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5 posts from February 2015

2015.02.28

欽ちゃんの運命論最終章? ~萩本欽一の遠“欽”法~

手放せない書籍たち~一本釣り編~の前置きに書いた久し振りの書籍買い漁りのとき、平台ですぐに目に入ってきたのが萩本欽一著『続・ダメなときほど運はたまる (廣済堂新書)』だった。もちろん速攻で購入。すぐに読み終えた。

ブログひとくちメモで何度も書いてきた欽ちゃんの運命論。前回は2013年1月だった。特殊欽ちゃん運命論から一般欽ちゃん運命論へと考察を深めてきたわけだが、このタイミングで続編に出会ったのもなにか運命的な気がする。

ボクはスピリチュアルには興味がない(どちらかというと嫌い)。でもタロット占いは好きだったりする。絵解きは中島みゆきさんの歌詞解釈にも通じるということも以前書いていた。ギャンブルは嫌いだが相場のなかで生きている。特に今年はユーロがらみで大相場になりそうな年で、欽ちゃんの運命論続編に出会う巡り合わせだったのかもしれない(運ばかり溜まらないといいけどcoldsweats01)。

ボクのなかにあるこれらの嗜好性と欽ちゃんの運命論との共通点は明確だ。ひとことでいえば「美しい物語を紡ぎだす力の存在」にあると思う。一種アートに触れる感覚とともにある。相場もアートだ。だから田中雅さんを尊敬している。

欽ちゃんの運命論についての考察は前回ほぼ書きつくした。しかし今回の続編にもグッと来るキーワードがあった。それを遠近法にひっかけて「欽ちゃんの遠“欽”法」と名付けてみたい。芸術論的な観点っぽくも見えるでしょ(confident)。

●運命は遠きにありて思ふもの

欽ちゃんは「遠さ」を常に意識している。遠いか近いか、何かを判断するときにこれがひとつの材料になっているのだ。この「遠い・近い」は単純に空間的な距離の場合もあるが、時間的な距離、心理的な距離など様々だ。そしてその広義の遠さこそが「運」へ続く道だと説くのである。

別のイメージで考えると、この遠さをあえて作り出すことが欽ちゃんの紡ぎだす物語をより美しくしていくともいえる。直感を信じる大将というイメージの強い萩本欽一だが、その直感には遠さの創出というワンクッションが必ずセットになっている。

欽ちゃんの運命論研究において、続編でこのことに気付けた意義が一番大きかった。欽ちゃんは常に直感を信じ物事を判断していくテレビ界の大将だが、その直感を客観視し判断を微調整していくバランス感覚が「遠さの創出」にあると思う。

それはこれまでいくつも聞いてきた欽ちゃんの番組作りや人間関係、面接方法などと符合する。新番組成否のバロメーターとして和田アキ子を出演させて楽しんでくれてるかをみるとか、面接後いったん帰宅させてからの電話とか、常にワンクッション置いて感触を測る。斎藤清六の起用もまさに遠さからだった。欽ちゃんは自身の直感を一回遠くから俯瞰で確認する作業を常にしているのだ。

おそらくこの遠さの創出は頭で考えて始めたわけではないだろう。そこが才能の根源かもしれない。それは例えば中村伸一院長がいう「右手に矢沢永吉、左手にバカボンのパパ」というものとも似ていると思う。25%のネガティブを意識できることがイケイケドンドンのポジティブ野郎とは決定的に異なる生き方の秘訣であり、欽ちゃんの遠“欽”法も「運(ポジティブ)」と「遠さ(ネガティブ)」というメタファによってバランス感覚の重要性を説かれているように受け取った。

遠さ以外では、今年NHK教育「達×達」でみた北島三郎さんとの対談のことも書かれていた。欽ちゃんが恩人と慕う北島三郎。二人とも大御所といえる存在だが、その欽ちゃんが世に出る前からスターだった北島三郎。その地位をこれだけ長く保ち続ける秘訣も興味深い。

それと「芸能界の仕事には感激がある」という名言。芸能界は一般社会よりも仕事で泣くことが多いという。それは悲しいときだけでなく嬉しいときも泣く。喜怒哀楽そのものが仕事にコミットしていくうえで必要な能力なのかもしれない。感情で動く独特な世界で生き抜いてきた大将らしい言葉だと思った。

遠さの創出、感情の波、それらを美しい物語として紡いでいく能力。「運の貯金」とは遠くにあるポジティブな目標に向けて蓄積していく物語のことだとボクは思う。どんな苦労も美しい物語や面白い物語に出来る能力を身につければ世の中の見え方は変わるに違いない。

誰でも見えている世の中は自分の解釈した世界でしかない。どんな事実も真実も、それを解釈する自分自身のバイアスがかかる。どんな見方をするかで世界は変化する。我思うゆえに我あり。萩本“デカルト”欽一の誕生か!?

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2015.02.15

生バンドネオンの音色は素晴らしい

今朝、ソチ五輪(2014年)、韓国大会、ザグレブ大会と遡りつつキムヨナのアディオス・ノニーノの演技を見ていた。当時YouTubeでDLしていた動画だ。

ソチ五輪から遡って見ていくと、キムヨナがGPシリーズパリ大会を欠場後、たった3ヶ月、どれほど苦労してオリンピックレベルに戻してきたかの片鱗が分かったような気がした。体調はまったく万全でなく、それでも五輪という最終目標までのロードマップをしっかり描き、五輪本番で踊りきったそのプロ根性には鬼気迫るものがあった。

ソチ五輪ではショートプログラムの6分間練習まで危機が続いていた。SPの演目だった「悲しみのクラウン」をなんとか乗り切った直後の安堵の表情がそれを物語っていた。SP1位、そしてFPは最終滑走で「アディオス・ノニーノ」を踊り銀メダル。決してこの演技がキムヨナの最高傑作だとは思わないけれど、キムヨナの最終演目として見事な幕切れだったと今でも思う。

そのアディオス・ノニーノという曲。フィギュアスケートファンやタンゴのファンには知らない人がいないレベルの名曲だった。キムヨナとともに作曲者のピアソラを知り、アディオス・ノニーノの虜になってしまった

そして今日、CDではなく生演奏でアディオス・ノニーノを聴きに行った。日本人のバンドネオン奏者小松亮太さん率いるスペシャルトリオのコンサートだ。

●初めて生で聴いたバンドネオンの吐息

キムヨナ以前のボクにとって、バンドネオンの音色とは向田邦子の正月ドラマだった(笑)。それがポスト・キムヨナの時代になり、音楽ジャンルとして意識できるようになってきた。いつかアディオス・ノニーノを生演奏で聴いてみたいと思っていたところに、小松亮太さんという日本人バンドネオン奏者として有名な演奏家のコンサートを知った。

埼玉であるということもあって、ソチ五輪から一周年記念でもあるこの2月、聴きに行くことにしたのだった。毎年この会場で演奏されているそうで、チケットは完売。とっても和やかな雰囲気のコンサートだった。

やはり演奏会というのはいいものだ。特に実力のある演奏家のコンサートこそが21世紀に聴くに堪えるライブだと思う今日この頃。まさにぴったりの演奏者によるコンサートだった。タンゴやバンドネオンの初心者リスナーに対しても解説しながら進めてもらえて、会場からも「へぇー」「ほー」という声が上がっていた。

バンドネオンという楽器。決してアコーディオンと言ってはいけない(smile)。蛇腹はあってもまったく別の楽器だ。まだ100年も歴史がない新しい楽器だとか。オンド・マルトノやテルミンのコンサートもちょくちょく出かけていたボクなので、楽器としては新しいというバンドネオンも結構好物だった。

個性の塊のような音色の楽器だ。一度聴いたら忘れられない音色。物腰も高級家具のようだ。それでいて空気を切り裂くような強さがある。しかし生演奏で聴いたバンドネオンは、その音の間で呼吸をしているようなブレスの音がとてもなまめかしい楽器でもあった。

蛇腹の開閉で音圧をコントロールするわけだが、ステージにかなり近い席だったからだろうか、蛇腹の開閉する音がとてもよく聞こえた。そしてそれが人の呼吸のようで、とてもいいのだ。音符に表現しきれないその開閉ブレスも小松亮太さんはコントロールしているんだと思う。

ちょうど森進一が途中で“溜め”を作るような感じで蛇腹のブレスが入る。これはノイズなのだが演奏の息吹を感じる音だ。この溜めは音楽にもダンスにも共通する。蛇腹を持つ楽器特有の“間”ともいえるだろうか。このなまめかしさがダンス音楽として独特の地位を得たのかななんて思ったりした。

今回のコンサートはコントラバス(田中伸司)とギター(レオナルド・ブラーボ)とバンドネオン(小松亮太)の3ピースでピアノがいない。ピアノがないアディオス・ノニーノだったわけだが、それはそれで新鮮だった。

特にブラーボさんの超絶ギターは、素人ギター弾きの私としてはなんとも心地よかった。ギターのソフトな音色はアディオス・ノニーノのせつない面がとてもよく表現されていた。思わずCDを購入。アディオス・ノニーノは入っていないけど、ピアソラのブエノスアイレスの四季4曲を収録。今夜はこのCDを聴きながら眠りたいと思う。

小松亮太さんは最近毎年さいたまでコンサートを開いてくれているようなので、次回もまた聴きに行きたいと思った。

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2015.02.14

ドラマ「限界集落株式会社」を見て原作を手放さないことに

Book_genkaisyuraku最近テレビドラマが多すぎて何を観たらいいのか混乱してしまう。NHKの「限界集落株式会社」もそのひとつではあった。でも何か惹かれるところがあって録画だけはしていた。

このドラマの原作本は初版で買った(2011年)。当時、駅前書店に平積みされていて、何か惹かれるところがあって購入したのだ。表紙のイラストが気に入ったのかもしれない。あるいは、創意工夫でコミュニティが生まれ変わる、そういう物語が基本的に好きでもある。

ただ当時、買ったはいいがほとんど読んでいなかった。それでオビまで綺麗なまま今日まで置いてあった。昨年末からの大片づけのなかでは手放す書籍グループに入れていた。すでに文庫本になって2年になるようだ。

単行本を読んでいなかったのは、おそらく“ついで買い”だったため優先順位が低かったのと、フィクション(小説)だったからだ。ノンフィシクションだったら読んでいたかもしれない。表紙のイラストが気に入って買ったとすれば、オブジェのような感覚で置いていたともいえる。

ドラマは今夜が第3話の放送だが全5回という短さなのでもう後半にはいるわけだ。書籍同様、録画したはいいが見るかどうか微妙な位置にあった。ただ全5回と短いし、短いNHKドラマには結構名作が多いので見ておこうと思ったわけだ。同時期にやってる真矢みき主演の「全力離婚相談」も面白いし。

出演者がいい。主演の反町隆史を始め谷原章介もはまり役で、松岡茉優もとてもいい。谷原章介とのやり取りがとても自然体。ちょっとした相槌とか、そういうとこに才能感じる。深津絵里や山口智子に感じたような。ボクの好きになるポイントをついてくる女優っていうか(笑)。世間では昭和顔ともいわれているらしい。いいね、昭和顔!全面的に支持したい、昭和顔。

農家の皆さんには平泉成、寺田農、井川比佐志、そして長山藍子。あと名前は知らないけどどっかで見たことある脇役の皆さんが多くみんな存在感があって、このメンバーで映画を撮ってもおかしくないくらいの豪華メンバー。ドラマ好きにはたまらない人選ではないか。そして小さい役だが柴本幸さんも出てる。この女優さんも好きなんだよね。小さい役でも存在感がある。目力も強い。それって女優にとって一番必要な個性だと思う。

舞台が限界集落なので画面は地味な色合いになってしまうが、出演陣がいいので今後も見ようと思った。派手な井上和香もストーリーに絡んでくるみたいだし。今日の第3話も愉しみだ。

そして原作も大片づけで仕分けした手放すグループから引き戻した。読んでみようかと思って。見つかるところにあって良かった。やっぱ表紙が目立つんだな。

単行本の表紙のイラストレイターって誰だろうと気になって検索したら石居麻耶さんという方だった。こちらにもちょっと興味出てきた。個展も定期的にされているようなので行ってみたいと思った。

小説のほうも今度はヒロインの美穂に松岡茉優を投影させて読めるから最後まで読めそうな気がする(wink)。『脱・限界集落株式会社』という続編も出版されていた。表紙は続編も石居麻耶さんのようだ。本棚に並べておきたい衝動に駆られた。こうしてまた徐々に書籍が増えていく…。

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2015.02.11

ツイートが阻止された

いまツイッターでツイートしようとしたら下記のようなコメントが表示されて阻止された。安倍批判のせいじゃなきゃいいけど。

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このリクエストはコンピュータによる自動的なものと判断されました。Twitterユーザーをスパムやその他の迷惑行為から保護するために、このリクエストを保留しています。しばらくしてからもう一度お試しください。
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ただ、最近ウチもスパムの攻撃がひどいので、なにかしら知らないうちに乗っ取られてるのかもしれない。皆様もご注意ください。

アップしようとしたツイートは、

本を読みながら片付けはできない。空き時間には本を読んでいる。だから片付かない。理にかなった話だ!満足。

という他愛のないものだった。

このブログ記事をツイッターにも通知しつつアップしてみる。さて、ツイッターに反映されるかな?

追記:

やっぱ反映されず。こんなメッセージが出てきた。このメッセージそのものがスパムでない証明が得られない難しさ。安倍批判がルールに違反じゃないよなぁ。ただその筋からの攻撃はあり得なくもないか。
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あなたのアカウントにTwitterルールに違反する自動化を検出しました。アカウントのロックを解除するには下のボタンをクリックしてアカウントの所有者であることを確認してください。
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2015.02.07

手放せない書籍たち ~一本釣り編~ 5選

驚愕すべきことに、昨年12月中旬にケトルという雑誌を購入した日以来、書店に行っていなかった。一か月以上書店に足を運んでないなんてことはオレの人生において、少なくとも社会人になってからは皆無だったのではないか。それも年末年始を挟んでのことだ。神社には行かずとも書店には行っていたのに。

こんな事態に陥ったのはもちろん年末から続く大片づけのせいだ(笑)。手持ちの書籍を減らそうとしている一方で買ってくるのは行動に矛盾がある。そういう意識が書店からオレを遠ざけていたに違いない。

もっともその甲斐あって手持ちの書籍や雑誌のありがたみが逆にわかり、一冊をちゃんと読む姿勢にもつながった。定期購読雑誌もいつもより多めに読んでた。かつて検査入院したとき、手持ちの雑誌を全頁制覇したあの時に似ている。

だが、そろそろ限界に近づいていたのだろう。古書の処分はまだとはいえ(catface)、それなりに片付いて気持ちに余裕も出て来ていた。たまたま郵便局本局に行く用事が出来、その近所のちょっと大きめの書店に自然と足が向いた。

書店に入った瞬間、忘れていた感覚が甦って来た。本の背表紙をただ漠然と眺めるあの感覚。平台と棚ざしの書籍を眺めつつ書店員の棚への意識を推し量る(妄想する)愉しみ。背表紙やオビを読むだけで随分と“現代”に触れてる気分になれる。

出版大国日本において書店に並ぶ本というのはすでに選ばれた精鋭たちである。限られたスペース、限られた時間、限られた配本、そういう制約の中を生き抜いていまそこに鎮座しているのである。まずはそこに存在することに敬意を表さなければならない。もっともパターン配本だけで並んでるだけの棚は無視してしまう。そこは素人さんの居場所だ(何様?)

限られた書店空間に書物というかたちで表出した体系化されていない知の断片を、自分なりの羅針盤と探知機を持って探索する。いま自分はどんな知に惹かれるのかを探るインナートリップでもある。もともと興味のある分野もあるが、この徘徊によって偶然に出会う書物には書店でしか見つけられないオーラがある。

そうやって見つけた書物には、よくぞその棚に刺さっていてくれたと心の中で最敬礼をし、書店員のセンスに感謝するのだ。ネット書店の便利さの陰で失われていくこの感覚。読書行動学とでも名付けようか。書店徘徊からすでに読書は始まっているのだ。歩き回る、手に取る、そういう身体活動を伴った読書は廃れていくのだろうが、それはオレの死んだ後にしてほしいものだ。

●書店で一本釣りした書籍5選

というわけでいつものように長い前置きの後は片づけの話に戻るわけだが。今回の前置きは前振りにもなってる。過去に書店で一本釣りした書物からとっておきの5冊を選定してみた。5冊に限定できたのも片づけのおかげだ。書店員ではないが自分で棚を作る感覚で選んでみた(もっともこの5冊を並べる感覚は書店にはないと思うけど)。

片付け中に分類しながら自分の趣味系でもない、シリーズや好きな作家モノでもない、書店で偶然見つけて買った単行本を一か所にまとめた。それが一本釣り系だ。

文庫や新書なら安さもあって手軽に一本釣りするが、単行本は多少敷居が高い。ジャンルもなかなか固定しずらく専門書のなかで一般読み物的に作られた書物が多い。だが得てしてお宝はそういう棚に眠っているものだ。

ときには全く門外漢だからこそ買ってみたり、タイトルや装丁に惹かれたり、活字のレイアウトに惚れたり、理由はいろいろだが、買ったそのときその瞬間にビビビっと来たのは間違いない。一冊だけ買って帰ることは稀だから、きっとその他目的の書を買った足でついで買いしたものもあるだろうが、そういう書物で面白かったら得した気分になれる。そういう書籍たちが一本釣りの本。特大マグロを釣り上げたいという意識は常に持っている(笑)。

Mybooks_onlyone

この写真のなかで赤枠で囲ったのが一本釣り5編(クリックで拡大)。


四色問題 (新潮文庫になってた…)
雲の「発明」―気象学を創ったアマチュア科学者
オオカミと生きる
氷河期の「発見」―地球の歴史を解明した詩人・教師・政治家
コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

このなかで一番を挙げるなら『オオカミと生きる』かもしれない。オオカミと共同生活をした記録なのだがとにかく面白かった。これ以外の4冊は実はまだ全部読んでない(bearing)。だから手放せないという面もある。だけどそういう本でも手放す気になった本もたくさんあったなかで、これらは残したくなる何かを持っていたんだろう。

自然科学系が多いような気はする。四色問題は数学の話だが、これは(本棚の下の段にあるような)他の数学系ノンフィクションと趣味的関連性はあるかもしれない。雲は個人的に好きなジャンルで、雲を発見したアマチュア科学者というだけで尊敬する(笑)。氷河期の発見とあわせて発明発見モノというジャンルに分類できるかもしれない。コンテナ物語も発見モノといえそうだ。「箱」を作ったら世の中の物流が大転換・大進歩したという話。

これ以外も含めてフィクションよりノンフィクションのほうが圧倒的に多い。オレの指向性なんだろう。この5選は面白さで選んだわけでなく、一本釣りの記憶で選んだ。そういう瞬間・体験を記憶するためのオブジェ的価値を見出したい。オリンピックのメダルというと言い過ぎだろうが、気分としてはそんなオブジェたちだ。

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