さよならキンキン
キンキンこと愛川欽也さんが4月15日に亡くなった。昭和から平成にかけて舞台・映画・ラジオ・テレビそしてここ数年は有料ネットテレビのkinkin.tvなどで活躍され、メディアを縦横無尽に駆け抜けた生涯だったと思う。
地上波では軒並み長寿番組の司会を担当されていた。ここまでおしゃべり好きで早口が止まらない男性司会者は稀有な存在だ。芸能界には“早口枠”が確実に存在すると思う。思いつくところでは久米宏やビートたけしくらいか。マシンガントークだが当意即妙で悪態をついても嫌われないキャラクターをテレビは求め続けてきたと思うのだ。黒柳徹子さんに負けない早口男という基準(オレ基準)。だがそれももはや昔のことになった。
思えば私にとってはおはようこどもショーのロバくんからの付き合いだ(視聴者としてだけど)。当時はロバくんの中に愛川さんが入っているとは思いもしなかったが。等身大のロバくんのぬいぐるみを抱いて寝ていた。つまり等身大のキンキンを抱いて寝ていたのだ(それは違うか)。
11PMの時代は子どもだったからあまりしらない。いなかっぺ大将は見ていたがニャンコ先生がキンキンだと知ったのは大人になってからだった。なるほど・ザ・ワールド(CX)やアド街っく天国(テレ東)は山口県ではネット局がなかった気がする。上京してから見はじめたんだと思う。なるほど~は高視聴率で有名だったし、アド街では亡くなる一か月前に最高齢長寿番組司会者としてギネスにも登録された。まさにテレビ界の重鎮といえた。
しかし私にとって最も身近な番組は、CS放送の朝日ニュースターでやっていた「パックインジャーナル」だった。愛川さんのサイン入り風呂敷ももらった。もったいなくていまだに封をあけていない。いつかキンケロシアターでこの風呂敷を腕に巻いて愛川さんにあいさつに行きたいと思っていた。もはやそれもかなわぬ夢となり、この風呂敷も封をあける機会はなさそうだ。
朝日ニュースターの開局時から始まり、局を代表する番組に育ったパックインジャーナルだったが、右傾化が進む世の中の流れと符合するかのように突然打ち切られた。朝日ニュースターがテレビ朝日傘下に入り編成替えが表向きの理由だが、リベラルな番組への圧力だったと思う。右傾化が進行している昨今だが、2012年の段階から徐々に進行し続けているといえる。
パックインジャーナルが終了した翌週からはインターネットテレビとして私財を投じて継続された。それほどの熱さでこの国の右傾化と戦争反対を貫こうとされた。しかしおそらく経営的にも厳しかったと思うし、テレビ放送ほどの影響力はなくなった。
常にテレビ番組の最前線で戦ってきた愛川さんだけに、ネットテレビの影響力の薄さには忸怩たる思いがあったのではないかと思う。だが数字は取れなくても、民主主義と戦争反対の心意気を全うされた生き方はかっこよかった。晩節を汚す有名人が多いなかで恥じることのない生涯だったと思う。
キンキンのパックインラジオでは愛川さんのBGMは「うつむいて歩こう」だった。とてもいい歌で味がある。
きれいな天の川 今の僕には気分が痛い
うつむいて歩こう 優しさが落ちてるかもしれない
常に目線が市民を向いていた人だった。これほどリベラルな芸能人はもうなかなか出てこれないかもしれない。右傾化した日本が再び戦争を始めたり戦争に巻き込まれたりする未来を見ることなく逝った愛川欽也さん。その遺志を継いでいかなければと思う。
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