google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 稀有な政治家ゴルバチョフのいた時代に学ぶ: ひとくちメモ

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2015/04/11

稀有な政治家ゴルバチョフのいた時代に学ぶ

ロシア料理を食べる前から()読んでいたNHK新書『ゴルバチョフが語る 冷戦終結の真実と21世紀の危機』を読み終えた。私が生きてきた昭和から平成の時代においてもっとも大きな社会変革は冷戦終結だったと思う。東西ドイツが統一するなんて当時の国際政治学者ですら想定外だった。そしてソ連崩壊…。その裏話には興味が尽きない。

時代はいままたキナ臭くなり始めている。ソ連崩壊後のロシアはNATOの東方拡大に危機感を募らせ、アメリカ一極支配の世界へNOを突きつける。強いロシアを掲げてクリミア半島を編入したプーチン大統領はウクライナの西側入りに警戒感MAXだ。核兵器の使用すら視野に入っている。東西冷戦の悪夢がいままた燻り始めている。

ゴルバチョフという政治家が生まれソビエトの最高権力の座に着かなかったなら冷戦があんな風に終わることはなかった。歴史のめぐりあわせだ。当時ゴルバチョフの側近はゴリゴリの共産党官僚ばかりであり、このソビエト大統領は自分で歴史を調べノートを取った。レーガンアメリカ大統領の眼前でそのメモをめくりながら、またレーガンの言葉をメモしながら対話をしたという。レーガンもその姿勢にこれまでのソビエト大統領と異なる資質を感じ始める。

「冷戦が自然に終わることはない」とゴルビーは言った。その通りだと思う。軍事費の増大と国民生活の疲弊を終わらせるためには冷戦終結が必須だった。簡単に言えば対話の動機はそんなことかもしれない。だがいったんこのプロセスを始めると民主化の波が東欧諸国から吹き上がった。かつてのソ連ならそれを軍事力で抑圧してきたし、ゴルバチョフにはその権力(軍事的指揮権)もあったが行使しなかった。「自国の将来は自国で決めるべき」という信念がゴルビーにはあった。

冷戦終結と同じく、開戦もまた自然に生まれることはない。火だねがありそれが開戦へつながる。いまもそんな時代だ。ロシアにとってウクライナはほとんど自国という意識があるらしい。それほど近い。老いたゴルバチョフもそう感じている。だからこの問題に関してはプーチン支持でもある。私にはあのゴルビーですらとの思いもある。それほど国家・国境というものは危ういバランスの上に成り立っている。

●対話からしか始まらない

国境と故郷。小さい「っ」がくっつくだけで政治的イデオロギーや民族主義や諸々のエゴが前面に出てくる。東西ドイツの統一を認め統一ドイツのNATO加盟を認めるか否かの瀬戸際、西ドイツのコール首相をゴルビーは自身の故郷であるスタブロポリ地方でもてなした。そこはかつてナチスのドイツ軍に攻められた土地でもあり慰霊碑がある。両者同世代で戦時下の少年だった。お互いの国から攻撃された過去を持っていた。ゴルバチョフはこの故郷で最終決断をする。「統一ドイツのことは統一ドイツで決めるべきだ」と。主権とはそういうものだという信念を貫いた。

ゴルバチョフの誤算は民主化の拡大スピードの速さとアメリカ一極支配の世界による裏切りだった。抑圧された者は解放のためならなんでもする。たとえそれが行き過ぎた暴力であっても。そして民主化とは行きつく先のないエゴの暴走ともいえる。

冷戦は共産主義陣営の敗北と間違われることが多い。しかし冷戦を終結させたのはソビエト大統領ゴルバチョフの意志と粘り強い対話あってこそであり、資本主義陣営が勝利したわけではなかった。

資本主義の本質は功利的なものであり拡大主義と簡単に結びつく。軍事力を伴う権力によって抑圧し統治してきた共産主義とは異なり、自由主義と結びついて排他的にどんな卑劣さもいとわない資本主義もまた平和の実現に敗北したと言える。

ゴルバチョフのように自由を求め実現させた政治家が共産主義の国から生まれた不思議さを感じたこともある(それも大統領として!)。おそらく主たる目的が経済政策に関する資本主義も共産主義も人間の本質とは無関係なんだろうと思う。それらのイデオロギーは本来の人間性とは別次元にあるのだろう。だからこそお互いを認め合うこともまた可能だ。自らの拡大主義を押し付けようとするから争いになる。ゴルバチョフはそこに歯止めをかけようとした。

人類が「自由と平等」を求めお互いに他者に「寛容」になり、そしてどちらも裏切らなければどのような経済政策を取ろうとも戦争は起きない。寛容さは相手に求めるものではなく自らがまず身に着けなければ広がらない。

権力者も一人の人間であり、対等な立場で疑心暗鬼を少しでも減らす努力をしなければ常に戦争の影はちらつく。それをゴルバチョフの冷戦終結に向けた対話力が教えてくれる。約束事には認識の違いを内包するリスクがある。その小さな認識の違いが大きなわだかまりにつながることもある。一度裏切ったり裏切られたりしたら信頼を取り戻すのは大変難しい。しかしお互いに疲弊し崩壊することを防ぎたいと考えている限り不可能ではないのだ。

人類は基本的に功利的で好戦的でまず主義主張を通そうとする。この性向は未来永劫変わらないだろう。過ちを起こしてはまた反省する。その繰り返しの歴史だ。ただ原子力の開発やグローバリズムによって、一回の過ちが取り返しのつかない崩壊につながる。この巨大なリスクをコントロールせねばならない。そのためには対等な立場での対話が必要だ。

集団的自衛権の議論が華やかな日本だが、他国との基本的な対話をおろそかにして勇ましいだけの議論が目立つ。対話の後方に武力ありきという大時代的な意識もまだまだ根強い。おもてなしは何もオリンピック誘致だけに使えるツールではないはずだ。「和」の力を知っている日本人が、あらゆるイデオロギーを超えた平和主義を憲法に明記している意義は計り知れない。真の意味で平和外交を求める政治を。日本を取り戻すとはそういうことだと思う。

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