欽ちゃんの運命論最終章? ~萩本欽一の遠“欽”法~
手放せない書籍たち~一本釣り編~の前置きに書いた久し振りの書籍買い漁りのとき、平台ですぐに目に入ってきたのが萩本欽一著『続・ダメなときほど運はたまる (廣済堂新書)』だった。もちろん速攻で購入。すぐに読み終えた。
ブログひとくちメモで何度も書いてきた欽ちゃんの運命論。前回は2013年1月だった。特殊欽ちゃん運命論から一般欽ちゃん運命論へと考察を深めてきたわけだが、このタイミングで続編に出会ったのもなにか運命的な気がする。
ボクはスピリチュアルには興味がない(どちらかというと嫌い)。でもタロット占いは好きだったりする。絵解きは中島みゆきさんの歌詞解釈にも通じるということも以前書いていた。ギャンブルは嫌いだが相場のなかで生きている。特に今年はユーロがらみで大相場になりそうな年で、欽ちゃんの運命論続編に出会う巡り合わせだったのかもしれない(運ばかり溜まらないといいけど)。
ボクのなかにあるこれらの嗜好性と欽ちゃんの運命論との共通点は明確だ。ひとことでいえば「美しい物語を紡ぎだす力の存在」にあると思う。一種アートに触れる感覚とともにある。相場もアートだ。だから田中雅さんを尊敬している。
欽ちゃんの運命論についての考察は前回ほぼ書きつくした。しかし今回の続編にもグッと来るキーワードがあった。それを遠近法にひっかけて「欽ちゃんの遠“欽”法」と名付けてみたい。芸術論的な観点っぽくも見えるでしょ()。
●運命は遠きにありて思ふもの
欽ちゃんは「遠さ」を常に意識している。遠いか近いか、何かを判断するときにこれがひとつの材料になっているのだ。この「遠い・近い」は単純に空間的な距離の場合もあるが、時間的な距離、心理的な距離など様々だ。そしてその広義の遠さこそが「運」へ続く道だと説くのである。
別のイメージで考えると、この遠さをあえて作り出すことが欽ちゃんの紡ぎだす物語をより美しくしていくともいえる。直感を信じる大将というイメージの強い萩本欽一だが、その直感には遠さの創出というワンクッションが必ずセットになっている。
欽ちゃんの運命論研究において、続編でこのことに気付けた意義が一番大きかった。欽ちゃんは常に直感を信じ物事を判断していくテレビ界の大将だが、その直感を客観視し判断を微調整していくバランス感覚が「遠さの創出」にあると思う。
それはこれまでいくつも聞いてきた欽ちゃんの番組作りや人間関係、面接方法などと符合する。新番組成否のバロメーターとして和田アキ子を出演させて楽しんでくれてるかをみるとか、面接後いったん帰宅させてからの電話とか、常にワンクッション置いて感触を測る。斎藤清六の起用もまさに遠さからだった。欽ちゃんは自身の直感を一回遠くから俯瞰で確認する作業を常にしているのだ。
おそらくこの遠さの創出は頭で考えて始めたわけではないだろう。そこが才能の根源かもしれない。それは例えば中村伸一院長がいう「右手に矢沢永吉、左手にバカボンのパパ」というものとも似ていると思う。25%のネガティブを意識できることがイケイケドンドンのポジティブ野郎とは決定的に異なる生き方の秘訣であり、欽ちゃんの遠“欽”法も「運(ポジティブ)」と「遠さ(ネガティブ)」というメタファによってバランス感覚の重要性を説かれているように受け取った。
遠さ以外では、今年NHK教育「達×達」でみた北島三郎さんとの対談のことも書かれていた。欽ちゃんが恩人と慕う北島三郎。二人とも大御所といえる存在だが、その欽ちゃんが世に出る前からスターだった北島三郎。その地位をこれだけ長く保ち続ける秘訣も興味深い。
それと「芸能界の仕事には感激がある」という名言。芸能界は一般社会よりも仕事で泣くことが多いという。それは悲しいときだけでなく嬉しいときも泣く。喜怒哀楽そのものが仕事にコミットしていくうえで必要な能力なのかもしれない。感情で動く独特な世界で生き抜いてきた大将らしい言葉だと思った。
遠さの創出、感情の波、それらを美しい物語として紡いでいく能力。「運の貯金」とは遠くにあるポジティブな目標に向けて蓄積していく物語のことだとボクは思う。どんな苦労も美しい物語や面白い物語に出来る能力を身につければ世の中の見え方は変わるに違いない。
誰でも見えている世の中は自分の解釈した世界でしかない。どんな事実も真実も、それを解釈する自分自身のバイアスがかかる。どんな見方をするかで世界は変化する。我思うゆえに我あり。萩本“デカルト”欽一の誕生か!?
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