中禅寺湖にプチ疎開
前の記事でこの疫病との闘いを戦争だと書いたが、それは長い長い伏線で、本来はこちらのプチ旅行記を書くつもりだった。いつものことだが熱くなって長引いたので「オリンピックの思い出」という無難なタイトルで別記事にした。では本題。
「戦争なら疎開しなきゃ!」というわけで、7月30日(金)から1泊だけだけど、首都圏を脱出して中禅寺湖までプチ旅行してきた。初めて訪れたのだが箱根と似てる。箱根好きの私は結構気に入った。
日光には昨年訪れていたので、同じく日光号で東武日光駅まで電車で行き、そこで湯元温泉フリーパス(二日間有効)を購入し、中禅寺湖温泉行のバスに乗った。晴れていれば明智平で下車しロープウェイに乗りたかったが、かなりの靄でロープウェイは運航中だけどほぼ景色はない状態だったので、バスの終点まで行って華厳の滝を目指した。
華厳の滝周辺には観光客がちらほら。疎開だからこのくらいがちょうどいい。見ているうちに陽が差してきた。午前10:40頃だった。
中禅寺湖周辺には滝が4つほどあるというので、とりあえず二日間で回ろうと思った。とりあえず華厳の滝を後にして船の駅中禅寺へ。フリーパスで中禅寺湖一周フェリーが10%割引だった。反時計回りだけなので、次の菖蒲が浜で下船すると、宿泊地の中禅寺金谷ホテル近辺に直行してしまうルートだったが、まぁゆっくりしようと一周チケットを購入し乗船。乗客は20~30人というところだろうか。空いていた。男体山の頂上は雲で見えなかったが稜線だけでも美しい山だった。
菖蒲が浜をスルーして大使館別荘記念公園で下船した。40分ほど遊覧船に乗っていた。乗客が少ないから荷物を席に置いたまま左右の席やデッキに出たりした。米中経済戦争の影響でアップデートが出来ないファーウェイのスマホhoner6のカメラについているワイドアパーチャ機能がとにかく性能がよく、このカメラのためだけに使い続けているスマホで写真を撮った。遊覧船の進行方向に小舟で釣りをしている人がいて、あやうくぶつかりそうでヒヤヒヤした。
●大使館別荘跡地でゆったり過ごす
大使館別荘記念公園にはイタリアと英国の別荘跡地がある。どちらも美しい建物で、そこから見る中禅寺湖が欧州への郷愁を掻き立てたんだろうなと納得させる立地だった。
個人的には英国大使館別荘跡地は実に見どころも多かった。英国の外交官として19歳で来日したというアーネストサトウが1896年(明治29年)に建てたこの別荘には、何人もの著名人が滞在していた。そのなかにイザベラバードの名前を見つけたときは嬉しかった。
『日本奥地紀行』で知られる探検家イザベラバードは、日光を通って東北地方を巡る旅をしたので、そのときにこの別荘を訪問したのかと思ったが違った。
イザベラバードが日光を出発したのは1878年(明治11年)なので、まだこの別荘は建っていない。しかし金谷カッテジイン(現在の金谷ホテル)にはこのとき滞在している。アーネストサトウが来日したのは明治5年ごろだから、この当時から面識はあったのかもしれない。
イザベラバードが別荘を訪問したのは別荘が建って早い時期だったと書かれていたので、年代を調べると、ちょうどイザベラバードが『朝鮮紀行』で朝鮮半島を探検していた時期だった。彼女は1894年からの3年間に4回朝鮮半島に渡っており、日本を起点としていると思われるので、そこで建築されたばかりのこの美しい別荘に招待されたのだろう。
イザベラバードについては、宮本常一著『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』で知った。宮本常一、イザベラバード、アーネストサトウが中禅寺湖のプチ旅行でつながったことにとてもワクワクした(妻は知る由もないだろうが…)。
(つづく)
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