箱根で美術鑑賞~川瀬巴水の新版画と遭遇~
先週の箱根プチ旅行ではポーラ美術館と彫刻の森美術館を訪問しました。ポーラ美術館ではモダンビューティ展という企画展を鑑賞。フランス絵画と化粧、ファッションの歴史を辿れます。かつてのファッション誌やその挿絵など個人的には実に興味深い展示でした。
この企画展のアイキャッチとなっているエドゥアール・マネの「ベンチにて」をはじめ、常設の絵画も含めて非常に質の高い展示になってると思いました。初めて訪問したのですが箱根という場の力も得てすばらしい美術館です。箱根には今後も何度も行きそうなので、その都度訪問してみたい美術館になりました。今回の企画展は9月4日まで。
アンケートに答えると絵はがきが1枚もらえるというのでアンケートに答えてレオナール・フジタ(藤田嗣治)の「ラ・フォンテーヌ頌」をいただきました。他の絵はがきも5枚購入。購入したのは、マネの「ベンチにて」、クロード・モネの「サン=ラザール駅の線路」と「散歩」、野獣派キース・ヴァン・ドンゲンの「乗馬(アカシアの道)」、そしてアンケートでもっとも好きな作品と答えたアメデオ・モディリアーニの「婦人像(C.D.夫人)」です。
印象派も野獣派も、その命名はマスメディアや業界人らによる皮肉が起源なわけですが、保守的な業界に生まれた革命的な仕事は、常にこのような批判や嘲笑から始まるわけですね。そして一つの流れを作り古典と共存していく。保守と革新とは対立軸ではなく多様性の獲得となってこそ進化につながると、絵画を見ながら考えてしまうご時世なのであります。
●彫刻の森美術館にて
彫刻の森美術館は20年以上ぶりの訪問だと思います。こちらでは「横尾忠則 迷画感応術」という企画展をやっていてそれを目的に行きました。しかしポーラ美術館からの流れで来てしまうと、その作品のふり幅にかなり混乱してしまいました。
80年代から親しんできた450(ヨコオ)アートなのですが、だんだんボク自身の趣味が保守化してきたのか、その秘宝館的な作品群にときめきはなくなっていました。でも彫刻の森美術館をテーマに描かれた新作「At Box Roots」の絵はがきを買いました。絵の中に「大涌谷通行止」という文字があり、2016年という同時代性をそこに感じたので。
その後、彫刻の森を散策がてら緑陰ギャラリーの「日本の風景 日本のわざ」というコレクション展 の会場に入りました。ここで川瀬巴水(かわせはすい)の新版画に初めて遭遇し、その素晴らしさにしばし立ち止まって見入ってしまったわけです。
この展示では「見南山荘風景(箱根)」の連作(1935年)を鑑賞できました。なかでも「あけび橋の月」という作品が浮世絵とは明らかに異なるモダンな版画で、ジブリ作品の背景画をも想起させるような美しくも静かな風景画だったのです。
川瀬巴水という名前を忘れないようにと絵はがきを探しましたが、残念ながら販売されていませんでした。
●川瀬巴水の新版画に出会う
とりあえず展示作品の一覧がプリントされた用紙を持ち帰り、川瀬巴水について調べました。そして新版画というジャンルが浮世絵以後の大正・昭和時代に始まったある種の芸術運動だったことを知ります。
新版画は渡邊庄三郎という版元が明確な意思を持って始めた新しい版画制作であり、渡邊庄三郎なくしては川瀬巴水と出会うこともなかったと思えるようなジャンルでした。渡邊庄三郎については高木凜著『最後の版元 浮世絵再興を夢みた男・渡邊庄三郎』が決定版だと思います。これを読み終わってからこのブログを書こうと思ったくらいに必読の書でした。
ただ川瀬巴水についての記述はそれほど多くないので、川瀬巴水本人や作品について知るには(いま入手可能な書籍としては)清水久男著『川瀬巴水作品集』(東京美術)がとても参考になりました。
川瀬巴水は天才肌ではなく職人的な画家だったのではないかと思います。1918年(大正7年)に鏑木一門のなかで年下の伊東深水が描いた「近江八景」という木版画を見て感激し、「これなら自分にも出来る!」と思って版画の道に入ったそうです。もともと美人画が苦手だった巴水が風景画の木版画に活路を見出したわけですが、この消極的なスタートに親近感を覚えます()。
そんな巴水でしたが最初に作った「塩原おかね路」が好評で、2つ年上の渡邊庄三郎とも意気投合し、風景版画の川瀬巴水として続々と作品を発表していくわけです。
●新版画と創作版画を音楽業界に例えると…
新版画は、浮世絵と同じく版元、絵師、彫師、摺師の分業でひとつの作品が完成します。同じ時期に創作版画というジャンルも生まれましたが、こちらは画家が一人ですべてを行うものだったようです。これを読んだとき、音楽業界でいえば、新版画はレコード会社、歌手、作詞家、作曲家、編曲家、エンジニアによってつくられる大衆歌謡であり、創作版画はシンガーソングライターだなと思いました。
どちらが正解というわけではないですが、専門技術を要する彫り・摺りを画家が自身でやるのは完成度に影響するような気がします。創作版画支持派からすれば、画家の個性を最重視するには全部ひとりでやらないと純粋芸術とは言えないとなるようなのですが、昭和歌謡の名曲で育った私には作品の完成度は分業であっても、いや分業だからこそ成立するという気もしています。
話はそれますが、これはマーク・コスタビへの批判のときにも感じました。コスタビは自身の工房でプロデューサー、あるいはアイデアマンとして君臨し、実際の絵は工房のスタッフが描いていました。それを公表して作品も発表していたわけです。それはコスタビ作品といえるのか、単なる商業主義ではないかと叩かれました。しかしコスタビ作品の独創性はそのような批判とはズレたところにあったと思うわけです。
新版画は版元(渡邊庄三郎)がプロデューサとなり、絵師の意図を再現するために職人の彫師・摺師をスタッフとしてディスカッションしながら、完成品のイメージを共有していったようです。版元の考える売れるモノと絵師の描きたいモノとの葛藤もあったようです。それを乗り越えてひとつのジャンルを形成していった「新版画」というジャンルそのものにも興味を惹かれました。
●そして川瀬巴水の新版画を購入
新版画の始まった時代は20世紀初頭です。浮世絵に影響を受けた欧州の印象派絵画(19世紀)から後期印象派(19世紀後半)、そして野獣派ほかへと展開していった20世紀初頭、西洋で大きな美術史的転換が進んでいた時代に、日本では「新版画」が生まれ、そしてそのほとんどが海外で評価されていきました。
私は知らないうちに、箱根の2つの美術館で20世紀初頭の東西の美術のうねりを感じて帰ることが出来たのでした。
新版画は関東大震災(1923年・大正12年)と第二次世界大戦(1941-45年・昭和16-20年)という2度の震災と戦災で版木や道具が焼失してしまいます。しかし版元の渡邊庄三郎の驚異的な働きで「新版画」は世界に認められる芸術作品となります。
箱根で絵はがきが買えなかったからというわけではないのですが、渡邊庄三郎が起こした渡邊木版美術画舗のWebサイトから川瀬巴水の木版画の後摺り作品が購入できると知り、1枚購入しました。ほとんどの作品は品切れだったのですが購入したのは「雪の向嶋」という作品です。構図の良さ、雪景色の美しさ、そこに挿す仄かな明かり。とても心落ち着く作品です。
後摺りというのは、初摺りと同じ版木を使って摺られた作品で復刻版とは異なります。初摺りとは異なりますが、オリジナルの版木から摺られた版画です。『最後の版元』にも感銘を受けた私は、版元の渡邊木版美術画舗が後摺りで売っている川瀬巴水作品なら買ってみたいと思った次第。実に良い買い物でした。
今後も新版画の展覧会などがあれば鑑賞したいと思います。美人画は西洋好みの私ですので(笑)、新版画は川瀬巴水のような風景画が好きです。
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