google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 夏旅2023 夫婦編(17)~ 佐喜眞美術館 特別展 ~: ひとくちメモ

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2023/09/03

夏旅2023 夫婦編(17)~ 佐喜眞美術館 特別展 ~

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7月27日(木)の正午前、佐喜眞美術館最寄りの上原バス停に近づく頃、雨が降り始めた。バスを降りて美術館まで徒歩5分。美術館の玄関に着くころに大雨になった。今回の旅行でもっともザアザア降りの雨に降られたのがこの時だと思う。

当初、佐喜眞美術館には草間彌生の絵画が所蔵されているのでそれが見られればいいなと思っていた。直島博多、さらに都内と草間彌生さんの南瓜を見てきたので引き続き草間彌生つながりで目にした美術館だった。

ただ今回の旅行期間中は特別展をしていたため草間彌生の作品展示はなかった。それは残念だったが常設可能なのでまた来ればいい。今回の丸木位里、丸木俊夫妻による「沖縄戦の図」全14部の原画特別展に出会えたのは偶然ではないような思いが残った。

●丸木伊里・俊「沖縄戦の図」の原画を鑑賞

佐喜眞美術館はこじんまりとしているが、とても個性を感じる美術館だ。普天間基地に突き刺さったトゲのように、基地の土地をえぐり取るようにして建っている。美術館を建てることを前提に返還された土地だという。そこに丸木伊里、丸木俊夫妻による「沖縄戦の図」が所蔵されており今回は2年ぶりにその原画14点が一挙公開されていたのだった。

丸木夫妻は「原爆の図」で知られている。夫婦共作で戦争の悲惨さを伝える絵画を描き続けてこられた。埼玉県には原爆の図丸木美術館がある。我々は埼玉県に住んでいるのに行ったことがなく、佐喜眞美術館を先に訪問したわけだ。丸木美術館も必ず行かなければ。

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特別展以外にも丸木夫妻の個々の作品も展示されていて見ごたえがあった。丸木伊里さんの圧倒的な水墨画「今帰仁大関」や丸木俊さんの色彩豊かな「赤シーサー」他も展示されていた。これらの異なる画風の二人が戦争画という重いテーマに生涯共作で取り組まれたわけだ。そこには戦争の時代を過ごした丸木夫妻のひとつの強い思いがあったのだろう。

美術館で購入した図録を読むと、1941年太平洋戦争が始まる直前に二人は結婚されている。そして1945年原爆投下の直後に広島に向かい一か月間の救護活動をされ、1950年からのちに連作となる「原爆の図」を発表されていた。沖縄訪問は1978年から。その後「沖縄戦の図」を描く必要性(必然性)を感じ1980年代に連作を発表された。

原爆と沖縄。このふたつの戦争をどちらも描かれたところに丸木夫妻の信念を感じる。原爆は被害者側の日本人の視点で戦争と向き合うが、沖縄戦では被害者と加害者とどちらにも日本人の視点で向き合わなければならない。米軍という鬼と日本軍という鬼による惨劇。沖縄戦には二手に分かれて逃れた洞窟の選択によって生死がわかれた史実もある。チビチリガマでの集団自決とシムクガマでの降伏による生存という明暗をどちらも描く。

私には生きている人々がより黒く描かれ亡くなった人ほど明るい光を帯びているように見える絵もあった。生き地獄という現実の闇の深さと同時に死してようやく地獄から解放される仄かな光にさらなる悲劇を見た。また絵画というメディアを通して死んだ人々による声なき声が永遠に響き続けるようにという願いもあるだろうと思った。

この「沖縄戦の図 全14部」のドキュメンタリー映画も制作されて公開されている。この日は東京都で上映中だったが、美術館ではDVDも販売されていたのでそれを購入して帰宅後に鑑賞した。その中で丸木伊里さんが「沖縄戦では日本人が撮影した写真は残っていない。だから日本人が描かなければならない」ということを話されていた。戦争の本質的な愚かさ、誰もが加害者にも被害者にもなり得る怖さを現代の日本人も日本人の立場で、ヒロシマ・ナガサキとオキナワとを知り、立体的に捉える責任があると思う。

●佐喜眞美術館の屋上に上る

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DVD以外に絵葉書と「沖縄戦の図」の図録(映画館で販売されているものと同じ)、ジョン・W・ダワーによる小冊子『戦争と平和と美 ー丸木伊里と丸木俊の芸術』、そして手作りの平輪ちんすこうを購入した。このちんすこうは人気でこれだけを買いに来る人もいるという。ジョン・W・ダワーの著書『敗北を抱きしめて』(増補版上下巻)を持っているがまだ読み終えていない…。この機会にまた読み始めようと思ったが読み始めるのに気合が必要なのだ。

ひと通り鑑賞し買い物も終え、エントランス横の受付の方に佐喜眞美術館についてもいろいろ聞いた。外に置かれた作品やこの美術館の成り立ちなど。そのうえで屋上に上った。このときすでに大雨は降り止んでいたが滑りやすいので注意しながら階段を上った。

沖縄の地上戦が終結したことにちなみ6月23日は「慰霊の日」とされるが普天間基地を眺められる屋上の階段も6段と23段になっている。この段数は6月23日にちなんで作られたわけではなく偶然だとのこと。逆にゾクッとした。ただ6月23日の日没に照準をあわせた向きに階段が設置されているようだ。

外には沖縄県立盲学校卒業生の生徒作品(1980年)が置かれている。これは危うく廃棄されそうだったところを引き取って置かれたそうだ。どれも面白い。当時の先生は今年85歳で亡くなられた山城見信氏だったのではないかと思う。

佐喜眞美術館にいた1時間あまりの間に、普天間基地から飛び立つ米軍のヘリコプターと基地に向かうオスプレイを目撃した。ここはそういう土地だ。その一角に丸木夫妻の「沖縄戦の図」が鑑賞できる美術館があることに気概を感じて美術館を後にした。

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