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2015.05.30

「心がポキッとね」を岡田ファンミドラマと云ってみる

CXのドラマ「心がポキッとね」は第2話から見始めた。いまどき珍しい(しかし普通じゃない)ホームドラマだなと思いつつ見ていて、第4話のときに岡田惠和の脚本だと気付いた。そうなるともう岡田ドラマというスイッチが入ってしまうから、これから書く内容はいわゆる「評論家の受けがいい」的な凡庸な批判の矛先のような話にはなる(笑)。

ついでに言っとくとその凡庸な批判をしている桧山珠美が日刊ゲンダイに書いている部分そのものがボクにとっては面白さの一部でもあるので平行線だ。もっともこっちは昭和のドラマニアなので、ゲンダイ人に文句を言っても仕方がないが。

最近は昔ほど先に情報を入れることもなく、知り合いの女性陣から面白いドラマ情報を仕入れて途中から見始めるパターンも多い。面白ければオンデマンドで初めから見直すことも出来る時代だし。ありがたいありがたい。ただ、このドラマは確かに昨今の主婦層にはあまり受けていないようだ(coldsweats01)。

理由はいろいろあるが、一言でいえばウザくてまどろっこしいらしい。どぎつい不倫ドロドロのドラマのほうが受けがいい。マンガ的なドタバタやメリハリのあるわかりやすさが求められているのかも。岡田脚本の持つ変化球なホームドラマの空気感にはどうにも馴染めないのかもしれない。食べたことのないちょっと癖のある外国料理を口にしたような気分なのかも。

キャストとホームドラマのアンマッチも、面白がるにはマニアな視点が必要で、一般視聴者はそういうところを求めていないという批判は当たっているとは思う。視聴者はとにかく直球ど真ん中を求めているということかもしれない。

ただそればかりになってしまうと、いい時はいいがすぐに飽きられる。ドラマが消費財のようになる。それでいいという考え方もあるだろう。テレビはスポンサーのものだし広告でしかないと考えれば。しかしあふれかえる広告のなかにドラマという自由な異空間が挿入されると考えたとき、変化球を投げる岡田惠和の脚本が高評価を得るのは自然な流れだと思う。実際に面白いのだから。

またドラマが話題性ばかりに引きずられて語られるのも個人的にはウンザリだ。それはまさにコマーシャルベースなあり方でしかドラマが語られていない。視聴率を取るために話題性を煽るテレビ局の姿勢も仕方がないけれど、それはそれこれはこれ。そういう部分だけで評価するならドラマである必然性がない。

●岡田ワールドの方程式に当てはめてみる

岡田さんは脚本を書くときハコ書きをしないと以前エッセイに書かれていた。とても驚いたので覚えているのだがいまでもそうなのかは不明だ。ハコ書きというのは連続ドラマの展開や構造を事前に分割して、各回の盛り上がりや次週への期待感を煽るためのテクニックだといえる。発想法のKJ法で使われるカードのようなものだと思う。

いくらストーリーが面白くても連続ドラマは長丁場だから飽きさせない工夫が必要だ。来週も見たくなる終わり方、1話正味50分のなかでCMの位置も考えながら見せ場を作り展開させる。そんな必要性からハコ書きが生み出されたんだと思う。ハコ書きをする脚本家のほうが多いのかどうかは知らないが、よく練られて毎回面白いドラマはきっとハコ書きがされてるんじゃないか。

岡田脚本がかったるいとすれば、それは全10話前後の全体としてのストーリーとは別のハコ毎の展開に刺激が少ないということかもしれない。NHKドラマと岡田脚本の相性がいいのは、CMがないとか視聴者層が刺激を求めてないなどの要素があるかもしれない。

岡田脚本の"お約束"とまでいうと型にはめてしまうようで申し訳ないが、岡田ワールドが好むシチュエーションについて前に書いた。そのときのキーワードは3つ。仲良し3人組、道草、共同生活だった。

これを「心がポキッとね」に当てはめてみると、まず共同生活がピタッと当てはまる。それもとんでもない設定だ。別れた妻とその恋人と同じ屋根の下で若い女と同居。幸せなのか不幸なのかさっぱりわからないけどそこが岡田脚本の面白いところだ。

しかしリアリティはあまりない。このリアリティのなさにリアリティを持たせる(説得力を持たせる)ことへのあくなき挑戦を楽しむのも岡田脚本ドラマの醍醐味かもしれない。「さよなら私」でも「泣くな、はらちゃん」でも、そこが楽しめるかどうかの分岐点だったように思う。

山口智子について私は2004年(!)に「山口智子のナチュラルさ」のなかで股の演技を絶賛したことがあるが、またまた股がいい(笑)。それを意識してか共演(競演)の水原希子も股女優だ。その開きっぷりが一般視聴者(女性)の反感を買う部分でもあるのか?

静(山口)とみやこ(水原)の関係性がこの後どう変化していくのか。みやこのストーカー牧野江里子(山下リオ)と合わせてキーワードのひとつ仲良し3人組が完成するのかという見方もなくはない(オレだけでしょうが)。

女性陣に対して藤木直人と阿部サダヲの煮え切らなさはドラマの展開をまどろっこしくしている元凶だ(笑)。藤木演じる大竹心のリアリティのなさは異次元だ。その100%ピュアな人間が家具店のオーナーをやっているのも違和感だし、そこで働く春太(阿部サダヲ)のモテぶりも状況も何もかもが「ありえねぇ!」と叫びたくなる。

だがそこで叫んでチャンネルを替えてしまうと岡田ドラマについていくことは永遠に出来ない。叫んだ後にドラマは始まるのだ。現実世界ではもちろんドラマの枠で考えても有り得ない設定をなんだか幸せそうな雰囲気に包んでコメディタッチにしてしまう。

この普通じゃない空気感が一般的に受け入れられることはないのかもしれない。そういう意味ではこのドラマは岡田ファンのためのファンミーティング的ドラマかもしれない。内輪ウケとの誹りも受けよう。しかしこれはある種の思想である。ドラマは消費財じゃなく作品なのだという思想なのであってそこを個性だと受け取って楽しめる人が増えることを目指してほしい。

もうひとつのキーワードの道草はあちこちに垣間見られる。みんなで海までドライブしたりするのもそうだったが、前回放送のなかでみやこがおじいちゃんの廃屋を訪れたくだりはBGMも含めてまさに岡田脚本ドラマらしい運びだった。そういう細かい部分は視聴率とかコマーシャルとはほとんど絡まないシーンで本質からは外れている。だからこそ道草なのだが。ドラマのディテールにこだわればこだわるほど岡田脚本は面白くなっていく。

道草といえば、メンタル相談所の存在も受け取り方は様々かもしれない。あんなに知り合い同士が同じメンタルクリニックに通っている図は現実社会では余計に不安になるシチュエーションだろう。単なる聞き役の白神医師はまさに“神”のような佇まいで教会で懺悔を聞いているかのように見える。最後になにかしゃべるのかどうか。ノッポさん的興味をそそる。そんなドラマの楽しみ方は邪道だけども(笑)。

pencil

追記:ひとつ書き忘れていた。忘れたら悔しいから書いて置こう。岡田ドラマのキーワードにはもうひとつ「ピュアな男」を入れてみたい。基本女優にしか目がいかない私なので見落としていたが(catface)、「泣くな、はらちゃん」のTOKIO長瀬も今回の藤木直人も異次元すぎるピュアな男だ。

このリアリティのなさは彼らのファン以外の女性視聴者から敬遠されるところかもしれない。こんなにピュアな人と恋に堕ちたいと思うピュアな女性はいまどきテレビドラマを見ない(coldsweats02)。こんな男いるかよっ!と悪態をつきながらひとり酒飲んで見てるのだ(知らないが)。いやもうその非現実を受け入れられず物語に入って行けずチャンネルを替えてしまう。

リアリティのなさそのものでいえば人気の堺雅人のようなキャラ立ちした主人公もいるが、そういう激しさは刺激につながるので受け入れられやすい。ピュアという静謐な感情を男に求めていないのがテレビドラマを見る一般女性層なのだ(知らないが2)。

やさぐれた女性層の好むドラマのほうが視聴率が取れる。しかし女優は嫌われてはならないし、視聴者を映したかのようなやさぐれ感への共感などはもちろんなく、現実を映せば反発を喰らう。だからといって男を美化しすぎるのは更によくない。ちょい悪くらいがコマーシャル的にもちょうどよく、おそらくテレビの直球ど真ん中にあるのではないだろうか。男は興味ないのであまり語る機会がないけれどそんな気がした。もちろんそういうドラマをオレは見ないが。

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