他の誰にも書けない!Mr.KEIのアメリカ獄中記
食い入るように読み始め一晩で読み終えてしまった。KEI著『アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人』だ。連休前にたまたま見ていたTBSのクレイジージャーニーに出演されたKEI氏はもとヤクザ。FBIにはめられて12年8か月のアメリカ刑務所生活を送った。アメリカ刑務所モノというだけでピピっと来て録画し著書も購入したのだった。番組の影響か一時的に品切れだったが届かないはずだった連休中に届いた。念が通じたか。
2007年に井口俊英著『刑務所の王』を読みかなり興奮した。自分でもどうしてこんなに刑務所ものが好きなのだろうと思う。刑務所ものというよりアウトローや任侠全般に愛着を感じる。一本義なところだろうか。
おそらく複雑な社会を単純なルールと動物的勘に従って生き抜くシンプルさに惹かれるんだと思う。長期間自由を拘束されることへの嫌悪が大前提にある。日本の閉塞感をそこにダブらせることで生きるために必要なことって何だろうという問いにヒントを与えてくれるような気がする。
『刑務所の王』はアーリアン・ブラザーフッド(AB)というプリズン・ギャングの創設者かつ生き残りのジョージ・ハープ氏とたまたま刑務所で出会った井口氏が、その壮絶なサバイバルについて聞き書きした著作だった。客観的に書かれているものだ。今回読んだKEI氏のほうはまさにプリズン・ギャングの一大勢力チカーノの構成員として生き抜いた生の声であり主観的にプリズン・ギャングの生活を伝える(それも本人が日本語で伝える)貴重な内容だった。
アメリカの刑務所で一般常識が通用しないのは今も昔も同じようだ。勢力争いも続いているのだろうが、チカーノという一大勢力はその絆の強さにおいてひとつの部族ともいえる。貧困や環境からギャングにしかなれない宿命を背負って生まれてくる。その悲しい運命がすでに拘束された人生であり、当然のようにプリズン・ギャングとなり、その掟のなかで生きていくしかない。
KEI氏とチカーノのボス(ビッグホーミー)との出会いは一触即発だったが、ここで生き延びたKEI氏は孤独な日本人受刑者からチカーノへと変貌していく。刑務所のなかではプリズン・ギャングとしてグループに所属するか、いっさいの関係を絶って刑期を全うするかしか生きる道はないように思える。短い刑期なら後者が安全かもしれないが、KEIは10年の刑を喰らっており孤独な日本人のままでは生きられなかったかもしれない。もっとも命と引き換えに抗争頻度が上がり刑期も伸びたりしているのだが…。
●真っ裸な人間になったときどう生きるか学んだ
刑務所生活の非常識を読むだけでも興味津々だが、それ以上にグループの絆であるとか、ここ一番で筋を通すことの重要さなど金言が多い。生きるための選択といってもいい。やるときはやらなければならない。もっとも卑劣なのは中途半端に生きることだ。真面目なら真面目に、悪なら徹底した悪に。中途半端な悪をKEIはもっとも嫌う。
群れなきゃ何もできない中途半端な悪が日本には昔から多い。それは後述する中途半端な正義とも表裏一体だ。現代は更に姑息な悪や正義が蔓延してる。アメリカ刑務所のプリズン・ギャングはそういう中途半端な群れとは根本的に違う。そこを見誤らないことが重要だ。
もちろんグループを作るという本能は相互扶助という側面を持っている。人間は群れなければ生きられない動物なのだ。だが重要なのは何がその群れをつなぎとめているかであり、本当の人間力はそこにある気がする。極悪非道な群れにも厳格なルールがあり道徳すらあるんじゃないかと思う。
中途半端なメンバーも多いのだろうがそれらはみな淘汰されていくわけだ。中途半端に群れるくらいなら孤高に生きる。群れるならとことん絆を深める。そのふり幅と覚悟が人間力の根幹になるような気がする。
生き延びたKEIには人間的な魅力もあったんだと思うし、商才もありクレバーな人なんだろうなと思った。少年ヤクザから若くして任侠の世界に入り国際ヤクザとなっていくなかで身に着けた処世術も人間力だと言える。
たぶん私は動物としてどれだけ生きられるかに魅力を感じるのだ。動物としての人間はオオカミに似ている。前にオオカミのボスになった研究者の記録『オオカミと生きる』を読んで興奮したが似たような感覚で読んでいるところがある。仮面をかぶって生きてる人ばかりの日本(もちろん平和でとても素晴らしいのだが)で鈍っていく動物的感覚への郷愁がこれほど興奮を覚える原因かもしれない。
●堅気になったKEI氏の今後の活躍にも注目
2001年に刑期を終えて日本に戻ったKEI氏はタクシードライバーになったという。ここで湯けむりスナイパーを地で行く人がいたんだとマジで感動した。映画化するとしたらKEI役は遠藤憲一さんにやって欲しいッス!顔もなんとなく似てるし…。
だがそこでもヤクザ者といざこざになってしまい半年でクビになる。その後紆余曲折の末、湘南でチカーノファッションのブランド店ホーミーを開業された。いまではチカーノカルチャーの伝道師、日本のビッグホーミーとして認知されているようだ。
同時にボランティアでDVや児童虐待などの問題を抱える家族の悩み相談に乗るサイトグッドファミリー.orgも運営されている。虐待する側の心の闇に寄り添う。戸塚ヨットスクールで働きたいと思っていたというから、体罰肯定派だ。
私自身も体罰は否定しない。子どもの頃は教師に往復ビンタもされたしデコピンも日常茶飯事だった。それに対してまったく恨みもないしどっちかというとそういう先生のほうが良い印象として残っている。
ただ現在は教師の側や世間の側に体罰=悪という短絡的な思考停止があるために下手に体罰は出来ない。またそういう意識こそが中途半端な正義であるため、この環境での体罰は教育的効果がほとんどなく怨恨だけを残す気もする。悪いことをする子どものほうも、真正面から叱られないために余計にねじ曲がる。姑息になる。大人と子どもとの断絶によって表向き何も起こらないが分かり合うこともなく子どもは成長する。
待ったなしの成長過程に本気で叱られなかった子どもは本気の人間的(動物的)対峙の体験がないまま大人になり子どもに無関心になっていく。そういう接し方しか知らないで育ったのだから仕方がない。この負のスパイラルが出来上がってしまったのが現代日本じゃないかと思わずにいられない。体罰はする大人のほうの覚悟が必要だ。中途半端な正義がもっとも逆効果であることをKEI氏は身を持って知っているのだと思う。
井口氏の『刑務所の王』を読んだのは第一次安倍政権が無責任に放り出された頃だった。そしていままた勇ましくも姑息で視野の狭い安倍政権のなか、KEI氏のプリズン・ギャングものから人間としての生きる力を学んだ。偶然ではない気もする。さっそくDVDも注文した。これも連休中に届きそうで待ち遠しい。
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