google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 中島みゆきで極私的妄想話リターンズ: ひとくちメモ

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2023/03/18

中島みゆきで極私的妄想話リターンズ

久しぶりにブログを書いてる。書き物は孤独な作業だから独身時代は出不精の私にもってこいのツールだったが、いまは毎年作っている夫婦の写真アルバムの下書きのようになってる。スマホ写真がクラウド保存されていれば、いつ何時どこにいたかも記録してくれているから、アルバムに載せるキャプションの下書きみたな使い方だ。それもツイッターで事足りることもある。世の中どんどん進歩して楽になっていく。そのうちAIがキャプションも書いてくれる時代がくるかもしれない。だがAIに私と同じ妄想話ができるかな?という気持ちだ。

今日はK-POPグループのSUPER JUNIORが来日し、ベルーナドーム(西武ドーム)でライブを行うので昼から妻が外出している。夜まで帰らないので久々にブログを書いてみようと思った次第。妻がK-POP三昧なら私は中島みゆき三昧といこう。

●時代と猫と中島みゆきの距離感

今月44枚目のオリジナルアルバム「世界が違って見える日」が発売された。後半ではこのアルバムの楽曲のひとつ「童話」を肴に妄想話を展開するつもりだが、久しぶりの中島みゆきさんの話題なので、そのまえにもうひとつ個人的には興味深いテーマ“猫と中島みゆき”について書き残しておきたい話題を。

私が「猫と中島みゆき」を意識し始めたのは、MOOK『ねこみみ』でコラムを依頼されたときからだ。そのときの経緯はこちらに書いている。猫だけでなく中島みゆきの歌詞に出てくる動物については楽譜集に付箋を貼ったりして研究してはいた。猫だけを特別に意識したのはこのムックからだったが、そこで「世情」と「猫」について書いたときに、はっきりと猫と中島みゆきと時代(楽曲の「時代」ではなくていまそのときという意味の一般的な時代)との距離感について意識しはじめたのだった。もちろん妄想でしかないが。

そのときに欄外にこんなことを書いていた。実際のページから画像にしてみた(クリックで拡大)。

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ちょうど2012年「常夜灯」という39枚目のオリジナルアルバムが出る前だった。この最後のところに「10月の新譜『常夜灯』に猫は住んでいるでしょうか?」と問いかけていた。そして発売された「常夜灯」のなかには猫が出てくる歌詞はなく、それはある種予測したことであるとひとくちメモにしたり顔で書くポップンポール、つまり私がいた。

しかし、2016年に発売された21世紀ベストセレクション「前途」の中に、アルバムのタイトル曲「常夜灯」が収録され、そこに珍しく中島みゆきさんご自身が楽曲のライナーノーツを書かれていた。

そこに衝撃的な話があった。最後の一行だけ引用する。

その猫に「あたし」という1人称で名乗らせた曲。

なんと、常夜灯の主人公は、三毛猫だったのだ…。

ここに衝撃を受けたのは世界広しといえども私くらいかもしれないが、アルバム「常夜灯」に猫は住んでいないと思っていた4年間が覆された瞬間だった。重要すぎるくらい重要な三毛猫がしっかりと住んでいたのだった。

そうなると、私の妄想は反省するどころかますますグルーブするのだった。なるほどと。「世情」をライブで歌い始めた時代との「ピアニシモ」な距離感は、実は「常夜灯」のなかにすでに潜んでいたのだと。「猫」と言葉に出さないでも「猫」が歌詞の(そしてアルバムタイトル曲の)主人公たり得たことに、中島みゆきの意識の変化と時代とのかかわりが繋がったのだった。もちろんすべて私の妄想だが。

前途」発売からすでに7年経った。7年ひと区切りで生きる私にとって時代がひとつ回った。常夜灯の猫について執筆依頼があればしっかり書けるなと思い今日まで寝かせていたのだが残念ながらなかったのでブログに書いてみた(うそ)。ただ、この「常夜灯」の主人公が猫だという4年越しの種明かしは、中島みゆきさんから私への「きみきみ、わかってないね」というメッセージだったんじゃないかと受け止めている。妄想で。

●世界が違って見える「童話」

さて今年の新譜「世界が違って見える日」だ。この新譜に入っている楽曲はひとつひとつどれも深く思索の旅に出られる。ドラマ主題歌の「俱(とも)に」や他の歌手への提供曲セルフカヴァーもある。岡崎友紀が歌ってもよさそうな70年代ポップス風の「体温」では(入江剣名義ではなかったが)吉田拓郎のギターやコーラス(体温だけ~が頼りなの~)も聴ける。この曲は大瀧詠一風(つまりはフィルスペクター風ということだが)のアレンジも実に良い。とても幸せな気持ちになる曲。

これはある意味ベストアルバムだと思った。ヒット曲集という意味ではなく、1970年代から夜会を経て人類の未来をも展望する“うたづくり”の思索の旅、かつて訪れた音楽的系譜の再解釈とこだわりの再認識、そんな感覚で聴いた。サブスクでシングル全曲が解禁となった中島みゆきだが、アルバムを聴いてこそという感覚を持つ昔からのファンは多いだろう。シングルはよそ行きの顔、アルバムは身内にみせる顔、その心は誰にもわからない。ファンはただ妄想するのみだ。

音楽系まとめサイトのナタリーでのインタビューにも重要なコメントがあった。

とにかくウイスパーは疲れる

うおーっ!ごめんなさい。ピアニシモな中島みゆきが好きだったなんて言ってごめんなさい。疲れてしまうんですね。Biceファンでもある私はウィスパーボイスが大好きなんです。「島より」はウィスパー好きのための名曲でした。「天女の話」もフォークソングのようでもあり童謡のようでもあり、あらゆる感情を飲み込んで小さきものへの優しい視点に凝縮した声色の歌です。そんな様々な声色の使い分けの幅もありバラエティに富んでもいるアルバムです。いつのまにかですます調になってる…。

●「世界が違って見える日」から「はじめまして」へ

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何度も通して聴きながらブログに書くにはという視点で聴いた曲は「童話」だった。発売から半月経っているがあまり語られてもいない気がするので。そしてこれは妄想家の特徴かもしれないが、ふと「はじめまして」という11作目のアルバムと44作目の今作、そして「はじめまして」のなかの「幸福論」と「童話」とが脳内でつながった。それでLPレコードや楽譜を出してきて写真を撮ってみたのが上の画像だ。

単にジャケットがモノクロつながりなだけという指摘はあると思うが、それなら「真夜中の動物園」ほかいくつかある。「童話」を聴いて「幸福論」とつながってからのジャケット回帰という思考の流れだ。

●「僕は青い鳥」+「幸福論」=「童話」

「童話」という曲はオルゴールの音のようなSEで始まるが歌謡ロックへと展開する。童話の世界と現実の世界との対比をし、それがあたかもきれいごとと冷たい現実、汚れた世界との対比のように感ぜられ、子どもたちに何をどう伝えることが出来るのかを逡巡するような歌詞になっている。ある意味ストレートでわかりやすい。

「はじめまして」収録の「幸福論」のほうは、冷たい現実のなかで他人の不幸を願ってしまう自我の歌だ。世間の幸福と自身の幸福とがまるでトレードオフの関係にあるかのような「僕」の心情をストレートに歌っている。

どちらの歌詞も解は提示されない。問題提起されている。メッセージソングともいえるかもしれない。発表時期は1984年と2023年とで約40年の歳月が流れている。この年月のあいだに世界はどう変わったのか、いや何か変わったのか、少しでも良くなったのかを考えずにはいられない。

「はじめまして」の1曲目は「僕は青い鳥」だった。私がはじめて中島みゆきの歌声を生で聴いたライブの1曲目でもある。立見席で直立不動で聴いた。まだタイトルも知らず聴いたこともないのに感動した。2曲目が「幸福論」だ。青い鳥の「僕」は狩人に追われる。その狩人も元は普通の人だったのに幸せの青い鳥を見つけた瞬間豹変する。そしてそんな青い鳥は実は狩人自身の姿でもあるのだ。なんという皮肉。なんという“童話性”だろう。そんな青い鳥の次に「僕」が「幸福論」をぶつわけだ。世間の不幸を笑うのだ。なんという“現実性”だろう。

「童話」の歌詞にも青い鳥が出てくる。しかしこちらの青い鳥は童話の世界の幸せの結末として。苦難を超えて戻った故郷にいる青い鳥だ。…と思っていると、いきなりその童話の後に現実の闇が待っているわけだ。「僕は青い鳥」からの「幸福論」という2曲の物語を「童話」のなかで表現してる。怖っ!そしてすごっ!!

そして「童話」のメロディというかコード進行もこの童話と現実とのギャップを表現している。童話から現実に戻ったところ、歌詞でいえば「片付かない結末」とか「不思議な現の闇」のところ。ここ素人がカラオケじゃ歌えませんよ。難しすぎて。この不安定さ、落ち着かなさ、音楽理論的には書かないが、ものすごい違和感を感じませんか。それまでのストレートな勢いが、現実に戻ったとたん不安定になる。その不安定さから「どうして 善い人が まだ泣いてるの」のメロディのストレートさが現実のやるせなさを倍増させるわけですわ。みごととしか言えない。ここに一番注目しましたね。

●妄想家の大きな誤解を防ぐ注釈に妄想する

そんな「童話」があって、噤(つぐみ)から心月(つき)と連続して「天女の話」をはさんで最後に「夢の京(みやこ)」ですよ。そして「心月」と「夢の京」に中島みゆきさんにとっては異例ともいえる作者註がつくわけです。意図を解説してる!これが山下達郎なら作者註があっても驚きません。原稿用紙何枚でも書いてくれと思いますが、相手が中島みゆきだとそうはいかない。妄想が暴走するどっかの輩(オレか?)に先手を打っているわけです。ナタリーのインタビューによれば「大きな誤解となってしまいかねないところだけ」注釈を書いたということです。

この言葉をうけて、大きな誤解とは何ぞやと、そう妄想家はまた妄想し始める。そして「童話」に戻る。いや「乱世」から「童話」への流れと言ってもいい。ここに戻る。すると現実の厳しさばかりが浮き彫りにされてくるわけだ。

「なんだかんだハッピーな物語をポップソングは歌ってるが現実に戻れば人生そんなもんじゃないんだよ」というメッセージと受け取られかねない。それはまさに「はじめまして」の「幸福論」の「僕」そのものの姿だ。その心性のまま「夢の京」を解釈されるととんでもないメッセージとして伝わりかねない。そこに待つのは現実逃避でしかない。

その誤解(妄想)だけは、いかに中島みゆきといえども看過できなかったのではないかと考える。それは常に未来を見て、希望を抱く人、自ら生きようとする人々に寄り添ってきたシンガーソングライター中島みゆきの矜持といってもいいと思う。これも私の妄想でしかないが、もし妄想だったとしても、中島みゆきさんに許してもらえる範囲に収まったベクトルだと思う。

●「はじめまして」と宇宙大統領中島は降りてきた

さて、ジャケットの話だ。まぁ、ぶっちゃけモノクロという共通点なんですけどね。もう一声なんかひねりだすとすれば「はじめまして」は森の世界から人間界に降りてきた妖精中島みゆきがこの世界に「はじめまして」と言ってるような感じがしたんですよ。妖精でなければ宇宙人。第一種接近遭遇の図なわけですよ。2023年のいまだったら、まさにコーヒーのBOSSのCMに出てくる宇宙大統領中島みゆきの出現みたいな。

「はじめまして」という歌のほうは「はじめまして 明日」とリフレインしてます。何度も書いてますが中島みゆきはメタモルフォーゼするんです。何度も。「はじめまして」というアルバムもそんな意気込みを感じたアルバムでした。新しい服をきて明日に挨拶する。

そして40年経ったいま、宇宙大統領となって風船配ってる。この風船が地球かもしれない。この風船につかまって夢の世界に飛べる人もいれば、簡単に割っちゃう人もいるんでしょう。それはこの風船をもらった人類次第。だけど宇宙大統領中島みゆきは、繊細な風船を未来の人類に託そうとしてる。そんな「童話」を妄想して今回はお開きに。書き切った!

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