当然テレ東特集という雑誌『ケトル』
たまにいつもと違う書店に行くといつもと違うMOOKに出会う。今回はまさに出会いといおうか、ボクに見つけられるのを待ち構えていたかのように目に飛び込んできたのが『ケトル』(太田出版)という雑誌だ。
VOL.22と書いてあるから22号なのか。初めて遭遇した。「テレビ東京が好き!」という文字列もダイレクトに入ってきたが、「当然テレ東特集」というアイキャッチの「当然」が決め手だった。いや、本当の決め手は蛭子さんのインタビューなんですけどね。
使い古された表現をあえて使って見ると、「なぜいまテレ東なのか!?」を問う内容だ。いまクリエイティブな人間はすべてテレ東に注目しているといっていい。テレ東に注目していないクリエイターなんてモグリだし、アンテナが低すぎる。もちろんボク自身がテレ東マニアだから強気に出ているわけなのだが。
「ケトル」を出してる太田出版はクイックジャパンも出しており、ある意味テレ東率の高い出版社ともいえる。ひとくちメモでも2006年にQJのやりすぎコージー特集を礼賛した。
テレビ東京の面白さをここでグダグダ書く気はない。ただあえて逆をいく、おちまさと風に言うなら「逆に、逆にね。」という意識でテレ東を見ているわけでもない。いや、かつては(90年代頃までは)そうだったかもしれない。ニッチなところをあえて狙うしかない低予算番組という。制作側にもそういう意識はあったかもしれない。
しかし今やそういうニッチな部分は、まぁ無いとはいわないけれども影をひそめ、あえてテレ東だからこそこれが出来るという自信すら漂ってくる番組群が多いのだ。
テレ東のゆるさは例えば“若さ”や“青さ”というのとも少し違う気がする。若そうなスタッフによるバラエティ番組の手作り感から若さや青さの匂いを嗅ぎ取ることも可能だが、そういう青くささが面白いわけでもない。
おなじ悪ふざけをしても他のキー局にある驕りのようなものが薄い。結局突き詰めていけば低予算からくる低姿勢に行きつくのかもしれないが、それが良い方向に作用して醸し出される番組の雰囲気や編集姿勢に表れているような気がする。
他のキー局のバラエティをあまり見なくなったので比較することも難しいが、見なくなった原因はそういうところにあるので、当たらずとも遠からずな気はしている。
「ケトル」は今日買ってきたばかりなのでまだ読み始めたばかりだが、テレ東を内外からどんな風に語っているのか興味津々だ。
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