google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2022年5月

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2022年5月の1件の記事

2022/05/05

致景〜亀山裕昭展@森の美術館

今年のゴールデンウィークは3連休×2回+土日で平日を2回挟むが、全部つなげれば10連休だ。ま、我々夫婦は暦通りで、最初の三連休は買い物とスマホの乗り換え(通信費が半額になった)に使い、次の三連休は文化的生活をしようと考えた。

文化的生活の候補はいくつかあったが、そのひとつが画家の亀山裕昭さんの個展だった。流山市にある「森の美術館」は行ったことがなく事前予約が必要だったのでハードルは高かったのだけど、5月4日は亀山さんが在廊されているとの情報があり、あわよくばご挨拶くらい出来るかもと思って当日(5月4日)の朝電話してみたら運良く予約を入れられた。そして運の良さはこれで終わらなかった…。

●「香路」との出会い

亀山裕昭さんの作品との出会いは、ホキ美術館で2016~2017年に開催されていた第2回ホキ美術館大賞展だった。このとき、鑑賞者の投票で決まる特別賞があり、そこで私が選んだ作品が亀山裕昭さんの「香路」という作品だった。そのときのツイートにはこう書いていた。
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ホキ美術館ではいま第2回ホキ美術館大賞展を開催していて2月までは好きな作品に投票できる。1点だけ選ぶのはものすごく迷ったけれど、亀山裕昭さんの香路に1票入れた。懐かしい現代日本の原風景のようでもあるし、それでいて雪のなかに挿し込まれたパープルが効いてて、さすがメタルの人だなとw
午後8:14 · 2017年1月7日

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日本の原風景のようでありながら、何処か不思議な感覚に囚われた。その時は、雪の中に差し込まれたパープルがその原因だと考えた。そしてアンビエントハウスに感じた“過激な静けさ”を連想させた。もっとも御本人は嘔吐リバースというメタルバンドのベーシストで、アンビエントとは真逆だったのだが。音楽的な何かを感じたのは確かだ。

今回の個展にも「香路」は展示されていた。そして作家ご本人にお話しを聞くことができたのだった。

●亀山裕昭さんとの出会い

13:00から予約していたので、10分前くらいに森の美術館についた。武蔵野線からつくばエクスプレスに乗り継いで流山おおたかの森駅に着いたのが12:30前後。そこから歩いて20分ほど。森というので山の中かと思いきや、新興住宅街のようで整備されたとても雰囲気の良いところだった。小学校の側を抜けると、こじんまりとした建物が見えた。

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建物の左側出入口の前にイーゼルが立っていた。そういえば今日は天気が良いから外で絵を描くと亀山さんがツイートされていたなぁと思って近づくと、係員の女性と亀山さんが建物から出てこられた。思わぬ展開だったが、とりあえず挨拶しようと「こんにちは」と声をかけた。思いがけず挨拶するというミッションコンプリート。しかし単なる通りすがりでないこともアピールしておこうと、予約していることを告げた。

これまで見ていた写真が嘔吐リバースっぽい長髪メタル系だったので、怖いのかと思いきや、亀山さんは終始にこやかだった。天気が良いから外で写生していると言われた。写真を撮ってよいか聞いてみると「どうぞどうぞ」という感じだったので、厚かましくもパレットの絵具や描きかけの絵画を撮らしてもらい、並んで記念写真まで撮ってもらった!

こうなると、私もファンであることを告げとかないとなと思い、ホキ美術館で「香路」に一票入れたんですよとお話しすると、「ありがとうございます。あのときは3位になってしまって…」と少し寂しげな表情に。嘔吐リバースっぽいメンタルなのかと思っていたのだけど、とても純粋な方でここでも好感度がアップした。

絵を見る前に亀山裕昭さんとおしゃべりして写真まで撮ってテンション上がりまくった状態で、美術館内へと入っていったのだった。

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●切り取られた空間との出会い

20年のキャリアの中で描かれた風景画には、独特の視点がある。私にとっては「香路」が最初だったので雪の道がやはり最初に目につくが、今回は山の中の廃屋、捨て置かれたバスや重機、廃業したガソリンスタンド、ご自身の出身地である東北の風景などバラエティに富んでいた。

米国ではアンドリューワイエス、日本では向井順吉といった好きな画家がいる。2009年に「物語を想起させる原風景」としてこの二人のことを書いたが、どちらも心の原風景といわれる風景画が多い。亀山さんの絵画も第一印象は原風景だった。そこが惹かれたポイントなのは確かだ。

例えば「老婆心」(2010年)は、今回の個展のチラシにも使われた奥松島の風景を切り取った作品。曇った空と水たまり。入り江に複数のヨットが繋がれ、電柱、電線、プレハブ小屋、自販機、営業車、軽トラ、フォークリフト。同時代の原風景ともいえる“モノ”が配置された風景。どこにでもある(あった)地味な風景。どうして「老婆心」というタイトルなんだろう。聞いてみればよかったな。

震災の年の9月に奥松島を訪問した。声も出ないくらい破壊された風景に呆然とした。そんな体験があると、この大震災前に描かれた、晴天でもなく誰もいない寂しげなその“モノ”だけの風景のなかにも日常の幸せを感じる。

小さな美術館なので作品をじっくり見ていられる。コロナ禍で入館者制限もされていて、この時間はほとんど我々だけだった。一周回ったところで撮影OKのプレートを見つけ、あらためてディテールの写真を撮りながら回った。すると、そこに亀山さんが現れた。外で描いていたけれど暑くて涼みに来ましたとおっしゃる。私には作品についてお話を聞かせてもらえる大チャンス到来だ。何から聞こう。考えるほどに舞い上がっていく意識(^^;)。

「雪の道を描かれてることが多いですよね。」と聞いてみた。宮城県石巻市のご出身なので原体験としての雪の道には思い入れがおありのようだった。「香路」の紫色についても聞いてみた。雪に紫色が入っているのが山口県人の私には新鮮で、光のプリズムがこういう風に見えるのかと思った。すると「青を際立たせるために補色を入れている」ということだった。確かに全体から感じる青のイメージがこのパープルで際立っていた。それが不思議な魅力となっている。写実という領域から少しずれたファンタジックな風景になっている気がした。

空間をキャンバスに切り取るとき、三次元を意識されているという。その見えている景色の裏側だったり、キャンバスの外側だったり、そこに確かに存在する風景も取材をし、見えない部分を表現に取り込まれる。その見えない風景への誘いによって、作家から鑑賞者へとバトンが渡され、鑑賞者それぞれの感性で空間の広がりを創造(想像)していける作品になっている。

カンボジアに取材されたマザーフッドとブラザーフッドという大作2点も、空間の広がりを説明してもらえた。こういう大作を並べて鑑賞できるのは美術館ならではだ。2枚の絵には同じ建物がひとつだけ描かれていた(下記写真・部分)。しかし視点は同じ場所からではない。(昔の宗教画にあるような)横に平行移動してつながる2枚の絵ではなく奥行きや高低差がある。

強く関連する2枚だが、並べるとそこに三次元的な広がりができる。そのためのちょっとした仕掛けがこの遠景の建物というわけだ。妻は両方にこの建物があることを見つけていた(私は見逃してた…)。この説明を聞いて、あらためて空間の広がりを感じることが出来た。この2作はぜひ美術館で観て欲しい。マザーフッドのお母さんを探すことも忘れずに。

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●切り取られた時間との出会い

雪の道に続いて「廃屋も多いですよね」と聞いてみたら、空間の広がりとともに時間の広がりも意識されていたことが分かった。さらに廃墟や廃バスなどに人間の姿がほとんど描かれない理由も聞かせていただき目から鱗だった。

いまそこにある朽ち果てた廃屋や廃バスを描くなかで、そこに至るまでの時間の経過を意識されていた。その場所や道具の歴史には、確かにそこで生きた人々がいた。そこで使われていた“モノ”が役割を終えてそこに在る。作品の前で、そのすべての人々の時間を想像してほしい。

この視点は私にはなかった。人を描くと現在の時間に限定される。その人が作品の中心になりかねない。しかし亀山裕昭さんの廃屋の風景には、描かれていない多くの人々が存在し、そこに在る朽ち果てた“モノ”がその人々の存在した時間を感じさせるのだ。だから単なる自然の風景でなく、人工物が多いんだなとそのとき合点がいった(下記写真・部分)。

この個展のタイトル「致景」は、通常この上なく美しい景色のことを表すが、ここに「致」という漢字の持つ時間感覚も読み取りたい。物事の行き着く先にある風景。最後まで極めた“モノ”のある風景。それこそがしっくりくる作品群のように思えた。

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この時間感覚は、民俗学者宮本常一の視線を想起させる。宮本常一は日本中の庶民の生活を丹念に書き記した世間師だった。膨大な写真に当時の生活や道具を収めていた。そこには芸術家としての視点はなかったが、芸術として捉えようとしているのが亀山裕昭さんなのかもしれない。

亀山さんはこれからも日本中を旅して風景を描きたいとおっしゃった。「効率は悪いですけれど」とも。確かに効率は悪いが、そこで使われた時間も作品の一部だと思う。今朝のテレビ朝日モーニングショーで、Z世代(2000年以降生まれ)は映画も倍速で観て数をこなしコミュニケーションのツールとして情報を仕入れているといった話題を見たが、私などは効率がすべての世の中にあえて時間をかける豊かさを見出したい昭和世代なのだ。道草こそ人生は一貫している。

●サインとの出会い

こうして見ていくと、亀山裕昭という画家は、私の中では、アンビエントハウスの過激な静けさとの共通点から始まり、向井順吉のような旅の画家(そこに川瀬巴水を加えることもできるだろう)の系譜にも勝手に入れて、宮本常一の民俗学的な世界観をも共有する感性があり、毎年私がふるさと納税し続けている石巻市のご出身であり、山口県の隣の広島市立大学大学院も出られているというやや我田引水な親近感すら持ってしまう画家なのであった。

帰り際に初出版された画集を購入した。美術館を出て外で写生を続けられていた亀山裕昭さんにも「ありがとうございました」と挨拶すると、購入した画集を見て「お名前入れましょうか」とおっしゃってくださった。もともとサイン本だったが、あらためて我々夫婦の名前と日付を入れていただき、特典に嘔吐リバースのCD「胃もたれイモータル」(枚数限定)も付けていただき、帰途についた。嘔吐リバースをいつ大音響で聴くか、それがいまの課題である。

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