べました。そして新版画というジャンルが浮世絵以後の大正・昭和時代に始まったある種の芸術運動だったことを知ります。

新版画は渡邊庄三郎という版元が明確な意思を持って始めた新しい版画制作であり、渡邊庄三郎なくしては川瀬巴水と出会うこともなかったと思えるようなジャンルでした。渡邊庄三郎については高木凜著『最後の版元 浮世絵再興を夢みた男・渡邊庄三郎』が決定版だと思います。これを読み終わってからこのブログを書こうと思ったくらいに必読の書でした。

ただ川瀬巴水についての記述はそれほど多くないので、川瀬巴水本人や作品について知るには(いま入手可能な書籍としては)清水久男著『川瀬巴水作品集』(東京美術)がとても参考になりました。

川瀬巴水は天才肌ではなく職人的な画家だったのではないかと思います。1918年(大正7年)に鏑木一門のなかで年下の伊東深水が描いた「近江八景」という木版画を見て感激し、「これなら自分にも出来る!」と思って版画の道に入ったそうです。もともと美人画が苦手だった巴水が風景画の木版画に活路を見出したわけですが、この消極的なスタートに親近感を覚えます(confident)。

そんな巴水でしたが最初に作った「塩原おかね路」が好評で、2つ年上の渡邊庄三郎とも意気投合し、風景版画の川瀬巴水として続々と作品を発表していくわけです。

●新版画と創作版画を音楽業界に例えると…

新版画は、浮世絵と同じく版元、絵師、彫師、摺師の分業でひとつの作品が完成します。同じ時期に創作版画というジャンルも生まれましたが、こちらは画家が一人ですべてを行うものだったようです。これを読んだとき、音楽業界でいえば、新版画はレコード会社、歌手、作詞家、作曲家、編曲家、エンジニアによってつくられる大衆歌謡であり、創作版画はシンガーソングライターだなと思いました。

どちらが正解というわけではないですが、専門技術を要する彫り・摺りを画家が自身でやるのは完成度に影響するような気がします。創作版画支持派からすれば、画家の個性を最重視するには全部ひとりでやらないと純粋芸術とは言えないとなるようなのですが、昭和歌謡の名曲で育った私には作品の完成度は分業であっても、いや分業だからこそ成立するという気もしています。

話はそれますが、これはマーク・コスタビへの批判のときにも感じました。コスタビは自身の工房でプロデューサー、あるいはアイデアマンとして君臨し、実際の絵は工房のスタッフが描いていました。それを公表して作品も発表していたわけです。それはコスタビ作品といえるのか、単なる商業主義ではないかと叩かれました。しかしコスタビ作品の独創性はそのような批判とはズレたところにあったと思うわけです。

新版画は版元(渡邊庄三郎)がプロデューサとなり、絵師の意図を再現するために職人の彫師・摺師をスタッフとしてディスカッションしながら、完成品のイメージを共有していったようです。版元の考える売れるモノと絵師の描きたいモノとの葛藤もあったようです。それを乗り越えてひとつのジャンルを形成していった「新版画」というジャンルそのものにも興味を惹かれました。

●そして川瀬巴水の新版画を購入

Kawase_hasui_yuki_no_mukoujima新版画の始まった時代は20世紀初頭です。浮世絵に影響を受けた欧州の印象派絵画(19世紀)から後期印象派(19世紀後半)、そして野獣派ほかへと展開していった20世紀初頭、西洋で大きな美術史的転換が進んでいた時代に、日本では「新版画」が生まれ、そしてそのほとんどが海外で評価されていきました。

私は知らないうちに、箱根の2つの美術館で20世紀初頭の東西の美術のうねりを感じて帰ることが出来たのでした。

新版画は関東大震災(1923年・大正12年)と第二次世界大戦(1941-45年・昭和16-20年)という2度の震災と戦災で版木や道具が焼失してしまいます。しかし版元の渡邊庄三郎の驚異的な働きで「新版画」は世界に認められる芸術作品となります。

箱根で絵はがきが買えなかったからというわけではないのですが、渡邊庄三郎が起こした渡邊木版美術画舗のWebサイトから川瀬巴水の木版画の後摺り作品が購入できると知り、1枚購入しました。ほとんどの作品は品切れだったのですが購入したのは「雪の向嶋」という作品です。構図の良さ、雪景色の美しさ、そこに挿す仄かな明かり。とても心落ち着く作品です。

後摺りというのは、初摺りと同じ版木を使って摺られた作品で復刻版とは異なります。初摺りとは異なりますが、オリジナルの版木から摺られた版画です。『最後の版元』にも感銘を受けた私は、版元の渡邊木版美術画舗が後摺りで売っている川瀬巴水作品なら買ってみたいと思った次第。実に良い買い物でした。

今後も新版画の展覧会などがあれば鑑賞したいと思います。美人画は西洋好みの私ですので(笑)、新版画は川瀬巴水のような風景画が好きです。

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2016.06.05

中島みゆきの絶叫系楽曲に平原綾香という解を得た!

寺尾聰さんが28年ぶりにTBS日曜劇場枠のドラマ主演をされるというニュースをきっかけに「ブラバンキッズ・リターンズ~まさかのドラマ化に寄せて」を書き、それだけで収まらずに、DVD-BOX「優しい時間 」を夜中までかけて全編見直した。ほんとにいいドラマ。淡々と静かに物語が進む。妻の死をきっかけに商社を退社し妻の故郷北海道でカフェ森の時計を経営している涌井(寺尾聰)。毎回、亡くなった妻(大竹しのぶ)と涌井(寺尾聰)との会話で終わるのだが、そこに平原綾香の「明日」という楽曲が流れる。

このドラマによって「明日」という楽曲はボクにとってエバーグリーンな一曲となった。今回ドラマを全編見直しながら、一度もエンディング曲を省略せずに見た。ほんとにいい曲。そして平原綾香という稀有なボーカリストの存在に感謝したのだ。

それで今日、「LOVE」という最新アルバムを再び大音量で聴いてみた。愛をテーマに豪華な作家陣を起用したアルバム。そのなかに中島みゆき作詞作曲の「アリア」がある。

中島みゆきさんの作家性についていまさら語る必要はないと思うが、前に「中島みゆきのアイドル歌謡への想い」を書いたときの心境に通じる感覚。他のアーティストへの楽曲提供を楽しむ中島みゆきのこころを察しながら(妄想しながらともいう)聴く愉しみが「アリア」にもある。

ただその提供先が今回はアイドルではなく、平原綾香という希代の歌姫であったということが特筆に値するわけだ。「ついに出会ったかこの二人が!」と思わずにいられない。

それもこの楽曲。中島みゆき節のなかでも昨今の絶叫系楽曲に分類したくなる「アリア」は、そんじょそこらの歌手には歌えない。このタイプの楽曲を提供できる相手はほとんどいなかったと思う。しかしヴォーカリスト平原綾香は違った。平原綾香の楽曲として歌い切った。

このアルバムに添えられた中島みゆきからのメッセージに重要な言葉がある。

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歌ってくださる方にめぐり逢えて、この楽曲は幸せ者です。
(中略)
尊敬してます、平原綾香さま。

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これをボクの妄想解釈脳は「歌える方にめぐり逢えて~」と読んでしまう。中島みゆきは、この楽曲を歌いこなせる歌姫を見つけた喜びを表明しているのではないだろうか。

「作ってはみたものの、この音域、この勢い、このドラマツルギー、(あたしを含めて)誰か歌えますかしら?」

そんな葛藤があったのではないだろうか。絶叫系を歌いあげたい中島さん自身もビビるほどの愛の絶叫歌。それを歌える歌手がいたわけだ。技巧も音楽的感性も申し分ない平原綾香がいた。

平原綾香の実力も語る必要がない。中島みゆき×平原綾香=絶叫系楽曲の完成度無限大という解を得た気分だ。

ついでに言えば、ボクはピアニシモで歌う中島みゆきが好きだった。これも前に「世情からピアニシモへ 中島みゆきの『常夜灯』を聴く」に書いた。そういう意味では、中島みゆきさんのピアニシモ系の楽曲も平原綾香の解釈で聴いてみたい。「明日」に通じるエバーグリーンな気分に浸れる素晴らしい音楽の創造につながる気がする。

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2016.06.04

管理画面に知らない男の顔写真という恐怖

少し前にこんな質問をココログスタッフに出してました。

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ココログにログインして最初に表示される管理ページトップで、ブログ名がテキスト表示されるところ(記事を書くボタンの上)の背景に知らない男の顔写真が毎回表示されて気持ち悪いです。以前はここに背景画像はなかったと思います(あったとしても無地の画像でした)。

そもそもここの背景に写真が表示されるのはユーザー設定では不可能だと思うので、これはココログそのものが何かウィルスかスパムに感染してしまっているのではないでしょうか。とても気持ちが悪いです。(以後省略)

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想像したら怖くないですか?記事を書こうと思ってログインしたらいきなり知らない男の顔写真が表示されるんですよ。以後毎回消えません。完全に背景画像となってました。

ココログスタッフに問い合わせたところ再現しなかったとの回答を先ほどいただきました。ウチの環境の問題が考えられるとのこと。

たしかに質問した翌々日からだったかな、私のPCでも再現しなくなりましたよ。何らかの手当てをしてくれたのかなと思ったのですが自然に直ったようです(あるいはココログ広場にも報告していたので他のスタッフがこっそり直されたのかも…)。

そんなこともあるだろうと、その時の知らない男が表示されてる管理画面をスクリーンショットで保存していましたので、そのときの恐怖をおすそ分け!

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2016.02.16

ニフティの@homepageサービス終了

ついにこの日が来てしまった。@niftyのホームページサービスの@homepageが今年終了するとのメールが届いた。ほぼホームページという手法が過去のものになったということか。

ただ、2018年までは引っ越し先が準備されてるようなので、さっそく引っ越した。ひとくちメモのプロフィールも新しいリンク先に変更した。

新しいURLは、http://popn.cafe.coocan.jp/index2.htm です。

2006年から更新していないので、もう10年放置しているわけだけど、たまに過去の自分の言動を確認にいくことがある。

1999年のラーメン紀行とか、きっと今後も読み返すと思うんだな(笑)。

ホームページを作っていた頃って一番アグレッシブにいろんな事やっていた気がする。記事の背景にあった出来事とかいろんなことをスッと思い出せる。

Geoid onlineの雰囲気は当時からブログっぽくて、近未来を予見していた気がする(自画自賛 catface)。デザインは手作りで作っていたわけで、自由度や発想を形にする面白さはホームページのほうがあった気がする。確かに時間はかかるしパブリッシングも面倒だったけど、その非効率が面白かった。

最初はHTMLをゼロから覚えてワープロソフトの付録機能で手書きしていたわけだから、ほとんど「作る」という部分に主眼があったし、そのスキルを身に着けることが楽しかった。その後、Visual Cafe や マクロメディアのソフトに進化していった。

ブログになってからはシステムを覚える必要がなくなり、純粋に「書く」という部分に精力を傾けた。それはそれで面白かった。

いずれブログというメディアもまたホームページのように別のカタチに置き換わっていくのだろうか。どこかで全部やめてリアル社会だけの存在となり、寿命が来て死んでいくのだろうか。綺麗に清算できればいいけど。どこかでスッパリやめる宣言はしたいな。イベント好きなので(smile)。

そのうち、手入力もなくなってブログ的なメディアが口述筆記や意識だけで電気信号飛ばして表現できる時代が来るかもしれない。そうなったら死ぬ間際まで発信できそうだ。「あぁ、もう時間です。さようなら浮世のみなさん」といいながら自分の死を実況中継できる時代がくるかもな。

とりとめなく書いてしまったが、まだまだ死なないと思うので、これからもよろしく。

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