黒柳徹子著『トットひとり』に中島みゆきを見つけた
黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』を読んだのは小学校高学年から中学校1年生の頃だった。中1のとき、学級文庫用にと単行本を持ってきて置いていた。その本がある日学級文庫に戻って来ず、担任の水上先生が「せっかくクラスメートが提供してくれたのに返さないのはよくない」といったことをホームルームで話したら、いつの間にか学級文庫に戻っていた。誰が持ち帰っていたのかはわからなかったけれど、ボクは自分も読むのが速いほうじゃないから、全部読み終わって返してくれていればいいなと思ったものだ。
黒柳徹子さんの本を読んだのはそのとき以来。赤羽の書店で平積みになっていた『トットひとり』を買ったのだが、あまりこのタイトルの意味について考えもせず購入したのだった。読み始めると、黒柳徹子さんの文章の記憶がよみがえってきてとても面白く読み始めた。でも、内容は芸能界で家族のように過ごしてきた人たちとの永遠の別れを綴ったとても切ないものだ。とうとうトット(黒柳徹子さん)はひとりぼっちになってしまった。時の流れの淋しさを感じる。
テレビというメディアが登場し、その第一号女優として芸能生活が始まった黒柳徹子。その天真爛漫さは『窓ぎわのトットちゃん』で多くの人が知っているところだが、こういう性格の人だから選ばれたのかどうか。素人がひとり居てもいいだろうという感じでNHKのオーディションに受かったと本人は語っているが本当にそうなのかは疑問だ。こんなとびぬけた人はなかなかいるもんじゃない。選ばれるべくして選ばれたテレビの申し子だったとしかボクには思えない。こういう“天然”の元祖のような人から日本のテレビの歴史が始まったことは日本のバラエティ番組の歴史にとってとても大きな影響があったんじゃないかと思う。
黒柳徹子さんが芸能界の家族のように付き合って来た人々の思い出は、ボクにとっては更に年上の人々のお話であり、あまりリアルタイムに同時代を感じたわけじゃなかったが、そのなかで向田邦子さんとの交流はとても印象に残った。向田さんの住処に入り浸るくらいの関係だったことは知らなかった。でもわかるような気がする。
ボクは向田邦子ドラマが大好きだけど、向田邦子さんご自身にもとても興味がある。黒柳徹子さんのこの本で向田邦子さんと徹子さんの関係がよくわかってそれは嬉しかった。向田邦子さんのこともさらに好きになった。例えば悪筆の向田さんがひそかに習字を習っていたところ。悪筆を直そうとするかわいらしさもいいが、そういう努力を人に見せたくないところなんかに同じ美意識を感じる()。
また黒柳徹子さんと向田邦子さんの対談で、久世光彦が向田さんを評して「希代の嘘つき」と言ったというところ。ここなんかはボクの中島みゆき好きにも通じる部分だなと思った。嘘つきが好きよ(笑)。
『トットひとり』には中島みゆきさんの名前も2回出てきた。「ザ・ベストテン」の第一回放送の4位が中島みゆきさんだったが(もちろん )出演しない。あの番組がガチのベストテンを発表し、出演しない歌手のときは司会者が「ご出演いただけませんでした」と謝るという進行になった、そのルーツが中島みゆきの欠席だったともいえるわけだ。
山口県では「ザ・ベストテン」の第一回は放送されていなかった。途中からTYSが放送を開始し、司会の久米宏さんが「山口県のみなさんも今回からご覧いただけるようになりました!」といったコメントをされたことを覚えている。松山千春のコンサート会場からの中継には間に合ったが、中島みゆきさんは「わかれうた」のシングルジャケットが毎回のように映り、ご出演いただけない歌手としてすでに定番となっていた。ただそのテレビに出演しない中島みゆきという神秘性に惹かれていった気もする。
そんな同時代的な懐かしさも感じつつ読み終えた。背表紙にもなっているが、まだデビュー当時の黒柳徹子さんの一枚の写真もとてもいい。わりと有名な写真(というかこれくらいしか残っていないと思われる写真)で、見たことはあったが、これがまさかマイクに鼻に乗せて休んでいるところだとは…。やっぱ黒柳徹子は昔から常人とは異なる感覚を持った“天然”の天才であり不思議ちゃんだったんだなと思った。でも単なる不思議ちゃんではなく、その行動力で様々なことを体験していこうという強い好奇心と意志を持った不思議ちゃんだ。
家族のように過ごした身近な芸能人が次々と鬼籍に入り、「トットひとり」と感じることはあるだろうけれど、徹子さんを親として姉として慕ってくる芸能人もいることだろう。いつまでも不思議ちゃんな黒柳徹子をテレビで見ていたいと思う。
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