鋸山美術館で吉田堅治展に出会う
8月16日(月)ビーチサイド温泉リゾートゆうみで一泊した後、どこに行くかはノープランだった。晴れていれば鋸山だったが、雨で鋸山からの眺望は望めない。緊急事態宣言下で日本寺も閉園中。景色のよさそうなところは基本的に却下。いっそ、海ほたるPAまでバスで行って昼飯でも食べて、またバスで千葉に戻ってきて電車で帰るかとも考えた。しかしこれもまた風雨の中で行ってもなぁという感じ。木更津アウトレットも雨だとテンション下がる。去年も行ったし。
それなら美術館でもと内房線沿線の主だった美術館を探したが、月曜はことごとく閉館している。水害から復帰したホキ美術館に久々に行こうかとも思ったが、感染症対策で予約制になっていたりしてちょっと敷居が高かった。
東京湾フェリー金谷港のりばからフェリーに乗る道も模索した。フェリーで横須賀まで行っちゃうかとか。しかしそうすると帰宅するのに東京都を横切ることになり、感染爆発の都内を通ることになって気分が乗らない。そんなとき、鋸山美術館が月曜開館だという情報を妻が発見した。フェリーのりばのすぐ側だった。
検索すると小さな美術館だったが、「吉田堅治展」という知らない画家の特別展をやっていた。地元の画家なのかとも思ったが、知らないことを知るのは楽しいし、いま行かなければ行くこともないだろうし、ゆうみの送迎車で金谷港フェリーのりばまでは送ってくれることが分かったので、鋸山美術館を目指してみることにした。これが正解だったね!
吉田堅治は地元の画家ではなかった。終戦間近のころ、特攻隊員に志願したが戦地に向かう前に終戦となり、生死の淵で「生命」を考えた画学生だったようだ。40歳になってパリに渡り「生命」について深く洞察した作品を作っている。日本ではほぼ知られていないとのことだったが、欧州では知られていて、存命中に大英博物館で回顧展が開かれた最初の日本人画家だという。鋸山美術館で流されていた動画で、大英博物館で開かれた回顧展を見た。その中の吉田堅治はとても話好きでイギリスの若者とも人懐っこく話していた。
その作品の変遷を見ていくと、色彩のない時代から、金箔・銀箔など日本画の技法を取り入れ、さらにメキシコやキューバの色彩を取り入れ、どんどん生命力に満ちた作品になっていくように見えた。しかしその「生」の表現と表裏一体の「死」が常に作品のなかに存在し、生死が混然一体となって「生命」の熱だったり混沌だったりが作品のなかに込められている。
こんな日本人画家がいたなんて。もっと日本で評価されても良いと思う。鋸山に雨が降っていなければ出会っていなかったわけだが、こんな偶然もうれしい。とても良い出会いだった。
その後、裏にある鋸山資料館も行ってみた。基本的には小中学生の見学コースのような造りの資料館で、案内ロボットが出迎えてくれる。私たちがいる間にほかの客は来なかった。昔のチラシやパンフの展示もあったりして、なかなか面白かった。
大きな荷物(リュック)を預けて美術館と資料館を見学したが、その後、フェリー乗り場の土産物屋で少し買い物もしたかった。他に客も少なかったので、リュックを美術館で預かってもらったまま、買い物にも出かけられてよかった。美術館では絵葉書を数枚買った。吉田堅治以外に金谷町を描いた良い絵葉書もあった。作家名が書かれていなかったので、後からいろいろ工夫して検索したが作家名を見つけることは出来なかった。
鋸山美術館を出て、えどもんずというカフェを目指した。月曜は定休日ではなかったが準備中で入れず。仕方なく浜金谷駅まで歩き、電車に乗った。このまま帰っても良かったが、千葉駅まで行って下車し、エキナカのピーターパンでカレーパンほかを購入し、駅のホームで軽く昼食をとり、帰途についた。
夏休みの間中、雨に降られたが、トータルには出かけてよかった。トラベルはトラブル。リゾート温泉に夕陽を見に行って大雨に出くわした体験のほうが記憶に残り、思い出話になることは、過去の夏旅で実証済みなのであった。
最近のコメント