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7 posts from April 2015

2015.04.29

ピアニシモな歌声に魅せられて~biceの思い出

Bice_cd_popnpoll

私、中島さんのファンなんです。そういうと大概中島みゆきファンとしてのポップンポールを指すわけだが、もうひとり大好きだった中島さんがいる。シンガーソングライター中島優子、bice(ビーチェ)だ。2002年、藤井隆の『ロミオ道行』で聴いたbiceの楽曲(乱反射地球に抱かれて)から好きになった。13年前のことだ。

2012年に中島みゆきさんのピアニシモな歌が好きだという記事を書いたことがある。あるいは同じ2012年にK-POPのIUのウィスパーボイスにも注目したりして。何気にピアニシモな音楽やウィスパー・ボイスの女性ボーカルが好きだったのだが、2012年ごろのポップンポールはウィスパーボイス好きサイクルに再び入っていたんだと思う。そしてbiceはそんなポップンポールの嗜好にどはまりなミュージシャンだった。

そういう嗜好のサイクルのなかで2013年を迎えた。「そういえばbiceを初めて聴いてからもう10年になるんだなぁ、いまbiceはどんな活動をしてるんだろう」と検索した。そして唐突にbiceの死を知ることになる。

pen

2010年にbiceは心筋梗塞で突然この世を去った。それを3年間知らずに過ごした自分が情けなかった。その当時(2008-10年)のポップンポールは音楽から遠く離れて自然音のバイノーラル録音をしていた。メロディ嫌悪に陥っていた。

そこから音楽に戻るきっかけになったのは2009-10年のフィギュアスケートの女王キムヨナの登場であり、キムヨナから派生したK-POPだった。キムヨナの躍動する美とジャストフィットの007のテーマが身体性を伴う音楽の世界にポップンポールを引き戻した。そして2010年からはキムヨナとK-POP三昧の生活に入った。韓国語も学び始めた。

3年はあっという間に過ぎた。2012-13年がbiceを知って10年目という節目だったこともあり、音楽の世界に戻ったら急に懐かしくなった。2002年当時biceと一緒にライブをしていたキンカウィズアヨーンのMVを見たのがきっかけだったかもしれない。

biceの死を知ったときのツイッターを時系列で残しておきたい。

2013年06月22日(土)3 tweetssource
キンカウィズアヨーンを聴くとbiceも聴きたくなってきた。biceの初ソロライブからもう10年になるんだな。 bice 私とポールの事: http://youtu.be/NWpTWJS3PN0 @youtubeさんから
posted at 07:55:57

biceのこといくつか書いたけど削除した。大好きだったけど彼女が亡くなってたこと知らなくて...。BOXが出るとか喜んだりして。なんだかいろんな感情が一気にこみあげてきた。
posted at 08:20:01

biceが亡くなった頃のボクは完全に日本の音楽から遠ざかってたな。その前は音楽そのものが嫌でメロディ拒絶症に陥りフィールド録音に没頭してた。亡くなって3年も経ってから知るなんてファンと言えないな。でもbiceの音楽にまた戻ってきた。気持ちいい朝だったから。
posted at 08:30:58

2013年06月25日(火)2 tweetssource
土曜以来、寝る前にはbiceのCDを聴いてる。それしか出来ないし。昨日は let love be your destiny を。このCDのジャケ裏には「わたるへ」とbiceのサインが入ってる。思い出の品になっちゃった。
posted at 07:08:14

あのとき、わたるくんへとかわたるさんへじゃなくて「わたるへ」って書かれたぶっきらぼうな感じがいかにも biceっぽいと感じた記憶がある。それもbiceの声で呼ばれてる記憶w その声の記憶はボクの創作であり妄想であるが。
posted at 07:14:57

●bice カフェイベント@シネカフェ・ソト

今年4月22日(火)に十条駅近くのシネカフェ・ソトさんでbiceの音楽を聴くカフェイベントが開催されました。今回で4回目です。初めて参加しました。主催者のつぶやくビーチェさんには初回からお誘いいただいていたんですが時間が取れず。さいたま市在住の私なので十条だったら終了までに間に合うかもと出かけました。

入口では(いつものことですがcoldsweats01)、「ポップンポールです」と名乗るのが恥ずかしかった。年を取るほどに恥ずかしくなっていく…。名前変えようかな(いまさら!)。受付の女性スタッフさんに「つぶやくビーチェさんはどちらに?」と聞くと「あそこで話してる人ですよ」と教えてもらいました。ようやく会えました。

シネカフェ・ソトさんは上映会のできるカフェ(お酒もあり)でとても雰囲気のいい空間でした。そこでbiceの映像を見て音楽を聴いてゆったり過ごす静かなイベントでした。といってbiceを偲ぶといった湿っぽい雰囲気ではありません。ファンの方がギターでbiceの曲を歌われたり、独りドリンクを傾けながらbiceの記事や写真を読んだり眺めたり、思い思いに過ごす会でした。でも久しぶりにbiceの歌う姿を見てしまうと、グッとこみ上げてくるものはありましたね。

今回は初の試みで主催者さんともうひとりのファンの方で映像を見ながらのトークもあり、アニメの「けいおん!」の音楽からbiceファンになった新しいファンにも嬉しい宴だったと思います。初めて参加という人も多かったみたいでした。

Bice_with_text20150422個人的にはbiceが中学生時代に使っていた社会科の教科書がツボでしたsign01 裏にナカジマユウコと名前も書かれていて、なかはマーカーでまっかっか。biceは真面目な中学生だったようです。直筆で書かれたウラル山脈の文字がかわいい(笑)。

こういうイベントを開催するのはとても大変なことだと思います。biceが好きじゃなきゃ出来ないけど、好きだからって誰にでも出来るわけじゃないよね。biceが亡くなってからもこうしてbiceの音楽を愛する人がいるだけで嬉しいです。主催者のつぶやくビーチェさんの熱い想いを手伝ってるスタッフの皆さんもどうもありがとう。

biceの初ライブの頃はまだブログという言葉も日本に上陸しておらずホームページにbiceライブについて書いていました。そこにもリンクしてみます。新しいbiceファンの方の参考になれば。

下記画像は2002年当時にbiceのCDジャケットを使って作ったコラージュです。初ライブの記念に。bice boxというタイトルなんですが、最近制作されると噂されていたbiceのCD BOXを予感していたわけではありません(BOX化して欲しいなぁ)。

2002-03年当時、biceのホームページにBBSがあり、そこで何人かのbiceファンの方と話したりしました。もう名前も憶えていないけれど、下の画像ファイルを私が誤って消失してしまったときに、そのなかのお一人が保存しててくれて助かった思い出もあります。

当時のファンの皆さんも新しい音楽ファンにも、ピアニシモでブリティッシュでオリジナルなbiceのウィスパーボイスをもっともっと聴いて欲しいと思います。

S_bice_art

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2015.04.19

科学ビジネスの進歩は反知性を目指す

安倍政権が目指すものを一言で「反知性主義」とまとめると、ものすごくわかった気になる。白井聡の文章のなかにこの言葉を見つけたとき、世の中に蔓延しつつあるモヤモヤとした嫌な空気を説明できる言葉を見つけたと思った。

だが違った。いやおそらく違うと思う。説明できていない。世相を示すひとつの言葉ではあるけれど、反知性主義といって片づけてしまうにはこの危機があまりに現在進行形に思える。いまはまだこの政権がやろうとしているひとつひとつの政策について個別具体的に考えることが必要だろう。

そう思えたのは『日本の反知性主義』(内田樹編)を読みながらだった。10人が反知性主義をテーマとして与えられながら、この言葉に逡巡したり悶絶したりしながら反知性主義の周辺をぐるぐる回っている。その悩み多き文章に「反知性主義」を語ることの妙な気恥ずかしさを感じた。

しかし収穫もあった。映画作家の想田和弘さんと生命科学者の仲野徹さんの文章には共感を覚えた。知性の在り処のヒントがあったと思う。反知性の罠と恵みは誰もが意識するかどうかに関わらず付き合っていくべき業なのではないだろうか。

●反知性的生活の甘美な誘惑

かたくなな宗教家以外の多くの現代人は科学の進歩を好意的に受け入れてきたと思う。科学は未知の事象を既知の事象に置き換えるオセロゲームではないかと思う。どこまでも続くこのゲームだが、いったん既知となった事象は一部の科学者を除いてブラックボックスと化していく。それを使ったビジネスが生まれる。

一度科学の進歩がビジネスになるとこの流れは止めることが困難になる。たとえこのオセロゲームが白から黒に反転するような事象(例えば原発のシビアアクシデント)があったとしても、科学の成果を信奉する者は意識を転換できない。ここに反知性的態度が生まれるのではないだろうか。

反知性を主義として推し進める政治家とは別に、態度として無意識に生まれてくる反知性の危険性が高い。政治家はそれを利用する。科学の進歩が物事の原理を覆い隠し、人類の直感や認識の限界を超える。

個人の限界を超えた知性の集積として製品なりサービスが生まれ、それらをためらいなく利用できる。この利便性の魔力のなかで知的生活、発想し検証し議論し変化していくことが困難になっていく。いやその必要性を感じなくなっていく。健康食品から原発まであらゆる生活の局面が反知性で生活できてしまう。

これはまことに幸せなことかもしれない。人類の英知を誰もが享受できる。だが認知限界を超えた世界が進むと暴走を始める。まるで美人局のように。その暴走に対峙できる知性はもはや個人にはなく、違和感のなかで生活するか知性を捨てて受け入れる(無関心を含む)かの選択を迫られる。

この選択はどちらも反知性的だ。知性の萌芽はこの地平には存在できない。すでに世の中はそのレベルまで反知性的なのだ。新しい発想や発見の頻度は確実に減少傾向にある。科学が既知の蓄積である以上、これは当然の帰結だ。

また想田和弘さんが言う「台本至上主義」は、時間と期待とのプレッシャーのなかで成果を出さざるを得ない人々の生活の知恵ともいえる。結論ありきで収集される情報。それらがSTAP細胞事件のような悲劇を生むこともあるだろう。

だがこの状況のなかで悪あがきと分かっていても発想する志、認知限界を超えた科学にNoを突きつける志、そういった感情のなかに知性は宿るように思う。分からない世の中を楽しむ余裕があれば知性的態度で生活できる。そのために何かを失うとしても、そこに選択の余地があるならばいまよりも生きやすいかもしれない。

●生活中心主義が知性の萌芽に

知性はコンピュータにはない。それは生活と直結しているものだと思う。人間が生活するために利便性を求めることも知性だが、その利便性の先に生命の危機を感じた時、その直感を信じて回避行動をとることもまた知性の萌芽だ。生きようとすることが知性の原点でなければどこまでも反知性的生活(生かされる生活)に侵食されていく。生かされる生活は殺される生活と表裏一体といえる。反知性による死を拒否すること。それが知性だと思う。

安倍政権に対しては「反知性主義」ではなく明確に「ファシズム」として認識することが重要だ。ツイッターに書いたが繰り返す。国家権力による独裁とそれを磐石とするための道徳教育の推進、軍隊・警察権力の拡大と反独裁主義者のパージ、それらにシンパシーを感じさせる美学・物語の導入、格差確定社会による厳格な階級制度などが日本における古くて新しいファシズムだと考える。

これらが無意識に生活に溶け込んでしまうことが反知性的生活態度の危険性だ。ひとつひとつ個別具体的に進行していないかを注意しなければならない。無意識に生きると反知性の罠にはまる。そんな困難な時代に突入している。

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2015.04.18

さよならキンキン

キンキンこと愛川欽也さんが4月15日に亡くなった。昭和から平成にかけて舞台・映画・ラジオ・テレビそしてここ数年は有料ネットテレビのkinkin.tvなどで活躍され、メディアを縦横無尽に駆け抜けた生涯だったと思う。

地上波では軒並み長寿番組の司会を担当されていた。ここまでおしゃべり好きで早口が止まらない男性司会者は稀有な存在だ。芸能界には“早口枠”が確実に存在すると思う。思いつくところでは久米宏やビートたけしくらいか。マシンガントークだが当意即妙で悪態をついても嫌われないキャラクターをテレビは求め続けてきたと思うのだ。黒柳徹子さんに負けない早口男という基準(オレ基準)。だがそれももはや昔のことになった。

思えば私にとってはおはようこどもショーのロバくんからの付き合いだ(視聴者としてだけど)。当時はロバくんの中に愛川さんが入っているとは思いもしなかったが。等身大のロバくんのぬいぐるみを抱いて寝ていた。つまり等身大のキンキンを抱いて寝ていたのだ(それは違うか)。

11PMの時代は子どもだったからあまりしらない。いなかっぺ大将は見ていたがニャンコ先生がキンキンだと知ったのは大人になってからだった。なるほど・ザ・ワールド(CX)やアド街っく天国(テレ東)は山口県ではネット局がなかった気がする。上京してから見はじめたんだと思う。なるほど~は高視聴率で有名だったし、アド街では亡くなる一か月前に最高齢長寿番組司会者としてギネスにも登録された。まさにテレビ界の重鎮といえた。

しかし私にとって最も身近な番組は、CS放送の朝日ニュースターでやっていた「パックインジャーナル」だった。愛川さんのサイン入り風呂敷ももらった。もったいなくていまだに封をあけていない。いつかキンケロシアターでこの風呂敷を腕に巻いて愛川さんにあいさつに行きたいと思っていた。もはやそれもかなわぬ夢となり、この風呂敷も封をあける機会はなさそうだ。

朝日ニュースターの開局時から始まり、局を代表する番組に育ったパックインジャーナルだったが、右傾化が進む世の中の流れと符合するかのように突然打ち切られた。朝日ニュースターがテレビ朝日傘下に入り編成替えが表向きの理由だが、リベラルな番組への圧力だったと思う。右傾化が進行している昨今だが、2012年の段階から徐々に進行し続けているといえる。

パックインジャーナルが終了した翌週からはインターネットテレビとして私財を投じて継続された。それほどの熱さでこの国の右傾化と戦争反対を貫こうとされた。しかしおそらく経営的にも厳しかったと思うし、テレビ放送ほどの影響力はなくなった。

常にテレビ番組の最前線で戦ってきた愛川さんだけに、ネットテレビの影響力の薄さには忸怩たる思いがあったのではないかと思う。だが数字は取れなくても、民主主義と戦争反対の心意気を全うされた生き方はかっこよかった。晩節を汚す有名人が多いなかで恥じることのない生涯だったと思う。

キンキンのパックインラジオでは愛川さんのBGMは「うつむいて歩こう」だった。とてもいい歌で味がある。

note きれいな天の川 今の僕には気分が痛い
note うつむいて歩こう 優しさが落ちてるかもしれない

常に目線が市民を向いていた人だった。これほどリベラルな芸能人はもうなかなか出てこれないかもしれない。右傾化した日本が再び戦争を始めたり戦争に巻き込まれたりする未来を見ることなく逝った愛川欽也さん。その遺志を継いでいかなければと思う。

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2015.04.16

中島みゆきの「時は流れて」を坂本龍一の伴奏に注目して聴く

ここ数日、寝る前に中島みゆきの3rdアルバム「あ・り・が・と・う」を聴いている。発売されたのは1977年。実に38年前のアルバムだ。ボクがこのLPレコードを買ったのはおそらくシングルの「悪女」(1981年)の少しあとのはず。それでも30年以上前になる。いまはCDで買いなおしたものを聴いているわけだが、当時とはまた違った聴きどころがあって嬉しい。

LPレコードを聴けなくなってからもすでに20年以上になる。CDは2008年発売の紙ジャケ仕様のものだけどずっと聴いてはいなかった。もっとも「店の名はライフ」や「まつりばやし」そして「ホームにて」などは自分の弾き語りを何度も何度も聴いてる。つまりほとんど全楽曲ポップンポールバージョンで記憶してしまっているわけだ(coldsweats01)。

どうしていま聴きなおしているかというと、今年3月に発売された「細野晴臣×坂本龍一 at EX THEATER ROPPONGI 2013.12.21」に触発されたのだった。このライブブルーレイにはもちろん中島みゆきは登場しない。共通項はズバリ、坂本龍一のピアノ(キーボード)だ。

2013年にYMOのメンバーが集まってアコースティックなライブをしたときの映像化だが、これが思いのほか(?)素晴らしかった。派手なパフォーマンスはほぼない。元はといえばMCが上手いわけでもないシャイなオッサンたちなのだ。しかし音楽家として、またバンドとして集まるとその音楽の力に惹き込まれてしまう。音楽だけあればそれでいいと思わせる説得力がある。

そのシャイなMCのなかに坂本教授のピアノ伴奏の話題がちょこっと出てきた。

「ピアノ伴奏が上手い坂本龍一」

そのキーワードが頭の中で「あ・り・が・と・う」に直結したのだった。坂本龍一のピアノ伴奏を中心にこのアルバムを聴きなおしてみたい。そう思った。

いや、いいね!いい。すばらしいな…。確かに伴奏が上手いわ教授 flair

そしてYMOと中島みゆきに同時にはまれた中学生の自分が音楽的に大正解だったと自画自賛(笑)。

サードアルバムとしての「あ・り・が・と・う」が大傑作だということは以前も書いたことがあった。その一端を坂本龍一のピアノが担っていることは疑いの余地なし。

一曲選ぶとしたら「時は流れて」。アルバムの最後の一曲というのは中島みゆきのアルバムにおいてはとても重要だし。ただ、当時のアルバムのクレジットでは坂本龍一がどの曲で演奏しているかといった詳細な情報は掲載されていない(当時はだいたいそんなもの)。しかしこのピアノはまさしく坂本の伴奏に違いないと思わせるフレーズ感があるんで、独断で坂本の伴奏だということで話を進めてまいります。

この曲の歌詞は下世話な言い方をすればフラれ歌と言える。20代の中島みゆきがこんな歌詞を書いているというだけで萌える…。しかしこのときから更に30余年の時が流れたいま、この楽曲が「時代」と「世情」の間に発表されたアルバムのラストに位置づけられたことを思うと、もっと大きな象徴が歌われているような気分にもなる。この時代が失ってしまった何か。だが今日のテーマはそこじゃない。坂本教授のピアノだ。

当時はまだバイト感覚だったかもしれない坂本龍一。しかし若き音楽家の感性は研ぎ澄まされていたのではないだろうか。特にあまり肩にも頭にも力が入ってなくて、感性の赴くままに(言葉は悪いが適当に)弾いている坂本のピアノのさりげない空間の埋め方は教授っぽさ全開!

民俗音楽と現代音楽、そして音響学というふり幅を持つ坂本の独特なコード感が、シンガーソングライター中島みゆきの楽曲の響きに変化を与えていると思う。

坂本龍一の作る音楽はとてもドライに聞こえる。実際はもっと複雑で土着的な部分とかもあるんだけど、それも含めてドライに料理されてる。そのドライさが時に怖いくらいに“効く”ことがある。佐野元春のときにもちょっと書いたが、脳内の化学変化を誘発する緊張感のある響きなのだ。コード理論から話すことは出来ないけれど、そのゾクっとするドライな響きと中島みゆきの本来持っているウエットな響きが不思議と共鳴する「時は流れて」を再発見したような気分になった。

他の楽曲では「店の名はライフ」が持つ不思議なグルーブもちょっと独特だ。アレンジャーの吉野金次は(はっぴいえんどの「風街ろまん」のミキシング等で)ボクにとっては細野晴臣系の音楽人脈でもある。

まったく無意識に聴いて来た別々の音楽が参加ミュージシャンやスタッフによってリンクしていくのは年の功というか、ちゃんと音楽聴いてきて良かったなと思う。YMOと中島みゆきを同じ熱さで聴いているのはオレくらいだろうと思っていた中学生の思い上がりはこうして崩れ去るのだ。だが悔しくない。実に晴れやか。それで平日の深夜にこんなことを書いてみたくなったのだった。

今夜はもう一回「時は流れて」を聴きながら寝たい。今度は中島みゆきと坂本龍一と、そして吉野金次の意図を妄想しながら。

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2015.04.11

稀有な政治家ゴルバチョフのいた時代に学ぶ

ロシア料理を食べる前から(confident)読んでいたNHK新書『ゴルバチョフが語る 冷戦終結の真実と21世紀の危機』を読み終えた。私が生きてきた昭和から平成の時代においてもっとも大きな社会変革は冷戦終結だったと思う。東西ドイツが統一するなんて当時の国際政治学者ですら想定外だった。そしてソ連崩壊…。その裏話には興味が尽きない。

時代はいままたキナ臭くなり始めている。ソ連崩壊後のロシアはNATOの東方拡大に危機感を募らせ、アメリカ一極支配の世界へNOを突きつける。強いロシアを掲げてクリミア半島を編入したプーチン大統領はウクライナの西側入りに警戒感MAXだ。核兵器の使用すら視野に入っている。東西冷戦の悪夢がいままた燻り始めている。

ゴルバチョフという政治家が生まれソビエトの最高権力の座に着かなかったなら冷戦があんな風に終わることはなかった。歴史のめぐりあわせだ。当時ゴルバチョフの側近はゴリゴリの共産党官僚ばかりであり、このソビエト大統領は自分で歴史を調べノートを取った。レーガンアメリカ大統領の眼前でそのメモをめくりながら、またレーガンの言葉をメモしながら対話をしたという。レーガンもその姿勢にこれまでのソビエト大統領と異なる資質を感じ始める。

「冷戦が自然に終わることはない」とゴルビーは言った。その通りだと思う。軍事費の増大と国民生活の疲弊を終わらせるためには冷戦終結が必須だった。簡単に言えば対話の動機はそんなことかもしれない。だがいったんこのプロセスを始めると民主化の波が東欧諸国から吹き上がった。かつてのソ連ならそれを軍事力で抑圧してきたし、ゴルバチョフにはその権力(軍事的指揮権)もあったが行使しなかった。「自国の将来は自国で決めるべき」という信念がゴルビーにはあった。

冷戦終結と同じく、開戦もまた自然に生まれることはない。火だねがありそれが開戦へつながる。いまもそんな時代だ。ロシアにとってウクライナはほとんど自国という意識があるらしい。それほど近い。老いたゴルバチョフもそう感じている。だからこの問題に関してはプーチン支持でもある。私にはあのゴルビーですらとの思いもある。それほど国家・国境というものは危ういバランスの上に成り立っている。

●対話からしか始まらない

国境と故郷。小さい「っ」がくっつくだけで政治的イデオロギーや民族主義や諸々のエゴが前面に出てくる。東西ドイツの統一を認め統一ドイツのNATO加盟を認めるか否かの瀬戸際、西ドイツのコール首相をゴルビーは自身の故郷であるスタブロポリ地方でもてなした。そこはかつてナチスのドイツ軍に攻められた土地でもあり慰霊碑がある。両者同世代で戦時下の少年だった。お互いの国から攻撃された過去を持っていた。ゴルバチョフはこの故郷で最終決断をする。「統一ドイツのことは統一ドイツで決めるべきだ」と。主権とはそういうものだという信念を貫いた。

ゴルバチョフの誤算は民主化の拡大スピードの速さとアメリカ一極支配の世界による裏切りだった。抑圧された者は解放のためならなんでもする。たとえそれが行き過ぎた暴力であっても。そして民主化とは行きつく先のないエゴの暴走ともいえる。

冷戦は共産主義陣営の敗北と間違われることが多い。しかし冷戦を終結させたのはソビエト大統領ゴルバチョフの意志と粘り強い対話あってこそであり、資本主義陣営が勝利したわけではなかった。

資本主義の本質は功利的なものであり拡大主義と簡単に結びつく。軍事力を伴う権力によって抑圧し統治してきた共産主義とは異なり、自由主義と結びついて排他的にどんな卑劣さもいとわない資本主義もまた平和の実現に敗北したと言える。

ゴルバチョフのように自由を求め実現させた政治家が共産主義の国から生まれた不思議さを感じたこともある(それも大統領として!)。おそらく主たる目的が経済政策に関する資本主義も共産主義も人間の本質とは無関係なんだろうと思う。それらのイデオロギーは本来の人間性とは別次元にあるのだろう。だからこそお互いを認め合うこともまた可能だ。自らの拡大主義を押し付けようとするから争いになる。ゴルバチョフはそこに歯止めをかけようとした。

人類が「自由と平等」を求めお互いに他者に「寛容」になり、そしてどちらも裏切らなければどのような経済政策を取ろうとも戦争は起きない。寛容さは相手に求めるものではなく自らがまず身に着けなければ広がらない。

権力者も一人の人間であり、対等な立場で疑心暗鬼を少しでも減らす努力をしなければ常に戦争の影はちらつく。それをゴルバチョフの冷戦終結に向けた対話力が教えてくれる。約束事には認識の違いを内包するリスクがある。その小さな認識の違いが大きなわだかまりにつながることもある。一度裏切ったり裏切られたりしたら信頼を取り戻すのは大変難しい。しかしお互いに疲弊し崩壊することを防ぎたいと考えている限り不可能ではないのだ。

人類は基本的に功利的で好戦的でまず主義主張を通そうとする。この性向は未来永劫変わらないだろう。過ちを起こしてはまた反省する。その繰り返しの歴史だ。ただ原子力の開発やグローバリズムによって、一回の過ちが取り返しのつかない崩壊につながる。この巨大なリスクをコントロールせねばならない。そのためには対等な立場での対話が必要だ。

集団的自衛権の議論が華やかな日本だが、他国との基本的な対話をおろそかにして勇ましいだけの議論が目立つ。対話の後方に武力ありきという大時代的な意識もまだまだ根強い。おもてなしは何もオリンピック誘致だけに使えるツールではないはずだ。「和」の力を知っている日本人が、あらゆるイデオロギーを超えた平和主義を憲法に明記している意義は計り知れない。真の意味で平和外交を求める政治を。日本を取り戻すとはそういうことだと思う。

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2015.04.05

佐野元春カジュアルな宴~ビルボードライブ

Moto_live_20150402_231325ロシア料理を堪能した後、二次会感覚で佐野元春ライブ。このゴージャス感はハンパなかったな(笑)。21:30という開始時間もまさに大人、そして都会の雰囲気。東京ミッドタウンのなかにあるビルボードという空間はまさに現代東京を表現するポップカルチャーの断片だ。

佐野元春ビルボードライブへ来たのは昨年に続き2回目。元春ライブについては2011年に「佐野元春 '80年代ポップソングのメッセンジャー」という記事を書いてる。この記事はどこかにリンクされてるようで割とアクセスが切れない。ボクも気に入っててひとくちメモ10周年記念自薦音楽評10選にいれてる(wink)。

今年レコードデビュー35周年の元春だが、25周年のライブのときも2006年4月に「So Young MOTO Live!」で書いてた。松田聖子と同期なのだ(sign01)。ひとくちメモでは聖子の30周年コンサートについても書いてた。聖子も元春作曲の「ハートのイアリング」を歌ってて二人には接点がある。

元春は聖子プロジェクトに参加したときのエピソードを2009年にNHK「THE SONGWRITERS」で語ったことがある。とても興味深い話だった。ボクもポップソングの歌詞について考えた時間だった。日本の'80年代、まさにポップミュージック黄金時代を代表するアーティストのお二人。同時代を生きられてうれしい。

佐野元春は大きなホールで大音響のコンサートを出来るアーティストだが、ビルボードのような空間も似合う。ショービジネスのなかで活躍しながらこうしたカジュアルなライブが出来る稀有な才能だ。それはこの空間に合う楽曲も35年間にいくつも発表してきたからこそだと思う。過去の積み上げがいまこの場所を選んだ。それらの楽曲群に導かれてビルボードという空間がある。

ホールライブとは異なる選曲、編成、環境にマッチする楽曲群。その選び方にも編集力を感じる。東京やニューヨークという都市での生活感覚を写し取った楽曲群、またそんな都市生活へのアンチテーゼとも思える自然(太陽光・フルーツ・草原等々)を希求する楽曲群。カフェのような雰囲気で聴けるピアニシモな音楽はホールライブとは違った手触りがある。

Dr.KyOnの演奏を佐野元春は「同時代に出会うことができた幸せ」と語った。信頼を感じさせる紹介だった。ボクはDr.KyOnを見ているとノッポさんを連想してしまう。あるいはトッド・ラングレン。もしくはその長い手足があやつり人形のようにも見えて機械仕掛けのアンドロイドなんじゃないかと勘繰って天井を見上げてしまう(笑)。魔法使いのような楽しい演奏だ。自己紹介では鉄腕アトムをアレンジして演奏された。まさにDr.KyOnこそがポップミュージックの鉄腕アトムだと思う。

note

時代とともに生きるポップミュージック。それだけに時代の色がつき古びてしまうリスクもある。だがポップミュージックも“歴史”を語られるほどに時代が進み、リスナーも経験を積んだ。シングルカットされリピートされ尽くした楽曲群もあればホールライブやメディアで演奏されることのないアルバムのなかの楽曲群も無数にある。佐野元春のような作家性の強いアーティストならなおさらだ。そんな楽曲群に光をあて、過去をただ回顧するだけではなく再構築・脱構築するアーティストとの幸せな邂逅がビルボードライブにはある。

ビッグビジネスだけを考えればホールコンサートや東京ドームが効率的かもしれない。しかしそこからこぼれた音楽にも価値を見いだせるくらいにボクらも成長した。それはあたかもグローバルからローカルへの視線、成長一本やりの画一社会から成熟した多様な社会への理解にも通じる。ポップミュージックの健全な歴史とともに生きている実感もまたうれしいのだ。

少し強引かもしれないが、佐野元春のビルボードライブは中島みゆきにおける夜会かもしれない。たたずまいは全く異なるが、ホールコンサートにない魅力を発見できる音楽表現の新しい環境探究という意味で。多様性を生みだしたボクらの時代のポップミュージックはまだまだ未来に向けて創造的なのだ。それはビジネスとしてだけでなく多様性の広がりによって。

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2015.04.04

リピート必至のロシア料理店Байгал

バルティカNo.3木曜の夜、午後8時。フラッと六本木のロシア料理店に入った。この日は21時半からビルボードで佐野元春ライブがあり、我々は先に夕食を済ませよう(ビルボードでは洒落た飲み物だけで音楽聴こう)と決めていた。

実は別のお店にあたりをつけていたのだが、あいにくそちらはこの日貸切パーティをしていて入れず。それが午後7時。そこから食べ物を探して六本木から乃木坂界隈の彷徨が始まった。居酒屋とか焼肉という気分ではなく、こじんまりとした洋食屋さん的な空間を求めて。

よそ者みたいな気分で街を歩き続けて、見つけたのがロシア料理バイカルさんだった。他にもいくつか良さげな洋食店を見つけたが、さすがにフラッと入るには敷居の高そうな(予約なしで行きにくそうな)お店が多かった。バイカルはビルの3階で看板だけだったので逆に好奇心をそそった。

昨年からロシア料理には興味があったがなかなか食べに行く機会がなかった。このタイミングで見つけたのも何かの縁だろうとビルの3階へ。木製の独特なドアの窓からふくよかなロシア女性と目があった。そしてドアを開けるととてもアットホームな雰囲気のかわいいお店だった。一組のグループが静かに会食をしていた。


初心者じゃなくても食べてしまう気がする初心者にオススメの前菜ニシンの塩漬けはじめはそのグループの横でお店のど真ん中の席に通されたが、9時半までだったら奥の席でもOKというので、9時10分には出る必要のある我々には願ったり叶ったりと席を移動した。

飲み物はいろいろあったけど、“とりあえずビール”の日本人としてここはロシアビールのバルティカNo.3を注文した(一番上の写真)。世界中で受け入れられてるロシアンビールだけあって軽くて飲みやすい。ロシアの酒というと重厚なイメージだったのでこの軽さに意表を突かれた。

テーブルには初めての人へのオススメ料理という写真が用意してある。素直じゃない私は通常こういうメニュー以外から選ぶ天邪鬼なのだがロシア料理はさっぱりわからないので、入店時に目があったロシア人の店員さんにオススメを聞いてみた。そしたらこの初めての人用メニューを薦められた(confident)。

そこで拒否るほど空気を読めないわけでもないので、そこから塩漬けニシンの前菜とファミレスでもよくあるビーフストロガノフを注文。マッシュポテトをつけるかも聞かれたのでなすがままにつけた(笑)。もっともビーフストロガノフにはマッシュポテトが必須であることを後に悟った。

ビールを持ってきたのは女将さん風のロシア人女性だった。そこで初心者用以外のメニューを見ながらまたオススメを聞いた。今度は前菜、スープ、メインディッシュ、ピロシキあたりをコース的に説明してくれた。さすが女将だ。

それでピロシキは4種類あるなかから揚げピロシキを注文。メインディッシュにハンバーグホワイトソース掛けを注文。これ以外にビーフストロガノフも注文しているというと「ワぉ」と言いながら注文を受けてくれた。確かに食べ過ぎた!糖質も摂りまくった…。ピロシキの大きさも想定外だった。

最初に前菜のニシンの塩漬け。お酒によくあうと女将。さすがロシアも海洋国家だ。絶妙の美味さ。ニシンといえば石狩挽歌を連想してしまう。思い出す気がなくても頭の中に歌が流れ出すサガなのだ。ホントに美味しくて、ビールもニシンも美味しいと女将に伝えると「スパシーバ!」と喜んでくれた。

Baikal20150402揚げピロシキも美味かった。中にはハンバーグ的な具材が入っていた。「ワぉ」のなかにはこのハンバーグ被りも入っていたのかもしんない(coldsweats01)。

そしてハンバーグが来た。しっかり肉が詰まって標高が高い(笑)。そしてこれは初心者メニューではない!まさにロシアの家庭料理といった雰囲気だ。揚げピロシキとハンバーグを食べて満足感がジワジワこみあげる。

最後に2品目のメインディッシュ、ビーフストロガノフ+マッシュポテトだ。どうやって食べるのか聞くと女将がスプーンで皿にマッシュポテトを“塗り”、そこにビーフストロガノフを掛ける。まぁ思った通りだったわけだが。「日本ではライスにかける。ロシアではマッシュポテトにかける。おんなじ。」とのことだった。いきなり実演して見せてくれたので写真はない(笑)。

このビーフストロガノフも超うまい。ファミレスで食べるビーフストロガノフとはかなり違う気がした。濃厚。ファミレスのメニューはたぶんビーフストロガノフ風ハヤシライスなのではないか。

そしてビーフストロガノフにはマッシュポテトが超合う!郷に入れば郷に従えとはよく言ったもんだ。ライスよりマッシュポテトだ。はらたいらさんに30000点、さらに倍、ドン!そんな気分だ(?)。

いやはやロシア料理おそるべし。何を食べても美味しい。女将に全部美味しいと言わずにはいられなかった。あっと言う間に21時を回ってしまった。

食べ終わったお皿をさげてもらうときにメニューに書かれたロシア語の店名を指差して何て読むのか聞いたら「Байгал」とロシア語の発音で教えてくれた。このときはじめて店名を知る…。ロシア料理という文字だけで入ってきちゃったからな。「ああ、バイカル湖の!」というと女将は大きくうなずいた。

チェックのときに何曜日がお休みか聞いてみると、休みはないと苦笑い。「三十五…?」と女将が言ったので「あぁ、さんびゃくろくじゅうごにち?」と教えてあげると「365日毎日!」と大笑いで復唱する女将。お店のカードとチラシをもらい「次は予約して」と送り出された。何から何まで感じのいいお店だった。

店を出て東京ミッドタウンまでほんの少し歩きながら、この満たされた感じは何なのだろうと思う。この後佐野元春のビルボードライブが待っているというそのゴージャス感も込みで。充実した食事のあとに極上の音楽が待っているという期待感!次回は6月にまたビルボードライブだが、既に我々の頭の中ではロシア料理とセットでイベント化し始めていた。リピートしてまだ食べてないメニューを食べるのだ!

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