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2016.12.11

ダリ展からDOMANI明日展へ

「真の画家は、空っぽの砂漠を前にしても、カンヴァスを途方もない場面で満たすことができるはずである」という作品の絵はがきはなかったがトートバックがあったので購入し図録を入れて帰宅した。12月10日(土)は朝から風が強かったが天気は良く、クリーニングを出してから国立新美術館に向かった。開催中の「ダリ展」が12日までなので、開催中最後の週末だった。着いたのは11:40頃ですでに行列は20分待ち。その後70分待ちにまで行列は膨れ上がっていったらしい。その様子をアニメーション化したくなるほどの大人気だ。行列を写真に撮っている外国人もいた。

ダリ展に来たのは2回目。最初は1987年、山口県下関市下関市立美術館の「イメージの魔術師ダリの世界」だった。「自分の仕事の中で、絵画は氷山の一角にすぎない」とダリ本人も語っており、画家でなく著述家、挿絵家としてのダリに焦点を当てたマニアックな展覧会だった。そしてこの当時、ダリはまだ存命中だった。1984年の火災で全身火傷を負ったことがニュースになった。その3年後のダリ展だった。そして1989年にダリは永眠した。

29年後に観た今回のダリ展では、ダリという捉えどころのない多彩なタレントを、時代ごと、ジャンルごとに整理し、多角的に捉えた展示だったと思う。

ボクにとってサルバドール・ダリというタレントをどのように評価するかはとても難しい。ダリに出会ってからこちらも年を取って、若干芸術に対して保守的にもなってきた。ボクが10代の頃、自らシュルレアリストを気取っていた。ダリやデュシャンやマン・レイの影響だったが、それを恥ずかしくもほほえましく思い出す。胎児の顔だけダリになっているダリ・ベイビーという作品を作ったことがある sweat02

ダリの初期の作品は時代背景もあって印象派からフォービズム(野獣派)の影響を受けているようだ。そこからキュビズム、シュルレアリスムへと当時の現代アートともいえるような流行に乗った作品を描いていた。

画家ダリはシュルレアリストとして位置づけるのが一番しっくりくるが、それは作品の完成度というか、もっとも脂の乗っていた時期がたまたまシュルレアリスムの時代だっただけなんじゃないかという気がする。

細い指先、光沢指向、透明指向、引出し、蟻、鍵と鍵穴、時計、ピアノ、言葉、様々なダリの断片が波状攻撃のように繰り出され自由自在に配置される。それはいずれ絵画の世界を飛び出し、新しいメディアに乗って大衆に突き刺さる。そしてダリ自身がメディアのなかで確信犯的にキャラクターとして確立し、それが作品の評価にもフィードバックされる。

コマーシャルな世の中になり、マルチタレントのはしりのようなダリの誕生だが、1989年に永眠してなお、2016年にこれだけの人々を呼び込むパワーを持ってる。特に日本ではマルチな才能が受け入れられやすいのかもしれない。

●DOMANI 明日展

ダリ展から出た後に、同じ国立新美術館で開催されている「DIMANI 明日展」を観に行った。この日が初日だった。今年は第19回というDOMANI展だが、見に来たのは初めて。ダリ展がなければ出会っていなかったが、今後は毎年でも見に来たいかも。

この展覧会は文化庁新進芸術家海外研修制度の成果を発表する場だ。現代アートの最前線に登場してくる未来のアーティスト発掘の場であり、その作品をまとめて鑑賞できる。

海外研修制度についてはホキ美術館の写実画でもいくつか気になっている絵画もあったりして知ってはいたが、この展覧会の図録を読み、1967年からこの制度が続いているというのに驚いた。また文化庁のメディア芸術祭との相関関係もわかった。

ダリが広告を利用して手広く活動分野を広げてきたマルチタレントのはしりだとすれば、もはや時代は誰もがあらゆる素材や機材を用いて表現活動を行うことが出来、何を使ってどう表現しても受容される世の中に“進化”した。

それだけに新奇性=現代アートという等式はないと言っていいだろう。観客は驚きのその先を求めてくる。それは鑑賞する側の“深化”であり、創造する側には酷な世の中かもしれない。だが、そこに言葉ありきということもまたダリは教えてくれていた。

言葉によって作品世界が深まる。タイトル、解説、作品のなかの文字そのもの、言葉そのものがアートにとって重要な意味を持つ。ピュアな作品だけで鑑賞が終わらないのも情報化社会らしい。もちろん作品だけから感じるものだけを鑑賞する自由も担保されている。

作者がことばによって作品を(あるいは作品の一部として)語り、その情報のうえに作品を見る。その循環が作品を豊かにし、鑑賞者の感覚も育成されていくようだ。

13名の芸術家の様々な作品があったが、3つの映像作品がとても印象に残った。南隆雄さんの「Medi」(2016)は6つの映像が大きな縦長パネル6枚に映し出されている。相互にゆるく繋がりながら、青や黄色の原色で加工された風景を映し出す。映写機が90度回転して縦に設置され、6枚の画像を縦にゆっくり流していく。とても落ち着く。

平川祐樹さんの「Vanished Tree - Teufelsberg」(2015)というビデオ・インスタレーションもとても良かった。木の切り株を真上から撮影したものと、樹木がそよぐ真上の空を撮影したものを天地に配置してある。モノクロ映像だ。切り株をじっと見ていると、時たま風が吹いて木くずが動いたり、虫が動いたりする。10分ループ作品とのことだったが永遠の時間を感じる作品。時間とはただ循環しているものなのかもしれない。

折笠良さんの「ペンタゴン」はクレイアニメーションなのだが、5人の作家がそれぞれ1つのテーブルの上でクレイアニメ作品の粘土をこねていて、カメラがそれぞれの作品にフォーカスすると、その作品だけがアニメーションとして動き出し、他の粘土や背景の人物などは風景(雑情報)となる。その移り変わりが面白い。また壁一面に映写されていた「水準原点」もすごい作品だった。怒涛の粘土の波のなかに刻まれていく文字、言葉。圧倒された。

これらの作品だけでなく、静的な作品も実に多彩で面白かったのだが、そういう作品はネットで画を見ることが出来るから、ここでは動的な作品について書いてみたかった。

ダリ展から始まり、現代アートの歴史を辿ってからのDOMANI明日展は、ボクにとっては地続きだった。未来に向けてアートシーンはいまも少しずつ進化しているんだろう。終わることなく。

DOMANI展の出口の売店に来年が酉年なのにちなんで、鳥の落書きボードがあり、観客がマジックでとり・鳥・酉の文字や絵を描いて完成させるというコーナーがあった。初日だったのでまだ余白が多かった。せっかくだから何か書こうと思い、右側の鳥の背中のうえに「申+1」と書いて帰ったら、DOMANI展長さんがツイッターで紹介してくれた。ぜひ売店でぼくの作品もご鑑賞ください(smile)。

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