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2019.03.10

細野晴臣あらためホチョノ・ハルオミを聴く

今日は妻が友人に誘われてユーミンの武道館コンサートに行って留守なので、オレも自宅で音楽を大音響で堪能しようと、買ったばかりの「HOCHONO HOUSE」を聴きはじめた。

名盤「HOSONO HOUSE」から46年後にセルフカヴァとして発売された「HOCHONO HOUSE」だが、そのジャケットからして、ただでは済まないだろうという予感はあった()。昨今の細野さんの生音志向とは一線を画し、「S-F-X」を彷彿とさせるテクノ感ムンムンのジャケ写真だ。

HOSONO HOUSE」のカヴァーなんだからあえてテクノである必要はないとも思ったし、あえてテクノを介在させることで21世紀の生音志向から何らかの揺り戻しメッセージがあるのかとも思った。そして細野がホチョノにならなければならなかった理由はなんなのか…。

それらの疑問や興味への応えは、ご自身によるライナーノーツでも一部明らかにされたと思う。いや、明らかにされたというより、現在進行形の細野晴臣という生身の音楽家による、自問自答の宅録がドキュメンタリーのようにパッケージングされた、気持ちの良いプライベート作品といった趣きだった。

この「プライベート作品」という趣きこそが「HOSONO HOUSE」のコアだったと思う。その意識が時を超えて同じ感覚で作品になったことがうれしい。

打ち込みあり生音ありかつてのライブ録音あり、また歌詞の一部書き換えにもドキュメンタリー感がある。真摯に作品に向き合おうとする心持ちの暖かさ。それをサービス精神といってもいいかもしれない。細野ファンにとってかゆいところに手が届くアルバムだと思う。

音楽の方法論は様々で時代との格闘はあるにせよ、「HOSONO HOUSE」にパッケージングされた若き細野晴臣の意識を、ベテランのホチョノ・ハルオミが恥かしがりながらもちゃんと汲み上げてる(持ち続けてる)ことのうれしさ。好きな音楽家がこうやって作品を作ってくれることがうれしい。

「HOSONO HOUSE」のファンにとって、このようなカヴァの方法論を受け入れられないといった声はあるだろうか?よくリメイクやリミックスなんかだとオリジナルのほうがいいとかそういう声が必ず出てくるわけだが。

しかしこれはホチョノ・ハルオミプロデュースの別物であり、当然のことながら「HOSONO HOUSE」を知り尽くした本人による現時点の音楽的実験と受け止めたい。ライナーノーツにもその苦しみが自嘲的にホチョノワールドを生み出したことが書いてあった。

今回の楽曲のなかで特筆したいのは「終わりの季節」だ。ご本人も「意表を突くとはこういうことだろう。」と書かれているが、いい意味で裏切られた。素晴らしい 演奏者細野晴臣を堪能できる。こういうのをベースヴァージョンでも作ってくれないだろうか。ミック・カーンみたいな感じで。

そして「恋は桃色」だ。テクノへの関わり方が、やはり一般大衆の耳とはずいぶん異なる細野ワールドだ。それが70年代の自身の楽曲に重なったとしても、決して“あの頃”(80年代)のテクノではなく、やはり地続きの細野ワールドであって、違和感を感じない。

逆にいうと、テクノというジャンルを創造した中心人物が、打ち込みではあってもほぼテクノ(テクノポップ)ではなかったんだと再認識させられる。あるいはテクノとは単に音楽創作上の手続きでしかなく、細野ワールドにおいてはジャンルではなかったんじゃないかと今なら思える。

なにはともあれ、細野ワールドに半身浴しつづけてきた私の人生だったし、テクノという鏡の裏表=過去と未来がつながったテクノの国のホチョノが聴けて良かった。

「HOCHONO HOUSE」を2周聞き終えて、「メディスン・コンピレーション」を聴きはじめた。この後は「オムニ・サイトシーイング」を聴きたい。どっちも10年前にリマスタリングが発売され、ひとくちメモでそれを喜んだCDだ。今日は自宅でホチョノコンサートなのだ

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