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2014.11.08

歌詞解禁されたフィギュアスケートへの雑感

キムヨナ引退とともにボクのフィギュアスケート熱も引退かと思っていたけれど、乗り掛かった舟(?)といいましょうか、キムヨナも指導者資格を取得するようですし、もう少しフィギュアスケートを観ていきたいと思う今シーズンです。

いま一押しは今井遥。何が好きかって顔が好き(heart02)。ツイッターには2回ほど今井遥について書いてました。

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Twitter_pprr_normal2013年12月22日(日)
今井遥はなかなかいいな。全日本の層の厚さをあらためて感じた。荒川静香さんの新書を読み終えてジャンプの種類を確認しながら学習中w
posted at 19:51:53

2014年10月26日(日)
去年の12月にも書いたけどもう一度書いておこう。今井遥はなかなかいいな。体力がついて来ればまだまだ向上すると思う。
posted at 14:40:38

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彼女はキムヨナと比べると体力が少し足りない気がする。もっと体力がついて来ればもっともっと伸びる選手だと思って期待したい。また個人的にも日本人しか愛せない俄かフィギュアファンからの罵声を聞かなくて済むことを期待したい(笑)。

さて、今シーズンから大きなルール変更があった。男女ともにシングル競技で歌詞のある楽曲が解禁になった。これはフィギュアスケートにとって諸刃の剣だ。しかしこれを活かせる選手もきっと出てくる。今日はダンスと歌詞についての雑感を書いてみたい。

この記事は昨年のパリ旅行記「フィギュアスケートと音響と編曲についての雑感」と関連している。そのとき歌詞についても少し触れていた。そこにこう書いていた。

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アイスダンスはフィギュアスケートの競技のなかで唯一歌(歌詞)が乗っていてもよい競技で、より音楽とのシンクロが重要視されるんじゃないだろうか。しかしその音楽は既成のテープを切り貼りしただけのような、とんでもなく稚拙な編曲が多かった。
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重要なポイントはこれまでなぜアイスダンスだけが歌詞を認められていたのかだ。その理由を調べたわけじゃないので個人的な予想でしかないが、ボクは次のように思う。

アイスダンスはジャンプが規制されてる。フィギュア=ジャンプという多くの素人が持っているイメージと異なる競技だ。それだけに“万人受けする表現”をわかりやすく見せる(聴かせる)ための仕掛けとして歌詞の力を借りている面があるのではないか。

それと氷上の社交ダンスとも呼ばれるアイスダンスはまさに“ダンス”なのだ。ダンスミュージックで歌詞の有無をとやかくいうのは粋じゃない。芸術よりも大衆芸能に近い競技といえる。実際パリで見たアイスダンスは面白かった。

これを裏返して考えれば、今回の男女シングルで歌詞解禁が拓く世界も見えてくる。これも個人的見解だが、これはフィギュアスケートの大衆化だ。そしてこれは個人的妄想だが、その背景にはチーム・キムヨナの存在があったような気がする。

●フィギュアスケートの大衆化とダンス化

キムヨナの演技について、ボクはこのひとくちメモでずっとふたつのキーワードを言い続けてきた。ひとつはキムヨナの身体能力がアスリートのものではなくダンサーのものであるということ。もうひとつはショートプログラムの007に見られた大衆的な音楽の完成度だ。

そのキムヨナの大衆性とダンスの才能が最高潮に達したのは2010年バンクーバー五輪のシーズンだった。(日本以外の)世界が大衆性とダンスの面白さに開眼したシーズンだったと思う。

もちろん、それ以前に大衆的な楽曲もたくさんあったけれど、キムヨナのダンサーとしての身体能力(ビートで踊れる才能)が計算され尽くした大衆音楽(007のテーマ)に乗って未知の氷上ダンスが出現したと思った。ボクの音楽脳は真っ先にそこに反応してしまったのだった。

しかしその時点で一足飛びに歌詞解禁とはいかなかった。そこまでのフィギュア界はアスリート志向だったわけだし。ジャンプの回転不足を激しく攻め立てる風潮もあった。それが行き過ぎたところで今度は表現力に振り子が振れ始めたのが現在のフィギュア界ではないだろうか。

アスリート志向のなかでもキムヨナは強靭なバネと正確なビートでアスリートとしての能力も見せつけながら、あえて“ダンス”を踊ってみせた。一度世界が見たチーム・キムヨナの大衆性の魅力はもう後戻り出来ない。

キムヨナ引退後にこの(日本以外で)大衆ウケする表現力路線を継承するチームが多く出現する可能性はあり、歌詞解禁はそれを後押しする可能性も大きい。

ダンスミュージックの歌詞をプロパガンダ的に使う輩が出てこないとも限らない。しかしそんなリスクはそれこそ大衆が受け付けないだろう。フィギュアスケートは大衆化し、ダンス競技に華麗に進化していくのだ。

そう考えれば歌詞解禁は大歓迎なのだが、しかし諸刃の剣と書いたのはその歌詞ゆえに競技音楽としての設計は格段に難しくなるためだ。昨年のパリで見たアイスダンスの稚拙な楽曲の体験があるため余計にそう思う。

選択肢が増えるのは悩みを増やすことにもなる。その音楽のそのパートに歌詞(=言葉の意味)が乗ることが表現力のなかでどう位置づけられるのか。氷上の哲学者町田樹だったら喜んで考えそうなテーマだが、歌詞を載せることがかえってマイナスになる選手も必ず出てくる。

現段階でボク自身はこの流れを大歓迎だ。チーム・キムヨナが拓いたフィギュアの大衆化とダンス化と捉えているからに他ならない。歌詞の有無を離れても、アスリートとしての能力に加えて音楽的・ダンサー的な表現力がいっそう求められるようになる流れだ。選手にとってはチャレンジングな競技になっていくだろう。

歌詞をプラスに使えるかマイナスにしてしまうか。マイナスになるくらいなら歌詞がないほうがいい。その選択もチームの技量になってくる。気楽なファンとしては、たかがダンスミュージックの歌詞じゃねぇかと楽しめる楽曲こそが正しい。ダンスに惹き込むギミックとして歌詞を使って欲しいと思う。

単なるフレーズリフレインならまだしも、ダンスミュージックとしてパッケージングされた歌を完璧に踊れるダンサーが出現するだろうか。またそんなダンサーにマッチした楽曲が出現することを願う。少し気が早いが、そんな選手をキムヨナが育ててくれることも夢見ているのだ。

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