google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2021年12月

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2021年12月の3件の記事

2021/12/30

2021年のこと

今年も残すところ2日となった。2021年(令和3年)という年は未来から見ると分水嶺になるような気がする。特に日本で一年遅れのオリンピックが強行されたのは象徴的かもしれない。これを花道に引導を渡され、先進国から徐々にフェードアウトしていく起点になるかもしれない。安倍晋三政権という前代未聞の堕落腐敗した時代に、国家としての日本は実質終わったという感覚を持っているが、実体経済や一般社会のモラル崩壊の発現にはタイムラグがあり、それらが次々と示現していく起点が今年なんじゃないだろうか。当たらないことを祈るばかりだ。

そんな暗い時代だが、生きる時代は選べない。昨日、『嫌われた監督』について書いたが、そこでアドラー心理学を引いたのは、自分自身の環境も自分自身が望むようにしかならないという思いを再認識したかったから。国家の物語と、個人の物語とは密接だけれども、個人の物語を描いていくことが大切なのだ。

というわけで、次回の夫婦アルバムのラフスケッチになるよう、記憶を掘り起こしておこう。

●2021年前半

Img_20210101_112152 正月は今年も新型コロナウイルスにより実家には帰れず自宅で過ごした。妻の実家から送られて来た自然薯をすりおろして食べた。

自然薯の髭をコンロでチリチリと焼き落とし、すり鉢にすりおろす。すりおろした自然薯には味濃いめの鯖汁を投入してさらにすりおろす。これをご飯にかけて刻み青ネギで食べる。この美味さはたまらん。妻を娶るなら静岡県人おすすめです。食材が豊富で。怒られるかな…。

『昭和40年男』の原稿は1月中には書き上げて、2月1日に編集者さんに送付した。その後、いくつかのやり取りをして完成。締め切り前に原稿を上げるのは『まんが道』で学んだ(笑)。人生の節目節目で読んだ藤子不二雄先生の名作。愛蔵版で持ってます。

この仕事は占星術的には「風の時代」が始まるジャストタイミングで依頼をいただいた。不思議な縁だった。とても楽しく書けた。発売は3月11日だった。一方で中島みゆきさんのラストツアーが感染拡大の影響により中止となった年でもあった。来年は急遽ラストツアーライブCDが発売される。

2月13日、震度4の地震でDVDの棚からディスクが飛び出した。今年は、いや今年もか、地震が多発している。南海トラフ地震や首都直下型地震はもはや避けられないところまで来ているともいわれ、TBSの日曜劇場では10月枠で「日本沈没」がリメイクされた。

3月13日は武道館で佐野元春40周年ライブに。昼は銀座の肉いささんで。午後から暴風雨になったが、充実した一日だった。4月10日には松任谷由実ライブ配信をホームシアターで視聴。感染症によってライブ配信も一般的になってきた。

4月25日からフォンテーヌブロー熱海さんへプチ旅行で一泊。2020年のオーベルジュ・オーミラドー以来、オーベルジュが夫婦のプチブームになり、伊豆箱根方面への国内旅行ではオーベルジュが必ず候補にあがる。仙石原もぜひ行きたいと思った。チェックアウト後はMOA美術館を鑑賞した。天気が良くて静かな休暇を過ごせた。

●2021年後半

今年は、マリトッツォブームに乗り、様々なマリトッツォを食べた。なかでもドロゲリアサンクリッカのマリトッツォは最高に美味しかった。こじゃれた店の名前なんてまったく覚えられない私がドロゲリアサンクリッカを覚えてしまうくらいに。今年2回食べた

このあたりまでは、前回の夫婦アルバムにも掲載済みなので、ここからが必要な情報になる。ふぅ…。

7月30日から一泊だけだが、東京五輪の喧騒と感染症を回避して中禅寺湖へプチ疎開した。中禅寺金谷ホテルも由緒正しい宿だった。滝めぐりをしてマイナスイオンをいっぱい浴びたが、行く前から右足を負傷(捻挫?)していて、杖をつきながらの行程だった。もう回復しないかと思っていたけど治ってよかった。

8月15日からは一泊で房総半島へ。朝から雨が降っていたが、まずは腹ごしらえに成田山に向かい川豊本店のうな重を。成田山も静かな休日を過ごすにはとても雰囲気の良いお寺だった。正月の人混みには突っ込みたくない…。そこから3時間程度のローカル線の旅。土砂降りのなか、宿のリゾートゆうみに到着。近すぎるイメージからか、千葉がこんなに観光地だとは知らず、今後はもっと掘り下げたい地域になった。せっかくなら次回は晴れた日に…。

9月11日、山下達郎のシアターライブ配信を視聴。昔、新宿バルト9に観に行った映画。山下達郎ライブは高品質配信なので、これまではPCスペックの問題で見送ってきたが、今年はWindows10のノートPCを購入していたので、これをホームシアターに接続してスクリーンで堪能した。妻はヤマタツライブを体験したことがなかったので良い機会になった。

9月25日は和光市へ小松亮太さんのバンドネオンコンサートへ。今年はピアソラ生誕100年で良い記念になった。アストルピアソラを知ったのはキムヨナが現役ラストイヤーに舞ったアディオス・ノニーニから。素晴らしい演技に素晴らしい楽曲。こういうつながりの広がりが私の人生の一番うれしい瞬間だったりする。

Dsc_1147_cocolog 10月7日にまた地震。震度5強だから相当な揺れだった。10月には衆議院選挙もあった。こちらはほぼ揺れなかった。日本人の鈍感さもここに極まれり。しかしれいわ新選組から3名の衆議院議員が生まれ、山本太郎が国会に戻ってきた。また初当選した大石あきこ議員(れいわ)はかつて橋下徹に抗議した元大阪府職員。維新という愚連隊への強力なアンチテーゼとなってほしいものです。

10月10日に浦和駅のさぼてんでかつ丼を注文して待っていたら突然停電に。蕨にあるJR東日本の変電所火災が原因だった。テロかと思った。お店では調理中、私のかつ丼に卵をいれる直前だった。妻の定食は来ていたので、それを分け与えてもらって食べたが無料にしてもらえた。

10月12日川口リリアホールで松任谷由実コンサート。今回はリアルなユーミンに会えた。やはりコンサートは生が一番良い。誰もがわかっていながらそれが出来ないもどかしさ。感染症はその感染力だけでなく、人間からコミュニケーションや仕事を奪い、ストレスを生む。その二次災害の大きさが侮れない。

10月30日新宿のSOMPO美術館で川瀬巴水展を鑑賞。美術館も事前予約制となり、フラッと行けなくなっている。この日は新宿野村ビル50Fにある星空の中へさんでうな玉ランチの昼食をとり、少し早く美術館についたので受付で予約より早いが入れてもらえないか交渉したところ、客が多くない時間帯だったためOKが出てゆっくり鑑賞できた。

Img_20211123_999_cocolog 11月23日初台オペラシティで映画「銀河鉄道999」のシネマコンサート二本立てを鑑賞。劇伴がオーケストラの生演奏というオペラコンサートは、平成の終わりに見た「砂の器」が最初だったけれど、それが想像以上に良かったので、機会があれば何度も行きたいと思っている。二本立てはさすがに疲れたが。タケカワユキヒデさんも出演されて盛り上がった。

帰宅途中に妻が帽子を紛失した。オペラシティでも一回落としていて、それは私が見つけたのだが、帰宅中は気づかなかった。JRにもオペラシティにも確認したが見つからず。ヴィヴィアンウエストウッドのベレー帽で大きなロゴが入ったお気に入りの帽子だったのに残念。

11月27日、特に記念日でもないが、埼玉県の共通食事券を購入していたので、うなぎの名店小島屋でうな重コースを食べた。コースはうな重が出てくるまでにお腹いっぱいになる量だったから、今後はうな重だけでいいなと思った。今年は鰻を多く食べた年だったな。

そして12月7日、個人的には今年最大のイベントだったキング・クリムゾンの日本ラストコンサートの追加公演でオーチャードホールへ。平日で妻は仕事もあり、プログレは敷居が高そうだったので一人で行った。もう見れるとは思っていなかったが、チケットがあることを数日前に知り、行けるなら行くしかないと思った。これが大正解だったわけだ。

現在のキングクリムゾンはトリプルドラムを前面に出した7人編成で、実に重厚で素晴らしいサウンドだった。とにかくトリプルドラムというアイデアは斬新でいて説得力があった。奇をてらっただけでないところはさすがにロバートフィリップだ。もし数日ずれていたら新型コロナの感染拡大懸念で開催できなかったかもしれない。パンデミックの間隙を縫うように来日して、ホテルでの隔離生活も送りながらの日本ファイナルツアーをしてくれたメンバーには感謝しかない。その場に立ち会えただけで最高の気分だった。演奏ももちろん最高だった。

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こうしてみると、今年は配信も含めて思いのほかコンサートを鑑賞してる。12月19日にはWOWOWで矢沢永吉武道館ライブが生放送された。これも鑑賞した。矢沢永吉のライブを生で見るのは初めてだったが、さすがのステージだった。立ち振る舞いがまさにカリスマだった。

クリスマスイブには、浦和に新規開店したつけ麺狼煙に妻を連れて行った。私自身は大宮の本店開店以来14年ぶりの狼煙だったが、浦和なら何度でも行けそう。次回はカレーつけ麺だ。

そしてクリスマス、毎年、一陽来復のお札をもらっている穴八幡宮へ。昨年は閑散としていたが、今年は参拝客もずいぶん戻ってきている。無事、お札を受け取り、妻が行きたがっていた表参道のフランセへパニエを食べに行った。ユーミンが好きなお店らしい。そこで期間限定のピスタチオ味パニエを食べた。コーヒーカップとお皿のデザインがとてもよかった。聞くとノリタケ食器によるフランセのオリジナル食器だった。

12月29日、テレビ回りの片づけと模様替え。テレビ台を左右入れ替え、これまでテレビ台に置いていたJBLスピーカを本来のスピーカースタンドに設置し復活させた。その際、テレビ台でつかっていたインシュレーターをスピーカースタンドに置いてみたら、更に安定するような気がした。迫力のある音が迫ってくる。たまには模様替えしてみるものだ。

12月30日(今日)、片付けで置き場のなくなった、S-VHSデッキと、DENONのプリメインアンプPMA-390IIを廃棄した。今夜は外食の予定。大晦日はコンラッド東京のアフタヌーンティに行って来る予定。コンラッド東京はなんだかんだで毎年行ってるな。

海外旅行もできない日々が続いているが、日常はそれなりに楽しんでいた2021年だった。

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2021/12/29

野球ファンでなくても引き込まれる『嫌われた監督』

前回、私家版ことしの漢字を「読」と書いた。それほど今年は読書も出来、読みがいのある書物も多かった。しかし、そのブログを書いた後に書店の平台で出会った書物、鈴木忠平著『嫌われた監督』は、まさに今年読んだ最高の一冊といっても過言でないほど引き込まれた。購入して毎日むさぼるように読み本日読了した。9月25日初刷、私が購入したのは12月10日発行の9刷本だった。3か月弱で9刷、かなり売れている。ファンだけが買っているわけじゃない証拠だ。

もともと私自身は個人技が好きなので団体競技やチームスポーツよりは、個人の力と理論でオンリーワンとなった人に惹かれる。子どものころから学校などで選択してきた(させられてきた)競技も、テニス、剣道、水泳、陸上(短距離、砲丸投げ)、柔道とことごとく個人プレーだった。

日本でのチームスポーツの最たるものが野球なので、もちろんプロ野球ファンではない。しかし昔から落合博満という人には何か惹かれるところがあった。というより、なぜ落合が選んだ競技が野球だったのかという疑問すら持っていた。まぁ昔の田舎の子どもが運動をしようとすれば、かなりの確率で野球に触れるのかもしれない。

なぜ野球の道に進んだのかはわからないが、高校時代に学校をサボって映画館に入り浸っていたエピソードが書かれていた。体育会的な雰囲気になじめなかったり、独自の考えをもとに自分自身を鍛え律する生き方は勝負師そのものだ。落合の才能は野球だけではなく、勝負に徹する者のディシプリン(規律)を貫く才能だと思った。

●いつもヒールが好きだった

プロレスでいうヒールの雰囲気が好きだ。たぶん昭和の映画好きは、悪役を愛する癖がある(妄想だが)。私が好きだったブルーザ・ブロディも、キムヨナもとことん強いヒールだった。落合博満もまさにヒールだったし、そこに焦点を当てた『嫌われた監督』に惹かれたのは必然だったとすら思う。

映画好きな落合自身もヒールが好きだったのではないか。その片鱗も書かれていた。落合の番記者だった著者ならではのエピソードの数々がこの作品に深い味わいを与えている。著者自身も若いころから落合博満という独特な人物を取材するなかで、陰に陽に影響を受け、物事の見方や思考の流れが変化していったのではないだろうか。

誰もが落合博満のような個の規律を受け入れることなどできないし、だから嫌われるのだろうが、これがチームスポーツでなければ、まったく違った受け入れられ方をしたと思う。

落合博満のモノの見方を読んでいくと、アドラー心理学にとても親和性がある。例えば『嫌われる勇気』を読んだことがある人だったら納得できると思う。

あらゆる悩みや迷いは人間関係に行きつく。だが、だからといって他者からの評価を目標とするのではなく、「個」としての自分自身の問題と他者の問題とは無関係であることを認め、自分自身についてのみ考え、自分自身が自分自身のために変われるかがキモになる。

自分が納得できる生き方をすれば他者評価は不要だ。承認欲求に振り回される生き方から自由になれる。この書物については前にも書いたが、再度書いてみる。人間の行動、意志、考え方を目的論で捉える。現状への不満を環境のせいにせず、「こうありたいからこうなっている」と考える。環境は常に自分自身の気持ち次第というわけだ。

そういう生き方が果たして幸せかどうかはわからないが、こと勝負師であろうとするときには、実に理にかなっている。リスクを負うのは自分自身であり、克服すべき課題も自分自身のなかにしかない。自分自身が変わることによって、とりまく環境も変わっていく。勝負に勝てるようになる。すると周り(他者)も変わっていく。良くも悪くも…。

●時代が落合博満に追いついた?

チームスポーツとはいえ個人の技術が大きな比重を占める野球、とくに個人技で報酬も変わるプロ野球の世界において、落合の個人主義は合理的だ。落合が社会(会社)とつながる唯一の制約条件は契約書であり、それ以外に拘束される道理はない。まさに大ヒットドラマ「ドクターX」の大門未知子のような生き方であり、こうして物語の主人公として読むと実に面白いわけだ。

そんな落合博満の回りにいて関わらざるを得ない人々もまた、ドクターXの他の外科医や院内政治に明け暮れる人たちのように、そんな生き方には否定的になる者が多い。通常、こんな個人至上主義者に出会うことがない日本社会ではなおさらだ。野球ファンは特にチームの絆だとか、仁義だとか、そんな物語が大好きな人々だろう(私の偏見ではあるが)。だから落合は嫌われる。表面的には受け入れがたい。

だが、落合によって変化を強いられた人々の中にも、良い変化を自分自身で選択した者たちがいた。それが『嫌われた監督』の各章の主人公であり、著者自身もその一人だと感じた。落合は変わろうと努力する意志のある選手には謎かけのような言葉をぼそっとつぶやく。一人で対峙する記者には真摯に向き合う。そして本気で変わる意志を表明した者には寄り添うが指示はしない。落合に教えを乞うと、常に自分自身で考えることを強いられるのだ。

落合がノックをするシーンが何度か出てくる。そこを読んでいて、剣道を習っていた小学生時代を思いだした。師範はいつも3人くらいいたが、切り返しではまったく人気がない師範が一人いた。その師範の列に行くと他の列の5倍以上の時間、延々と切り返しをしなければならず、へとへとになる。他の師範の列は予定調和で何回か切り返すと次々と交代していくので、楽だし回転が速かった。人気がないから時間も長いのかとも思ったが、私は何度もその師範の列(列はないのだが)に呼ばれ打ち込んでいた。剣道の思い出は、そのつらい切り返しだけしか残っていないが、あの時に鍛えられた何かが残っているのだろうか…。

それはともかく、ことごとく嫌われたはずの落合博満の監督時代を追った『嫌われた監督』が、これほど売れ、これほど魅力的なのはなぜなんだろう。個人主義的な価値観は昭和時代よりもずいぶん浸透してはいるが、集団や組織になったときの日本人のメンタリティはまだそこまで進んでいない気がする。身をもって感じる。そのはざまで、個の尊重を貫き通した落合博満がまぶしく見える現代は、夜明け前といったところか。

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2021/12/17

2021年私家版ことしの漢字

2052021年ももうすぐ終わり。年々早く感じる。今年も新型コロナウィルスは根絶されず。夏には最大級のパンデミックが発生するなか、1年遅れで東京オリンピックが開催された。学生時代に犯罪レベルの障害者いじめをしてそれを雑誌で吹聴していた小山田圭吾の過去が暴露され、開会式の音楽担当をドタキャンするゴシップで幕を開けた。

世界的にワクチン接種は進んだが(私は未接種)、年末にはオミクロン株という変異種が再び猛威を振るっている。早期ワクチン接種していた国ほどパンデミックが進行中。個人的には破裂音の多い言語の国で感染拡大しているように見える。ワクチン接種で周回遅れ、言語に破裂音も少なく多くの民がマスクをしている日本で感染は広がっていないが、感染第6波がいつ来るか予断を許さない年末を迎える。早く経口治療薬が開発されてほしい。イベルメクチンの研究も進んで欲しい。

実体経済では世界的なコンテナ物流が滞留し長期インフレが始まった様相。ここでも幸か不幸か日本は周回遅れだが、来年以降、日本はグローバル経済の渦中でスタグフレーション(不況下での物価上昇)に陥るリスクが高い。粉飾された日本株の落としどころも見つからない。先の読みずらい時代に突入している。

というわけで今年の漢字は「読」にしたわけではなく、今年は読書が豊作の年だった。その印象から「読」を選んだ画像は毎年おなじみの漢字辞典オンラインさんから引用してます)。

●今年の読書は豊作だった

結婚してから読書をする時間がずいぶん減った。音楽を聴く時間も減った。ドラマを見る時間は増えた(笑)。二人での外出もずいぶん増えた。時間の使い方が変わったわけだ。

昔は一度に何冊も購入し、斜め読みや積読状態になっていた読書習慣が、たまに読める時間にしっかり一冊を読む習慣に変わった。だから大量買いもしなくなった。それでも並行して3冊くらいは読むわけだが、読書にあてる時間が少ない分、ちゃんと読もうという気持ちになる。渇望こそ意欲の源なのだ。これは良い傾向なのではないか。最近はこの習慣に慣れてきた。

今年読んだ書物には有意義なものが多かった。ビジネス書も珍しく読み物として読める書物を読めた。

起業の天才
Dark Horse
失敗の殿堂
良い戦略 悪い戦略

ビジネス書のうち3冊が翻訳モノというあたりが、日本と私との乖離を表しているのかも。

ビジネス書以外にも、松本清張の『砂の器(上・下)』をあらためて小説で読み地図でも読んだ。昨年末の『チーム』からの流れで堂場瞬一『ヒート』も読了、清武英利『後列のひと』はいま読んでいる一冊。SF小説かビジネス書かというヤニス・バルファキス『クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界』もいまコスタに感情移入しながら読んでいる。

音楽書も豊作の年だった。1月は門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』、2月にロバート・ヒルバーン『ポール・サイモン 音楽と人生を語る』という良書で始まった今年。サイモン&ガーファンクルのCD全集とか、若きポール・サイモンの「ソング・ブック」も買ってしまった。

その後、近田春夫『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』を読み、田家秀樹『風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年』と続いて読了。松本隆さんトリビュートアルバム「風街に連れてって!」の初回特典本も重要なMOOKといえる。そしてこの年末(あるいは年始になりそうだが)に、中部博『プカプカ 西岡恭蔵伝』という分厚い書物を読んでいく予定。

おっと、忘れちゃならない、3月には『昭和40年男』Vol.66号が発売された。中島みゆきさんの歌詞に出てくる女たちについて書かせてもらった。「中島みゆきを語る」という仕事は、中島みゆきさんと深い信頼関係にあるライターさん以外には手を出しにくい“分野”なんだと思う。それ以外のライターは周辺を語ることしか出来ず、おいそれと受けられる仕事じゃないんだろう。そんな状況の中、数十年来のファンで無邪気に「書きたい!」と妄想している私は、実は稀有な書き手なのかもしれない…。

こんな感じで、読めなくなったというわりに、紹介していない本も含めて結構ちゃんと読めていた。さらに雑誌に書いてもいるわけで、「読んでくださった皆さん、ありがとう!」の思いも込めつつの、今年の漢字「読」なのであります。

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