夏旅2023 夫婦編(19)~ 修復中の首里城へ ~
7月28日(金)沖縄観光最終日だ。朝はハイアットリージェンシー那覇の朝食ビュッフェ。さすがに美味い。ここまで早起きばかりの日々だったので、ちょっと遅めに9:00過ぎに食べ、11時まで部屋でまったりした。何から何までホスピタリティの高いホテルだった。
最終日なので近場かつ最大の観光地のひとつ首里城へ行くことにした。首里城正殿は2019年10月に火災で失われていた。いまも復旧作業が続いている。この復旧作業への支援はふるさと納税でも出来るため、当時は私も寄付していた。その現状を視察に行った感じだ。
国際通りにまた戻ってくるため、ホテルをチェックアウトした後もスーツケースはホテルに預かってもらい出発。ホテルの目の前が壺屋やむちん通りだった。店はまだほとんど閉まっている時間だったが通りを歩いてみたくて壺屋バス停に向かうことにした。古風だが美しい通り、美味しそうなカフェもありそうだ。
壺屋バス停にバスはほとんど止まらない。そこでバスを待つ人もほとんどいないような気がする。そんなバス停だったが平日11:29発で11:40に首里城公園入口に着く17系統があったのでそれを待った。バス停前の道路は結構な交通量だった。少し遅れてバスが来た。
●再生を望む首里城
首里城を訪れたのは昭和53年以来だ。当時は小学生だったのでほとんど覚えていない。日本返還6年後のことで蛇とマングースの戦いを見たことと当時のバスガイドさんが左右逆になって交通事故が多いという話をされていたことだけハッキリ覚えている。
首里城公園についてまずレストセンターに入った。首里城の歴史や行事などがパネル展示されていた。その後、焼失した本殿方面へ。高台なので景色がいい。琉球の香りは失われていなかった。
復旧作業も歴史の一里塚なのでこれはこれで興味深く見学した。城跡公園として残すのではなく、あくまでも城郭を再生しようとすることの意味を考えたりした。明らかに日本の城とは異なる大陸風の建築様式に近い風情だ。レプリカとなってもその琉球建築をカタチとして残していくことは観光的にはもちろん重要なのだろう。それ以上に首里城は琉球だけに存在した歴史・文化そのものだからだと思う。
●沖縄県立芸術大学
首里城からの眺めでもっとも近くに目立つ建物は沖芸こと沖縄県立芸術大学だろう。沖芸は1986年創立という。その色合いやフォルムに名護市役所と同じ匂いを感じた。設計は㈱石本建築事務所・㈱二基設計・近代設計の設計企業体だという。沖縄を代表する建築のひとつだと思う。
名護市役所は1981年の建築だから沖芸とほぼ同世代の建築だ。名護市役所が老朽化ということはこちらも老朽化の時期に入っていく。今後が心配だ。名護市役所のように建て替えの話なども出てくるのだろうか。首里城と周辺の緑地と混然一体となった景観を残して欲しいと思った。
しかしもともとは自然を破壊して大型建築を作ったわけで、それが長い時間とともに歴史となり景観となり、今度は残したくなるんだから人間というのは勝手なものではある。おそらく大型建築というものはそんな人間の身勝手さの上に成り立っている。それだけに説得力が重要になってくる。
2023年9月現在、都内では神宮外苑を再開発という名のもとに破壊し商業施設の建設が始まろうとしている。今年亡くなった坂本龍一が開発阻止を求めて遺言のように残した東京都知事への手紙は波紋を呼び、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が樹木伐採などを阻止するよう東京都や事業者に事業計画の撤回・見直しを求めたりしている。
開発が阻止されても進められても100年後にはそれが歴史となり文化となる。そこに豊かさがあるかどうかとは別次元で物体として何らかの結果が残る。そのうつろいのなかで身勝手に生きるのが人類なのだ。それを承知のうえで、建築好きとしてはせめてそこに単なる金儲けというだけない説得力を求めたい。
沖芸の建物にもっと近づいてみたくなり首里城を出て沖芸まで降りて行った。さすがに中にまでは入らなかった。沖芸食堂は一般人にも開放しているそうなのでそこで食べたい衝動もあったが、この日はその後ぶくぶく茶を飲みに行く予定があったのであきらめた。
私は高校生時代に芸術大学を目指したことがあった。合格した私立の芸術大学もあったが結局はそちらの道はあきらめた。そのとき、沖芸も候補に挙がってもおかしくなかったはずだが山口県から東側にしか意識が持てなかった。当時創立間もない沖縄の芸大なんて、いま考えると非常に魅力的に思える。あのとき沖芸の存在を知っていたら未来は変わっていたかもしれないなとちょっと思ったが、まぁないかと思い直した。インターネットなどない時代、情報は都会でしか得られないと思っていた。
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