パリ同時多発テロの起った日
今朝、パリで同時多発テロが起った。ニュースによるとコンサートホールやレストランなど少なくとも6ケ所で同時多発的に発砲事件などがあり、127人以上の死者が出ている。時間がたつごとに報道される死者数が増えていった。自爆テロも7人ほど確認されているという。
今朝こんなツイートをした。
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2年前の今日はパリにいた。もしあれが二年後の今日だったらボクもテロの街にいたんだ。今日平和だからって2年後も平和だとは限らないってこと。特にいま、ロシアのプーチン、中国の習近平、米国のオバマ、そして日本の安倍。火種はテロリストでもそこに息を吹きかけたい連中がたくさんいる。
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2年前のパリ旅行はフィギュアスケートのエリックボンパール杯を観に行ったのだった。オリンピックイヤーでその後ソチ五輪で金メダルを取った羽生結弦も出場した国際大会。もしあれが2年後の今日だったらフィギュア国際大会の会場は狙われていた可能性もある。
フランスでは年頭にもテロがあった。イスラムを侮辱するような風刺画を掲載した「シャルリ・エブド」が襲撃され死傷者が出た。今回のテロとの関連性はわからない。しかし「狙われた街パリ」という印象が残る。そして憎悪は連鎖する。
自称イスラム国が犯行声明を出しているという。シリア問題が背景にあるとも言われている。真相はまだわからない。だが21世紀に入ってから、テロリズムの素地はじわじわと醸成され拡散しつつある。戦争の世紀といわれた20世紀からテロリズムの21世紀へ。世の中がまた嫌な空気に覆われはじめている。
国際テロは国家と違い姿が見えない。ゲリラ戦のグローバル化だ。そして国家はゲリラ戦に弱い。第二次世界大戦では日本軍が特攻という自爆攻撃を仕掛けた。行き詰った軍部の精神論的作戦行動であり国家の命令で国民が散った。しかし大勢に影響はなかった。21世紀のテロでも「自爆テロ」と呼ばれる自爆攻撃をゲリラ的に仕掛けてくるが、追い詰められての作戦ではなく、宗教的信念を持って初めから自爆してくる。それだけに戦争末期の自爆とは根本的に異なるような気がする。個人の強い意志による自爆だとすると神出鬼没だ。
自爆テロは宣戦布告した戦争相手国にではなく、起こしたいところで突然起こる。パリはイスラムの敵の象徴となってしまった。テロがいかに反社会的信念であろうと筋違いであろうと起ってしまう。パリにはそのための組織的バックアップ体制も作られているんだろう。自爆する側にとってもパリはブランド化され「自爆の都」となってしまったのかもしれない。
●ふたつのテロリズムを生んだ資本主義の21世紀
憎悪の連鎖は同時多発的に起り場所を選ばない。だが狙われる地域には特徴があり、世界的な貧困や格差社会が根底にある。それらを生み出してきた資本主義への攻撃ともいえる。資本主義の敵は共産主義などではなく資本主義が内包していた格差拡大と貧困が生み出したテロリズムだった。宗教はただ寄り添うだけで、どんな行動をしている人をも癒す人類の発明でしかない。
貧困や社会からパージされた勢力がテロとしてゲリラ化していくいっぽうで、資本主義を謳歌している多国籍企業もある種のテロ組織といえる。人類の生命もカネに換算しグローバルに拡大していく様は帝国主義の新しいカタチだ。米国で顕著だが格差確定社会を目指すために国家を手足として使い自社に有利な法律を次々に作っていく。それを地球規模で推し進めようとする。
つまりテロの世紀で私たちは多国籍企業と暴力的組織とから攻撃を受けている。多国籍企業の植民地や奴隷になるか運悪く暴力的テロの餌食になるか、いずれにしてもテロの網のなかで生活せざるを得ない。グローバル化していくテロの網は地球規模であり逃げ場がない。
パリの事件で海外旅行をやめたという声もよく聞く。だが日本も危険な地域のひとつになろうとしている。多国籍テロ企業にとってこれほどおいしい手つかずの地域はなく虎視眈々と狙っている。もう一方の暴力的テロ組織も安倍首相の「テロには屈しない」という不用意な発言によって目覚めた。標的の島としての日本を認識してしまった。既に犠牲者も出ていることにもっと自覚的であるべきだ。
テロは生命と財産を狙ってくる。多国籍テロ企業と暴力的テロ組織とによる日本争奪戦も充分あり得る。いずれのテロも資本主義が生み出しただけにカネのためならあらゆる手段をとる。
日本は長年の平和ボケによってかなり無防備だ。しかし守りを固める前に米国の意志によってある種の“開国”を迫られ、無防備な政治家によって準備する前に“開国”してしまった。暴力的テロへの無防備な挑発を繰り返しながら、TPPや安保法制によって多国籍テロ企業にも国民の生命と財産を差し出す準備を整え始めた。
どこまで略奪されるかわからないが、そういう時代に突入した日本に暮らしていることをあらためて考えた日だった。日本にとってはかつての備蓄を吐き出させられるふたつのテロと自然災害に翻弄される21世紀かもしれない。少子化も10年20年で解決できない問題だが、日本のために生きられる政治家もそれに輪をかけて生まれにくい世の中だ。ある種の愚民化と、今後国家の上位概念となっていくテロリズムによるテロリズムのための衆愚政治に突入していく可能性が充分にある。
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