ひとくちメモ的漢字で振り返る2015年
年末恒例(でもないか?)のひとくちメモ的漢字で振り返る2015年。昨年は「捨」だった。いろんなものを捨てた年だった。そして今年の漢字だが。今年は「盗」にした。今年も漢字辞典オンラインさんから盗んだ、いや引用した画像を貼ってみた。こんな漢字で表現されちゃう年なんて!
いろんなものが盗まれたり盗まれそうになってる。東京五輪エンブレムの盗作騒ぎ、ミスチルの歌詞をモロパクリした歌謡曲、あるいは日本の安全、世界の平和、沖縄の民意。グローバル化といいつつ米国追従から逃れられない日本はTPPによって国益も危うくなり、格差確定社会は文化的に生活する人権をも盗もうとして牙をむいてくる。
そんな一年、オレもスーパーカブ110を盗まれた。捨てる神あれば拾う神ありというが、まさか盗む神ありだったとは!確かに維持費ばかりで乗っていないバイクだったからそろそろ売るかと思っていなくもなかった。決して手間が省けたとは思っていないが、なんとなく肩の荷が降りた感じもなくはない。でなきゃ怒りで「盗」を今年の漢字にして茶化したりできない。茶化してんのか?
どうせ盗むならルパン三世 カリオストロの城のようにクラリスのハートでも盗んでみたいもんだが、そういう技術には長けていない。誰かオレのハートを盗んでくれと叫ぶのも大人げない。
そういえば昨日キング・オブ・コメディの高橋が20年間女子校に忍び込み続けて制服を盗んでいたかどで逮捕された。キンコメ好きだったのにな。あんだけ面白ければ女子高生のハートも盗めてただろうに馬鹿なことをしたものだ。相方の今野が可哀そ過ぎる。才能ある芸人なのに。今野の芸人人生だけは盗まないで欲しいと切に願う。
●年末小掃除
今年の年末はいつになくいろいろと忙しく大掃除や大片づけをする時間がない。今朝、風呂の年末小掃除をした。風呂のリフォームをしてから一番良かったのは掃除がしやすくなったこと。それもズボラ人間にはありがたい小掃除の手間が少ないことだった。
昔の風呂はタイル張りだったから、梅雨時にちょっと放っておくとすぐに目地が黒カビの餌食になる。奴らは一瞬にして増殖する。カビキラーで白くは出来るがいざやるとなると大掃除になってしまう。リフォーム後はタイルでなくなった分、サッとふいて水で流しておけば増殖を抑えられる。シャワーを浴びた後に冷水で洗っておけばそもそも黒カビも付きにくいようだ。
また排水溝も掃除しやすい構造に改良が加えられている。リフォーム技術の進歩は目覚ましいな。技術の進歩は大概人間をズボラにしていくが、こと家事に至っては簡単に掃除が出来るから短時間で何回も掃除したくなる。風呂のリフォームがオレに意識改革を迫ったわけだ。これこそ科学の進歩のあるべき姿だ(笑)。
きっとトイレや洗面台や台所もリフォームすれば一気に生活が21世紀型になるような気がしてくる。だが財布その他との相談も必要だし、ちょっとずつ変えていこうと思う年末なのであった。
●未来志向の21世紀に向けて
21世紀といえば、すでに21世紀も15%の時間を消費した。世間的な空気はキナ臭いが、ビジネスにおける様々な改善、とくにコミュニケーション論での変化が著しい気がする。
読んでみたなかでは、例えば数年前から徐々にブームとなって来たアドラー心理学。『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』がいまも売れ続けている。この心理学の肝は反フロイトでトラウマを全否定するところだ。
人間の行動、意志、考え方を目的論で捉える。現状への不満を環境のせいにせず、「こうありたいからこうなっている」と考える。環境は常に自分自身の気持ち次第というわけだ。
これはオレの敬愛する相場師エド・スィコータの言葉「誰もが市場から欲しいものを手に入れる」と共通した達観だと思った。損する人間はそれを望みそれが実現したに過ぎない。なぜならそれを自ら選択し自らその結果を招いたのだ。欲しくなければ手放せば良かったし、もうひとつの選択をしていれば得していたはずだ。だが選ばなかったわけだ。
あるいは「マンガでやさしくわかるU理論」というものも読んだ。最近はマンガで超入門系がたくさんあって面白い。ただそれだけにこちらは理論としての検証が科学的かどうか個人的にはまだ判断つかない。
U理論がコミュニケーション論として面白いのは「未来から学ぶ」というコンセプトだと思う。ダウンローディング、シーイング(観る)、センシング(感受)、プレゼンシング、クリエイティングという一連の思考・行動を通して、自分には見えない自分自身のこと、あるいは相手の気持ち、そういったものを言葉にして観察し感じ取りイノベーションにつなげていく。ある瞬間に過去を捨てまったく新しいアプローチ(方法論)が示現する。過去の延長でない新たな未来を創造するのがU理論の醍醐味だ(と思う)。
これに関連して、毛色は違うが経済性工学にも再度注目した年だった。経済性工学はコミュニケーション論ではないが、共通点がある。それは過去に縛られず現在を起点とした未来価値の損得勘定であるところだ。過去にどれだけ投資して(そこで損して)いようが関係ない(し得していようが関係ない)。
これらに共通するのはすべて過去ではなく未来指向である点。人間はとかく過去に囚われ過去の延長線上に未来を描きがちだが、過去を気にせず、いまここから、新しい現実を生み出そうとする意志に重点を置いている点がポイントだ。
社会の閉塞感も個人的な怒りも経済的損得も基本的には過去を起点として示現した現在の姿だが、過去に囚われている限りイノべーティブな発想につながりにくい。それらの過去をいったん棚上げしてゼロベースで未来を考えることも時に必要であり、21世紀とはそういう“時”なんだと思う。そうでもしなきゃブレイクスルーは起きないと肌感覚で感じ始めた人たちが増えているのかもしれない。
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