google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg もっともっともっとみゆきと深い仲: ひとくちメモ

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2015/03/28

もっともっともっとみゆきと深い仲

1994年にボクは何をしていただろう。昨日は飲み会の後のカラオケで1994年のヒット曲から尾崎豊「OH MY LITTLE GIRL」を歌った。中島みゆきの1994年の番組再放送を翌日(つまり今日)見る予定にしていたからあえて「空と君のあいだに」ではなくて。

そしていま見終わった。NHK BSプレミアム「中島みゆき もっとみゆきと深い仲 時代・夜会・そして」を。知っている画像も多かったけれどこの番組自体は初めて見た。冒頭から「二隻の舟」ではじまった。これまでボクの一番好きな曲は(日によってムラがあるが平均的には)「歌姫」だと思うけど、「二隻の舟」は双璧かも。特にいまのボクには沁みたなぁ…。

「見返り美人」のプロモは映画館で見た気がする。サビの「みっかえりのび・じ・ん」の美人の部分がボクの記憶していたメロディと違っていた。ボクはシ・ラ#・ソ#だと思っていたのだが、中島さんはド#・シ・ソ#と歌っていて、とても和風なメロディだった。このメロディラインはボクのなかには無くてとても難しいけれどいまになって新鮮だった。見返り美人は和風美人なのか!?


途中に挿入されるインタビューや語りも興味深かった。根岸吉太郎監督の「多彩な才能を捨てて歌に賭けた中島みゆきの語りの世界観」の話とか。さすが映画監督はタレントを独特の観方で観察してる。

歌うことを選んだ中島みゆきがその歌の実績を引っ提げて夜会という舞台表現を1989年に始めたわけだ。ポエトリーリーディングとして見ても絶品な「元気ですか」。物語のなかに置かれてあえてまとわりついた色をはぎとられていく「わかれうた」「ひとり上手」というヒット曲。初期の夜会は言葉のというより中島みゆきの実験場のようだった。わかれうたを本当に道に倒れて歌っているのだ。

工藤静香のインタビューも良かった。「やまねこ」と「あたいの夏休み」を聴いて楽曲提供を依頼したそうだ。工藤静香はおニャン子出身だが、独特な言葉を持ってる。タレントに必要な直感力を持って自分の言葉で話すことが出来る。そこが凡百のアイドルとは異なっていたと思う。中島みゆきに対しても不思議なままでいてほしいと語っていた。決して難しいことを言っているわけではないけれど、その直感、才能という他ない。

ボクの好きなアイドルの系譜を思い返すと、言葉を持っている子と確かな楽曲との組み合わせという共通項があるような気がした。キャンディーズも聖子も工藤静香もしっかり自分の意志を語り、楽曲提供してくれる先生方やスタッフともディスカッションできる度胸を持ち、最後は自分が演じるという責任感で仕事が出来る。売れないはずがない。

幸せと辛さとは文字が似ていると中島みゆきは語った。十分に辛い思いをした人が幸せになるのだと。ボクは辛さに蓋をして幸せになるものだとばかり思っていたが考えを改めよう。

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