2022年末私家版ことしの漢字
2022年の年末。コロナ狂詩曲とでもいいたくなる場当たり的な政治や行政の数年間がいまも続いている。あまり年末という気分でもないが、毎年6月頃に印刷する夫婦アルバムのための備忘録として一年間を振り返ることにしている。それと今年の漢字を選ぶもの何気に楽しいし。私家版ことしの漢字は「数」にした(画像は毎年おなじみの漢字辞典オンラインさんから引用してます)。 長くなるので、ことしの漢字エピソードと私的な出来事の備忘録は分けて書くことにする。まずは固い話から…。
●外国為替・暗号通貨における「数」
数字や数値に翻弄された年だった。米国FOMCによる4会合連続0.75%の利上げに伴い、金利差取引によって年初115円台から10月には151円を超える円安に(この動きは市場原理)。その後は財務省・日銀による為替介入(円買い)で11月には137円台、更に12月には日銀黒田総裁の口先介入(YCCを0.25%から0.5%までに緩和)で130円台まで円高に突っ込んだ(これは為替操作的)。
これほどの投機的な動きは近年になく140円越えは24年ぶり、130円台は約20年ぶり。来年前半には米国に景気後退が観測されるだろうが、日米金利差を日本側から埋めるべく動くことは日銀が自分の首を絞めるだけであり米国の金融政策頼みの漂流は続く。
投機的といえば暗号資産(仮想通貨)の動きも輪をかけてボラティリティが高く投機的だった。代表的なビットコイン(BTC)は2020年5月の半減期に100万円だったが、2021年10月には先物ETFが登場し700万円台に達した。Web3.0がもてはやされた時期とも重なる。しかし2022年11月には大手取引所FTXの破綻などもあり220万円台まで下落する。まさにジェットコースター相場だ。次の半減期まではこのままだろうか。
米ドルなど法定通貨にペッグしたステープルコインも登場したがまったく安定しない。登場したばかりであり収束するまでには時間がかかるとの見方も出来るが、これは実験室の出来事ではない。仮想空間で起きている数字の動きでしかないが現実社会で生活者を直撃する。仮想空間が現実社会を浸食し始めたともいえる。
Web3.0を担うはずのナスダック企業も株価は軒並み下落。個人的にはこの危機を乗り越えた先にあるWeb5.0あたりでようやくビジネスツールとして新興勢力が登場してくれるのではないかと期待はしているが、こちらの寿命が間に合うか…。生きる時代は選べない。現在進行形のいまを生きるしかないのだ。
●政治における「数」
数という漢字にはくわだて、たくらみ、運命といった意味もある。前者は「権謀術数」の数だか、これらの言葉が似合う安倍晋三が7月に奈良県で選挙応援演説中、暴漢の手製銃で撃たれ死亡した。安倍晋三が祖父岸信介の代から広告塔を務めていた新興宗教団体(旧統一教会)への恨みからの犯行だった。暴漢の生い立ちには永山則夫を連想させる壮絶さがあり、ドラマ「北斗」そのものだとも思った。安倍晋三にはこんな死に方をしてほしくなかった。ちゃんと獄につながれてほしかった。
2月にはロシアがウクライナ侵攻を開始。戦闘は長引き、年末にも終結の糸口は見えない。資源大国どうしによる紛争は資源輸入国の経済にも大きな影響がある。ウクライナ侵攻があり得ることはずいぶん前からゴルバチョフ元書記長も指摘しており、米国を中心とした西側諸国が避けようとすれば避けられたと私は考えている。
西側諸国では一方的にロシアこそ悪の帝国だとレッテルを貼りがちだが、火に油を注いでこの紛争を利用したのは米国だ。米国を中心とした西側諸国はロシアが侵攻しても早期に終結可能だと見誤ったのではないかと思う。 だからこそセーフティゾーンからウクライナを利用して政治的優位を保とうとした。ウクライナが東から西へ軍事同盟を寝返ろうとしていることを利用しロシアとの紛争回避の道を取らせず、ウクライナを生かさず殺さずの立場において武器を供給し続けた。
その結果、ロシアは想定通りに侵攻し、扇動家ゼレンスキー大統領が率いるウクライナとの平和的な第三の道は閉ざされた。ロシアにも米国にもウクライナにも戦争回避をしなかった責任はある。もはや平和的解決はないかもしれない。核兵器を持つロシア、中国、北朝鮮、太平洋上の米国に囲まれた原発大国日本という極東情勢は深刻度を増す。核の傘には穴が開いている。いつ降り注ぐかわからない。
悪政支配や収奪を暴力で解決しようとするのは人類のもっとも根源的な動物性なのかもしれないが、それを克服しようとするのが民主主義という“どんくさい”手法であろう。社会主義的自由主義といういまだ真に実現したことのない政治的可能性も模索していく必要があると思う。
しかし人類は強欲資本主義こそが自由主義だと考え始めている。強欲な者ほど得をする社会こそが自由だと。それが地球そのものの崩壊につながる人新世の時代を生きていることを今一度立ち止まって考えるときが来ている。ただそれをしないのが人類の多数派だろうとも思う。民主主義は少数派や弱者に耳を傾ける多数派のための規律であり多数派の暴走を許す手法ではないと思うが、すっとぼけた権力者による数の力が暴走している。その暴走によって地球が壊れていくこともまた数字で読み取ることが出来る世の中だ。
●読書における「数」
今年は数学系の読み物を多く読んだ年だった。その最初は数学系というには多少遠いが『コードガールズ』だったか。大戦中の暗号解読に従事した米国女性たちの日常といった趣き。日本人としては敵対国の諜報活動の裏話であり忸怩たる思いもあるが読み物として面白い。この書籍を読む前にテレビで映画「ドリーム」を見ていた。こちらはNASAの宇宙計画で計算を担った女性たちの物語で共通性があったから目についたのだと思う。
たまに理系書目を読みたい年があり、2008年前後もそういう年だった。ただ買い込むだけ買い込んで読んでいなかった書籍もあり、それを引っ張り出して読んだりしている。そんななかから読んだのが『素数の音楽』で、この面白さが今年数学系にはまった決定打だったと思う。いま読んでいる『異端の数ゼロ』も昔から積読状態だったが、こんなに面白かったのかと思いながら読んでる。『数学する身体』や『四色問題』、『アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ』などもまだ読み切れていないがこの流れで読める気がする。
新たに購入した書籍や文庫もある。『でたらめの科学』は面白かった。デタラメ(乱数)を作ることがいかに難しいか。メルセンヌ・ツイスターなんて言葉はついつい言いたくなる(笑)。賢そうにみえる。『宇宙と宇宙をつなぐ数学』は最先端の数学の入門編のさらに入口といった読み物だった。こういう最先端の話を中学生に話してから数学を教えた方がいいのではないかと思う。『経済数学の直観的方法』は中心極限定理について手っ取り早く読みたくて購入したがこれも面白かった。説明がスパッスパッと切れ味よくてスラスラ読めるのがいい。
挫折しそうな書物もある。ポアンカレ予想のアンリ・ポアンカレ著『科学と仮説』は笑ってしまうほど難解だった。日本語なのにさっぱり頭に入ってこないこの感覚はある意味新鮮。それでも半分くらいは読み進めた。すこし積読しておくとまた次のタイミングが来るのではと期待している。
タイミングって大事だよ。特に知的好奇心には。だから学校教育って嫌い。カリキュラムどおりに好奇心なんてわかないっつーの。そんな時に何か月も勉強したって身に着かない。それほど素直じゃないし頭良くないし飽きっぽいんだ。
しかしほっとくと年月だけが過ぎていく。だから受験ツールとしてだけ使えるツールと割り切ってみんなやってる。それこそ無駄な時間の使い方だと思うけどそれで未来が開けると思ってる人が多い。画一教育が生んだ画一価値観で同調圧力だらけの隣組社会だから、それに耐えた人間にご褒美的に労働と報酬を与える。不条理この上ないが、その幻影の信者がいまの総理大臣岸田文雄だ。その中でうまくやっていくのが人生ならそれでいいけど。ボクはやらなかった。それだけのことだ。
いまになって振り返ると、ひとつでも好奇心を満たせるものに出会えたならそこに自身のリソースを集中したほうがいい。結局人生を豊かにするものって自分の知的好奇心に導かれて身に着けたものだけなんだよ。知らんけど(=2022年の流行語)。
直近読み終えた『数学小説 確固たる曖昧さ』も大変面白かった。数論や幾何学の歴史を小説仕立てで読める。小説としてもとても面白かった。現代数学には物理学が不可欠というか、そこに行かないと面白い読み物が広がらないので、来年は物理学にも視野を広げて読んでいく予定。『すごい物理学講義』はすでに購入済みだ。『時間は存在しない』(未読)の著者による講義だが「はじめに」だけ読んで期待大。
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