カテゴリー「音楽」の299件の記事

2021/12/17

2021年私家版ことしの漢字

2052021年ももうすぐ終わり。年々早く感じる。今年も新型コロナウィルスは根絶されず。夏には最大級のパンデミックが発生するなか、1年遅れで東京オリンピックが開催された。学生時代に犯罪レベルの障害者いじめをしてそれを雑誌で吹聴していた小山田圭吾の過去が暴露され、開会式の音楽担当をドタキャンするゴシップで幕を開けた。

世界的にワクチン接種は進んだが(私は未接種)、年末にはオミクロン株という変異種が再び猛威を振るっている。早期ワクチン接種していた国ほどパンデミックが進行中。個人的には破裂音の多い言語の国で感染拡大しているように見える。ワクチン接種で周回遅れ、言語に破裂音も少なく多くの民がマスクをしている日本で感染は広がっていないが、感染第6波がいつ来るか予断を許さない年末を迎える。早く経口治療薬が開発されてほしい。イベルメクチンの研究も進んで欲しい。

実体経済では世界的なコンテナ物流が滞留し長期インフレが始まった様相。ここでも幸か不幸か日本は周回遅れだが、来年以降、日本はグローバル経済の渦中でスタグフレーション(不況下での物価上昇)に陥るリスクが高い。粉飾された日本株の落としどころも見つからない。先の読みずらい時代に突入している。

というわけで今年の漢字は「読」にしたわけではなく、今年は読書が豊作の年だった。その印象から「読」を選んだ画像は毎年おなじみの漢字辞典オンラインさんから引用してます)。

●今年の読書は豊作だった

結婚してから読書をする時間がずいぶん減った。音楽を聴く時間も減った。ドラマを見る時間は増えた(笑)。二人での外出もずいぶん増えた。時間の使い方が変わったわけだ。

昔は一度に何冊も購入し、斜め読みや積読状態になっていた読書習慣が、たまに読める時間にしっかり一冊を読む習慣に変わった。だから大量買いもしなくなった。それでも並行して3冊くらいは読むわけだが、読書にあてる時間が少ない分、ちゃんと読もうという気持ちになる。渇望こそ意欲の源なのだ。これは良い傾向なのではないか。最近はこの習慣に慣れてきた。

今年読んだ書物には有意義なものが多かった。ビジネス書も珍しく読み物として読める書物を読めた。

起業の天才
Dark Horse
失敗の殿堂
良い戦略 悪い戦略

ビジネス書のうち3冊が翻訳モノというあたりが、日本と私との乖離を表しているのかも。

ビジネス書以外にも、松本清張の『砂の器(上・下)』をあらためて小説で読み地図でも読んだ。昨年末の『チーム』からの流れで堂場瞬一『ヒート』も読了、清武英利『後列のひと』はいま読んでいる一冊。SF小説かビジネス書かというヤニス・バルファキス『クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界』もいまコスタに感情移入しながら読んでいる。

音楽書も豊作の年だった。1月は門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』、2月にロバート・ヒルバーン『ポール・サイモン 音楽と人生を語る』という良書で始まった今年。サイモン&ガーファンクルのCD全集とか、若きポール・サイモンの「ソング・ブック」も買ってしまった。

その後、近田春夫『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』を読み、田家秀樹『風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年』と続いて読了。松本隆さんトリビュートアルバム「風街に連れてって!」の初回特典本も重要なMOOKといえる。そしてこの年末(あるいは年始になりそうだが)に、中部博『プカプカ 西岡恭蔵伝』という分厚い書物を読んでいく予定。

おっと、忘れちゃならない、3月には『昭和40年男』Vol.66号が発売された。中島みゆきさんの歌詞に出てくる女たちについて書かせてもらった。「中島みゆきを語る」という仕事は、中島みゆきさんと深い信頼関係にあるライターさん以外には手を出しにくい“分野”なんだと思う。それ以外のライターは周辺を語ることしか出来ず、おいそれと受けられる仕事じゃないんだろう。そんな状況の中、数十年来のファンで無邪気に「書きたい!」と妄想している私は、実は稀有な書き手なのかもしれない…。

こんな感じで、読めなくなったというわりに、紹介していない本も含めて結構ちゃんと読めていた。さらに雑誌に書いてもいるわけで、「読んでくださった皆さん、ありがとう!」の思いも込めつつの、今年の漢字「読」なのであります。

| | | コメント (0)

2021/03/28

番外編!中島みゆき「あした天気になれ」をあらためて妄想するの巻

『昭和40年男』はもう読んでいただけましたか?!「悪女」から紐解いた、中島みゆきの歌に出てくるカッコいい女たちを僕なりの妄想で書きました。

その前半では「悪女」「わかれうた」「彼女の生き方」と来て「あした天気になれ」へと連なる女たちを、涙を縦糸にして、リミックスを作るかのごとく語ってみた次第です。

一曲の歌詞を解釈することと、複数の歌を関連づけて新しい視点を見つけていくこととは、妄想とはいえ全く違うアプローチですわ。だから、この編み方でピックアップ出来なかった単体の歌詞について、それぞれ語りたいことが出て来たりして。

そこで今回は『昭和40年男』のコラムで削った単体の「あした天気になれ」を、もう一度考えてみたいと思った次第です。なんにつけ一応は妄想的解釈をするのが癖なんです。

●あしたとあたし、天気と元気

それにしてもこの歌詞、昔ながらの言い方になりますが、一番の歌詞と二番の歌詞とでテイストが違い過ぎませんか。

一番は抽象的な自己分析で、二番はそれを具体的に宝くじに例えて解説してる感じ。だけど、それぞれのサビは逆に一番が具体的な天気の話、二番が愛や孤独と精神的な話です。

とくに唐突感があるのは『昭和40年男』にも書きましたが、二番の愛と孤独です。これが一番のサビならまだ分かりやすい気がしますが、そこは中島みゆきさんです。分かりやすくはしません。たぶん。だけど、これもコラムに書いた通り、二番のサビこそが外せない核だと僕は確信してるので、ここを起点に様々な仕掛けがあるはずだと妄想スイッチが入ってしまいます。

「あした天気になれ」は「あたし元気になれ」かもしれないと考えた人は結構いますよね。たぶん。僕もそう思います。あしたが漢字で明日だとそうは考えませんが、あえてひらがなですから。僕はおこと教室の看板をおとこ教室と見間違ったことがあります。妄想脳の宿命です。話がそれました…。

絶望的観測が癖だけど夢も欲もある主人公は、まずネガティブな思考から入って、失敗を恐れて予防線張りまくり、他人には卑屈になって謙遜しまくりの人生を送っています。だけど希望は捨ててない。夢も欲もかなうはずがないと人には言いながら、心のなかではかなえたいと強く思ってる。ここまでは一般論として共感しやすい。

と、ここで「雨が好きです 雨が好きです あした天気になれ」というタイトルフレーズが出て来ます。雨が好きなのに天気になれと願う矛盾をどう解釈しましょうか。

●涙は次へのステップという公式

『昭和40年男』のコラムでは、中島みゆきの歌の女たちの涙は次へのステップという“公式”を編み出しました。これを使ってみたい。

サビで「あした天気になれ」が出てくる直前に、泣いてばかりじゃ嫌になると感情を吐露してますよね。これは世間への投げやりな捨てゼリフにも見えますが、本心が零れた瞬間だと思うんです。

この主人公は泣いてばかりじゃ嫌になるけれど、きっと泣いてばかりの人生で、だけど泣いてる自分が嫌いではないんじゃないか。たぶん。ついでにいえば孤独な自分も嫌いじゃない。それは自分が自分でいられる時間だから。世間体ばかり気にして生きてる自分が本当の自分に戻れるのは孤独に泣いてるときだけだから。そう思うわけです。

ここまで来ると僕の妄想もグルーブします。「あした天気になれ」が「あたし元気になれ」だとしたら、「雨」は「涙」なんじゃないか。本心は「涙が好きです 涙が好きです あたし孤独になれ」なんじゃないか。さらに、この孤独な涙の先に、試練を乗り越えた強い自分が生まれると主人公は信じているのではないか。だから、いわば通過儀礼として「孤独になれ」と強い願望もしくは命令調なんだと妄想が妄想を呼びます。

「あした天気になあれ」というちばてつやさんのゴルフ漫画があります。こっちは「なあれ」というゆるい願望です。でも中島みゆきさんのこの歌詞で「なあれ」は有り得ないわけです。強く「なれ」と言わなければ済まない信念があるはずなんです。「天気になあれ」はまぁあるでしょうけど、「孤独になあれ」なんてぬるいことは言えないわけです。

そして核である二番のサビも「愛が好きです 愛が好きです あたし元気になれ」が初稿なんじゃないかと妄想は止まりません。愛は孤独では存在出来ない概念です。自己愛を除いて。主人公の好きな「愛」には自己愛ももちろんあるけれど、叫ぶほどの「愛」は人間関係のなかにしかない「愛」でしょう。孤独に泣いた「涙」の先にある「愛」は孤独ではいられない。元気になった「あたし」の前に屹立する存在でなければならない訳です。

ここまでを整理すると、論理的には一番で孤独に涙を流し、二番で元気になって愛に立ち向かうほうが、時系列に沿った物語になります。しかし面白みがない。ハッとする瞬間がない。これは日記じゃなくて大衆歌謡なんだから仕掛けが必須です。

そこでまず、涙(なみだ)を雨(あめ)に置き換える。この方が語感として「愛が好きです」と対にしやすい。そして「あたし元気になれ」を「あした天気になれ」と天気で例えることで歌詞として統一感を出せるとともに、ここに一つの矛盾した感情、つまり雨が好きだけどあした天気になれと願う感情を提示します。

その結果、「孤独になれ」が一番から弾かれたけど、これを「愛が好きです」に無理くり紐付けると、ある種のギミックというか、「愛が好きなのになんで孤独になれなんて言うんだ?」とリスナーを幻惑させる仕掛けになる。しかし一番の歌詞で矛盾した感情を天気に例えた後なので、おなじ構造でなんとなく受け入れやすい。大衆歌謡としてはそこで終わっても成立するけれど、これを聴いた僕みたいな妄想脳は「愛と孤独」という現代的なテーマに思いを馳せたり出来るわけです。

倒置とか嘘と本当の転倒は中島みゆきさんの歌詞には多い気がします。統計取ったわけじゃないけど。その裏には真実らしさと時にうらはらな人間の感情への視線や愛おしさがおそらくあって、どちらもアリだと考えていらっしゃるんではないか。だから事実と嘘とがたとえ入れ替わっても、感情(歌詞)は成立するという信念があるように思うんです。

中島みゆきさんの歌は、置き換えと比喩とがパズルのように組まれている、いやあえて完成させてないパズルをリスナーにポーンと渡されてる感覚を僕は持ってます。もしかするとパズルのピースを何個か隠し持ってるみゆきさんの姿まで思い浮かびます。その欠けたピースを自分で作って埋めていく作業が楽しい。妄想的歌詞解釈の醍醐味です。まぁ富士山のパズルがバームクーヘンの断面のパズルになっちゃうかもしれないけど、それでいいんです。

●宝くじあるあるの必然性

さて、残ったのが、宝くじあるあるの二番の歌詞です。一番が抽象的だったから、分かりやすい大衆歌謡にするための説明といえばそうかもしれませんが、二番のサビ以外を全部使って丁寧に説明してるのは、中島みゆきさんの歌詞としては異例の親切さです。そこまで噛み砕かなくても分かりますからね。そこが逆に引っかかる。

で、これは説明のためというよりも、延々と続く世間話(社会あるいは世情)の象徴としてこの冗長性を置いたのではないかと思うわけです。その下世話な世間のなかで生きていく処世術を主人公もまた延々と続けることでしか受け入れてくれないこの人間世界が厳然とあり、「愛」もまた、その世界にしか存在しないというパースペクティブを読み取りました。妄想ですけど。

世間とつながるために宝くじあるあるみたいな話を延々と続け、しかしそのなかに自分自身の真実を織り込むひとり遊びをしながら、「愛が好きです」と心の中で叫び、日々孤独に泣いては「あたし元気になれ」と自分自身を鼓舞して、また人間社会に戻っていく。あたかも「悪女」の主人公が一番電車で泣いてまた悪女を演じるかのように…。人生はその繰り返しなのです。たぶん。いつか「愛」が見つかると信じて。

 

というわけで「あした天気になれ」を妄想解釈してみました。他の楽曲、この流れでいけば「彼女の生き方」なんかも、その背景とか妄想はどんどん膨らむんですけれど、機会があればまたいつか。

| | | コメント (0)

2021/03/07

『昭和40年男』で中島みゆきの歌に出てくる女たちを妄想

令和3年3月11日発売の隔月刊誌『昭和40年男』(Vol.66号)の特集は「俺たちをゾクゾクさせたカッコいい女たち」だ。この雑誌の基本は定期購読だけどコンビニや書店でもよく見かける。同世代なので目につきやすいのかもしれない。兄弟誌に『昭和50年男』もあり、もうすぐ『昭和45年女』も創刊されるらしい。ニッチだね。

毎回凝った特集が組まれるが、変わってるのは次号予告が載らないこと。次号発売日の数日前まで、どんな特集かは秘密になっていて、発売直前に編集長が公式ブログでつぶやき、読者は初めて特集を知る。メイン読者が定期購読の雑誌だからこそ出来る大胆な仕掛けかもしれない。

今回は3月6日(土)にコンテンツ情報が解禁された。表紙は小泉今日子さんだ。いや~、カッコいい女の代表にふさわしい人選だね。これは店頭でも売れそうだと直感したが、実はこの第66号がどんな特集かをボクは事前に知っていた。なぜなら今号に「中島みゆきの歌に出てくる女たち」を書いたから!

9年前に『ねこみみ』というムックが発売され、そこに「中島みゆきの歌詞に住む猫」というマニアックなコラムを書かせてもらったのだけど、そのときの編集者さんつながりで、今回のコラムを昨年12月に依頼された。その日は占星術界隈では約240年ぶりに風の時代に転換する日だった(いわゆるエレメントが変わるグレートコンジャンクション)。ちょっと風に吹かれてみたくなりお受けした(なーんて)。

今回のお題は「カッコいい女たち」の文脈で中島みゆきの歌に出て来る女たちを語ったわけだが、面白くも難しい課題だった。書いてるうちに、歌に出て来る女たちと中島みゆきさんご本人とがごっちゃになり、無意識に中島みゆき論になりがちだから。そこを意識的に書き分けることが僕なりの歌詞論でもあるので頑張った。

また、昔から(そして今回のプロフィールでも)“妄想的歌詞解釈”なんて言ってるわけだが、これはそもそも歌詞解釈に正解などないという大前提のなかで、それでもメディアに言説を流している言い訳だ。照れ隠しともいえる。

今回は「夜会」に敬意を表して、僕なりの言葉の実験劇場というか、「中島みゆきの歌に出て来る女たち」をテーマに、歌の女たちによるリミックス作品を創作する気持ちで書いた。初期の「夜会」がやろうとした構造をコラムという形式のなかでやってみようというささやかな裏テーマが僕のなかにはあった。

高校時代からこすぎじゅんいちさん(故人)や田家秀樹さんの中島みゆき本を読んできたボクにとって、文章で中島みゆきさんを語りそれをメディアに載せてもらえるなんて夢のよう。こうして昔の縁で声をかけてもらえるのは中島みゆきファン冥利に尽きる。それだけにボクなりの書き味で雑誌のバラエティに貢献したいと思って書いたつもり。ファンとして生きた時代に小さな足あとを残せた感があって…。まぁ残していいものはひとつだけなのではあるが、それも含めて今号を中島みゆきファンにも中島みゆきさんにも読んでもらいたい!

ちなみに目次を見ると、カッコいい女たち特集の各パートのなかで、中島みゆきさんとユーミンとがペアになってるのにお気づきだろう。「松任谷由実の歌に出てくる女たち」があることは、原稿を書き上げてからゲラのリードを見て知った。先に知っていたら肩に力がはいっただろうか!?うーん、早く読みたい。

| | | コメント (0)

2019/03/10

細野晴臣あらためホチョノ・ハルオミを聴く

今日は妻が友人に誘われてユーミンの武道館コンサートに行って留守なので、オレも自宅で音楽を大音響で堪能しようと、買ったばかりの「HOCHONO HOUSE」を聴きはじめた。

名盤「HOSONO HOUSE」から46年後にセルフカヴァとして発売された「HOCHONO HOUSE」だが、そのジャケットからして、ただでは済まないだろうという予感はあった()。昨今の細野さんの生音志向とは一線を画し、「S-F-X」を彷彿とさせるテクノ感ムンムンのジャケ写真だ。

HOSONO HOUSE」のカヴァーなんだからあえてテクノである必要はないとも思ったし、あえてテクノを介在させることで21世紀の生音志向から何らかの揺り戻しメッセージがあるのかとも思った。そして細野がホチョノにならなければならなかった理由はなんなのか…。

それらの疑問や興味への応えは、ご自身によるライナーノーツでも一部明らかにされたと思う。いや、明らかにされたというより、現在進行形の細野晴臣という生身の音楽家による、自問自答の宅録がドキュメンタリーのようにパッケージングされた、気持ちの良いプライベート作品といった趣きだった。

この「プライベート作品」という趣きこそが「HOSONO HOUSE」のコアだったと思う。その意識が時を超えて同じ感覚で作品になったことがうれしい。

打ち込みあり生音ありかつてのライブ録音あり、また歌詞の一部書き換えにもドキュメンタリー感がある。真摯に作品に向き合おうとする心持ちの暖かさ。それをサービス精神といってもいいかもしれない。細野ファンにとってかゆいところに手が届くアルバムだと思う。

音楽の方法論は様々で時代との格闘はあるにせよ、「HOSONO HOUSE」にパッケージングされた若き細野晴臣の意識を、ベテランのホチョノ・ハルオミが恥かしがりながらもちゃんと汲み上げてる(持ち続けてる)ことのうれしさ。好きな音楽家がこうやって作品を作ってくれることがうれしい。

「HOSONO HOUSE」のファンにとって、このようなカヴァの方法論を受け入れられないといった声はあるだろうか?よくリメイクやリミックスなんかだとオリジナルのほうがいいとかそういう声が必ず出てくるわけだが。

しかしこれはホチョノ・ハルオミプロデュースの別物であり、当然のことながら「HOSONO HOUSE」を知り尽くした本人による現時点の音楽的実験と受け止めたい。ライナーノーツにもその苦しみが自嘲的にホチョノワールドを生み出したことが書いてあった。

今回の楽曲のなかで特筆したいのは「終わりの季節」だ。ご本人も「意表を突くとはこういうことだろう。」と書かれているが、いい意味で裏切られた。素晴らしい 演奏者細野晴臣を堪能できる。こういうのをベースヴァージョンでも作ってくれないだろうか。ミック・カーンみたいな感じで。

そして「恋は桃色」だ。テクノへの関わり方が、やはり一般大衆の耳とはずいぶん異なる細野ワールドだ。それが70年代の自身の楽曲に重なったとしても、決して“あの頃”(80年代)のテクノではなく、やはり地続きの細野ワールドであって、違和感を感じない。

逆にいうと、テクノというジャンルを創造した中心人物が、打ち込みではあってもほぼテクノ(テクノポップ)ではなかったんだと再認識させられる。あるいはテクノとは単に音楽創作上の手続きでしかなく、細野ワールドにおいてはジャンルではなかったんじゃないかと今なら思える。

なにはともあれ、細野ワールドに半身浴しつづけてきた私の人生だったし、テクノという鏡の裏表=過去と未来がつながったテクノの国のホチョノが聴けて良かった。

「HOCHONO HOUSE」を2周聞き終えて、「メディスン・コンピレーション」を聴きはじめた。この後は「オムニ・サイトシーイング」を聴きたい。どっちも10年前にリマスタリングが発売され、ひとくちメモでそれを喜んだCDだ。今日は自宅でホチョノコンサートなのだ

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/06/10

松田聖子コンサート Merry-go-round2018

Seiko_merrygoround2018昨日6月9日(土)、松田聖子の芸能生活39周年目のコンサートツアー初日を妻と観に行った。

微妙に聖子世代ではない妻に聖子バイブルDVDを見せ、午前中にはradikoタイムフリーで、前日放送された「松田聖子のオールナイトニッポンゴールド」を一緒に聞いて予習した(笑)。

さいたまスーパーアリーナで聖子を見たのは16年ぶり。前回は2002年のジュエリーボックスツアーだった。SAYAKAが初めてステージに立ったあの日だ。その頃はまだブログがなく、オレはホームページで熱く語っていた

その後、2010年の武道館30周年、2014年の武道館プレ35周年と観に行き、今回またさいたまスーパーアリーナへとメリーゴーランドのように()巡って来た。プレ40周年ともいえる。

聖子はさいたまスーパーアリーナを初日に選ぶことが多い。どうしてだろう。基本的に始めたことを継続するのが好きな性格のようだから、ツアー中の食事はこれ、トレーニングはこう、初日はここ、みたいなルーティーンがあるのかもしれない。イチローを連想させる聖子のストイックさ。

コンサートは新作アルバムの「Merry-go-round」からの新曲と、アコースティックコーナー、往年のヒットメドレーという感じで、もはや大御所の貫禄すら漂う黄金律のステージとなっている。

新作はここ最近の聖子アルバムのなかでも評価が高くなるんじゃないか。もはやシンガーソングライターとなって作詞作曲も聖子がやっているが、アレンジャーさんが聖子ワールドに仕上げてくるのでコンサートのオープニングを飾るいい楽曲が揃っていた。バラードもいいけど、やっぱキラキラサウンドをたくさん聴きたい。

アコースティックコーナーは、ギターがエレアコなだけでバンドが入っているので、かなり幅広く選曲でき、自由度の高いコーナーで毎回楽しい。武道館で見た時はリクエストコーナーになっていて、リクエスト曲を垂れ幕で書いてくる猛者が数多くいて引いたが()、さすがにアリーナレベルではそうもいかないのだろう。

赤いスイートピーのガラパゴス的な進化は特筆に値する。北朝鮮のマスゲームに匹敵するのではないか。アリーナが真っ赤なお花畑になってしまう。

「赤いスイートピーについては皆さん、プロでいらっしゃるから~」と聖子も舌を巻く風物詩となっている。オフィシャルグッズにも造花の赤いスイートピーがある。改良に改良を重ね、今回専用ケースも開発された(ケースだけの単品売り有り)。カバンから取り出すのも仕舞うのも素早い聖子ファンのお家芸。その進化を確認するのも楽しい。

後半のヒットパレードは何回聴いても飽きない。こちらも年を取ったせいだろう、青い珊瑚礁には年々グッと来てしまう()。

そして聖子のMCは特筆すべきだ。コンサートDVDには残らない部分だけに貴重な語りだが、映像化でここを落とすのはもったいない気もする…。まぁそれを面白がってるぶっちゃけトークだから面白いという面もあるけれど。

昔のフォークソングの歌手には、語りがメインの人がいた(笑)。語りと語りの合間に歌うかのようなステージで客もその語りを楽しみにしてる。聖子のステージには、そんなしゃべりの面白さ、客いじりの面白さもある。初めて聖子のコンサートを見た妻も、聖子のしゃべりにゲラゲラ笑っていた。

松田聖子の健全さは、ステージへの責任感からめっちゃ感じる。十代でアイドル歌手になりちやほやされて生活が乱れて消えていく少女はたくさんいる。トップアイドルの中にも変なお仲間とつるんで落ちていく人が何人もいた。20代までのトラップはそういうところにあるが、聖子はまったく健全にアイドルを全うした。

アイドルとして堕落しなくても、今度は人気商売特有の問題が待っている。特に女性アイドルの場合は、そこから女優転身だったり、様々な資格を取って本でも書いてみたり、結婚して子どもを産んでママタレになったり、芸能界の居場所を探して模索する時期が来る。ここでも聖子は歌手だった。

アメリカ進出とかバッシングとかいろいろ芸能ゴシップ的にメディアで取り上げられる時期もあったが、本人のなかではきっと歌手という線からはまったくブレてなかったんじゃないだろうか。そしてバッシングをかいくぐった先に圧倒的な女性支持が待っていた。普遍的な愛を歌うバラード群は、働く女性に夢の体現と癒しとをもたらした(気がする)。

昨日のコンサートについてのツイートを観ていると、奥さんが聖子ファンで連れていかれる夫のつぶやきもあった。いまでこそ女子のアイコン的アイドルは成立しているが、80年代に活躍した元女性アイドルでは考えられない。誰も想像できなかったはずだ。そういう意味でも聖子の切り開いてきた地平は唯一無二のパイオニアだったと思う。

芸能史のなかでは、松田聖子こそが美空ひばりの正当な後継者なんじゃないかと思う。時代そのもの。この時代に生まれて松田聖子のコンサートに参加できた幸せ。40年に渡りアリーナを埋め尽くし、会場がみんな歌える歌があり、しゃべりで会場を笑顔に出来る歌姫。

来年は40周年なのでチケットがとりにくい可能性はあるが、もし取れたら来年も行きたい。

この日のさいたまスーパーアリーナはDVD化される。オモシロトークはほぼカットのようだが、聖子が言った「皆さんとの思い出映像」を妻とホームシアターで楽しみたいと思った。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/30

Beautifulでキャロル・キングと平原綾香の魅力を再発見!

Beautiful_20170729_151519

7月29日(土)12:30 時間ピッタリに開演したBeautifulを鑑賞しました。このミュージカルは、希代のメロディ・メーカーといえるキャロル・キングが16歳(1958年)でデビューした頃から、職業作曲家としての成功を経て、1971年発表の名作ソロアルバム「「つづれおり(Tapestry)」で2度目の大成功を収めた頃までを描いています。タイトルは、「つづれおり」に収録されている同名曲ですね。

このミュージカルを知ったのは、水樹奈々ファンの友人からでした。ひとくちメモの「圧巻!平原綾香コンサート@足利市」をこの友人が読んでいて、ダブルキャストでのミュージカルがあるという話を昨年聞いていました。このミュージカルが水樹奈々さんと平原綾香さんのダブルキャストだということが、このミュージカルに出会えた縁だったわけです。

水樹奈々ファンクラブで先行購入していた友人に、帝劇のネット会員になれば一般発売より前に買えると聞きさっそく会員になり2枚購入しました。私はもちろん平原綾香さん主演の公演分です。その時はまだ挙式前でしたが、ミュージカルは挙式後というタイミングだったので妻と行こうと思いまして。それが昨日、実現して良かったです()。

●キャロル・キングをすっかり誤解していたボクのリスナー人生

キャロル・キングをちゃんと知ったのは、もしかすると1990年代だったかもしれません。当時の仕事絡みで「君の友だち(You've Got a Friend)」を聴いたのが最初だったような気がします。超名曲ですよね~。つまりシンガーソングライターとして認識したのでした。

1970年代の米国ミュージックシーンというのは、ボクの頭の中では、病んだアメリカのヒッピーにドラッグにと精神的な負のパワーが渦巻き、サイケでアングラな名作が創作されているようなイメージでした(どんな頭しとんねんとかいわない)。曲はいいけど、生き方には共感できない…みたいなミュージシャンがたくさんいました。もちろんそういう不良に憧れてもいましたけども。

逆に日本では、ちょうど米国で廃れて来た'60年代のポップミュージックの手法を輸入したような楽曲が、日本流に調理され、歌謡曲となっていました。どっちかといえばボクは、そんな明るく楽しい歌謡曲黄金時代にドップリ浸かって来た子どもでした。その後、'80年代にはシンガーソングライター全盛でそういう音楽にはまっていくわけで、ちょうど10年くらい米国の後ろをついていくような音楽体験を過ごしてきた子どもでした。

そんな背景のボクが、'90年代に「つづれおり」のジャケットを初めてみた時、この人も病んだアメリカでフォークを歌ってた人なのだろうなと思ったんです。

でも違いました。このミュージカル「ビューティフル」で描かれたキャロル・キングはそういう人ではまったくなく、基本的には品行方正な人でした()。そしてアメリカのポップス黄金時代を作り上げたヒット作曲家だったわけです。

●珠玉のポップミュージック三昧

ロコモーションはたぶん子どもの頃から聞いていたし、その他のドリフターズなんかも、土曜の夜にババンババンバンバン、ってそっちじゃない本家ドリフターズも聴いていて、いわゆるオールディーズのただただ明るく楽しいポップソングの数々には親しんでいました。

たとえば、Some Kind of Wonderful という The Drifters の名曲がありますが、このバックコーラス(合いの手?)の「ワンダフル」ってところは、いまの日本ではコントでしか見ることが出来ません。だけどそれをピュアに音楽として楽しめていた時代ってのがとても愛おしい。あらゆるものを笑いに昇華する日本のすごさとは別にね。

で、それらの楽曲とキャロル・キングのイメージとはまったく重なっていなくて、作曲がキャロル・キングだと知ってかなり驚いたわけです。いわばはっぴいえんどからアイドル歌謡の作詞家になった松本隆さんの逆バージョンといいましょうか…。

それでキャロル・キングの作品がまとめて聴ける3枚組CDなんかで後追いしたりして。すると本当にオールディーズのヒットメーカーとしてのキャロル・キングの偉大さがようやく飲み込めたわけです。

そんなキャロル・キングの明るく楽しいポップスの数々が、このミュージカルではテンコ盛りでした。「ワンダフル」もキッチリ決めてくれました。その他、聴いたことあるかないかわからないけど懐かしいメロディの数々。ぜんぶキャロル・キングのオールディーズ。それが日本語訳されて歌われました。

日本語の歌詞で歌われても違和感はなかったです。これは訳詞を湯川れい子さんが担当されたのが大きいように思いますね。アメリカンポップスを知り尽くした方ですから。

キャロル・キングと仕事上も私生活もパートナーだったジェリー・ゴフィンは作詞家なので、歌詞をちゃんと伝える必要がこのミュージカルにはあったんだと思います。

観客の年齢層も結構高めだったのですが、オールディーズファンも多かったのかなと思いました。ヒット曲の裏側にある作家の苦悩や生活をエンターティメントとして見せるこの作品は米国でも人気だそうです。

●そして平原綾香のオールディーズを堪能

そんなキャロル・キングを平原綾香が演じるとどうなるのだろう。期待は膨らみます。平原綾香さんはクラシックのイメージが定着している気もしますが、ボクにとってはポップスの歌姫です。そして品行方正なミュージシャンのひとりですね。

演技は昔ドラマで少しだけ見ましたが、今回のキャロル・キングはまったく違った役どころで16歳の音楽大好き少女から演じられていたわけですが、はまり役でしたね。もともと結構早口で可愛らしいしゃべりをする人だと思うので()、それがアメリカの(ドラマ青春白書的な)ティーンエイジャー感にぴったりでした。

歌のパートは安心して聴けますが、しかしミュージカルの特性で、より感情をデフォルメするような面もあると思うのです。それはコンサートで魅せる歌唱とは違う魅力がありました。

少女のウキウキしたような歌声だったり、ヒット曲をつくろうと希望に燃えてる歌声だったり、別れの歌声だったり、成功をおさめた堂々たる歌声だったり。変幻自在の歌唱力が求められるミュージカルというところに、なるほど水樹奈々と平原綾香がダブルキャストで選ばれたんだなと納得しましたね。お二人とも声色の魔術師(?)。

キャロル・キングの「つづれおり」は女の一代記のような面のあるコンセプト・アルバムとも言えますが、それらの楽曲と他の歌手に提供した数々のヒット曲とによって、あらためてキャロル・キングの半生を描き出すこの作品。面白くないはずがないです。

共演者の皆さんもさすがの演技力に歌唱力。作詞家でキャロルの親友シンシア・ワイル役はソニンです。ソニンの成長にはちょっと涙が出そうでしたね。いい役者になったなぁと思って。その夫で作曲家バリー・マン役の中川 晃教さんも面白いキャラクターの役柄で息もぴったりでした。ソニンの他の作品も見たくなりましたね。

映画以外のミュージカルを初めて観たんです。みゆきさんの夜会はミュージカルじゃないから。でもこのビューティフルも楽曲の使い方はいわゆるミュージカルとはちょっと違うかも。必然的な歌パートが多かったです。舞台の緊張感とか一体感とかライブな感じはいいものですね。ミュージカル初体験がこの平原綾香主演のビューティフルで本当に良かったと思います。平原さんの活動の幅も確実に広がっていく気もしますね。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/09/22

白井貴子「北山修/きたやまおさむ」を歌う!

先日、ジャニス・ジョプリンの映画を観てからジャニスのアルバムをずっと聴いていた。ジャニスといえばライブの女王、ライブの女王といえば白井貴子、ボクの妄想脳はそんな連想から白井貴子&クレイジーボーイズのChanceを頭の中で鳴らし始めたのだった。

80年代半ば、ボクは近所の大学の学園祭主催のライブで見た白井貴子さんに夢中になった。その白井貴子さんが今年デビュー35周年で新しいアルバム「涙河」を出されていたと知ったのは、妄想脳によるジャニスからの連想がきっかけだった()。

たぶん80年代のボクはいろんなジャンルの音楽をいろんなミュージシャンを通じて吸収していた時期で、妄想脳もそのころ出来上がった。今年また白井貴子さんの新作に出会ったのは必然のような気がする。

しかし、その内容には驚いた。フォークルの北山修さんの歌詞をロックシンガー白井貴子が歌うというコンセプトアルバムだったのだ。お二人の対談も実に興味深く読んだ。

この二人の組み合わせは正直、妄想すらしたことがなかった。お二人の作品には親しんできたけれど交わることはなかった。それだけに、これは聴いてみなくちゃと思った。

このアルバムで初めて白井貴子を聴いた人は、この歌手が学園祭の女王と言われたロックシンガーだとは気づかないかもしれない。

でも、しっくりくる。白井貴子さんの声はもともとジャニスのようにシャウトしない。クリアトーンで語りかけるような歌い手だった。それはロックシンガーとしてデビューした頃から変らないと思う。許しておくれニューヨークシティ この街にもいられないと歌われると「いさせてあげて!」と願ったものだ(

35年の時を経て北山修さんの歌詞と出会ったこのアルバムを聴くと、言葉がはっきりと届く彼女の歌声がとても心地いい。

●異色な新曲「返信をください」

新曲もカヴァも、スッと楽曲の世界に入っていける。北山修さんの歌詞は普遍的な言葉で時代を超えて歌い継がれるものが多い。そんななかで、新曲の「返信をください」は異色だ。

留守電、携帯電話、ネットの海、バッテリーの赤ランプ、インターネット、そしてスマホ…。これらのワードは時とともに陳腐化していくリスクがある。時代の準拠枠がなければ理解されなくなる。それをあえて持ってきた意図はどこにあるんだろう。

そこにボクは同時代性の挿入という意味付けをしてみたい。このアルバムは新曲3曲と11曲のカヴァで構成されている。北山修作詞の歌謡曲やフォークソングの名曲がいくつもカヴァされ、それらの楽曲の歌詞はほぼ普遍性に満ちている。

普遍的な言葉を選んで大きなメッセージを届ける北山修の詞のなかに「返信をください」を新曲として置くことで、このアルバムがスマホの時代、インターネットという言葉が詞になる時代の作品であるという痕跡が残る。いや、残そうとしたんじゃないかと感じた。

「次世代に歌い継いでもらいたい」という北山修さんのコンセプトがある一方で、21世紀前半の愛情表現やコミュニケーションの危うさを背景とした、こういう時代のアルバムであることを刻印する楽曲「返信をください」は異色だけど印象的。

●あの素晴しい愛をもう一度

北山修さんは今年70歳。吉田拓郎も70歳。戦後の大衆芸能のビッグネームがますます精力的に活動されてると嬉しい。カヴァのなかには「さらば恋人」が入っているが、この曲を歌っていた堺正章さんも70歳だ。皆さん、お元気!

「加藤和彦 北山修」名義の楽曲「あの素晴しい愛をもう一度」も入っている。この曲は誰が歌っても、いつ聴いても、何度聴いても、名曲だと思う。流れるように紡がれた加藤和彦のメロディには隙がない。詞先だと伝え聞く北山修の歌詞の美しさや哀しさがこのメロディを導いたのか。

白井貴子さんが歌う「あの素晴しい愛をもう一度」は原曲に近いアレンジで、彼女のクリアトーンとよくマッチしていた。

「返信をください」という同時代性の楽曲から永遠のスタンダードともいえる「あの素晴しい愛をもう一度」へと続くこの編成にもメッセージを感じる。

というわけで、35周年の白井貴子さんのライブを見たいと思って11月23日の赤坂ブリッツに行くことにした!

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/09/17

映画「ジャニス リトル・ガール・ブルー」でジャニスを偲ぶ

(クリックで拡大)Janis:Little Girl Blue チラシ渋谷のシアター・イメージフォーラムで映画「ジャニス リトル・ガール・ブルー」が封切られた。9月13日(火)、雨も降りやんだので19:15からの上映に向かった。イメージフォーラムはキム・ギドク監督の「アリラン」以来だから4年ぶり。ジャニスの命日10月4日までに、どうしても観ておかなければと思うドキュメンタリー映画だった。

ひとくちメモでジャニスについて書いたのは2005年2月23日。映画「FESTIVAL EXPRESS」を観た日だった。中島みゆきさんの誕生日に「ジャニス!最高だ」とジャニス愛を吐露してしまったわけだが、あれからもう11年も経ってしまった。年月のことを言えば、ジャニスがふいにこの世を去ってから46年になった。もし生きていれば73歳のジャニス。

シャウトするジャニスばあさんを観たかった。あの大阪のおばちゃんみたいな笑い声はきっともっと大きくなって、ドスの効いたシャウトはますます磨きがかかり、ショウビジネス界の"ご意見番"として君臨していたかもしれない。いや、ジャニスのことだから常に話題を提供する側だったかもしれないが、そのすべてを受け止めたかった。

Cd_janis_boxofpearls1999映画「ジャニス リトル・ガール・ブルー」から帰って今日まで、ジャニスの残した数少ないアルバムを時系列に聴いた。1999年に発売された「Box of Pearls」はデビューしたバンド時代も含めて4枚のオリジナルアルバム(とボーナストラック)にレア音源集1枚が収録されていてうってつけ。これはインポート版だけど日本版もあるらしい。

●ジャニスの実像に迫る映画

映画を観た翌日から今日までの4日間、ジャニスの音楽活動のある意味"すべて"を聴いたわけだ。1966~70年、デビューから亡くなるまで4年弱の活動期間を4日間で聴き終えた。そのあまりの短さが悲しい。

映画「JANIS」も昨日DVDで観なおしてみた。こちらもステージやインタビューで構成されたドキュメンタリー映画で、「ジャニス リトル・ガール・ブルー」でも使われていた映像がたくさんある。パワフルなジャニスのステージと、ジャニス本人がインタビューで語った映像が収められている。

そもそも活動期間が短く、残っている映像は少ない。重複せざるを得ない。しかし今回の「ジャニス リトル・ガール・ブルー」はそれらに加えて、未公開映像のほか家族や恋人に送った手紙、関係者へのロングインタビューを交えて構成されていて、より多面的にジャニスに迫っているところが秀逸だった。家族にとっては死後40年以上経ったいまだからこそ話せた話もあることだろう。

ジャニスの学生時代は、彼女の人格形成に大きな影を落としている。いじめや無視が延々と続き、そこから逃れるように音楽の世界にのめり込んでいく。そのとき身近にあった音楽がブルースだったのも運命的。内面から湧き出てくる本物のブルースがシンガーとしてのジャニス・ジョプリンを形成していく。そして虚像と日常とのかい離が始まる。

同窓会後のインタビュー映像は思い出すのも辛い。芸能人としての成功を引っ提げて10年ぶりに戻った故郷は昔と変わらずつらい場所だった。冗談めかしてインタビューに応える顔から時折にじみ出てくる本心。そもそも感受性が強すぎるジャニス。

あえてテレビカメラを連れて同窓会に"凱旋"して見せたジャニス。しかしそこに自身の居場所はなかった。その場でインタビューに答えるジャニスの心はどれほど傷ついただろう。居心地の悪さは同窓会も芸能界も同じだったんじゃないか。

ジャニスが解放されるのはステージの上だけだった。もしかするとステージだけがドラッグなしで生きられる場所だったのかもしれない。日常って怖いね。永遠に続く日常を生きることの恐怖、それはいじめや無視を延々経験して生きてきたジャニスには耐えられない時間だったかもしれない。

もしジャニスが音楽業界的に成功せず、西海岸でアマチュアシンガーのままだったらどうだっただろう。どちらが幸せだったかなんて考えたって仕方ないんだが、やはり孤立してクスリ漬けになり野垂れ死にしていたような気がする。業界での成功は少なくともジャニスには必要な場所だったと思った。

1970年10月4日、ホテルで亡くなっていたジャニス。ヘロインが原因とされているが、この映画の文脈では自殺ではなかったように思える。この年、同窓会での孤独感はあったけれど、「フェスティバル・エクスプレス」で魅せたジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)との会話やセッション、そしてカナダでの圧倒的なステージングを見ると、ようやくビジネスとしての音楽業界で生きるタフネスを身に着けて、いざこれからという時期だったと思えてならない。

●全編に漂うあの時代の音

知ってはいてもあらためてジャニスの辛い日常を見せつけられる映画で、誰にでもおススメとは言い難い。しかし1960~70年代というフォーク、ブルース、ロック、ポップスの花開いた時代に少しでも興味があれば見ておくべき作品だと思う。辛いながらも全編に流れる音楽のカッコよさには酔ってしまう。音楽って罪だね…。

27歳にして時代のアイコンとなった途端の死。まさにここから世間と折り合いをつけて生きていくはずだった。それは遺作となった「パール」の出来の良さからも分かる。心の闇と栄光を抱えてドラッグに走ったが、27歳はまだやり直せる年齢だ。

アルバムの勢いからすればBIG BROTHER & THE HOLDING COMPANY名義の「CHEAP THRILLS」が名盤だと思う。粗削りだけど、ジャニス・ジョプリンがモンタレー・ポップ・フェスで一躍注目を浴び、まさにスターダムを駆け上がっていた頃の作品だ。

しかしこの頃の楽曲はいわば日常の延長線でもがきながらブルースにのめり込むジャニスの叫びでもあった気がする。それだけに生々しく、ジャニスを好きになればなるほど愛おしくなる。

それはメジャーデビューアルバム「Big Brother and the Holding Company featuring Janis Joplin」にも言える。ボクを含めてジャニスのシャウトからジャニス・ジョプリンを認識した人が多いと思うけど、この一曲目の「Bye,Bye Baby」は別人のようだ。例えるならボブ・ディランの「ナッシュビル・スカイライン」を聴いたときの拍子抜け感に似てる()。それも含めて愛おしい。

音楽業界的に成功すると粗削りな勢いが削がれていくのは洋の東西を問わず。ボクはそのことをイカすバンド天国(イカ天)ブームの80年代、嫌というほど味わった。しかしその分、音楽的には洗練されていく。そこでの身の処し方はミュージシャンのバランス感覚にかかってる。言いなりになる部分と捨てちゃいけない部分とのバランス(それを運と言ってもいいが)。

そういう視点からすると、「パール」の洗練はジャニスにとっては福音になるはずだったと思う。ずっと日常の延長でやっていく音楽活動は決して長く続かない。ビジネスとしての割り切りは決してクオリティを落とさないし、ジャニスのように身を切る思いで歌ってきたミュージシャンが世間との安定した関係を築くには必須の過程だったはずだ。もしかするとその割り切りがドラッグとの決別にもつながったかもしれない(これは妄想だけど)。

まさにその階段の一段目に足をかけたまま、ジャニスはドラッグで死んでしまった。

時代といえばそれまでだけど、いじめやドラッグは現代的な問題でもあり、「ジャニス リトル・ガール・ブルー」は、かつてこんなライブの女王がいたという以上に多くの示唆を与えてくれると思う。それは見る人の立場やこれまでの生き方と映し鏡だ。

ジャニスが音楽で生きていくことは、夢はいつか叶うといった類いの安っぽいキャッチフレーズとかけ離れた命がけの叫びの延長だったと思う。芸能の世界はとかく闇を抱えた者を受け入れスターダムに押し上げる。それがまた闇を広げ、その闇が深いほど輝きを増す。ジャニスというパールはそうやってほんの短い期間、輝いた。

この命の短さがジャニス・ジョプリンという虚像をさらに大きくし有名にしたという面はあるのかもしれない。大衆はビジネスでない、ピュアな心を消費したい欲望を常に持ってる。最近も流行ってる感動をありがとうってやつ。

ジャニスも最初は気持ちよくその期待に乗っかった。しかしその先にある絶望にも気づいたはずだ。そしてドラッグ漬けの日常に堕ちた。でも彼女の才能があればもう少し大人になって、この負の連鎖を断ち切り、もっともっと輝けただろう。「パール」にはその片鱗が見えてた。それが悔しいね…。

こうやって書いてる間に、4枚のアルバム全部リピートして聴いてしまった。半日でジャニスの音楽人生を聴いた。ジャニス、やっぱ、あんたは最高だ!!

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/09/11

SONGS 吉田拓郎を見ながらつらつらと人生を語る(?)ブログ

吉田拓郎弾き語りソングブックNHK「SONGS」で吉田拓郎。満を持して登場。吉田拓郎70歳の夏に密着!今年のコンサートに行けないボクにとってはとても貴重な番組だった。この冬にはSONGSスペシャルでライブも放映されるとの告知も。ありがたい。

ボクが最初に吉田拓郎という歌手を知ったのは他でもない、「中島みゆきがファンだった歌手」という認識だった(笑)。中学生の頃だったと思う。谷川俊太郎も吉田拓郎も中島みゆきを通して知ったし、中島みゆきさんが好きな人に才能無き人間はいないという無償の愛だった()。

その認識はいまもこうして続いており、拓郎の曲を自分でも弾き語りしながら吉田拓郎という素晴らしいシンガーの時代に"間に合った"という感覚で生きてきた。ひとくちメモでは「自分で弾き語りたい吉田拓郎20選!」も書いた。

SONGSのインタビュアーには桑子真帆アナウンサー。拓郎が「ブラタモリ」や井上陽水のSONGSを見ていてご指名されたとか。「どうせだったらおじさんたちがお気に入りのそういうヒトにボクもインタビューされたい…。」

もうその語りが拓郎節だ。

桑子真帆アナの声質はとてもまろやかで心地いい。拓郎の声にもちょっと似てる気がした。コンプレッサーがうまく効いてる感じっつーか(伝わるかなこの例え…)。とても穏やかな気持ちで言葉がスッと入ってくる。拓郎ご指名の桑子アナにボクも無償の愛が芽生えた()。

(オファーがあっても)テレビに出ないフォークシンガーというカテゴリーは拓郎から始まった。オファーがなくて出られないシンガーではなく。ボクが中学生の頃はもうこのカテゴリーがブームとなっていて、テレビで歌うフォークシンガーのほうが稀だった。それだけにTBS「ザ・ベストテン」でライブ会場から中継された松山千春を見た時は事件だと思ったほどだ。

それにしても、拓郎がテレビ出演を拒否するきっかけになったという当時の歌番組、そして司会のFさん(歌のうまい大物歌手。元の奥さんはボクが大好きだったオリビア・ハッセー)の功績は大きい。拓郎が最初のテレビ出演でテレビというメディアを気に入り出まくっていたら、たぶんフォークも拓郎も消費されてしまい、その後の繁栄はなかったんじゃないか。

最初にテレビで歌った「マークⅡ」の映像もちょこっと流れた。こんなギターアレンジだったんだ。洋楽好きな若き吉田拓郎らしいギター、なんかかっこいい。

そんな拓郎の転機は50歳の頃。Kinki Kidsの番組へのレギュラー出演。これもボクらにとっては事件だったわけだが、ほとんど違和感なくその場に溶け込んでいた吉田拓郎を見て嬉しく思った。たぶんボクらも年を重ねて寛容になっていたんだろう。「拓郎、テレビなんかに出やがって」とはまったく思わなかった。おそらく吉田拓郎が何をしても許せた。これも無償の愛と言ってもいい。

前に拓郎が明石家さんまの「さんまのまんま」に出演したとき、「金持ちになったら金持ちの歌をうたいなはれぇ!」と言われて大笑いしたことがあった。私小説的なフォークソングを求めているリスナーの気分をさんまさんが表現するとこうなるんだろう。「結婚しようよ」とか「旅の宿」の延長線を。

確かに吉田拓郎の節目節目にある名曲は私小説的な歌詞だったりする。例えば「サマータイムブルースが聴こえる」だったり「全部抱きしめて」だったり、今回の新曲「ぼくのあたらしい歌」もそうだ。ただしこれらの作詞は拓郎自身じゃない。でもその客観性が拓郎自身の歌詞以上に拓郎らしさを伝えることがある。拓郎もそれを楽しんで歌っているように思える。

桑子真帆アナはいま29歳で、拓郎が「人生を語らず」を歌ったのは28歳の頃だった。29歳の桑子アナにとって、20代で人生を語るなんて想像できないという感覚があるようだ。「いまはまだまだ人生を語らず~?当たり前でしょ(笑)」みたいな。この世代間ギャップは面白かった。

これに対して拓郎は、当時の20代は老成していたと応えた。30~50代のおじさんがいいそうなことを語り合っていたと。その感覚、よくわかる。特にフォークソングにかぶれた人間は老成してたんじゃないか。「古い舟を動かせるのは古い水夫じゃないだろう」という自立への強烈な意志があった時代。

ボクは遅れてきたフォークソング狂いのバカ息子だったのだが、やはり一世代上の人たちと話があった()。この効能は社会人になってから実に効いた。2006年のつま恋に行けたのも、年上の拓郎ファンの皆さんとのつながりあってこそだった。

そのつま恋リゾートも今年末で閉店することが決まった。時代はいまや野外フェスが当然となり、一晩かけても歌いきれない(聴き飽きない)ヒット曲を持つ歌手も少なくなった。音楽がビジネスとして成立し、そして静かに衰退を始めている。音楽がこの世から消えてなくなることはおそらくないが、この時代の大衆歌謡、そしてこの時代に生きたボクらはそのうち一人もいなくなる。

大衆音楽の一時代を築いたトップランナーのひとりが吉田拓郎だ。その時代に"間に合った"ボクらは幸せな時代を生きられたと思う。音楽で一体感を得られ、大いに笑い語りあった。今なら人生を語れるかもしれないと語る吉田拓郎。ボクはまだまだ語れない。ただ耳を傾けるだけだ。無償の愛で。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/08/07

テレビ東京「美の巨人たち~ル・コルビュジエ」

上野の国立西洋美術館がル・コルビュジエの17建築のひとつとして世界遺産に登録されて、コルビュジエ建築がまた注目され始めていますね。テレビ東京の「美の巨人たち」でも西洋美術館を採り上げてくれてとても面白かったです。

個人的に最高に良かったのは後半、カプマルタンの休暇小屋のBGMに流れた坂本龍一の「Ballet Mecanique」と「Parolibre」です。実にマッチしてました!いい仕事してますね音楽機械論のサカモトの音楽は住むための機械としてのコルビュジエ建築に親和性が高い気がします。

このParolibreはオリジナル音源だったのかな?テルミンの音かと思ったので、三毛子さんのヴァージョンかもと思ったりして。CDを戸棚にしまい込んでて確認できない…。

サヴォワ邸を観に行ったひとくちメモを前に書いたけど、建築そのものを観光できる建築家はあまり多くない気がします。逆にとても興味を持てる建築に出会ってもなかなかその建築家の名前を探すのは手間がかかります。

先日の箱根プチ散策で訪問したポーラ美術館も、展示された芸術作品だけでなく建築そのものが気に入ったけど、建築家の名前をその場で確認することは出来ませんでした(聞けば教えてくれたんだろうけど)。ちなみにポーラ美術館は日建建設・安田幸一氏(東工大教授)でした。

「美の巨人たち」は30分番組なので、かなりコンパクトなのですがとても整理されてわかりやすい番組でした。建築が採り上げられることは少ないでしょう。西洋美術館に行って作品を紹介しない芸術紹介番組だったわけですわ()。

坂本龍一の音楽とともに紹介されたカプマルタンの休暇小屋は国立西洋美術館が完成する6年前の1951年、コルビュジエが64歳のときに建てた小さな小屋で、これもモデュロールに忠実な建物だそうです。そしてコルビュジエのお墓はこのカプマルタンにあります。彼が最後に愛した土地に建てた小さな小屋と国立西洋美術館とを対比してみせた番組の構成も良かったです。

国立西洋美術館がコルビュジエの作品だってことは最初からわかっていても、身近にあるといつでも行けるという余裕から後回しになってしまいます。だから、ミーハーと言われてもこういう機会に観に行っておくことは人生にとって大切です いつゴジラがやってくるか、いや地震がやってくるか分からないこのご時世でございます。

などと言いつつ、まだ行ってない…。もしかしたらコルビュジエなんて意識してなかった頃に(例えば修学旅行とかで)行ってるかもしれないけど忘れました。もう少しブームが下火になってから行ってみようと思います。涼しい季節に。

その時には「美の巨人たち」で解説されたいくつかのポイントを踏まえつつ、それと絵画・彫刻との関係性にも注目してすべてをじっくり鑑賞してみたいものです。

将来的には17の建築を回る旅もしてみたいけれど、テロリズムの世紀にはなかなか難しいご時世でもございます。建築は平和でなければ成立しないわけで、建築が愛である原点もやはり平和な世の中に立脚したものなんじゃないかと思う今日この頃です。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧