平成から令和、そして夜会工場VOL.2へ
令和元年最初のひとくちメモは、中島みゆきさんの映画「夜会工場VOL.2 劇場版」になりました。と、その前に、平成から令和に代わるあたりの近況についてちょっと書き残しておこうかな。ちょっとと言いつつ前置きが長いのは令和になっても変わりませんが。
●平成最終日は渋谷のオーチャードホールで「砂の器」
平成最後の日、4月30日は渋谷にいました。昼は明治神宮内のレストランでランチ。妻は春限定のランチセット、私はパーコー麺を食べました。私にとっての平成はある意味“ラーメン行脚”の時代でした。平成11年に「ポップングルメ紀行 1999年・夏」を書きましたが、ラーメンに目覚めた頃で、そこからはラーメン師匠と共にラーメン行脚に明け暮れました😃 そんな私の平成最後のラーメンが明治神宮のパーコー麺というわけです。
その後、御朱印待ちの長蛇の列を横目にお参りをして、Bunkamuraのオーチャードホールへ。「砂の器シネマコンサート」を鑑賞しました。昭和の名作「砂の器」はDVDで何度も見直すほどに好きな映画で、年明けに妻にも見せたのですが、それで妻がこのシネマコンサートを見つけてきたのです。音楽が素晴らしい映画だからシネマコンサートに向いているとは思っていましたが、想像以上に素晴らしかったです。
映画とジャストにシンクロする生のオーケストラ(竹本泰蔵指揮・東京交響楽団)と近藤嘉宏さんのピアノによる交響曲「宿命」がホールに響くと、心の中で「おおーっ!」と叫んでしまいます。途中は映画にのめり込んでるけれど、音楽が鳴ったとたんに、その音圧に毎回「おおーっ!」って感じる。この感覚はシネマコンサートならではです。いやー、いい体験でした。また違う映画でも体験したいな。
Bunkamuraは夜会の聖地のような場所ですよね(オーチャードホールではなくシアターコクーンですが)。思えば夜会は平成時代の中島みゆきの活動のコアであり、平成時代がそのまますっぽり夜会時代といっても過言ではありません。そんなBunkamuraに平成最後の日に訪れたのもなにかの縁のような気もしました。
シネマコンサート終演後、近くにあるレストランVIRONで遅めの夕食をとり、渋谷駅に向かいました。あと数十分で平成が終わります。テレビ局の車やパトカーがたくさん出動していて、109の看板のうえに既に「令和」の文字が見えました。これも時代の1頁かなと思い写真に収めました。
●令和になってまた下血…
そして翌日、元号が令和になりました。そもそも元号なんてなくてもいいって生き方をしてきた私でございますが、そうはいっても「昭和」を、あるいは「昭和」という括りで語ることはこれまでも多かった気がして、合理性が求められる実務を離れたところでは日本の元号に目くじら立てたりはしません。そもそもイベント好きなんで、なんでも記念日にして楽しめればいいんです。いまの天皇制には反対です。
5月1日は浦和の調(つき)神社にお参りをして、初めて御朱印帳を書いていただきました。だから私の御朱印帳は調神社のもので令和元年初日から始まります。妻はOLの王道を歩いてきたような人なので(笑)、伊勢神宮の御朱印帳の裏表にぎっしり御朱印が溜まっています。ま、私が神社に参るのにその影響がないとは言えません。神社を戦争利用する人たちは嫌いです。
調神社では雨に降られてしまいまして、それが悪かったのかもしれませんが、翌5月2日に体調を崩します。午前中はまだよくて、御朱印帳も作ったしと大宮の氷川神社にお参りをしました。この日も行列でしたがありがたく御朱印をいただきお参りしました。しかしその帰りあたりから下痢の症状が出て、帰宅後トイレで下血しました。その症状は昨年9月下旬のときと同じでした。
令和になって二日目、ゴールデンウイーク10連休の真ん中で下血。病院もほとんどお休みに入るタイミング。そこで前回病院に行ったときを思い出し、経口補水液だけを取ることにして安静にしました。明日から2泊で予定していたプチ旅行の電車と宿もキャンセルしました。そして66時間後、なんとかおかゆと具無し味噌汁を食べました。下血も最初の一回だけで済み、GW明けから社会復帰できました。妻には心配かけました。そのせいか、妻はGW明け3日後の5月9日に体調を崩してしまいました。
●夜会工場VOL.2 劇場版に思ふ
5月11日(土)になり、ようやく妻の体調も戻り、多少動いたほうがいいかもというので、GW中の5月3日に公開されて見に行けていなかった映画「夜会工場VOL.2 劇場版」を見に行きました。個人的には旅行に行っていて初日は見れないと思っていましたが、まさか下血して寝込んで見れなくなるなんて…。
中島みゆきの夜会が始まった1989年は平成元年。中島みゆきさんにとって平成はまさに夜会とともにあった時代でした。ただ、私は初期の頃はまだコンサート派で、夜会はそれほど見ていません。学生にとっては高額チケットでしたし入手困難でもありました。たぶん、初めて見に行った夜会はシャングリラだったと思います。
そして2014年の「橋の下のアルカディア」を最前列で鑑賞するという幸運にも恵まれました。この作品は夜会のひとつの完成形と思えます(異論はもちろんあるでしょうが)。それはVOL.19で再演された後、平成最後の作品となったVOL.20の「リトル・トーキョー」がシャングリラ以来の既存曲と新曲との混合で成立する舞台になったこと、そして平成から令和への時代の変化とみゆきさん自身のメタモルフォーゼ癖(?)に起因するような気がしているわけです。
平成最後の作品と書きましたが、中島さんは基本的にほとんど過去を振り返らないので、リトル・トーキョーという作品は、平成の次の時代を見据えて作られていると思えてなりません。つまり平成=夜会時代の集大成は「橋の下のアルカディア」だったのではないかという私の妄想です。
昭和の中島みゆきは歌姫でした。そんな歌姫が平成という時代の始まりとともに夜会で歌い演じる舞姫になったわけです。歌から言葉の実験劇場へと変態(メタモルフォーゼ)した時代が平成でした。
この流れを踏まえて「夜会工場VOL.2 劇場版」はどのような存在なんだろうと思っていたとき、映画を見ながら「輪廻」という言葉がふと脳裏をよぎりました。歌から舞台へ、そして再び歌の世界へ。夜会工場VOL.2は歌(歌唱)の力を夜会から切り取って脱構築したコンサート映画(舞台)でした。
前に「橋の下のアルカディア」は「ストーリーに拘泥せず、各シーンをショートストーリーのように捉え、言葉と音に集中するといい」というひとつの見解を書きました。これは夜会全体に言えることだと思っています。このような見方をもっと過激にかつ分かりやすく構成してくれたのが「夜会工場VOL.2」のように感じました。
また前後の物語から切り離された歌そのものの有り様は、シュルレアリスム的ともいえます。しかしそのディテールは突拍子のないものでは決してなく、夜会の歴史を知っていればいるほどに、その知識が楽しみを増幅する顧客満足度の高いコンサートでもあります。ファンであればあるほど深く楽しめる大仕掛けなわけです。
このような大仕掛け、つまり30年間という時間を費やした「夜会」という体験を脱構築して提示してみせた夜会工場とは、言葉の実験劇場をリスペクトし続けたファンへの謝恩会、令和記念特別セールのようなものなのではないでしょうか。シーンをつなぎ合わせるわけでなく、曲ごとの世界観(ディテール)を楽しみなはれってことです。
これを中島みゆきの音楽回帰と捉えるのは尚早に過ぎるとは思います。しかし夜会VOL.20「リトル・トーキョー」と「夜会工場」にその片鱗を見ることはできます。昭和の歌姫と平成の舞姫の二雙の舟がひとつになることを意味していないでしょうか。令和になって何姫になるか楽しみな中島みゆきさんです。
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