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2021年8月の9件の記事

2021/08/29

鋸山美術館で吉田堅治展に出会う

8月16日(月)ビーチサイド温泉リゾートゆうみで一泊した後、どこに行くかはノープランだった。晴れていれば鋸山だったが、雨で鋸山からの眺望は望めない。緊急事態宣言下で日本寺も閉園中。景色のよさそうなところは基本的に却下。いっそ、海ほたるPAまでバスで行って昼飯でも食べて、またバスで千葉に戻ってきて電車で帰るかとも考えた。しかしこれもまた風雨の中で行ってもなぁという感じ。木更津アウトレットも雨だとテンション下がる。去年も行ったし

それなら美術館でもと内房線沿線の主だった美術館を探したが、月曜はことごとく閉館している。水害から復帰したホキ美術館に久々に行こうかとも思ったが、感染症対策で予約制になっていたりしてちょっと敷居が高かった。

東京湾フェリー金谷港のりばからフェリーに乗る道も模索した。フェリーで横須賀まで行っちゃうかとか。しかしそうすると帰宅するのに東京都を横切ることになり、感染爆発の都内を通ることになって気分が乗らない。そんなとき、鋸山美術館が月曜開館だという情報を妻が発見した。フェリーのりばのすぐ側だった。

検索すると小さな美術館だったが、「吉田堅治展」という知らない画家の特別展をやっていた。地元の画家なのかとも思ったが、知らないことを知るのは楽しいし、いま行かなければ行くこともないだろうし、ゆうみの送迎車で金谷港フェリーのりばまでは送ってくれることが分かったので、鋸山美術館を目指してみることにした。これが正解だったね!


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Kenji Yoshida 吉田堅治は地元の画家ではなかった。終戦間近のころ、特攻隊員に志願したが戦地に向かう前に終戦となり、生死の淵で「生命」を考えた画学生だったようだ。40歳になってパリに渡り「生命」について深く洞察した作品を作っている。日本ではほぼ知られていないとのことだったが、欧州では知られていて、存命中に大英博物館で回顧展が開かれた最初の日本人画家だという。鋸山美術館で流されていた動画で、大英博物館で開かれた回顧展を見た。その中の吉田堅治はとても話好きでイギリスの若者とも人懐っこく話していた。

その作品の変遷を見ていくと、色彩のない時代から、金箔・銀箔など日本画の技法を取り入れ、さらにメキシコやキューバの色彩を取り入れ、どんどん生命力に満ちた作品になっていくように見えた。しかしその「生」の表現と表裏一体の「死」が常に作品のなかに存在し、生死が混然一体となって「生命」の熱だったり混沌だったりが作品のなかに込められている。

こんな日本人画家がいたなんて。もっと日本で評価されても良いと思う。鋸山に雨が降っていなければ出会っていなかったわけだが、こんな偶然もうれしい。とても良い出会いだった。

その後、裏にある鋸山資料館も行ってみた。基本的には小中学生の見学コースのような造りの資料館で、案内ロボットが出迎えてくれる。私たちがいる間にほかの客は来なかった。昔のチラシやパンフの展示もあったりして、なかなか面白かった。

大きな荷物(リュック)を預けて美術館と資料館を見学したが、その後、フェリー乗り場の土産物屋で少し買い物もしたかった。他に客も少なかったので、リュックを美術館で預かってもらったまま、買い物にも出かけられてよかった。美術館では絵葉書を数枚買った。吉田堅治以外に金谷町を描いた良い絵葉書もあった。作家名が書かれていなかったので、後からいろいろ工夫して検索したが作家名を見つけることは出来なかった。

鋸山美術館を出て、えどもんずというカフェを目指した。月曜は定休日ではなかったが準備中で入れず。仕方なく浜金谷駅まで歩き、電車に乗った。このまま帰っても良かったが、千葉駅まで行って下車し、エキナカのピーターパンでカレーパンほかを購入し、駅のホームで軽く昼食をとり、帰途についた。

夏休みの間中、雨に降られたが、トータルには出かけてよかった。トラベルはトラブル。リゾート温泉に夕陽を見に行って大雨に出くわした体験のほうが記憶に残り、思い出話になることは、過去の夏旅で実証済みなのであった。

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2021/08/28

夕陽はなくてもリゾート温泉ゆうみでゆったり

12:48に成田駅を出発し、千葉駅で内房線に乗り換え、君津駅で再度乗り換えて、保田駅まで。2時間40分ほどの在来線の旅。なかなかの大移動だった。千葉駅の乗り換えでは時間が20分ほどあったので、エキナカパン屋のピーターパンへ。8月15日限定のマンゴーマリトッツォがあった。

今年の我が家ではマリトッツォがプチブームだった。6月に妻がドロゲリア・サンクリッカのマリトッツォを予約して買ってきた。これが後にも先にも最高に美味しかったのだが、いろんなマリトッツォを買っては食べてきた。セブンイレブンのも食べたし、浦和のラ・モーラ、原宿のなんすかぱんすかイータリー原宿店等々。それでピーターパン限定にはかなり惹かれたが、店内は大行列で乗車時間に間に合わない可能性があったので、泣く泣くパスした。

内房線は雨の中を走って、どんどん風景が田舎になっていった。埼玉と千葉とでよく比較されるが、埼玉では見ないほどの田舎駅だ(千葉県民には異論があるだろうが…)。悪い意味ではない。やはり海があることの意義は大きい。電車のドアにも開く・閉まるボタンがある(これは神奈川にもあるが)。

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天気は相変わらずの雨天で変わりない。いや、また少し雨脚は強くなったか。保田駅からリゾート温泉ゆうみまでは徒歩で約13分。送迎も前日依頼すれば来てもらえるが、今回は到着時間が読めなかったため、駅から歩いた。雨のあぜ道や線路の下をくぐりながら、早く風呂に入りたいと願った。これが晴れていれば、猛暑だったかもしれないが、寒いくらいで、レインウェアを着ていてよかった。

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ゆうみのエントランスでは男性従業員がお出迎え。雨の中、徒歩で到着する客は少ないような気がする。結構、車が止まっていた。ロビーに通され、ウェルカムドリンク(緊急事態宣言下なのでセルフサービス)の説明や女性専用の浴衣の選択をして、部屋に案内された。廊下には油絵が飾ってある。社長の親戚筋が描かれたもののようだ。ゆうみの従業員は皆さん笑顔で好感が持てる。

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ゆうみのウリのひとつが、貸切露天風呂(有料)と無料の貸切風呂だ。無料の貸切風呂は到着順に時間予約が出来、40分間ゆっくりと入ることができて実に嬉しい。ただし、どの貸切風呂かまでは指定できない(朝風呂は予約なしで空いていれば先着順)。有料露天風呂も天気さえよければ予約したかもしれないが、大雨だったからパスした…。それは次回のお楽しみとなった。露天風呂付の部屋もある。

とにかく寒かった(!)ので、できるだけ早い時間で貸切風呂を予約して入った。我々は「月」の風呂だったが、とても趣のある風呂で、晴れていれば景色も楽しめただろう。

●夕食は海の幸にアワビに里見伏姫牛

風呂から上がって一息ついてから夕食へ。夕食は2Fのダイニングルームの個室に通された。グレードアップで予約していたので、刺し盛り、アワビの踊り食いに加えて、南房総のブランド牛『里見伏姫牛』の石焼きがついていた。ゆうみのウリは夕陽ではあるが、大雨で夕陽がなくてもおいしい料理があれば救われる(笑)。食べきれないほどの美味しい料理を食べて満足したのだった。

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翌朝、5:00からの無料貸切風呂で、昨日入った「月」以外に入ろうと、5:05くらいに貸切風呂に行ったところ、すべて空いていた。一番乗りだったわけだ。そこで「岬」に入った。「岬」は少し大きめに作られていて、洗い場も2人分あった。二つの無料貸切風呂を堪能できて良かった。しかし朝から天気は雨だった…。この日は雨に加えて風も強く、風呂に風が吹き込んで来た。とりあえず雰囲気だけ確かめて、窓を閉めて湯船につかった。

朝風呂のあとは朝食だ。これまでフレンチの宿への宿泊が多かったので、久しぶりに食べる純和風な鯵の開きは実に美味かった。そして大きい!南房総で食べる魚介は最高だね。

リゾート温泉ゆうみは夕陽があればもちろんいいが、たとえ天気が悪くても居心地のいい宿だった。ただ、雨が降ってなければ行く予定だった鋸山ロープウェイに行けず、新型コロナウィルスの緊急事態宣言で日本寺も8月末まで閉まっており、鋸山という選択肢がなくなって、ここからどう観光するか、電車旅の我々は迷っていた。(つづく)

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2021/08/17

成田山新勝寺で疫病退散を祈願

Img_20210815_111253b 川豊本店でうな重を食べ終えると、外はさらに雨脚が強くなっていたが、新勝寺へ向かった。成田山という山のイメージだったので山を登るのかと思ったがすぐに着いた。

思った通り、人出は少ない。それでもゼロではない。3人組くらいの外国人のグループも複数いた。やはり混み合うなかで詣でるよりも気持ちが安らぐ。

成田山新勝寺は想像以上に見どころが多く、とても美しい寺院だった。寺院は雨にも映える。ゆっくりと見て回った。大本堂ではこの疫病が早く治まるよう祈願し、ろうそくを灯した。その後、大本堂の裏手で聖徳太子像、大日如来像、虚空蔵菩薩像を拝み、三十六童子を数えたりした。

そのまま光明堂で大日如来、愛染明王、不動明王を礼拝し、平和大塔まで進んで引き返した。

その後、出世稲荷へ向かった。長い直線の階段は「出世」と名の付く神社に多い。そこを登ってお稲荷さんを参った。「4列に並んでお進みください」と書かれていて、二人で四列に並ぶ方法を考えたり、出世の階段を降りて帰っていくのはいかがなものかとか、それで階段とは別方向に駅への道順標識があるのかとか、様々な雑念(頓智)を思い起こさせるお稲荷さんだった。

天気が良くて時間もあればもっとゆっくりしたのだが、12:48の成田線に乗らないと、鋸南町のゆうみに16:00までに着けない。この電車だけは逃せないため、12:10過ぎには成田山新勝寺を後にした。その後、参道の土産屋に10分立ち寄り、塩饅頭や栗羊羹を購入して駅に向かった。雨はまだまだ降り続く。

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千葉県へショートトリップ~まずはうな重で腹ごしらえ~

緊急事態宣言のなか開催された東京オリンピックも8月8日に閉幕したようだ。7月30日には首都圏を離れてプチ疎開をしたのだが、8月15~16日には前から決めていた千葉県に旅行した。

緊急事態宣言は8月2日から8月31日まで延期された(さらに9月中旬まで再延期を政府が検討中)。しかし旅行は予約済みだった。緊急事態宣言をうけて、キャンセルは二日前まで無料で出来ることになったので、ギリギリまで迷った。新型コロナよりも天候のほうが懸念材料だった。しかし結局出掛けてみることにした。

西日本はもはや毎年のように豪雨災害に襲われているが、今年は日本列島をスッポリ覆うように雨雲が停滞したり湧いて来たりして、連日雨が降っている。天気予報が雨だといっても降られないことが多かった私たちだったが、今回は結局ずっと雨の中だった。

前日も雨だったがユニクロへ行き、レインウェアにもなるブロックテックパーカーを購入。メンズしかなかったが、妻も少し小さめの同じ商品を買った。これで多少の雨なら問題なし。また、リュック(45L)用のカバーも、私はsea to summitのコーデュラパックカバーを持っていたが、妻は持っていないので応急処置にはなったがダイソーで自転車カゴ用のカバー(30Lくらい)を購入し代用した。帰ってみれば、レインウェアとレインカバーは必須だったと胸を撫で下ろした。

●成田山新勝寺表参道の川豊本店でうな重

最終的な目的地は、妻がネット広告で見つけた内房のリゾートホテルゆうみ(鋸南町)だった。場所は鋸山の近くだった。鋸山はカメラっ娘純情Eちゃんの地元に近い観光地で一度行きたいと思っていたので覚えていた。晴れたら鋸山ロープウェイに乗って鋸山で地獄のぞきをしたいと思った。

Eちゃんもすでに結婚している(月日が経つのは早い!)が、今回鋸山というキーワードが出てきたので、Eちゃんの夫氏に鋸山には行ったか聞いてみたら、詳細なデートコースを教えてくれた(笑)。しかし今回は梅雨のような雨の日だったので鋸山は早々にあきらめた。残念!

Dsc_0500b メインエベントの鋸山が消えたところで、私が考えたのは成田山とうな重だ。浦和にも小島屋という鰻の名店があるが、まだ妻と行ったことはなかった(いつ連れてってくれるのかは常に聞かれているがっ)。成田山新勝寺の表参道にも、鰻の名店川豊本店がある。雨の中出掛けるモチベーションに鰻は最適だ。また、私も妻も成田山新勝寺には行ったことがなかった。

成田山新勝寺の初詣は、テレビでその人出を見ているだけで二人ともアップアップだったので、閑散期のいま行くのは良いアイデアに思えた。疫病退散を祈願しに行ってみようと、まずは行先を成田市にした。

人身事故の多い日だった。また豪雨によって何本も電車が止まったり遅延していた。我々の道程も、途中常磐線が若干遅れたが、成田駅には10:00過ぎに着いた。朝食を抜いて万全の構えで川豊本店を目指した。雨は徐々に強くなっていた。

川豊本店には10:30前につき、すぐに入れた。掘りごたつの席にした。この日はまだ右足の痛みは出ていなかったが、ここで履物を脱ぐことになり細心の注意を要した。上うな重とキモ吸いを2つずつ注文。7200円だった。

Img_20210815_103553b 出てきたうな重には「小ぶりの鰻だったので、すき間に少し多めに盛り付けました。」と、ことわり書きがついていた。個体差があるのは当然なのだが、怒り出す客もいたのかもしれない。こういう気遣いは商売人らしいところだ。日本政府にもこんな気配りが必要な気がした。

上うな重は鰻1匹が乗っている。特上だと1.5匹になるそうだ。時間的にブランチという感じだったので、これくらいのサイズで十分だった。

昔、都内某所(国分寺市)で、オヤジが威張り散らす鰻屋に入ったことがある。車を止めると「曲がっている」から始まって、途中でメディアの地元取材が入ったら客はそっちのけ。そこのうな重は8000円からだったが、ほんとにやせ細った鰻だった。それ以来(25年くらいか?)、私も鰻屋にはあまりいい感情をもっていなかったのだが、そんなトラウマを払拭してくれた川豊本店のうな重だった。

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2021/08/14

野州地鶏旨汁そばと宇都宮スタバ

Cimg6776b 竜頭の滝から中禅寺湖温泉のバス停まで戻ったところでいったん下車し、バス停の向かい側にあるみやま堂で、けっこう饅頭、最中、栗羊羹を購入した。昼食も中禅寺湖で食べても良かったが、軽めでいいということで、じゃあ日光まで戻って蕎麦屋に行こうということになり、バス停に戻った。

バス停で買ったばかりのけっこう饅頭を食べながら座っていると、白タクのオッサンが声をかけてきた。バスと同じ料金で乗せられるという。だが私が「フリーパスなんで」と言うと「あーフリーパス持ってんのー」とすぐにあきらめて、また別の客を探して声をかけ始めた。白タクはフリーパスには太刀打ちできないのであった。

その後、様子を見ていたら、おばさんと交渉成立したようで連れていきつつ、別の男にも声をかけ相乗りをゲットしていた。白タクで日銭を稼ぐには相乗りは有効だろう。私も学生時代にイタリアまで安航空券で行ったとき、夜中について公共交通機関がほとんどない時間帯に白タクに捕まった経験がある。格安航空券で行って白タクに乗るなんてと思ったが、そのときは他に足がなかった。そんなことを思い出した出来事だった。

Dsc_1063b 復路のバスが来て乗り込み、そこから40分くらいで東武日光駅へ。ここで昼食の蕎麦屋を探して、見つけたのは、野州地鶏旨汁そばのむつみ庵だった。駅からは歩いて10分程度だと思うが、すでに14:00になり太陽も出て暑く、また右足が右足が痛くて杖をつきながらだったので、限りなく遠く感じた。

しかし行って良かった。おすすめメニューの野州地鶏旨汁そばセットを食べたが、このつけ汁の鶏汁は実に美味かった。そばつゆという感覚ではなく、温そばの汁という感じだった。また、ゆば小鉢や舞茸めし、舞茸天ぷらなど地元食材が堪能できた。昨日の中禅寺金谷ホテルのスペシャルディナーも栃木食材オンパレードコースだったので、来てよかったという思いを強くした。地元のものをいただくのが一番だ。

食べ終わって、駅に戻る道すがらドラッグストアがあったので立ち寄り、6時間持続する冷感シートを買って右足くるぶしの下に貼った。これでかなり楽になった。ここで帰りの電車をスマホ検索すると、あまりいい時間がない。特急も16時台までない。そこで、東武日光駅ではなく、JR日光駅から宇都宮経由で帰ることにした。

●宇都宮スタバで栃木フラペチーノ

むつみ庵からはJR日光駅のほうがずいぶん近かった。バスで来るときもJR日光駅前で降りればよかったと話しながら、JR日光駅へ。JR日光線の駅は皇室御用達のためなのか、貴賓室がバーンとあって、観光客がその「貴賓室」という看板を見たり写真を撮ったりしていた。

電車はすぐに乗れた。普通列車だが終点から終点までなのでゆっくり出来た。宇都宮駅ビルにスタバがあるのも調査済み。妻はいまご当地フラペチーノに凝っていて朝から茨城のスタバまで行ったりしていたので、宇都宮乗り換えにテンションアップしていた。スタバ(というかファストフード全般)にはとんと縁のない私は、もう乗っかるしかない。

宇都宮のスタバは大混雑だったが何とか席を確保し、妻にお任せで待った。その間、客層を観察していたのだが、なんだか首都圏より派手というかケバい人が多い気がした(偏見か?)。栃木フラペチーノはまぁ美味しかった。ちなみに8月に入って、これを書く5日前には埼玉フラペチーノを浦和のスタバで食べた。妻は埼玉限定の「多彩玉ストロベリー&シトラス・フラペチーノ」、私はスタバ夏の新作「パイナップル・フラチーノ」を。まぁ美味しかった。

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こうして一泊二日ではあったが、疫病を逃れての疎開は楽しく終了した。この日、つまり7月31日(土)、東京都の新型コロナウィルス感染者数は公式発表で4058人だった。8月14日(土)現在は5094人だ。全国では昨日2万人を超えて今日は20151人。埼玉県だけでも本日1800人となった。

まだまだ疫病は収束する気配がなく、それどころかパンデミックはこれからではないかと思わせる状況にある。政府の対応がすべて裏目に見え、有効と思われる方策(大規模検査、大規模収容など)は一切行われない。私たちはワクチン接種をしていないが、不織布マスクと石鹸手洗い、アルコール消毒だけはやって生き延びている。むやみに都心には出かけないで、たまに疎開する日常を続けるしかない。

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湯元温泉バス停から湯滝と竜頭の滝へ

Img_20210731_0917527月31日(土)、中禅寺金谷ホテルを8:30にチェックアウト。フリーパスの終点、湯元温泉行はホテル前8:53発だと前日調べていた。これを逃すと次は9:38発なので、ピンポイントでこのバスに乗ろうと決めていた。右足が痛くなって杖をつくので8:30にチェックアウトし、また長い廊下を通ってバス停へ向かった。

天気は曇りだが、昨日よりは陽射しもあり、涼しく快適な朝だった。バスは少し遅れてきた。そこそこ車も多く、日光駅前からのバスなので、遅れたのかもしれない。観光バスのような路線バスだった。とりあえず座れてよかった。

9:15頃、湯元温泉(終点)到着。温泉郷だというので、いわゆる温泉街をイメージしていたが、バス停のまわりは、なんとなく運動公園のような風景。スキー場や登山口もあるので、その入り口なんだろうか。

湯の湖という湖があり、その周りに遊歩道が整備されている。一時間もあれば一周できるようなのだが、右足も痛いし今回は滝めぐりにしようと決めていたので、ここには長居せず湯滝を目指すことにした。

Img_20210731_094553とりあえずバスの時間を確かめてから、名物のつるやの塩羊羹を買いに行った。この時間も営業中で助かった。塩羊羹を2つ購入した。このとき9:20過ぎくらい。乗ってきたバスの発車時刻は9:25なので、これに乗ろうとバス停に急いだ。杖をつきつき。

●湯滝まで散歩

湯滝入口までは近かった。そこでバスを下車して湯滝まで歩いた。ゆるやかな下り坂で足には少し堪えるが、森林の空気は気持ちがよかった。湯滝側からもハイキング出来るようで、自然好きにはとてもうれしい場所。

湯滝は華厳の滝よりも近くで鑑賞できる。滝のすぐ下でフライフィッシングをしているオッサンもいた。こんな光景を見るとすぐ『リバーランズスルーイット』が思い浮かぶわけだが、ブラッドピットではなく正名僕蔵さんに似たオッサンだった。

Img_20210731_095214b 湯滝を見ていると太陽も出てきた。これだけ滝に近いとレーナルト効果によるマイナスイオンもきっと発生しているのだろう。人がいなっくなったらマスクも外して新鮮な空気を吸い込んだ。まさに疫病戦争から疎開して来た醍醐味だ。滝めぐりにして正解だった。

湯滝入口からのバスは10:25だったので、約40分程度の滞在時間でバス停に戻った。次に目指すのは、竜頭の滝だ。そこまでは若干バスでゆっくり出来て、足の回復にも助かった。

バス停で降りたら、バス停に貼ってある時刻表をスマホで撮影して戻る時間を逆算するのだが、ここまで、東武日光駅のインフォメーションでもらったチラシに載っているバスの運行表もずいぶん役に立った。主要なバス停しか掲載されていないが、おおよその時間配分と路線図もあるので効率的に回れている。

特に日光旅行には東武日光駅前インフォメーションでの情報収集は必須だ。フリーパスも購入は必須だが、どこまでのパスを買っていくかの計画は立てたい。今回は完全に元が取れたと思う。

●竜頭の滝から滝上まで登った(下れば楽だった)

竜頭の滝は二本の滝が竜のひげに見えるところから名づけられたとのこと。ちょうど緑の濃い時期でもあり、緑の葉が竜の鱗に見えた。なかなか美しい滝だった。

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お土産屋やちょっとした飲食もできるが、まだ昼食には早いのでスルーして、滝の右横の遊歩道へ。遊歩道の手前にも祠があり、そこに吾唯足知のつくばいがあった。竜安寺ほどの風情はないが…。遊歩道からは滝を見ながら登っていくことができた。杖をつきながら登っていくと、一番上にはさっきバスで通った滝上バス停があった。こっちで降りて滝に沿って降りてくるというルートのほうが楽だったかもしれない…。とりあえず登り切ったので滝上バス停でバスを待ち、これに乗った。

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これで、前日の華厳の滝、今朝の湯滝、そして竜頭の滝と3つの滝を巡った。もうひとつ、日光東照宮に戻る途中に浦見の滝があり、そこにも寄ろうかと思ったが、バス停からちょっと遠そうだったので右足の痛さもあって、今回はこの3つの滝で打ち止めとして日光駅に戻ることにした。

(つづく)

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2021/08/12

中禅寺金谷ホテルで栃木食材を満喫

Img_20210730_144333b (つづき)英国大使館別荘跡地のカフェでスコーンと紅茶をいただいて、展示物もじっくり鑑賞した。そこからまた遊覧船に乗っても良かったが、涼しくて気持ちがいいので船の駅まで歩くことにした。途中にある立木観音を通り過ぎ、星野リゾート、リッツカールトンなどの高級ホテルを横目に見ながら歩いた。結局、遊覧船は半周だけしか乗船しなかったが、別荘跡地方面はフリーパス圏外でもあったし、遊覧船の航路もゆっくりくつろげたので良かった。

船の駅までくればフリーパス区間なので、ホテルまでにあるバス停で途中下車して回ることにして、日光二荒山神社中宮祠へ。ここは男体山信仰の起点になる神社で、何百回も信仰登山している人が表彰されたりしている。

翌日の夜来れば、中禅寺湖で神事としての花火打ち上げも見られたことを知り、もう一泊するかとも考えたが思いとどまった。

神社の裏手には栃木県の天然記念物「いちいの木」という巨樹があった。いちい=一位ということで必勝祈願に訪れる人もいるようだ。東京オリンピックの喧騒を離れ疫病戦争から疎開してきた身、ここはひとつ、いちい=一意と考え、疫病に打ち勝つよう一意専心で祈念したのであった。

神社前からホテルへ向かっても良かったが、まだ若干時間も早く、船の駅と神社との中間にあった展望台も気になったので、歩いて湖畔展望台に戻ってみた。展望台といっても下から見上げると3階建てくらいの高さで、公園にある物見矢倉のような感じだったが、エレベータで登ってみると、周りに障害物もなく中禅寺湖の眺めはよかった。まぁしかし他には何もない広場といった趣き。天気もあまりよくなかった。

●日光中禅寺温泉 中禅寺金谷ホテルへ

中禅寺金谷ホテル16:00近くなったので、またバスに乗り一路、中禅寺金谷ホテルへ。中禅寺金谷ホテルは由緒正しいホテルだ。

1873年(明治6年)に外国人御用達の宿「金谷カッテージ・イン」として開業した現在の日光金谷ホテル(本館)には、前回熱く語ったイザベラバードも宿泊してる。

中禅寺金谷ホテルは1940年(昭和15年)に日光観光ホテルとして開業された。詳しいことは金谷ホテルの歴史サイトで。森の中にたたずむオレンジ色の洋館には、たしかに欧州の香りがする。

入口は温泉露天風呂空ふろに通じる板張りの廊下の途中にあった。車で来れば駐車場側から入館してすぐフロントのようなのだが、バス停は中禅寺湖側にあるので、裏道を通ってこの裏口から入るようだ。ここから館内に入ると、フロントまでは長い回廊になってる。これもまた旅情をそそる造りで期待感が増した。

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ホテルについてひと段落。結構歩きっぱなしで疲れた。妻はここで先に風呂に行ったので、ひとりでくつろいだ。貴重品はフロント前にあるBOXに預けられるので、部屋を空けるときはそこに部屋のキーや貴重品を入れておく。風呂の入口は暗証番号制になっていた。

そして目当てのディナーだ。中禅寺金谷ホテルのスペシャルディナーコースはかなり美味しかった。栃木の食材をふんだんに使った地産地消というコースなのでなお美味い。昨年から箱根、熱海のオーベルジュやおいしいフレンチを食べ歩いていたけれど、ここで食べた栃木しゃもと日光湯波のテリーヌとちぎ和牛"匠"フィレ肉のポワレはコンラッド東京、銀座肉いさにも匹敵する美味さだったと思った。

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翌朝の朝食は7:30頃食べた。この時間は込み合うかもしれないと聞いていたが、それほどでもなく、木漏れ日のなかでゆったりと食べることができた。旅先の朝のオムレツはどうしてこんなに安らげるんだろう。

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この日はフリーパスの終点湯元温泉まで行って、そこから戻りながら滝を見て回ることにした。一つ懸念材料があった。私の右足だ。朝風呂に入ったときに、露天風呂への段差で少しひねった。普通なら何の問題もないのだが、今の私の右足はガラスの右足だ。歩くたびに痛みがある。

折り畳み式杖昔から痛みがあったのだが、年齢とともに痛みが増し、整形外科によると外反母趾とのことだ。それで足先が曲がっているうえに、くるぶしの下側も痛くなってきた。おそらく腓骨腱鞘炎も併発している。それで大事をとって最近、折り畳み式の杖を購入し持って来ていた。

身長176cmでも使える長い杖があまりなく楽天で探して購入していた。これを使う時が来た。最初はどっちの手で杖をついて、どのタイミングで動かせばいいのかわからなかったが、痛みがあると自然と使えた。やはり実践に勝るものはないな。ということで、この日は朝から杖をついて出かけた。

(つづく)

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2021/08/11

中禅寺湖にプチ疎開

前の記事でこの疫病との闘いを戦争だと書いたが、それは長い長い伏線で、本来はこちらのプチ旅行記を書くつもりだった。いつものことだが熱くなって長引いたので「オリンピックの思い出」という無難なタイトルで別記事にした。では本題。

「戦争なら疎開しなきゃ!」というわけで、7月30日(金)から1泊だけだけど、首都圏を脱出して中禅寺湖までプチ旅行してきた。初めて訪れたのだが箱根と似てる。箱根好きの私は結構気に入った。

Cimg6695日光には昨年訪れていたので、同じく日光号で東武日光駅まで電車で行き、そこで湯元温泉フリーパス(二日間有効)を購入し、中禅寺湖温泉行のバスに乗った。晴れていれば明智平で下車しロープウェイに乗りたかったが、かなりの靄でロープウェイは運航中だけどほぼ景色はない状態だったので、バスの終点まで行って華厳の滝を目指した。

華厳の滝周辺には観光客がちらほら。疎開だからこのくらいがちょうどいい。見ているうちに陽が差してきた。午前10:40頃だった。

中禅寺湖周辺には滝が4つほどあるというので、とりあえず二日間で回ろうと思った。とりあえず華厳の滝を後にして船の駅中禅寺へ。フリーパスで中禅寺湖一周フェリーが10%割引だった。反時計回りだけなので、次の菖蒲が浜で下船すると、宿泊地の中禅寺金谷ホテル近辺に直行してしまうルートだったが、まぁゆっくりしようと一周チケットを購入し乗船。乗客は20~30人というところだろうか。空いていた。男体山の頂上は雲で見えなかったが稜線だけでも美しい山だった。

菖蒲が浜をスルーして大使館別荘記念公園で下船した。40分ほど遊覧船に乗っていた。乗客が少ないから荷物を席に置いたまま左右の席やデッキに出たりした。米中経済戦争の影響でアップデートが出来ないファーウェイのスマホhoner6のカメラについているワイドアパーチャ機能がとにかく性能がよく、このカメラのためだけに使い続けているスマホで写真を撮った。遊覧船の進行方向に小舟で釣りをしている人がいて、あやうくぶつかりそうでヒヤヒヤした。

●大使館別荘跡地でゆったり過ごす

大使館別荘記念公園にはイタリアと英国の別荘跡地がある。どちらも美しい建物で、そこから見る中禅寺湖が欧州への郷愁を掻き立てたんだろうなと納得させる立地だった。

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上の写真はイタリア大使館別荘跡地(復元)。モダンな造りで美しい。ただ、少しお腹が空いてきたので、妻の好きなスコーンを食べようと英国大使館跡地に向かった。
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個人的には英国大使館別荘跡地は実に見どころも多かった。英国の外交官として19歳で来日したというアーネストサトウが1896年(明治29年)に建てたこの別荘には、何人もの著名人が滞在していた。そのなかにイザベラバードの名前を見つけたときは嬉しかった。

日本奥地紀行』で知られる探検家イザベラバードは、日光を通って東北地方を巡る旅をしたので、そのときにこの別荘を訪問したのかと思ったが違った。

イザベラバードが日光を出発したのは1878年(明治11年)なので、まだこの別荘は建っていない。しかし金谷カッテジイン(現在の金谷ホテル)にはこのとき滞在している。アーネストサトウが来日したのは明治5年ごろだから、この当時から面識はあったのかもしれない。

イザベラバードが別荘を訪問したのは別荘が建って早い時期だったと書かれていたので、年代を調べると、ちょうどイザベラバードが『朝鮮紀行』で朝鮮半島を探検していた時期だった。彼女は1894年からの3年間に4回朝鮮半島に渡っており、日本を起点としていると思われるので、そこで建築されたばかりのこの美しい別荘に招待されたのだろう。

イザベラバードについては、宮本常一著『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』で知った。宮本常一、イザベラバード、アーネストサトウが中禅寺湖のプチ旅行でつながったことにとてもワクワクした(妻は知る由もないだろうが…)。

(つづく)

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東京オリンピックの思い出

疫病が蔓延の兆しをみせるなか、7月23日に一年遅れの東京オリンピック開会式が行われた。菅義偉政権は東京オリンピックはバブル方式(関係者は徹底管理された環境のなかだけに行動を制限する)で運営するため新型コロナウィルスの蔓延にはつながらないと言い、小池百合子都知事も、オリンピックはステイホームを促し人流を減少させると述べた。

しかし、飲食店を休業に追い込み、一般人の旅行も外食も制限していながら、海外からやってくる選手は日本中で合宿をしていた。終わってみれば昨日(8月9日)時点で458人の関係者が感染した。バブル方式は最初から絵に描いた餅だった。

小池百合子都知事の言い分もまったく的外れだった。五輪の視聴がステイホームに有効ならその理屈で延期などせず東京オリンピックを開催すればよかった。感染防止のために。

当時はまだ現在の100分の1程度の感染だった(発表ベースで)。都内で34人の感染者が出た2020年6月2日、東京アラートが発動し、都庁とレインボーブリッジがレッドライトで赤く染まった。20人以上が東京アラート発動の基準だったからだ。東京五輪が開催された今年、7月28日には都内感染者数が3177人と3000人を突破、五輪も後半戦の8月5日には5042人を記録した。いま「記録した」と書いているが、これで治まるかどうかわからない。

首都圏はもはや見えない敵に襲われていた。嬉々とした大衆は五輪万歳と叫び、同じ阿保なら踊らにゃ損損状態。興味のない大衆は別の娯楽を求めて街に繰り出し、これ幸いと帰省や旅行も増加した。摩訶不思議な屁理屈によって徒手空拳で戦っている政治家の戯言が続く。「政策を間違った」とは間違っても謝らない政権と官僚。検査数も病床数も一向に増えない。(平時ならほとんど重症レベルの)中等症者は自宅療養せよと医療放棄の状態。2年も無策でこの状態に追い込まれた大衆は、ほとんど政府の発言は聞かず、メディアやSNSの情報(噂話)で自ら判断する。まるで未開の地だ。

海外ではワクチン接種済みという免罪符をもって出歩く人々が、さらに疫病を広げている。疫病のほうも次々変異し、現在はデルタ株という感染力の強い新型コロナウィルスが主流となった。こちらもいたちごっこだ。日本も周回遅れでこの道に進もうとしている。

この状態は戦争だと思った。ミサイルは飛んでこないが、無能な政府と未知の生物との戦争状態にある。不織布マスク、石鹸手洗い、アルコール消毒、換気の徹底、そしてワクチン(打ってないが)。これが現在の人類が持っている武器。ほぼ防戦一方だ。未知の生物は実態が見えず次々と変化しDNAの転写エラーを起こしながら急速に進化しては人から人に感染拡大していく。

この後、どんな世界が訪れるのかわからない。グローバル資本家はこの惨事に便乗して信じられないほどに儲けている。日本の超長期停滞を尻目に米国はインフレ懸念。気鋭の哲学者斎藤耕平は東京オリンピックを「祝祭資本主義」と断罪した。

疫病と五輪とを別問題だとしても、どちらも対応を失敗した日本政府だと思う。ツケは必ず来る。歴史が証明している。しかし歴史をイノベーションの連続(つまりは失敗の連続)と捉えるならば解決先もきっと見つかると信じたい。そのベクトルが現代に蔓延る強欲資本主義の延長にはないという思いを強くした東京オリンピックだった。

バブル方式で行われたオリンピックが終了した翌日、IOCのバッハ会長は銀座を散策。終わればバブルもなくなったというわけではない。選手は帰国するまではったりバブルのなかで行動制限されていた(もちろん違反者は出た)。さらにパラリンピックもこの後始まるのだ。バッハ会長の行動を丸川珠代五輪担当大臣は「不要不急かは個人が判断すべきだ」と発言した。

私はバッハを五輪貴族と呼んだが、オリンピックは五輪貴族にとってのコロッセウム、選手は古代ローマ帝国の剣闘士だ。その構図をもはやオブラートに包みもしない強欲資本主義の時代。運動万博はその役割を終えた(いやもはや役割すらなかったか)。

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