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2017.05.01

ドラマ「北斗」 アンビエントな過激さのなかで最終回

WOWOWの土曜ドラマ「北斗」が最終回を迎えた。最終回をリアルタイムで観るのがもったいないような、そんな全五話の短いドラマのなかで濃密に描かれた物語。毎回1本の映画を見終わったような気分になった。

全五回などの短い連続ドラマは地上波ではNHKか民放深夜でしか見られない編成だ。その物語の持つ“熱量”を最高潮に詰め込んだ話数のドラマが好きだ。スポンサー契約の都合でダラダラと11回やるよりもいい場合が多い。もちろん「沈まぬ太陽」のように長さを必要としたドラマもあり、それぞれに適切な長さで作れる自由度がWOWOWにはあるような気がする。

それにしても「北斗」は強烈な物語だったな。石田衣良さんの原作も分厚い。あまり小説を読まなくなった私だけど、石田衣良さんの原作は読んでみようかなと思った。その厚さに躊躇しちゃうわけだけど…。石田衣良さんは池袋ウエストゲートパークの印象が強いけれども、ジャーナリスティックなテーマを幅広く取り上げる作家という印象を持ってる。

「北斗」の全五話は、幼児虐待、虐待からの解放、幸せな生き直し、幸せからの転落、裁判といった大まかな流れがあり、前半はすでに殺人犯として獄中にある北斗(中山優馬)が国選弁護士の高井(松尾スズキ)との対話のなかで語った回想と、弁護士の調査によってわかった北斗の壮絶な生活環境の実態が折り重なって進んでいく。

1970年代の日本映画のような映像やテロップが、この物語の(いい意味での)暑苦しさにとてもマッチしていた。中山優馬の眼力も北斗という難しい役柄に説得力を与えていた。将来も期待できる若手俳優のひとりだと思う。今後もいいスタッフと仕事をして欲しい。

幼児虐待というだけで、ものすごい嫌悪感を抱いてしまう。それをこんな風に徹底的に映像化されてしまうとかなりキツイ…。もちろん、ここまで描く必然性がこの物語にはあるわけだけど。

最近、殺人事件とかミステリーとか頭を使うドラマは苦しくて、CXの「人は見た目が100パーセント」のような内容がまったくないドラマをボーっと見るほうが落ち着く自分がいるのだが、「北斗」は最初から嫌悪感100パーセントの幼児虐待で思いっきり疲れた。しかし見始めてしまうと、惹き込まれずにはおかない物語のパワーを持っていた。

北斗の犯した殺人は単純明快な殺人事件ではない。ここでは書かないけれども、視聴者それぞれの境遇でも感情移入の仕方は変ってくるかもしれない。情状酌量の余地なんて言葉よりももっと深い人間の業を考えさせられる。それは北斗本人の業であり、生みの親の業であり、巻き込まれた人々すべての業と業とのぶつかり合い、あるいは溶け合い、ふれあい、あらゆる感情をゆさぶる。

●北斗の生き直し

私自身は北斗のなかに、永山則夫(元死刑囚、1997年死刑執行)の人生を見た。永山則夫についてはひとくちメモでも何回か書いている。永山の場合は極貧の幼少時代という背景を持ち、いわゆる幼児虐待とは異なるかもしれないが、精神の形成期に傷を負ったという意味で似たものを感じたのかもしれない。

永山則夫は不幸な境遇から抜け出せないまま連続殺人を犯し、獄中で知識を吸収し小説を書き、死刑と無期懲役との間で揺れ動きながらも全力で生き直しを目指していたんじゃないかと思う。その途上、非常に政治的な判断のもとに死刑執行されてしまった。

ドラマ「北斗」は虚構ではあるけれど、いやだからこそ、永山則夫よりもさらに複雑かつ現代的な地獄のなかで育ち、精神に傷を負う北斗を目の当たりに出来る。これでもかというくらいに。虚構であるからこそ受け止められたともいえる。ただ、これほどの現実もいまの現代日本ならどこかで起っていてもおかしくないとも思う。

その後、児童相談所の相談員によって救われ、これ以上ない里親のもとではじめて生き直しを始めることができた北斗。ようやく人間らしい生活を取り戻した北斗。この落差もまた虚構ならではなのかもしれない。それなのに、また思いもよらない悪夢と不運に見舞われる北斗…。

最終回、一人の人生では抱えきれないほどの不幸を背負った北斗の裁判だけでほぼ全編が進み、そのなかで視聴者は北斗の境遇と罪とを天秤にかけさせられるわけだ。まるで裁判員制度で裁判員になったときの予習をさせられるかのように。

裁判というある種の非現実を日常のなかに持ち込むのはとても疲れる。ドラマを見てるだけでこれだけ疲れるなんて…。だから最終回を見るのが今日になってしまった。「よし、見るぞ」と覚悟を決めて見始めたわけだ。

この裁判ではここまでの4話で見せつけられた物語が弁護士の言葉で淡々と語られる。被害者側からの視点も挟まれる。生みの親も証人として現れる。そこで丸裸にされる北斗の精神。ある種の洗脳体験にも近いほどの錯乱状態となる北斗。

最後の判決が下り、裁判所から人々が退席していくだけの淡々としたエンドロール。これも映画のようだ。ものすごく心を揺さぶられるドラマだったのに、とても静かなエンディングだった。アンビエントな過激さ。ここで何かを語る必要はない。北斗のその後の物語は視聴者にゆだねられる。私はここでも永山則夫の獄中人生をまた北斗に重ね合わせてみたくなった。

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