google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 大片づけでお宝みっけ!細野・坂本 CDレビュー競演: ひとくちメモ

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2015/01/11

大片づけでお宝みっけ!細野・坂本 CDレビュー競演

大掃除は年末行事と相場が決まっているが、大片付けに終わりはない…。いや実際にはあるのだが(いやあると信じたいのだが)、年末だけでは終わらず第2フェーズへと突入している。

新年あけてから押入収納用のケースを4つ購入した。4個セットでお買い得だったのと、ネットでの評価が高いFitsシリーズだったら今後の拡張を考えたときに入手困難にならないと思って。

結果的に押入の中がスッキリし収納空間が効率化された分ひろがった!片付けるのには一念発起が必要だが、片付くと気分がいい。片付けも趣味に出来るような気分になってくる。気分だけで終わらせないのが重要ではあるが(

押入がひと段落したので、本丸のひとつである書籍の片づけに着手した。現在、奥の院に鎮座しておられる蔵書の皆様に開城していただく。手元に残す書籍・新書・文庫・雑誌・漫画と古書店に買い取りしてもらう皆様とを分類し、第一次買取選手を玄関横の空き部屋へ移動し始めた。

玄関横が空き部屋になったのも、そもそもは書籍の皆々様に奥の院に籠っていただいき、その他のゴミ処理がひと段落したからに他ならない。今度は買取候補として再入城していただき、出張買取はこの部屋で査定してもらおうと思っている。その他の部屋にあった書籍群もいるので全部入りきるかどうか…。しかしやるしかない!今日と明日はその作業に没頭する予定だ。

ボクは以前から自分が購入した本は一生面倒見ると宣言していた。短い人生のなかで偶然めぐりあって手に入れた書籍くらいは一生付き合って行こうと思って来た。超有名作家の小説ならば何度でも増刷、復刊される。しかしほとんどの書籍は二度と復刻されることもなく電子化される機会もない。それで自らデジタル化する自炊派も出現しているんだろうが、本の背を落とすという行為がボクには心情的に出来ない。

しかし物理的なキャパシティを超えてしまった。一度は出会ったけれどご縁がなかった恋人のようなものか(もっといい例えもありそうだけど)。短い人生のなかには出会いもあれば別れもある。いつまでも過去に関わっていると社会性も失っていく気がする。上手な過去との関わり方というものをこの大片付けのなかから見つけ出そうとしているのかもしれない。

そんなプチ哲学的な気分も、元を辿ればこの書籍の山が形成してきたボク自身の脳の変化といえる。物理的な制約に後押しされたわけだが、環境が思考を新たにしていくのはまさに人間的生き方ではないだろうか。書籍たちも古書店で新しい出会いがあれば救われることだろう。

●細野晴臣 vs 坂本龍一!CDレビュー競演 1991

Magazine_h2_pmc

そんな作業のなかでも、やはり手放せない書物というのはある。ようやく本題だが、それが上記の2つの雑誌だ。まさかこんなところに入れていたなんて、というくらい取り出し不可能な箱から見つかったのだが、心の中ではずっと探し続けていた。箱に詰めた当時はおそらくその場所がこんなに奥深い場所になると思ってなかったか、引っ越しの箱そのままだったかのどちらかに違いない。『H2』は昨年『HOSONO百景』について書いたときに触れたが、片づけ中に実物が見つかって超うれしい(笑)。

いずれも発行は1991年だ。確か細野晴臣責任編集の『H2』が先に出て、その数か月後くらいに『ぴあ music complex』が坂本龍一責任編集で特集記事を載せた。当時のボクは明らかに細野さんの偉業に触発されて坂本教授もCDレビュー特集をしたんだと思ったものだ。あるいはぴあの編集者がこのタイミングで教授に依頼したか。

細野さんのH2は1600円のMOOK、pmcは290円の隔週発行雑誌だったがYMOキッズのボクにとってはこの2冊はセットモノという位置づけとなった。目を皿のようにして紹介されたCDレビューを読み、その入手困難なCDを六本木WAVEなどで探し回ったものだ。

『H2』は創刊0号となっていたが続刊は発行されなかった。ボクはずっと残念に思っていたのだが、これは創刊ゼロ号ではなく創刊O(オー)号ではじめから一回きりの予定だったのではないかという気もしている。タイトルのH2が創刊O号、H2O=水というシークレットになっていて。細野さんらしいイタズラのような気がするのだ。

H2のインタビューで細野さんはH2=水素からタイトルにしたと語られている。O=酸素がくっつかない不安定な状態を意識して。だが実際に欲しているのは真水のような音楽だったんじゃないかという気がする。それほどまでにアンビエントに覆われたセレクションだった。ボクにはその「過激な静けさ」こそが安定のなかに沸々とした熱を持つH2の真意のような気がする。それで1994年に「アンビエント・ハウスの快楽」を書いたのだった。

一方で教授のセレクションは、いかにも当時のサカモトという感じでわかりやすい(笑)。ハートビートというハウスミュージックにのめり込んでいた坂本龍一。いかにもポップに憧れる坂本らしさがそこに見える。しかし坂本の真骨頂はそこにはなく、映画音楽だったりクラシックだったりジャズだったりする。

坂本龍一が学習して身に着けたポップと、血肉となった音楽との乖離が浮き彫りになっていると思う。もっとも1991年当時のボクはそんなことまったく考えず、教授の薦める音楽は無条件に受け入れていた。ボクもスノッブなもので…。そんなボクも坂本の自伝を読んでから大きく意識が変わったのは確かだ。

YMOは時代の寵児だったが、裏打ちされた音楽の幅広さや独特さは世界広しといえども他の追随を許さない。驚異的なバンドだ。よくこんな風変わりな人々が出会ったものだと思う。もしかするとインターネットも携帯電話もない時代だったからこそ生まれた怪物だったのかもしれない。手軽さは熱を冷ます。簡単に仲良くなっちゃいけないし、簡単に作品が作れちゃいけないし、簡単に入手できちゃいけないのかも。苦悩こそが情熱を生むのだ(by アラン)。

この2冊は死ぬまで手放す予定のない雑誌だ。紹介されたCDと一緒に。

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