google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2015年11月

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2015年11月の2件の記事

2015/11/14

パリ同時多発テロの起った日

今朝、パリで同時多発テロが起った。ニュースによるとコンサートホールやレストランなど少なくとも6ケ所で同時多発的に発砲事件などがあり、127人以上の死者が出ている。時間がたつごとに報道される死者数が増えていった。自爆テロも7人ほど確認されているという。

今朝こんなツイートをした。
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2年前の今日はパリにいた。もしあれが二年後の今日だったらボクもテロの街にいたんだ。今日平和だからって2年後も平和だとは限らないってこと。特にいま、ロシアのプーチン、中国の習近平、米国のオバマ、そして日本の安倍。火種はテロリストでもそこに息を吹きかけたい連中がたくさんいる。
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2年前のパリ旅行はフィギュアスケートのエリックボンパール杯を観に行ったのだった。オリンピックイヤーでその後ソチ五輪で金メダルを取った羽生結弦も出場した国際大会。もしあれが2年後の今日だったらフィギュア国際大会の会場は狙われていた可能性もある。

フランスでは年頭にもテロがあった。イスラムを侮辱するような風刺画を掲載した「シャルリ・エブド」が襲撃され死傷者が出た。今回のテロとの関連性はわからない。しかし「狙われた街パリ」という印象が残る。そして憎悪は連鎖する。

自称イスラム国が犯行声明を出しているという。シリア問題が背景にあるとも言われている。真相はまだわからない。だが21世紀に入ってから、テロリズムの素地はじわじわと醸成され拡散しつつある。戦争の世紀といわれた20世紀からテロリズムの21世紀へ。世の中がまた嫌な空気に覆われはじめている。

国際テロは国家と違い姿が見えない。ゲリラ戦のグローバル化だ。そして国家はゲリラ戦に弱い。第二次世界大戦では日本軍が特攻という自爆攻撃を仕掛けた。行き詰った軍部の精神論的作戦行動であり国家の命令で国民が散った。しかし大勢に影響はなかった。21世紀のテロでも「自爆テロ」と呼ばれる自爆攻撃をゲリラ的に仕掛けてくるが、追い詰められての作戦ではなく、宗教的信念を持って初めから自爆してくる。それだけに戦争末期の自爆とは根本的に異なるような気がする。個人の強い意志による自爆だとすると神出鬼没だ。

自爆テロは宣戦布告した戦争相手国にではなく、起こしたいところで突然起こる。パリはイスラムの敵の象徴となってしまった。テロがいかに反社会的信念であろうと筋違いであろうと起ってしまう。パリにはそのための組織的バックアップ体制も作られているんだろう。自爆する側にとってもパリはブランド化され「自爆の都」となってしまったのかもしれない。

●ふたつのテロリズムを生んだ資本主義の21世紀

憎悪の連鎖は同時多発的に起り場所を選ばない。だが狙われる地域には特徴があり、世界的な貧困や格差社会が根底にある。それらを生み出してきた資本主義への攻撃ともいえる。資本主義の敵は共産主義などではなく資本主義が内包していた格差拡大と貧困が生み出したテロリズムだった。宗教はただ寄り添うだけで、どんな行動をしている人をも癒す人類の発明でしかない。

貧困や社会からパージされた勢力がテロとしてゲリラ化していくいっぽうで、資本主義を謳歌している多国籍企業もある種のテロ組織といえる。人類の生命もカネに換算しグローバルに拡大していく様は帝国主義の新しいカタチだ。米国で顕著だが格差確定社会を目指すために国家を手足として使い自社に有利な法律を次々に作っていく。それを地球規模で推し進めようとする。

つまりテロの世紀で私たちは多国籍企業と暴力的組織とから攻撃を受けている。多国籍企業の植民地や奴隷になるか運悪く暴力的テロの餌食になるか、いずれにしてもテロの網のなかで生活せざるを得ない。グローバル化していくテロの網は地球規模であり逃げ場がない。

パリの事件で海外旅行をやめたという声もよく聞く。だが日本も危険な地域のひとつになろうとしている。多国籍テロ企業にとってこれほどおいしい手つかずの地域はなく虎視眈々と狙っている。もう一方の暴力的テロ組織も安倍首相の「テロには屈しない」という不用意な発言によって目覚めた。標的の島としての日本を認識してしまった。既に犠牲者も出ていることにもっと自覚的であるべきだ。

テロは生命と財産を狙ってくる。多国籍テロ企業と暴力的テロ組織とによる日本争奪戦も充分あり得る。いずれのテロも資本主義が生み出しただけにカネのためならあらゆる手段をとる。

日本は長年の平和ボケによってかなり無防備だ。しかし守りを固める前に米国の意志によってある種の“開国”を迫られ、無防備な政治家によって準備する前に“開国”してしまった。暴力的テロへの無防備な挑発を繰り返しながら、TPPや安保法制によって多国籍テロ企業にも国民の生命と財産を差し出す準備を整え始めた。

どこまで略奪されるかわからないが、そういう時代に突入した日本に暮らしていることをあらためて考えた日だった。日本にとってはかつての備蓄を吐き出させられるふたつのテロと自然災害に翻弄される21世紀かもしれない。少子化も10年20年で解決できない問題だが、日本のために生きられる政治家もそれに輪をかけて生まれにくい世の中だ。ある種の愚民化と、今後国家の上位概念となっていくテロリズムによるテロリズムのための衆愚政治に突入していく可能性が充分にある。

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2015/11/08

SONGS 夜会への招待

NHK SONGS「夜会への招待」を見終わった。今日はNHKスペシャル「アジア巨大遺跡第3集」も面白かったし、そのあとのドラマ「破裂」も毎週見てたので、その流れで見たわけだが、途中23:00から30分だけスポーツニュースだったので、その間にコンビニに行ってなぜか炙りサーモンと枝豆を買って来て見始めたのだった。しかしサーモンダンスは放送されず()。

興味深い番組だった。前半に中島みゆきさんご本人による夜会誕生秘話のコメントが挿入された。そこで思ったのは、夜会は中島みゆきによるセルフ・リミックスだったんだということ。

夜会が初めて産声をあげたのは1989年。そのころの私はたぶん人生で最も音楽にはまっていた時代だ。中古のオールインワンサンプリングシンセを購入し、デジタルサンプリングに没頭していた。ポストモダンな風潮のなかで音楽も脱構築されはじめた時代。

音楽にデジタル化の津波が押し寄せていたそんな時代に、中島みゆきは「夜会」という方法論で独自のリミックスヴァージョンを作ろうとしていた。それも身体表現を伴う舞台芸術という超アナログなやり方で。SONGSを見ながらそう直感した。

もちろんリミックスという意識はなかったはずだし、厳密にはリミックスでもないから、夜会をリミックスと表現することに私自身も多少の躊躇はあるけれども、そこは私が“中島みゆき妄想家”たるゆえんだ。ただの妄想だ。許して…。

たとえば「寒水魚」で聴いた悪女のLPヴァージョンはシングルとは別アレンジになっていて、子どもの私は腑に落ちないものを感じたわけ。でもその裏切りの効果、ウチとソトの関係性については以前「BS熱中夜話中島みゆき第一夜(後夜祭)」で書いて個人的には解決した。

アレンジを替えたいという衝動はどんな表現者にもありそう。だけどその情熱を受け手側のリスナーと共有するのは実に難しい。それは逆に言えば編曲の重要性を証明しているわけだけど、とくにタイトルだけ聴いて別アレンジの曲になってると肩透かしを食らう。

リミックスというのは、事前にリミックスだよとことわりを入れて提供してるようなところがある。リスナーに心の準備をさせる仕掛けというか。夜会のはじまりは舞台という装置を使って違う環境にリスナーを丸ごと連れてって、環境ごと新しいアレンジを受け止めさせる壮大なリミックスヴァージョンだった。まさに大実験だ。

そこから25年経って、世の中はリミックスなんて当たり前という時代になり、夜会もオリジナルな表現の場として受け入れられる時代になった。まったく異なる音楽の系譜だけど、着実に独自の進化をとげている。

舞台をどう使うかが演者の想像力と密接に結びつく時代でもある。一般的にCDが売れない時代。デジタル音楽もすぐに消費される。そんな時代にカネを払ってでも出会いたいリアルな表現は、おそらく生身の身体性に回帰していくような気がする。

中島みゆきの夜会だけでなく長淵剛の富士山10万人コンサートもそうだし、パフュームの3Dマッピングのステージもそう。ライブの価値がこれまでとはいっそう異なる。

逆に下手なものを見せられた時の脱力感も大きくなる諸刃の剣でもある。プロとして節制してこなかった大御所もたくさんいる。昔の演歌歌手のほうがよっぽどプロだったと思ったりする。そんななかで25年前に(おそらく賛否両論だった)身体性をフルに発揮した夜会を始め、鍛えてきた中島みゆきの凄味を感じる。

夜会が25年続くと当時ぼくらは考えただろうか。続けることに意義があるとかライフワークなんて外野がいうのは簡単だけど、客が入らなければ続けられない世界だ。25年前の夜会はまさに一世一代の勝負だったはずだ。そして結果を出した中島みゆき。まるでアスリートのようだ。

今回のSONGSを見て、昨年の「橋の下のアルカディア」のラストで唐突な感じがした理由がわかった。中村中と中島みゆきがデュエットしたときの歌詞を聞き逃していたような気がする。あのとき最前列で(ステージの位置的にもまさに目の前で)見ていた私だったが、中村中の歌唱があまりにも素晴らしくて歌そのものに聞き入っていた。歌声そのものに。そこに中島さんとデュエットしちゃうもんだから、こっちは舞い上がってしまって冷静に歌詞を聴けてないのだ。それで時代背景やら戦闘機やらの前後関係が分からなくなり混乱したんだと思う。それが分かったのもSONGSの収穫だった。

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