google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2015年12月

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2015年12月の2件の記事

2015/12/27

ひとくちメモ的漢字で振り返る2015年

Tou年末恒例(でもないか?)のひとくちメモ的漢字で振り返る2015年。昨年は「捨」だった。いろんなものを捨てた年だった。そして今年の漢字だが。今年は「盗」にした。今年も漢字辞典オンラインさんから盗んだ、いや引用した画像を貼ってみた。こんな漢字で表現されちゃう年なんて!

いろんなものが盗まれたり盗まれそうになってる。東京五輪エンブレムの盗作騒ぎ、ミスチルの歌詞をモロパクリした歌謡曲、あるいは日本の安全、世界の平和、沖縄の民意。グローバル化といいつつ米国追従から逃れられない日本はTPPによって国益も危うくなり、格差確定社会は文化的に生活する人権をも盗もうとして牙をむいてくる。

そんな一年、オレもスーパーカブ110を盗まれた。捨てる神あれば拾う神ありというが、まさか盗む神ありだったとは!確かに維持費ばかりで乗っていないバイクだったからそろそろ売るかと思っていなくもなかった。決して手間が省けたとは思っていないが、なんとなく肩の荷が降りた感じもなくはない。でなきゃ怒りで「盗」を今年の漢字にして茶化したりできない。茶化してんのか?

どうせ盗むならルパン三世 カリオストロの城のようにクラリスのハートでも盗んでみたいもんだが、そういう技術には長けていない。誰かオレのハートを盗んでくれと叫ぶのも大人げない。

そういえば昨日キング・オブ・コメディの高橋が20年間女子校に忍び込み続けて制服を盗んでいたかどで逮捕された。キンコメ好きだったのにな。あんだけ面白ければ女子高生のハートも盗めてただろうに馬鹿なことをしたものだ。相方の今野が可哀そ過ぎる。才能ある芸人なのに。今野の芸人人生だけは盗まないで欲しいと切に願う。

●年末小掃除

今年の年末はいつになくいろいろと忙しく大掃除や大片づけをする時間がない。今朝、風呂の年末小掃除をした。風呂のリフォームをしてから一番良かったのは掃除がしやすくなったこと。それもズボラ人間にはありがたい小掃除の手間が少ないことだった。

昔の風呂はタイル張りだったから、梅雨時にちょっと放っておくとすぐに目地が黒カビの餌食になる。奴らは一瞬にして増殖する。カビキラーで白くは出来るがいざやるとなると大掃除になってしまう。リフォーム後はタイルでなくなった分、サッとふいて水で流しておけば増殖を抑えられる。シャワーを浴びた後に冷水で洗っておけばそもそも黒カビも付きにくいようだ。

また排水溝も掃除しやすい構造に改良が加えられている。リフォーム技術の進歩は目覚ましいな。技術の進歩は大概人間をズボラにしていくが、こと家事に至っては簡単に掃除が出来るから短時間で何回も掃除したくなる。風呂のリフォームがオレに意識改革を迫ったわけだ。これこそ科学の進歩のあるべき姿だ(笑)。

きっとトイレや洗面台や台所もリフォームすれば一気に生活が21世紀型になるような気がしてくる。だが財布その他との相談も必要だし、ちょっとずつ変えていこうと思う年末なのであった。

●未来志向の21世紀に向けて

21世紀といえば、すでに21世紀も15%の時間を消費した。世間的な空気はキナ臭いが、ビジネスにおける様々な改善、とくにコミュニケーション論での変化が著しい気がする。

読んでみたなかでは、例えば数年前から徐々にブームとなって来たアドラー心理学。『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』がいまも売れ続けている。この心理学の肝は反フロイトでトラウマを全否定するところだ。

人間の行動、意志、考え方を目的論で捉える。現状への不満を環境のせいにせず、「こうありたいからこうなっている」と考える。環境は常に自分自身の気持ち次第というわけだ。

これはオレの敬愛する相場師エド・スィコータの言葉「誰もが市場から欲しいものを手に入れる」と共通した達観だと思った。損する人間はそれを望みそれが実現したに過ぎない。なぜならそれを自ら選択し自らその結果を招いたのだ。欲しくなければ手放せば良かったし、もうひとつの選択をしていれば得していたはずだ。だが選ばなかったわけだ。

あるいは「マンガでやさしくわかるU理論」というものも読んだ。最近はマンガで超入門系がたくさんあって面白い。ただそれだけにこちらは理論としての検証が科学的かどうか個人的にはまだ判断つかない。

U理論がコミュニケーション論として面白いのは「未来から学ぶ」というコンセプトだと思う。ダウンローディング、シーイング(観る)、センシング(感受)、プレゼンシング、クリエイティングという一連の思考・行動を通して、自分には見えない自分自身のこと、あるいは相手の気持ち、そういったものを言葉にして観察し感じ取りイノベーションにつなげていく。ある瞬間に過去を捨てまったく新しいアプローチ(方法論)が示現する。過去の延長でない新たな未来を創造するのがU理論の醍醐味だ(と思う)。

これに関連して、毛色は違うが経済性工学にも再度注目した年だった。経済性工学はコミュニケーション論ではないが、共通点がある。それは過去に縛られず現在を起点とした未来価値の損得勘定であるところだ。過去にどれだけ投資して(そこで損して)いようが関係ない(し得していようが関係ない)。

これらに共通するのはすべて過去ではなく未来指向である点。人間はとかく過去に囚われ過去の延長線上に未来を描きがちだが、過去を気にせず、いまここから、新しい現実を生み出そうとする意志に重点を置いている点がポイントだ。

社会の閉塞感も個人的な怒りも経済的損得も基本的には過去を起点として示現した現在の姿だが、過去に囚われている限りイノべーティブな発想につながりにくい。それらの過去をいったん棚上げしてゼロベースで未来を考えることも時に必要であり、21世紀とはそういう“時”なんだと思う。そうでもしなきゃブレイクスルーは起きないと肌感覚で感じ始めた人たちが増えているのかもしれない。

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2015/12/20

来年も糖質制限!そして筋トレも自主トレするぞ…

今年のタイトルマッチ(健康診断ともいう)は完敗だった。糖質制限を始めて3年2か月。ハッキリ言えば中だるみだ。体重はそれほど戻っていない。リバウンドがないのはプチ糖質制限(夕飯だけ糖質を制限する食事)を続けているからだろう。だが始めたころほどストイックではなくなっている。

部屋の片付けをしていて出てきたスーツのスラックスがあった。クリーニングから戻ってきてつるしっ放しだった。いつクリーニングに出したかも覚えていない。3年以上前だろう。履いてみたらブカブカだった。試しにお直しショップでウエストを詰めてもらったら9cmも細くせざるをえなかった。糖質制限の威力は継続中に間違いない。

だが、体重が下がり続けていた頃のモチベーションと上下動がほとんどない現在のモチベーションとを同じレベルで保つのは実に難しい。逆に飲み会などで朝の体重が増加していたりすると、そこから三日以内に戻すというモチベーションになり、実際すぐに戻ってしまう糖質制限なのでそういうスリルを味わうのが楽しみになったりする。まさに相場で負ける逆張り素人のような心理状態だ。

肝機能がA判定でなくなったのはまさに調整ミス以外の何ものでもない。チーズと生ハムを食べるときには赤ワインが欲しくなる。晩酌する習慣はなかったのに、チーズを食べるために飲む赤ワインの量は激増してる気がする。血液がワインで出来ていた川島なお美さんがお亡くなりになった今年でもあり、ワインは侮れないと思う。ワインなしでチーズを食べる生活に戻りたい。

コレステロールと糖質制限とは直接的な関係は薄そうだが、徐々に減ってきてはいる。コレステロールの高さを異常に気にする医療業界相手に薬を拒むのが最もストレスなのだが、コレステロール値は運動しても落ちないし、もう少し痩せることで細胞膜を作る身体機能の労力を減らすしかないのかもしれない。

しかしプチ糖質制限だけで3年間の底値を見た。おそらく何も運動をせずにプチ糖質制限だけで痩せられる限界値がこのレベルなんじゃないかと思う。ここから先はやはり筋トレが必要だ。筋トレが有意義だとうことは2013年の時点で認識はしていた。しかし生活のなかに筋トレを組み込むことがついにできずにいた。器具はあるのに使ってない。

しかしライザップは糖質制限と筋トレで急成長しているし、あのCMに勇気づけられて(笑)、なんとか来年は高額なライザップなしで自主トレしてみたい。そしてまずは安値ブレイクを目先の指標として、そこから下落トレンド入りを目指したいと思う年末だ。

●糖質制限がエビデンスレベル1の結果に

今年出版された糖質制限関連本のなかのひとつに山田悟医師の新書『糖質制限の真実』がある。久しぶりに糖質制限本を買って読んだのだが、一気に読み終えた。

山田先生のスタンスは昔から一貫していて、科学的根拠(エビデンス)のある方法論だけを薦める。それだけに信頼性は高い。ただ急進的な糖質制限派からするとちょっと物足りないかもしれない。もっと踏み込んで欲しいと思ったりもする。

しかし厳密に科学的根拠を積み重ねるには時間がかかることも理解できる。そこが難しいところだ。科学の進歩と自分の老化とはかならずしも同じ速さで進まないし、エビデンスレベルが低くても待っているより賭けてみたいと思うこともある。

とくに現在のように栄養学の根底が揺るぎカロリー神話が崩壊しかかっている時代には余計に不安だ。医療までが強欲資本主義に侵されている時代でもあることが不安をさらに大きくする。

そんな不安な時代だが、糖質制限がエビデンスレベル1の結果を複数出しているというのは朗報だと思う。カロリー神話の崩壊は近い。そもそもカロリー制限も科学的根拠の低い方法論だった。栄養学的カロリーについて基本から学ぼうと書籍を探したが見つからなかったのは当然だったのだ。誰もが神話を信じているだけで誰もその根拠を再実験していない。どんな栄養士も医者もうんこを燃やしていなかったのだ。

糖質制限がエビデンスレベル1となった以上、同レベルの論文によってカロリー制限を検証できない限り、糖質制限の優位性は揺るがない。科学的根拠とはそういうことだ。

腹を空っぽにして単一食物を食べ、そのうんこを燃やして数値を測っていた時代のカロリー計算が21世紀に生き残っていたのは使い勝手の良さ以外の何ものでもないと思う。遊びとしては面白いが健康とは別の話といえる。人間の健康という指標のもとでまったく別の角度から出てきた糖質制限が世界を神話の時代からようやく近代に連れていこうとしている。

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