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2017.07.30

Beautifulでキャロル・キングと平原綾香の魅力を再発見!

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7月29日(土)12:30 時間ピッタリに開演したBeautifulを鑑賞しました。このミュージカルは、希代のメロディ・メーカーといえるキャロル・キングが16歳(1958年)でデビューした頃から、職業作曲家としての成功を経て、1971年発表の名作ソロアルバム「「つづれおり(Tapestry)」で2度目の大成功を収めた頃までを描いています。タイトルは、「つづれおり」に収録されている同名曲ですね。

このミュージカルを知ったのは、水樹奈々ファンの友人からでした。ひとくちメモの「圧巻!平原綾香コンサート@足利市」をこの友人が読んでいて、ダブルキャストでのミュージカルがあるという話を昨年聞いていました。このミュージカルが水樹奈々さんと平原綾香さんのダブルキャストだということが、このミュージカルに出会えた縁だったわけです。

水樹奈々ファンクラブで先行購入していた友人に、帝劇のネット会員になれば一般発売より前に買えると聞きさっそく会員になり2枚購入しました。私はもちろん平原綾香さん主演の公演分です。その時はまだ挙式前でしたが、ミュージカルは挙式後というタイミングだったので妻と行こうと思いまして。それが昨日、実現して良かったです(wink)。

●キャロル・キングをすっかり誤解していたボクのリスナー人生

キャロル・キングをちゃんと知ったのは、もしかすると1990年代だったかもしれません。当時の仕事絡みで「君の友だち(You've Got a Friend)」を聴いたのが最初だったような気がします。超名曲ですよね~。つまりシンガーソングライターとして認識したのでした。

1970年代の米国ミュージックシーンというのは、ボクの頭の中では、病んだアメリカのヒッピーにドラッグにと精神的な負のパワーが渦巻き、サイケでアングラな名作が創作されているようなイメージでした(どんな頭しとんねんとかいわないcoldsweats01)。曲はいいけど、生き方には共感できない…みたいなミュージシャンがたくさんいました。もちろんそういう不良に憧れてもいましたけども。

逆に日本では、ちょうど米国で廃れて来た'60年代のポップミュージックの手法を輸入したような楽曲が、日本流に調理され、歌謡曲となっていました。どっちかといえばボクは、そんな明るく楽しい歌謡曲黄金時代にドップリ浸かって来た子どもでした。その後、'80年代にはシンガーソングライター全盛でそういう音楽にはまっていくわけで、ちょうど10年くらい米国の後ろをついていくような音楽体験を過ごしてきた子どもでした。

そんな背景のボクが、'90年代に「つづれおり」のジャケットを初めてみた時、この人も病んだアメリカでフォークを歌ってた人なのだろうなと思ったんです。

でも違いました。このミュージカル「ビューティフル」で描かれたキャロル・キングはそういう人ではまったくなく、基本的には品行方正な人でした(happy01)。そしてアメリカのポップス黄金時代を作り上げたヒット作曲家だったわけです。

●珠玉のポップミュージック三昧

ロコモーションはたぶん子どもの頃から聞いていたし、その他のドリフターズなんかも、土曜の夜にババンババンバンバン、ってそっちじゃない本家ドリフターズも聴いていて、いわゆるオールディーズのただただ明るく楽しいポップソングの数々には親しんでいました。

たとえば、Some Kind of Wonderful という The Drifters の名曲がありますが、このバックコーラス(合いの手?)の「ワンダフル」ってところは、いまの日本ではコントでしか見ることが出来ません。だけどそれをピュアに音楽として楽しめていた時代ってのがとても愛おしい。あらゆるものを笑いに昇華する日本のすごさとは別にね。

で、それらの楽曲とキャロル・キングのイメージとはまったく重なっていなくて、作曲がキャロル・キングだと知ってかなり驚いたわけです。いわばはっぴいえんどからアイドル歌謡の作詞家になった松本隆さんの逆バージョンといいましょうか…。

それでキャロル・キングの作品がまとめて聴ける3枚組CDなんかで後追いしたりして。すると本当にオールディーズのヒットメーカーとしてのキャロル・キングの偉大さがようやく飲み込めたわけです。

そんなキャロル・キングの明るく楽しいポップスの数々が、このミュージカルではテンコ盛りでした。「ワンダフル」もキッチリ決めてくれました。その他、聴いたことあるかないかわからないけど懐かしいメロディの数々。ぜんぶキャロル・キングのオールディーズ。それが日本語訳されて歌われました。

日本語の歌詞で歌われても違和感はなかったです。これは訳詞を湯川れい子さんが担当されたのが大きいように思いますね。アメリカンポップスを知り尽くした方ですから。

キャロル・キングと仕事上も私生活もパートナーだったジェリー・ゴフィンは作詞家なので、歌詞をちゃんと伝える必要がこのミュージカルにはあったんだと思います。

観客の年齢層も結構高めだったのですが、オールディーズファンも多かったのかなと思いました。ヒット曲の裏側にある作家の苦悩や生活をエンターティメントとして見せるこの作品は米国でも人気だそうです。

●そして平原綾香のオールディーズを堪能

そんなキャロル・キングを平原綾香が演じるとどうなるのだろう。期待は膨らみます。平原綾香さんはクラシックのイメージが定着している気もしますが、ボクにとってはポップスの歌姫です。そして品行方正なミュージシャンのひとりですね。

演技は昔ドラマで少しだけ見ましたが、今回のキャロル・キングはまったく違った役どころで16歳の音楽大好き少女から演じられていたわけですが、はまり役でしたね。もともと結構早口で可愛らしいしゃべりをする人だと思うので(happy02)、それがアメリカの(ドラマ青春白書的な)ティーンエイジャー感にぴったりでした。

歌のパートは安心して聴けますが、しかしミュージカルの特性で、より感情をデフォルメするような面もあると思うのです。それはコンサートで魅せる歌唱とは違う魅力がありました。

少女のウキウキしたような歌声だったり、ヒット曲をつくろうと希望に燃えてる歌声だったり、別れの歌声だったり、成功をおさめた堂々たる歌声だったり。変幻自在の歌唱力が求められるミュージカルというところに、なるほど水樹奈々と平原綾香がダブルキャストで選ばれたんだなと納得しましたね。お二人とも声色の魔術師(?)。

キャロル・キングの「つづれおり」は女の一代記のような面のあるコンセプト・アルバムとも言えますが、それらの楽曲と他の歌手に提供した数々のヒット曲とによって、あらためてキャロル・キングの半生を描き出すこの作品。面白くないはずがないです。

共演者の皆さんもさすがの演技力に歌唱力。作詞家でキャロルの親友シンシア・ワイル役はソニンです。ソニンの成長にはちょっと涙が出そうでしたね。いい役者になったなぁと思って。その夫で作曲家バリー・マン役の中川 晃教さんも面白いキャラクターの役柄で息もぴったりでした。ソニンの他の作品も見たくなりましたね。

映画以外のミュージカルを初めて観たんです。みゆきさんの夜会はミュージカルじゃないから。でもこのビューティフルも楽曲の使い方はいわゆるミュージカルとはちょっと違うかも。必然的な歌パートが多かったです。舞台の緊張感とか一体感とかライブな感じはいいものですね。ミュージカル初体験がこの平原綾香主演のビューティフルで本当に良かったと思います。平原さんの活動の幅も確実に広がっていく気もしますね。

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2016.09.22

白井貴子「北山修/きたやまおさむ」を歌う!

先日、ジャニス・ジョプリンの映画を観てからジャニスのアルバムをずっと聴いていた。ジャニスといえばライブの女王、ライブの女王といえば白井貴子、ボクの妄想脳はそんな連想から白井貴子&クレイジーボーイズのChanceを頭の中で鳴らし始めたのだった。

80年代半ば、ボクは近所の大学の学園祭主催のライブで見た白井貴子さんに夢中になった。その白井貴子さんが今年デビュー35周年で新しいアルバム「涙河」を出されていたと知ったのは、妄想脳によるジャニスからの連想がきっかけだった(confident)。

たぶん80年代のボクはいろんなジャンルの音楽をいろんなミュージシャンを通じて吸収していた時期で、妄想脳もそのころ出来上がった。今年また白井貴子さんの新作に出会ったのは必然のような気がする。

しかし、その内容には驚いた。フォークルの北山修さんの歌詞をロックシンガー白井貴子が歌うというコンセプトアルバムだったのだ。お二人の対談も実に興味深く読んだ。

この二人の組み合わせは正直、妄想すらしたことがなかった。お二人の作品には親しんできたけれど交わることはなかった。それだけに、これは聴いてみなくちゃと思った。

このアルバムで初めて白井貴子を聴いた人は、この歌手が学園祭の女王と言われたロックシンガーだとは気づかないかもしれない。

でも、しっくりくる。白井貴子さんの声はもともとジャニスのようにシャウトしない。クリアトーンで語りかけるような歌い手だった。それはロックシンガーとしてデビューした頃から変らないと思う。note許しておくれニューヨークシティ この街にもいられないと歌われると「いさせてあげて!」と願ったものだ(happy01

35年の時を経て北山修さんの歌詞と出会ったこのアルバムを聴くと、言葉がはっきりと届く彼女の歌声がとても心地いい。

●異色な新曲「返信をください」

新曲もカヴァも、スッと楽曲の世界に入っていける。北山修さんの歌詞は普遍的な言葉で時代を超えて歌い継がれるものが多い。そんななかで、新曲の「返信をください」は異色だ。

留守電、携帯電話、ネットの海、バッテリーの赤ランプ、インターネット、そしてスマホ…。これらのワードは時とともに陳腐化していくリスクがある。時代の準拠枠がなければ理解されなくなる。それをあえて持ってきた意図はどこにあるんだろう。

そこにボクは同時代性の挿入という意味付けをしてみたい。このアルバムは新曲3曲と11曲のカヴァで構成されている。北山修作詞の歌謡曲やフォークソングの名曲がいくつもカヴァされ、それらの楽曲の歌詞はほぼ普遍性に満ちている。

普遍的な言葉を選んで大きなメッセージを届ける北山修の詞のなかに「返信をください」を新曲として置くことで、このアルバムがスマホの時代、インターネットという言葉が詞になる時代の作品であるという痕跡が残る。いや、残そうとしたんじゃないかと感じた。

「次世代に歌い継いでもらいたい」という北山修さんのコンセプトがある一方で、21世紀前半の愛情表現やコミュニケーションの危うさを背景とした、こういう時代のアルバムであることを刻印する楽曲「返信をください」は異色だけど印象的。

●あの素晴しい愛をもう一度

北山修さんは今年70歳。吉田拓郎も70歳。戦後の大衆芸能のビッグネームがますます精力的に活動されてると嬉しい。カヴァのなかには「さらば恋人」が入っているが、この曲を歌っていた堺正章さんも70歳だ。皆さん、お元気!

「加藤和彦 北山修」名義の楽曲「あの素晴しい愛をもう一度」も入っている。この曲は誰が歌っても、いつ聴いても、何度聴いても、名曲だと思う。流れるように紡がれた加藤和彦のメロディには隙がない。詞先だと伝え聞く北山修の歌詞の美しさや哀しさがこのメロディを導いたのか。

白井貴子さんが歌う「あの素晴しい愛をもう一度」は原曲に近いアレンジで、彼女のクリアトーンとよくマッチしていた。

「返信をください」という同時代性の楽曲から永遠のスタンダードともいえる「あの素晴しい愛をもう一度」へと続くこの編成にもメッセージを感じる。

というわけで、35周年の白井貴子さんのライブを見たいと思って11月23日の赤坂ブリッツに行くことにした!

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2016.09.17

映画「ジャニス リトル・ガール・ブルー」でジャニスを偲ぶ

(クリックで拡大)Janis:Little Girl Blue チラシ渋谷のシアター・イメージフォーラムで映画「ジャニス リトル・ガール・ブルー」が封切られた。9月13日(火)、雨も降りやんだので19:15からの上映に向かった。イメージフォーラムはキム・ギドク監督の「アリラン」以来だから4年ぶり。ジャニスの命日10月4日までに、どうしても観ておかなければと思うドキュメンタリー映画だった。

ひとくちメモでジャニスについて書いたのは2005年2月23日。映画「FESTIVAL EXPRESS」を観た日だった。中島みゆきさんの誕生日に「ジャニス!最高だ」とジャニス愛を吐露してしまったわけだが、あれからもう11年も経ってしまった。年月のことを言えば、ジャニスがふいにこの世を去ってから46年になった。もし生きていれば73歳のジャニス。

シャウトするジャニスばあさんを観たかった。あの大阪のおばちゃんみたいな笑い声はきっともっと大きくなって、ドスの効いたシャウトはますます磨きがかかり、ショウビジネス界の"ご意見番"として君臨していたかもしれない。いや、ジャニスのことだから常に話題を提供する側だったかもしれないが、そのすべてを受け止めたかった。

Cd_janis_boxofpearls1999映画「ジャニス リトル・ガール・ブルー」から帰って今日まで、ジャニスの残した数少ないアルバムを時系列に聴いた。1999年に発売された「Box of Pearls」はデビューしたバンド時代も含めて4枚のオリジナルアルバム(とボーナストラック)にレア音源集1枚が収録されていてうってつけ。これはインポート版だけど日本版もあるらしい。

●ジャニスの実像に迫る映画

映画を観た翌日から今日までの4日間、ジャニスの音楽活動のある意味"すべて"を聴いたわけだ。1966~70年、デビューから亡くなるまで4年弱の活動期間を4日間で聴き終えた。そのあまりの短さが悲しい。

映画「JANIS」も昨日DVDで観なおしてみた。こちらもステージやインタビューで構成されたドキュメンタリー映画で、「ジャニス リトル・ガール・ブルー」でも使われていた映像がたくさんある。パワフルなジャニスのステージと、ジャニス本人がインタビューで語った映像が収められている。

そもそも活動期間が短く、残っている映像は少ない。重複せざるを得ない。しかし今回の「ジャニス リトル・ガール・ブルー」はそれらに加えて、未公開映像のほか家族や恋人に送った手紙、関係者へのロングインタビューを交えて構成されていて、より多面的にジャニスに迫っているところが秀逸だった。家族にとっては死後40年以上経ったいまだからこそ話せた話もあることだろう。

ジャニスの学生時代は、彼女の人格形成に大きな影を落としている。いじめや無視が延々と続き、そこから逃れるように音楽の世界にのめり込んでいく。そのとき身近にあった音楽がブルースだったのも運命的。内面から湧き出てくる本物のブルースがシンガーとしてのジャニス・ジョプリンを形成していく。そして虚像と日常とのかい離が始まる。

同窓会後のインタビュー映像は思い出すのも辛い。芸能人としての成功を引っ提げて10年ぶりに戻った故郷は昔と変わらずつらい場所だった。冗談めかしてインタビューに応える顔から時折にじみ出てくる本心。そもそも感受性が強すぎるジャニス。

あえてテレビカメラを連れて同窓会に"凱旋"して見せたジャニス。しかしそこに自身の居場所はなかった。その場でインタビューに答えるジャニスの心はどれほど傷ついただろう。居心地の悪さは同窓会も芸能界も同じだったんじゃないか。

ジャニスが解放されるのはステージの上だけだった。もしかするとステージだけがドラッグなしで生きられる場所だったのかもしれない。日常って怖いね。永遠に続く日常を生きることの恐怖、それはいじめや無視を延々経験して生きてきたジャニスには耐えられない時間だったかもしれない。

もしジャニスが音楽業界的に成功せず、西海岸でアマチュアシンガーのままだったらどうだっただろう。どちらが幸せだったかなんて考えたって仕方ないんだが、やはり孤立してクスリ漬けになり野垂れ死にしていたような気がする。業界での成功は少なくともジャニスには必要な場所だったと思った。

1970年10月4日、ホテルで亡くなっていたジャニス。ヘロインが原因とされているが、この映画の文脈では自殺ではなかったように思える。この年、同窓会での孤独感はあったけれど、「フェスティバル・エクスプレス」で魅せたジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)との会話やセッション、そしてカナダでの圧倒的なステージングを見ると、ようやくビジネスとしての音楽業界で生きるタフネスを身に着けて、いざこれからという時期だったと思えてならない。

●全編に漂うあの時代の音

知ってはいてもあらためてジャニスの辛い日常を見せつけられる映画で、誰にでもおススメとは言い難い。しかし1960~70年代というフォーク、ブルース、ロック、ポップスの花開いた時代に少しでも興味があれば見ておくべき作品だと思う。辛いながらも全編に流れる音楽のカッコよさには酔ってしまう。音楽って罪だね…。

27歳にして時代のアイコンとなった途端の死。まさにここから世間と折り合いをつけて生きていくはずだった。それは遺作となった「パール」の出来の良さからも分かる。心の闇と栄光を抱えてドラッグに走ったが、27歳はまだやり直せる年齢だ。

アルバムの勢いからすればBIG BROTHER & THE HOLDING COMPANY名義の「CHEAP THRILLS」が名盤だと思う。粗削りだけど、ジャニス・ジョプリンがモンタレー・ポップ・フェスで一躍注目を浴び、まさにスターダムを駆け上がっていた頃の作品だ。

しかしこの頃の楽曲はいわば日常の延長線でもがきながらブルースにのめり込むジャニスの叫びでもあった気がする。それだけに生々しく、ジャニスを好きになればなるほど愛おしくなる。

それはメジャーデビューアルバム「Big Brother and the Holding Company featuring Janis Joplin」にも言える。ボクを含めてジャニスのシャウトからジャニス・ジョプリンを認識した人が多いと思うけど、この一曲目の「Bye,Bye Baby」は別人のようだ。例えるならボブ・ディランの「ナッシュビル・スカイライン」を聴いたときの拍子抜け感に似てる(coldsweats01)。それも含めて愛おしい。

音楽業界的に成功すると粗削りな勢いが削がれていくのは洋の東西を問わず。ボクはそのことをイカすバンド天国(イカ天)ブームの80年代、嫌というほど味わった。しかしその分、音楽的には洗練されていく。そこでの身の処し方はミュージシャンのバランス感覚にかかってる。言いなりになる部分と捨てちゃいけない部分とのバランス(それを運と言ってもいいが)。

そういう視点からすると、「パール」の洗練はジャニスにとっては福音になるはずだったと思う。ずっと日常の延長でやっていく音楽活動は決して長く続かない。ビジネスとしての割り切りは決してクオリティを落とさないし、ジャニスのように身を切る思いで歌ってきたミュージシャンが世間との安定した関係を築くには必須の過程だったはずだ。もしかするとその割り切りがドラッグとの決別にもつながったかもしれない(これは妄想だけど)。

まさにその階段の一段目に足をかけたまま、ジャニスはドラッグで死んでしまった。

時代といえばそれまでだけど、いじめやドラッグは現代的な問題でもあり、「ジャニス リトル・ガール・ブルー」は、かつてこんなライブの女王がいたという以上に多くの示唆を与えてくれると思う。それは見る人の立場やこれまでの生き方と映し鏡だ。

ジャニスが音楽で生きていくことは、夢はいつか叶うといった類いの安っぽいキャッチフレーズとかけ離れた命がけの叫びの延長だったと思う。芸能の世界はとかく闇を抱えた者を受け入れスターダムに押し上げる。それがまた闇を広げ、その闇が深いほど輝きを増す。ジャニスというパールはそうやってほんの短い期間、輝いた。

この命の短さがジャニス・ジョプリンという虚像をさらに大きくし有名にしたという面はあるのかもしれない。大衆はビジネスでない、ピュアな心を消費したい欲望を常に持ってる。最近も流行ってる感動をありがとうってやつ。

ジャニスも最初は気持ちよくその期待に乗っかった。しかしその先にある絶望にも気づいたはずだ。そしてドラッグ漬けの日常に堕ちた。でも彼女の才能があればもう少し大人になって、この負の連鎖を断ち切り、もっともっと輝けただろう。「パール」にはその片鱗が見えてた。それが悔しいね…。

こうやって書いてる間に、4枚のアルバム全部リピートして聴いてしまった。半日でジャニスの音楽人生を聴いた。ジャニス、やっぱ、あんたは最高だ!!

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2016.09.11

SONGS 吉田拓郎を見ながらつらつらと人生を語る(?)ブログ

吉田拓郎弾き語りソングブックNHK「SONGS」で吉田拓郎。満を持して登場。吉田拓郎70歳の夏に密着!今年のコンサートに行けないボクにとってはとても貴重な番組だった。この冬にはSONGSスペシャルでライブも放映されるとの告知も。ありがたい。

ボクが最初に吉田拓郎という歌手を知ったのは他でもない、「中島みゆきがファンだった歌手」という認識だった(笑)。中学生の頃だったと思う。谷川俊太郎も吉田拓郎も中島みゆきを通して知ったし、中島みゆきさんが好きな人に才能無き人間はいないという無償の愛だった(happy02)。

その認識はいまもこうして続いており、拓郎の曲を自分でも弾き語りしながら吉田拓郎という素晴らしいシンガーの時代に"間に合った"という感覚で生きてきた。ひとくちメモでは「自分で弾き語りたい吉田拓郎20選!」も書いた。

SONGSのインタビュアーには桑子真帆アナウンサー。拓郎が「ブラタモリ」や井上陽水のSONGSを見ていてご指名されたとか。「どうせだったらおじさんたちがお気に入りのそういうヒトにボクもインタビューされたい…。」

もうその語りが拓郎節だ。

桑子真帆アナの声質はとてもまろやかで心地いい。拓郎の声にもちょっと似てる気がした。コンプレッサーがうまく効いてる感じっつーか(伝わるかなこの例え…)。とても穏やかな気持ちで言葉がスッと入ってくる。拓郎ご指名の桑子アナにボクも無償の愛が芽生えた(lovely)。

(オファーがあっても)テレビに出ないフォークシンガーというカテゴリーは拓郎から始まった。オファーがなくて出られないシンガーではなく。ボクが中学生の頃はもうこのカテゴリーがブームとなっていて、テレビで歌うフォークシンガーのほうが稀だった。それだけにTBS「ザ・ベストテン」でライブ会場から中継された松山千春を見た時は事件だと思ったほどだ。

それにしても、拓郎がテレビ出演を拒否するきっかけになったという当時の歌番組、そして司会のFさん(歌のうまい大物歌手。元の奥さんはボクが大好きだったオリビア・ハッセー)の功績は大きい。拓郎が最初のテレビ出演でテレビというメディアを気に入り出まくっていたら、たぶんフォークも拓郎も消費されてしまい、その後の繁栄はなかったんじゃないか。

最初にテレビで歌った「マークⅡ」の映像もちょこっと流れた。こんなギターアレンジだったんだ。洋楽好きな若き吉田拓郎らしいギター、なんかかっこいい。

そんな拓郎の転機は50歳の頃。Kinki Kidsの番組へのレギュラー出演。これもボクらにとっては事件だったわけだが、ほとんど違和感なくその場に溶け込んでいた吉田拓郎を見て嬉しく思った。たぶんボクらも年を重ねて寛容になっていたんだろう。「拓郎、テレビなんかに出やがって」とはまったく思わなかった。おそらく吉田拓郎が何をしても許せた。これも無償の愛と言ってもいい。

前に拓郎が明石家さんまの「さんまのまんま」に出演したとき、「金持ちになったら金持ちの歌をうたいなはれぇ!」と言われて大笑いしたことがあった。私小説的なフォークソングを求めているリスナーの気分をさんまさんが表現するとこうなるんだろう。「結婚しようよ」とか「旅の宿」の延長線を。

確かに吉田拓郎の節目節目にある名曲は私小説的な歌詞だったりする。例えば「サマータイムブルースが聴こえる」だったり「全部抱きしめて」だったり、今回の新曲「ぼくのあたらしい歌」もそうだ。ただしこれらの作詞は拓郎自身じゃない。でもその客観性が拓郎自身の歌詞以上に拓郎らしさを伝えることがある。拓郎もそれを楽しんで歌っているように思える。

桑子真帆アナはいま29歳で、拓郎が「人生を語らず」を歌ったのは28歳の頃だった。29歳の桑子アナにとって、20代で人生を語るなんて想像できないという感覚があるようだ。「いまはまだまだ人生を語らず~?当たり前でしょ(笑)」みたいな。この世代間ギャップは面白かった。

これに対して拓郎は、当時の20代は老成していたと応えた。30~50代のおじさんがいいそうなことを語り合っていたと。その感覚、よくわかる。特にフォークソングにかぶれた人間は老成してたんじゃないか。「古い舟を動かせるのは古い水夫じゃないだろう」という自立への強烈な意志があった時代。

ボクは遅れてきたフォークソング狂いのバカ息子だったのだが、やはり一世代上の人たちと話があった(coldsweats01)。この効能は社会人になってから実に効いた。2006年のつま恋に行けたのも、年上の拓郎ファンの皆さんとのつながりあってこそだった。

そのつま恋リゾートも今年末で閉店することが決まった。時代はいまや野外フェスが当然となり、一晩かけても歌いきれない(聴き飽きない)ヒット曲を持つ歌手も少なくなった。音楽がビジネスとして成立し、そして静かに衰退を始めている。音楽がこの世から消えてなくなることはおそらくないが、この時代の大衆歌謡、そしてこの時代に生きたボクらはそのうち一人もいなくなる。

大衆音楽の一時代を築いたトップランナーのひとりが吉田拓郎だ。その時代に"間に合った"ボクらは幸せな時代を生きられたと思う。音楽で一体感を得られ、大いに笑い語りあった。今なら人生を語れるかもしれないと語る吉田拓郎。ボクはまだまだ語れない。ただ耳を傾けるだけだ。無償の愛で。

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2016.08.07

テレビ東京「美の巨人たち~ル・コルビュジエ」

上野の国立西洋美術館がル・コルビュジエの17建築のひとつとして世界遺産に登録されて、コルビュジエ建築がまた注目され始めていますね。テレビ東京の「美の巨人たち」でも西洋美術館を採り上げてくれてとても面白かったです。

個人的に最高に良かったのは後半、カプマルタンの休暇小屋のBGMに流れた坂本龍一の「Ballet Mecanique」と「Parolibre」です。実にマッチしてました!いい仕事してますねlovely音楽機械論のサカモトの音楽は住むための機械としてのコルビュジエ建築に親和性が高い気がします。

このParolibreはオリジナル音源だったのかな?テルミンの音かと思ったので、三毛子さんのヴァージョンかもと思ったりして。CDを戸棚にしまい込んでて確認できない…。

サヴォワ邸を観に行ったひとくちメモを前に書いたけど、建築そのものを観光できる建築家はあまり多くない気がします。逆にとても興味を持てる建築に出会ってもなかなかその建築家の名前を探すのは手間がかかります。

先日の箱根プチ散策で訪問したポーラ美術館も、展示された芸術作品だけでなく建築そのものが気に入ったけど、建築家の名前をその場で確認することは出来ませんでした(聞けば教えてくれたんだろうけど)。ちなみにポーラ美術館は日建建設・安田幸一氏(東工大教授)でした。

「美の巨人たち」は30分番組なので、かなりコンパクトなのですがとても整理されてわかりやすい番組でした。建築が採り上げられることは少ないでしょう。西洋美術館に行って作品を紹介しない芸術紹介番組だったわけですわ(confident)。

坂本龍一の音楽とともに紹介されたカプマルタンの休暇小屋は国立西洋美術館が完成する6年前の1951年、コルビュジエが64歳のときに建てた小さな小屋で、これもモデュロールに忠実な建物だそうです。そしてコルビュジエのお墓はこのカプマルタンにあります。彼が最後に愛した土地に建てた小さな小屋と国立西洋美術館とを対比してみせた番組の構成も良かったです。

国立西洋美術館がコルビュジエの作品だってことは最初からわかっていても、身近にあるといつでも行けるという余裕から後回しになってしまいます。だから、ミーハーと言われてもこういう機会に観に行っておくことは人生にとって大切ですsign01 いつゴジラがやってくるか、いや地震がやってくるか分からないこのご時世でございます。

などと言いつつ、まだ行ってない…。もしかしたらコルビュジエなんて意識してなかった頃に(例えば修学旅行とかで)行ってるかもしれないけど忘れました。もう少しブームが下火になってから行ってみようと思います。涼しい季節に。

その時には「美の巨人たち」で解説されたいくつかのポイントを踏まえつつ、それと絵画・彫刻との関係性にも注目してすべてをじっくり鑑賞してみたいものです。

将来的には17の建築を回る旅もしてみたいけれど、テロリズムの世紀にはなかなか難しいご時世でもございます。建築は平和でなければ成立しないわけで、建築が愛である原点もやはり平和な世の中に立脚したものなんじゃないかと思う今日この頃です。

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2016.06.12

圧巻!平原綾香コンサート@足利市

この前、ひとくちメモに「中島みゆきの絶叫系楽曲に平原綾香という解を得た!」という記事を書いた。その直後、平原綾香のライブ日程を検索したら今日の足利公演のチケットがまだ買えることがわかり、これを逃すとポップンポールの名が廃る(pout)と興奮しつつ購入して埼玉から駆けつけ、本日足利市のホテルでこれを書いている。

平原綾香のコンサートは先ほど終了。まさに圧巻の歌姫だった。足利市民会館開館50周年記念事業と銘打たれたコンサート。足利市では初の平原綾香コンサートだそうで、観客も初めて生で平原綾香の歌を聴く人が多かったようだ。それをステージから確認した平原綾香も喜んでいいのかどうかと苦笑していたが、その歌声は確実に届いたと思う。

帰りがけ「ほんとに歌が上手い」とか「最初は口パクかと思った」という観客の会話に聞き耳を立てながらボクは「それが平原綾香というディーバなんだよ」と心のなかで解説した(coldsweats01)。

それにしてもこの歌声は唯一無二だ。以前のコンサートで聴いた時よりもさらにパワーアップしている。天賦の才能を鍛えるとこんな風になるのか。13年のキャリアの裏にしっかりと積み上げた努力の跡を感じた。

中島みゆきファンのボクにとってはアリア(中島みゆき作詞作曲)が生で聴けたことが大収穫。平原綾香のために生まれた楽曲だ。身体が震えた。歌姫のためのアリアを聴きに来てよかった。やっぱり正解だった。

いい加減いいおとなで、そうそうコンサートで感動出来る感受性も衰えてしまったなと思っていた昨今だったが、ちゃんとした音楽を聴けば感動できることを再発見できた。中島みゆきファンに告ぐ!平原綾香のアリアを生で聴くチャンスがあれば聴いとく方がいいと思う。損はさせない!

「明日」も久しぶりに生演奏で聴けて嬉しかった。ボクのエバーグリーンな一曲で何度聴いてもグッと来る。

オープニング曲のマスカット(玉置浩二作詞作曲)も実に味のある楽曲だ。アルバム『LOVE』でも一曲目を飾る。玉置浩二はホントにいい曲を書くよなぁ。これもまた平原綾香の声域を存分に聴かせる一曲。

「星つむぎの歌」も会場がひとつになった。この曲も大好きなのでボクも遠慮なく歌った。足利市民会館は1600人くらいのホールなので会場の歌声もステージによく届いたかもしれない。ビジネス抜きで考えることが出来るなら、このくらいのキャパが一番いい距離感かもしれないと思った。

平原綾香が今後ますます歌声に磨きをかけて、またいい作品に巡りあえて、それを観客に還元してくれたら日本のポップスの水準は維持できる。これからも聴き続けたい音楽家のひとりだ。

とりあえず明日はゆっくりして(オレも織姫神社にあやかりに行ってみるかなbleah)、あさっては平原綾香のネクタイを締めて活動する予定である(笑)。

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2016.06.05

中島みゆきの絶叫系楽曲に平原綾香という解を得た!

寺尾聰さんが28年ぶりにTBS日曜劇場枠のドラマ主演をされるというニュースをきっかけに「ブラバンキッズ・リターンズ~まさかのドラマ化に寄せて」を書き、それだけで収まらずに、DVD-BOX「優しい時間 」を夜中までかけて全編見直した。ほんとにいいドラマ。淡々と静かに物語が進む。妻の死をきっかけに商社を退社し妻の故郷北海道でカフェ森の時計を経営している涌井(寺尾聰)。毎回、亡くなった妻(大竹しのぶ)と涌井(寺尾聰)との会話で終わるのだが、そこに平原綾香の「明日」という楽曲が流れる。

このドラマによって「明日」という楽曲はボクにとってエバーグリーンな一曲となった。今回ドラマを全編見直しながら、一度もエンディング曲を省略せずに見た。ほんとにいい曲。そして平原綾香という稀有なボーカリストの存在に感謝したのだ。

それで今日、「LOVE」という最新アルバムを再び大音量で聴いてみた。愛をテーマに豪華な作家陣を起用したアルバム。そのなかに中島みゆき作詞作曲の「アリア」がある。

中島みゆきさんの作家性についていまさら語る必要はないと思うが、前に「中島みゆきのアイドル歌謡への想い」を書いたときの心境に通じる感覚。他のアーティストへの楽曲提供を楽しむ中島みゆきのこころを察しながら(妄想しながらともいう)聴く愉しみが「アリア」にもある。

ただその提供先が今回はアイドルではなく、平原綾香という希代の歌姫であったということが特筆に値するわけだ。「ついに出会ったかこの二人が!」と思わずにいられない。

それもこの楽曲。中島みゆき節のなかでも昨今の絶叫系楽曲に分類したくなる「アリア」は、そんじょそこらの歌手には歌えない。このタイプの楽曲を提供できる相手はほとんどいなかったと思う。しかしヴォーカリスト平原綾香は違った。平原綾香の楽曲として歌い切った。

このアルバムに添えられた中島みゆきからのメッセージに重要な言葉がある。

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歌ってくださる方にめぐり逢えて、この楽曲は幸せ者です。
(中略)
尊敬してます、平原綾香さま。

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これをボクの妄想解釈脳は「歌える方にめぐり逢えて~」と読んでしまう。中島みゆきは、この楽曲を歌いこなせる歌姫を見つけた喜びを表明しているのではないだろうか。

「作ってはみたものの、この音域、この勢い、このドラマツルギー、(あたしを含めて)誰か歌えますかしら?」

そんな葛藤があったのではないだろうか。絶叫系を歌いあげたい中島さん自身もビビるほどの愛の絶叫歌。それを歌える歌手がいたわけだ。技巧も音楽的感性も申し分ない平原綾香がいた。

平原綾香の実力も語る必要がない。中島みゆき×平原綾香=絶叫系楽曲の完成度無限大という解を得た気分だ。

ついでに言えば、ボクはピアニシモで歌う中島みゆきが好きだった。これも前に「世情からピアニシモへ 中島みゆきの『常夜灯』を聴く」に書いた。そういう意味では、中島みゆきさんのピアニシモ系の楽曲も平原綾香の解釈で聴いてみたい。「明日」に通じるエバーグリーンな気分に浸れる素晴らしい音楽の創造につながる気がする。

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2015.04.29

ピアニシモな歌声に魅せられて~biceの思い出

Bice_cd_popnpoll

私、中島さんのファンなんです。そういうと大概中島みゆきファンとしてのポップンポールを指すわけだが、もうひとり大好きだった中島さんがいる。シンガーソングライター中島優子、bice(ビーチェ)だ。2002年、藤井隆の『ロミオ道行』で聴いたbiceの楽曲(乱反射地球に抱かれて)から好きになった。13年前のことだ。

2012年に中島みゆきさんのピアニシモな歌が好きだという記事を書いたことがある。あるいは同じ2012年にK-POPのIUのウィスパーボイスにも注目したりして。何気にピアニシモな音楽やウィスパー・ボイスの女性ボーカルが好きだったのだが、2012年ごろのポップンポールはウィスパーボイス好きサイクルに再び入っていたんだと思う。そしてbiceはそんなポップンポールの嗜好にどはまりなミュージシャンだった。

そういう嗜好のサイクルのなかで2013年を迎えた。「そういえばbiceを初めて聴いてからもう10年になるんだなぁ、いまbiceはどんな活動をしてるんだろう」と検索した。そして唐突にbiceの死を知ることになる。

pen

2010年にbiceは心筋梗塞で突然この世を去った。それを3年間知らずに過ごした自分が情けなかった。その当時(2008-10年)のポップンポールは音楽から遠く離れて自然音のバイノーラル録音をしていた。メロディ嫌悪に陥っていた。

そこから音楽に戻るきっかけになったのは2009-10年のフィギュアスケートの女王キムヨナの登場であり、キムヨナから派生したK-POPだった。キムヨナの躍動する美とジャストフィットの007のテーマが身体性を伴う音楽の世界にポップンポールを引き戻した。そして2010年からはキムヨナとK-POP三昧の生活に入った。韓国語も学び始めた。

3年はあっという間に過ぎた。2012-13年がbiceを知って10年目という節目だったこともあり、音楽の世界に戻ったら急に懐かしくなった。2002年当時biceと一緒にライブをしていたキンカウィズアヨーンのMVを見たのがきっかけだったかもしれない。

biceの死を知ったときのツイッターを時系列で残しておきたい。

2013年06月22日(土)3 tweetssource
キンカウィズアヨーンを聴くとbiceも聴きたくなってきた。biceの初ソロライブからもう10年になるんだな。 bice 私とポールの事: http://youtu.be/NWpTWJS3PN0 @youtubeさんから
posted at 07:55:57

biceのこといくつか書いたけど削除した。大好きだったけど彼女が亡くなってたこと知らなくて...。BOXが出るとか喜んだりして。なんだかいろんな感情が一気にこみあげてきた。
posted at 08:20:01

biceが亡くなった頃のボクは完全に日本の音楽から遠ざかってたな。その前は音楽そのものが嫌でメロディ拒絶症に陥りフィールド録音に没頭してた。亡くなって3年も経ってから知るなんてファンと言えないな。でもbiceの音楽にまた戻ってきた。気持ちいい朝だったから。
posted at 08:30:58

2013年06月25日(火)2 tweetssource
土曜以来、寝る前にはbiceのCDを聴いてる。それしか出来ないし。昨日は let love be your destiny を。このCDのジャケ裏には「わたるへ」とbiceのサインが入ってる。思い出の品になっちゃった。
posted at 07:08:14

あのとき、わたるくんへとかわたるさんへじゃなくて「わたるへ」って書かれたぶっきらぼうな感じがいかにも biceっぽいと感じた記憶がある。それもbiceの声で呼ばれてる記憶w その声の記憶はボクの創作であり妄想であるが。
posted at 07:14:57

●bice カフェイベント@シネカフェ・ソト

今年4月22日(火)に十条駅近くのシネカフェ・ソトさんでbiceの音楽を聴くカフェイベントが開催されました。今回で4回目です。初めて参加しました。主催者のつぶやくビーチェさんには初回からお誘いいただいていたんですが時間が取れず。さいたま市在住の私なので十条だったら終了までに間に合うかもと出かけました。

入口では(いつものことですがcoldsweats01)、「ポップンポールです」と名乗るのが恥ずかしかった。年を取るほどに恥ずかしくなっていく…。名前変えようかな(いまさら!)。受付の女性スタッフさんに「つぶやくビーチェさんはどちらに?」と聞くと「あそこで話してる人ですよ」と教えてもらいました。ようやく会えました。

シネカフェ・ソトさんは上映会のできるカフェ(お酒もあり)でとても雰囲気のいい空間でした。そこでbiceの映像を見て音楽を聴いてゆったり過ごす静かなイベントでした。といってbiceを偲ぶといった湿っぽい雰囲気ではありません。ファンの方がギターでbiceの曲を歌われたり、独りドリンクを傾けながらbiceの記事や写真を読んだり眺めたり、思い思いに過ごす会でした。でも久しぶりにbiceの歌う姿を見てしまうと、グッとこみ上げてくるものはありましたね。

今回は初の試みで主催者さんともうひとりのファンの方で映像を見ながらのトークもあり、アニメの「けいおん!」の音楽からbiceファンになった新しいファンにも嬉しい宴だったと思います。初めて参加という人も多かったみたいでした。

Bice_with_text20150422個人的にはbiceが中学生時代に使っていた社会科の教科書がツボでしたsign01 裏にナカジマユウコと名前も書かれていて、なかはマーカーでまっかっか。biceは真面目な中学生だったようです。直筆で書かれたウラル山脈の文字がかわいい(笑)。

こういうイベントを開催するのはとても大変なことだと思います。biceが好きじゃなきゃ出来ないけど、好きだからって誰にでも出来るわけじゃないよね。biceが亡くなってからもこうしてbiceの音楽を愛する人がいるだけで嬉しいです。主催者のつぶやくビーチェさんの熱い想いを手伝ってるスタッフの皆さんもどうもありがとう。

biceの初ライブの頃はまだブログという言葉も日本に上陸しておらずホームページにbiceライブについて書いていました。そこにもリンクしてみます。新しいbiceファンの方の参考になれば。

下記画像は2002年当時にbiceのCDジャケットを使って作ったコラージュです。初ライブの記念に。bice boxというタイトルなんですが、最近制作されると噂されていたbiceのCD BOXを予感していたわけではありません(BOX化して欲しいなぁ)。

2002-03年当時、biceのホームページにBBSがあり、そこで何人かのbiceファンの方と話したりしました。もう名前も憶えていないけれど、下の画像ファイルを私が誤って消失してしまったときに、そのなかのお一人が保存しててくれて助かった思い出もあります。

当時のファンの皆さんも新しい音楽ファンにも、ピアニシモでブリティッシュでオリジナルなbiceのウィスパーボイスをもっともっと聴いて欲しいと思います。

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2015.04.16

中島みゆきの「時は流れて」を坂本龍一の伴奏に注目して聴く

ここ数日、寝る前に中島みゆきの3rdアルバム「あ・り・が・と・う」を聴いている。発売されたのは1977年。実に38年前のアルバムだ。ボクがこのLPレコードを買ったのはおそらくシングルの「悪女」(1981年)の少しあとのはず。それでも30年以上前になる。いまはCDで買いなおしたものを聴いているわけだが、当時とはまた違った聴きどころがあって嬉しい。

LPレコードを聴けなくなってからもすでに20年以上になる。CDは2008年発売の紙ジャケ仕様のものだけどずっと聴いてはいなかった。もっとも「店の名はライフ」や「まつりばやし」そして「ホームにて」などは自分の弾き語りを何度も何度も聴いてる。つまりほとんど全楽曲ポップンポールバージョンで記憶してしまっているわけだ(coldsweats01)。

どうしていま聴きなおしているかというと、今年3月に発売された「細野晴臣×坂本龍一 at EX THEATER ROPPONGI 2013.12.21」に触発されたのだった。このライブブルーレイにはもちろん中島みゆきは登場しない。共通項はズバリ、坂本龍一のピアノ(キーボード)だ。

2013年にYMOのメンバーが集まってアコースティックなライブをしたときの映像化だが、これが思いのほか(?)素晴らしかった。派手なパフォーマンスはほぼない。元はといえばMCが上手いわけでもないシャイなオッサンたちなのだ。しかし音楽家として、またバンドとして集まるとその音楽の力に惹き込まれてしまう。音楽だけあればそれでいいと思わせる説得力がある。

そのシャイなMCのなかに坂本教授のピアノ伴奏の話題がちょこっと出てきた。

「ピアノ伴奏が上手い坂本龍一」

そのキーワードが頭の中で「あ・り・が・と・う」に直結したのだった。坂本龍一のピアノ伴奏を中心にこのアルバムを聴きなおしてみたい。そう思った。

いや、いいね!いい。すばらしいな…。確かに伴奏が上手いわ教授 flair

そしてYMOと中島みゆきに同時にはまれた中学生の自分が音楽的に大正解だったと自画自賛(笑)。

サードアルバムとしての「あ・り・が・と・う」が大傑作だということは以前も書いたことがあった。その一端を坂本龍一のピアノが担っていることは疑いの余地なし。

一曲選ぶとしたら「時は流れて」。アルバムの最後の一曲というのは中島みゆきのアルバムにおいてはとても重要だし。ただ、当時のアルバムのクレジットでは坂本龍一がどの曲で演奏しているかといった詳細な情報は掲載されていない(当時はだいたいそんなもの)。しかしこのピアノはまさしく坂本の伴奏に違いないと思わせるフレーズ感があるんで、独断で坂本の伴奏だということで話を進めてまいります。

この曲の歌詞は下世話な言い方をすればフラれ歌と言える。20代の中島みゆきがこんな歌詞を書いているというだけで萌える…。しかしこのときから更に30余年の時が流れたいま、この楽曲が「時代」と「世情」の間に発表されたアルバムのラストに位置づけられたことを思うと、もっと大きな象徴が歌われているような気分にもなる。この時代が失ってしまった何か。だが今日のテーマはそこじゃない。坂本教授のピアノだ。

当時はまだバイト感覚だったかもしれない坂本龍一。しかし若き音楽家の感性は研ぎ澄まされていたのではないだろうか。特にあまり肩にも頭にも力が入ってなくて、感性の赴くままに(言葉は悪いが適当に)弾いている坂本のピアノのさりげない空間の埋め方は教授っぽさ全開!

民俗音楽と現代音楽、そして音響学というふり幅を持つ坂本の独特なコード感が、シンガーソングライター中島みゆきの楽曲の響きに変化を与えていると思う。

坂本龍一の作る音楽はとてもドライに聞こえる。実際はもっと複雑で土着的な部分とかもあるんだけど、それも含めてドライに料理されてる。そのドライさが時に怖いくらいに“効く”ことがある。佐野元春のときにもちょっと書いたが、脳内の化学変化を誘発する緊張感のある響きなのだ。コード理論から話すことは出来ないけれど、そのゾクっとするドライな響きと中島みゆきの本来持っているウエットな響きが不思議と共鳴する「時は流れて」を再発見したような気分になった。

他の楽曲では「店の名はライフ」が持つ不思議なグルーブもちょっと独特だ。アレンジャーの吉野金次は(はっぴいえんどの「風街ろまん」のミキシング等で)ボクにとっては細野晴臣系の音楽人脈でもある。

まったく無意識に聴いて来た別々の音楽が参加ミュージシャンやスタッフによってリンクしていくのは年の功というか、ちゃんと音楽聴いてきて良かったなと思う。YMOと中島みゆきを同じ熱さで聴いているのはオレくらいだろうと思っていた中学生の思い上がりはこうして崩れ去るのだ。だが悔しくない。実に晴れやか。それで平日の深夜にこんなことを書いてみたくなったのだった。

今夜はもう一回「時は流れて」を聴きながら寝たい。今度は中島みゆきと坂本龍一と、そして吉野金次の意図を妄想しながら。

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2015.04.05

佐野元春カジュアルな宴~ビルボードライブ

Moto_live_20150402_231325ロシア料理を堪能した後、二次会感覚で佐野元春ライブ。このゴージャス感はハンパなかったな(笑)。21:30という開始時間もまさに大人、そして都会の雰囲気。東京ミッドタウンのなかにあるビルボードという空間はまさに現代東京を表現するポップカルチャーの断片だ。

佐野元春ビルボードライブへ来たのは昨年に続き2回目。元春ライブについては2011年に「佐野元春 '80年代ポップソングのメッセンジャー」という記事を書いてる。この記事はどこかにリンクされてるようで割とアクセスが切れない。ボクも気に入っててひとくちメモ10周年記念自薦音楽評10選にいれてる(wink)。

今年レコードデビュー35周年の元春だが、25周年のライブのときも2006年4月に「So Young MOTO Live!」で書いてた。松田聖子と同期なのだ(sign01)。ひとくちメモでは聖子の30周年コンサートについても書いてた。聖子も元春作曲の「ハートのイアリング」を歌ってて二人には接点がある。

元春は聖子プロジェクトに参加したときのエピソードを2009年にNHK「THE SONGWRITERS」で語ったことがある。とても興味深い話だった。ボクもポップソングの歌詞について考えた時間だった。日本の'80年代、まさにポップミュージック黄金時代を代表するアーティストのお二人。同時代を生きられてうれしい。

佐野元春は大きなホールで大音響のコンサートを出来るアーティストだが、ビルボードのような空間も似合う。ショービジネスのなかで活躍しながらこうしたカジュアルなライブが出来る稀有な才能だ。それはこの空間に合う楽曲も35年間にいくつも発表してきたからこそだと思う。過去の積み上げがいまこの場所を選んだ。それらの楽曲群に導かれてビルボードという空間がある。

ホールライブとは異なる選曲、編成、環境にマッチする楽曲群。その選び方にも編集力を感じる。東京やニューヨークという都市での生活感覚を写し取った楽曲群、またそんな都市生活へのアンチテーゼとも思える自然(太陽光・フルーツ・草原等々)を希求する楽曲群。カフェのような雰囲気で聴けるピアニシモな音楽はホールライブとは違った手触りがある。

Dr.KyOnの演奏を佐野元春は「同時代に出会うことができた幸せ」と語った。信頼を感じさせる紹介だった。ボクはDr.KyOnを見ているとノッポさんを連想してしまう。あるいはトッド・ラングレン。もしくはその長い手足があやつり人形のようにも見えて機械仕掛けのアンドロイドなんじゃないかと勘繰って天井を見上げてしまう(笑)。魔法使いのような楽しい演奏だ。自己紹介では鉄腕アトムをアレンジして演奏された。まさにDr.KyOnこそがポップミュージックの鉄腕アトムだと思う。

note

時代とともに生きるポップミュージック。それだけに時代の色がつき古びてしまうリスクもある。だがポップミュージックも“歴史”を語られるほどに時代が進み、リスナーも経験を積んだ。シングルカットされリピートされ尽くした楽曲群もあればホールライブやメディアで演奏されることのないアルバムのなかの楽曲群も無数にある。佐野元春のような作家性の強いアーティストならなおさらだ。そんな楽曲群に光をあて、過去をただ回顧するだけではなく再構築・脱構築するアーティストとの幸せな邂逅がビルボードライブにはある。

ビッグビジネスだけを考えればホールコンサートや東京ドームが効率的かもしれない。しかしそこからこぼれた音楽にも価値を見いだせるくらいにボクらも成長した。それはあたかもグローバルからローカルへの視線、成長一本やりの画一社会から成熟した多様な社会への理解にも通じる。ポップミュージックの健全な歴史とともに生きている実感もまたうれしいのだ。

少し強引かもしれないが、佐野元春のビルボードライブは中島みゆきにおける夜会かもしれない。たたずまいは全く異なるが、ホールコンサートにない魅力を発見できる音楽表現の新しい環境探究という意味で。多様性を生みだしたボクらの時代のポップミュージックはまだまだ未来に向けて創造的なのだ。それはビジネスとしてだけでなく多様性の広がりによって。

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