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7 posts from October 2014

2014.10.26

コンサル曰く『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。』

たまたま書店で見つけて読んだわけだが、面白かった。このぶっちゃけたタイトルがいいね。サブタイトルまで書いとくと『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。 コンサルタントはこうして組織をぐちゃぐちゃにする』(カレン・フェラン著、大和書房刊)だ。

一言で言えば元大手コンサル社員の著者が「王様(コンサル)は裸だ!」と言った書物である。私はビジネス書も結構読んできた。様々なツールや手法についても読んできた。もちろん批判的にだ。それだけにこの書物の突いてくるコンサルのまやかしにはいちいち納得できた。業界内からの声だから余計に面白い。

ただし著者はいまも独立系のコンサルタント事業者であり、あらゆるコンサルタントを否定しているわけではない。時代とともに流行しては廃れてきたコンサルタントの盛衰を踏まえて、その内部で経験したからこそ書ける問題点と、実際に機能するコンサルタントのあり方について述べている。

私が社会人になりたてのころはバブル末期だった。テレビではマッキンゼーだかアンダーセンだかの社名を後ろ盾に顔の大きな(態度も大きな)某氏が幅を利かせていた。その後エンロン事件が起きてからはその経歴は表に出さなくなったようだ。当時はコンサルがもてはやされ、次々と怪しげな手法が開発されていた。

そしてこんな長期不況と強欲資本主義、株式会社の危機という時代を迎え、ようやくコンサルのやってきた負の遺産と罪についてまとめる人が出てきたということかもしれない。

日本企業はどの程度コンサルを利用しているのだろう。日本企業は長いこと家族経営的な会社が多かったから、西欧のコンサル手法を鵜呑みにする企業は少なかったかもしれない。しかしグローバル企業とかIT企業とか、外国好き、新し物好きの企業にはコンサル的業績評価や人事評価を導入している企業がありそうだ。でなければいまの日本にこれだけ多くコンサルタントを名乗る人々がいる説明もつかない…。

この書物を読むと、雨後のタケノコ状態のコンサル連中が日本企業の長期停滞を招いていないことを祈るばかりである。多くのコンサルはとっちらかしてずらかるだけの戦国ロックのような輩なのだ。

コンサルタントをコンサルと呼ぶとき、ほとんどはそのいかがわしさ、胡散臭さに気づいている人が多いと思う。しかし経営者なり親会社なりが雇ったコンサル様(笑)に楯突いても仕方がない。嵐が過ぎ去るのを待つばかりだろう。あるいは火事場泥棒のごとく評価基準を逆手にとって自分さえよければと無法を働く輩も出てくるだろう。その災難が経営の根幹まで根こそぎぶっ壊す大型台風でないことを祈る。

●コンサル手法の栄枯必衰はまさにダイエット手法なみ!

コンサルを雇うとき、手詰まり感を感じている経営者は多いと思う。儲かってカネの使い道がないからコンサルでも雇うか、なんて会社はまずない。現状の課題を打破するためにコンサルを雇ってしまうのだ。従業員の知恵を結集するよりも、最新のカタカナ用語で武装したコンサル様に安易に手を突っ込ませる。そして最新理論の実験台にされてポイっと捨てられる。

「戦略計画」「数値目標による管理」「業績管理システム」「マネジメントモデル」「人材開発プログラム」「リーダーシップ研修」、etc...

次々と開発されるコンサルツールはまさにダイエットブームに似ている。この著者はなかでも「業績管理システム」と「人材開発プログラム」には猛烈に反対し辛辣に書いている。これらには思想的にも機能的にも実務的にも何の意味もないどころか、ほとんど有害でしかないためだ。

ただ日本の場合はここでもやはり日本的バイアスがかかる。日本の場合、コンサルが持ち込むのはいかにもなカタカナツールだけでなく、人格無視のみそぎ研修というのがいっとき流行ったことがある。いまどきやってる会社があるのかどうか知らないが、富士の裾野を行進させてみたり、駅前で大声を張り上げさせてみたり、頭のおかしな連中が企業研修と称してそんなことをやっていたのだ。そりゃ長期停滞にもなるわな。

本書を読むと、これまでに流行したコンサルツールがどのように宣伝され、導入され、失敗してきたかを概観できるのがいい。懐かしさすら感じる。

元大手コンサル社員の著者も最初はそれらが有効に機能すると信じていたようだ。しかし実際に導入すると機能しない。あるいは独自に従業員のヒアリングをしてうまく行きそうな流れを実感しはじめたにもかかわらず、単にコンサルティングファームの方針というだけで自社のツールによる分析を強いられ疑問を感じる。

コンサルティングツールを絶対視し、それを導入し実践することが目的化してしまう。経営者もツールがあれば安心してしまうのかもしれない。そしてツールが王様となり従業員との対話は減り、誰もがツールの評価に沿って損をしないよう行動するようになってしまう。会社の目標のためのツールが会社を分断し疑心暗鬼を招く。まさに組織をぐちゃぐちゃにするわけだ。

そうはいってもそこはコンサルの著者、批判だけでなく著者なりの処方箋も随所に出てくる。結局はそこに働く人間だけが回答と行動力を持っているのであり、それをいかに引き出すかを著者なりの方法論で説く。意地悪く言えば、これまでの最新ツール重視の大手コンサルの方法論を否定し、自身の手法を売り込んでいるコンサルの本ともいえる。

結局のところ、コンサルはコンサルでありツールはツールであり、彼らを生かすも殺すも結局はこちら側の意識しだいということだ。ツールは定規ではなく鏡だと私は思う。ツールの通りに線を引くのではなく、その鏡に映った自身の姿を見てどうすべきか考える。考えるのは当事者の仕事でありツールやコンサルの仕事ではない。

●日本には以前からある使えるツール

対話を重視するという点では外国人のコンサルに教えられなくても、日本には以前から「まじめな雑談」を奨励しているコンサルタントもいる(あえてコンサルと書かないのはリスペクトしてるからである)。

会社の風土改革の方法論として対話を重視する「まじめな雑談」を書いた柴田昌治さんの著書を読んだのはもうずいぶん昔のことだ。企業風土の病いを判断するひとつの指標として雑談がある。

単なる噂話とかグチや悪口の類いではなく建設的な雑談を自然にできる風土があるかどうか。あるいはそういう場を設定出来ているかどうか。日本人はどうしても場を設定されなければ発言しない人が多いが、その場はいかにもセレモニーのような場になることも多く、さらに発言しずらくなる。実はまじめな雑談ができる場を作るのは難しいのだ。おばちゃんの井戸端会議のようにまじめな雑談が出来る企業風土にはコンサル的手法はまったくマッチしないだろう。

あるいは、KJ法という発想法ツールがある。私がKJ法に出会ったのは高校生くらいの頃だったと思う。川喜田二郎先生が『発想法―創造性開発のために』(中公新書)を出されたのは1967年というから私が生まれるより前だ。先生のイニシャルを取ってKJ法という。KJ法はその後、クリエイティブの現場で生き続け進化し続けている。コンサルの提案する資料のなかにもKJ法的な手法が紛れ込んでいるかもしれない。

著者カレン・フェランがKJ法を知っていたか否かは不明だが、例えば「第2章『最適化プロセス』は机上の空論」のなかに、“単純な「話し合い」が効果を発揮する”という見出しの項がある。ブラウンペーパー・メソッドについての記述だが、これなどはKJ法を使ってまじめな雑談をするかのようなメソッドである。

勤勉な日本人の発想力は昔からグローバルに通用するものだったのだ。そしてそれらは単に導入して数値化すれば勝手に評価が算出されるようなものではなく、そこに結集する人間の力が方向性を決定する。コンサルの入り込む隙などないのだ。

しかしだんだん日本企業から勤勉さが失われ、楽してうまくやろうとする風潮が蔓延し始めていると感じる。コンサル的な単純化、モデル化によって責任逃れをする輩も出てくる。アメリカ型の強欲資本主義から学び美味しい生き方を目指すのが株主資本主義の本質であろう。企業人が学ぶべきでない現代企業経営の罪を映す鏡として効果的な一冊だ。

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2014.10.25

奇跡的な入れ替わりドラマ!「さよなら私」

ちょっと、ちょっと、いいんですか。こんな不謹慎ですんばらしいドラマがあっても!?というわけでNHKドラマ10で始まった「さよなら私」ですけれども。いやー、なんだかボクのドラマ人生(って見てるだけだけど)のなかでも、このドラマに出会えた奇跡を喜びたい。

なにから書き始めるかな。やっぱシチュエーションについてか。入れ替わりというシチュエーション。いわゆる“転校生システム”(笑)。入れ替わりドラマの礼賛はひとくちメモで2回やってる。

2007.07.10:食わず嫌いはダメ!パパと娘の7日間

2011.07.10:入れ替わりドラマの進化形「シークレット・ガーデン」

ボクは入れ替わりドラマが大好きだ。そこには物語を“試す”いくつもの要素が詰まっている。ひとつは一人二役が欠かせないシチュエーションにおける役者の技量。ひとつは転校生システムという“二匹目のどじょう”感にあえてチャレンジせざるをえない脚本の技量。そして入れ替わることでこそ描けるテーマをオリジナルな作品として仕上げていく演出の技量。

そういった入れ替わりシチュエーションだから存在するいくつものハードルを制作者・出演者が一丸となってどう乗り越えていくのか、そんな観方をしてしまう我が宿命を楽しむのだ。

今回の設定は、ありそうでなかった夫の不倫相手との入れ替わり。セックスレスの主婦が夫の不倫相手かつ昔からの親友と身体が入れ替わり、友人の身体で自分の夫と不倫し久しぶりにまぐわう…。まさに悲喜劇だ。

NHKは「八日目の蝉」とか「紙の月」とか(どっちも角田光代原作)、倫理観・道徳観を揺さぶるドラマでいいものを連発してきた。ドラマにおいてはお行儀のいい優等生テレビ局ではまったくない。

転校生システムでは入れ替わり方という最初のハードルがあるが、「さよなら私」では、そこはもうまったくひねらない。神社の階段落ちであった。

一昔前なら階段落ちはスタントマンの見せどころを意味するが(これを蒲田行進曲システムと名付ける。ただしたぶんもう使わない造語 coldsweats01)、映画「転校生」以降の階段落ちは、精神が入れ替わるイニシエーションであるという一般概念になっていよう(ホントか?)。

これを使うか別の設定を持ってくるかは悩みどころじゃないかと思う。しかし今回は使った。階段落ち=入れ替わりというある種の準拠枠を踏襲したといえよう。そのギミックに時間を割くより見せたい主題はほかにあるということだと思う。

脚本は岡田惠和さん。いまさらいうこともないわけだが、2010年以降K-POPやキムヨナheart01ばかりで随分日本のドラマ評から遠ざかっていたひとくちメモなのであえて書いておくと、私は一部では有名(笑)な岡田脚本大好きっ子でありんす!悲喜劇どちら側に行ってもふり幅の大きい岡田脚本が、初参戦のドラマ10でどう展開していくのか興味津々だ。

岡田脚本で仲良し女性3人組といえば名作中の名作「彼女たちの時代」がすぐに思い浮かぶ。今回の3人組も素晴らしい女優陣だ。永作博美、石田ゆり子、佐藤仁美。この3人でグータンヌーボを見たい(笑)。

永作博美さん(映画「八日目の蝉」)と石田ゆり子さん(NHK「外事警察」)が入れ替わるわけだが、性格が真逆という設定ではあっても女同士であり、男女の入れ替わりより難しいかもしれない。

そして佐藤仁美さん。なんか好き。NHK「あすか」の時から。仲良し3人組の接着剤的な存在。YMOで言えば高橋ユキヒロのような存在だ(catface)。夫に不倫される主婦。心が入れ替わり複雑な不倫関係に右往左往する永作・石田二人の間で、普通の不倫(?)をされた妻として絡んでいく。比較文化人類学的な存在となっていくのだろうか。

そんな佐藤さんの夫役は尾美としのり。言うまでもなく彼こそは転校生システムの、というより映画「転校生」の主演である。このシチュエーションを象徴する役者だ。転校生システムへのリスペクト兼みそぎでもあろう(ホントか??)。妻は春子で不倫相手は冬子。わかりやすっ!

岡田脚本の入れ替わりドラマが観られる幸せをどれだけの人にわかってもらえることだろう…。入れ替わりというファンタジーな要素にこれでもかと不倫を持ち込んでドロドロの愛憎劇になるのだろうか?まだ第2話だがドラマニアにとっては垂涎の的となる。

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2014.10.13

『至誠通天 薬害と命懸けで戦う』を読んで納得の心

著者の福田実氏3冊目の著書が『至誠通天―薬害と命懸けで戦う』(花伝社発行)だ。まずはオビを引用しておきたい。

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たった一人で戦い続けた
薬害裁判、15年の軌跡
国、病院に勝ち、残る
製薬会社にも必ず勝つ
戦いは最終局面へ

 気軽に処方されるありふれた薬が
 引き起こした、誰の人生にも起こ
 り得る悲劇。非情な運命に立ち向
 かい、絶望的に困難な薬害訴訟を
 たった一人で戦い続け、勝利を手
 にしてきた男、福田実のすべて。

戦い続けるすべての人におくる、
熱い男の生き様とメッセージ
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福田実氏は会社の健康診断の結果(コレステロールが高い)から、医者に高脂血症治療薬ベザトール(キッセイ薬品)とスタチン剤のメバロチン(三共製薬、現在は第一三共)を処方され、忠実に飲み続けて身体がボロボロになり、その怒りと家族への思いから国・病院・製薬会社を相手取り訴訟を起こした。

1998年に薬害で倒れ、以来2014年までに国訴訟で勝訴、病院とは和解、製薬会社には敗訴(再審請求)という状況にある。現在進行形で戦い続けている。この著書やHPではその戦いの日々が綴られている。

福田氏はもともと優秀なビジネスマンだった。薬害に倒れてもその戦い方は緻密で、出来ることはすべてやる強力な意思を持っている。しかし相手は国や病院(医師)などの公的機関と、もはやそれ以上の権力をもつと言っても過言でない製薬会社だ。

薬害事件はほぼ泣き寝入りするしかない日本という国で、協力医も弁護士もない状態から戦い始めた。そこに少しずつ支援者が現れ、ようやく国訴訟には勝訴した。だがまだまだ製薬会社との戦いが続いている。福田実氏のように戦える個人は少ないだろう。だが彼の判例が今後多くの薬害裁判で弱い立場に置かれる人々にとって福音になるかもしれない。

●健康診断後のクスリに気をつけろ!

メバロチン(プラバスタチン)についてはコレステロールにまつわるメモのところで書いたとおり、強欲資本主義のもとで作られた薬だ。だからこそメタボ検診という罠を仕掛け、病人(という思い込み)を大量に作り出してはホイホイ処方されたわけだ。製薬会社は笑いが止まらないことだろう。

医療費増大でアップアップの国もそこには手をつけず(あるいは共犯のため)、病人と判定した民からむしり取ろうとしているのが今の日本だ。

私もリピトール(アトルバスタチン)をホイホイ処方されたことがある。数回だけ飲んだが、その恐ろしい副作用の説明がまったくない処方に疑問を抱き調べた結果、これがとんでもない薬だとわかって服用をやめた。その後、糖質制限と出会って薬害のリスクがない生活を手に入れたが、そのまま行ってたら筋肉が溶け福田実氏のような状態にされていた可能性もあるのだ。

日本でスタチン剤は手軽に処方される薬だが、そんな国は珍しい。慎重投与(原則禁忌)がグローバルスタンダードとなってきている。しかし福田氏のいう「鎖国隠蔽」な状態にある日本は、悪い意味でのガラパゴス状態だ。

おそらくその元凶のひとつが健康診断、とくにメタボリックシンドロームにあるのは間違いない。メタボ予備軍などといってレッテルを貼り薬を飲ませる。その結果、薬害訴訟が起きてもノイローゼといって片付けられ製薬会社も医者も国も知らん顔。ノイローゼで筋肉が溶けるというのがこの国の医者の常識のようだ。

血中コレステロールを減少させる薬なんていうと、なにか血中でコレステロールを見つけては駆逐していくような印象をうけるがそうではない。肝臓の機能を低減させてコレステロールの製造を止めるのだ。コレステロールは細胞を作る必須の材料なので、この製造を止めたら身体はもたない。筋肉が溶けたり、脳神経細胞に異常をきたすのは当然だ。細胞の壁(柱と言ってもいい)が弱くなり、その人の細胞は柱のない家のように崩れる。

日本のコレステロール値の基準は世界でも類を見ない程に異常だ。ようやく最近になって日本の情報鎖国状態も徐々に化けの皮が剥がれつつある。福田実氏の著書やすべての情報を公開しての戦いも一役買っていると思う。しかし暴走を始めている日本の強欲コレステロール市場にドラスティックな変化は難しい。こちらが新しい海外の知識を武器にゲリラ戦を挑むしかない現状といえる。

日本の医療は学会という権威を後ろ盾にガラパゴス化を進めている。それらが情報隠蔽のシステムとして機能し、古い教科書の権威にしがみつく。医者にかかるときに、その医者が製薬会社とズブズブかどうかまで調べるのは難しい。だがその医者がどんな学会に所属し、どんな名誉教授(福田実流に言えば迷世教授)の流れを汲んでいるかくらいは調べられるかもしれない。私の場合はもし日本動脈硬化学会に所属してる医者に出会ったらホイホイ薬を出される前にスタスタ逃げ出すことにしている。そして処方された薬は最初だけ買い、副作用の情報がどこまで書かれているかを自分で調べる。

大学病院にかかるときはモルモットになる覚悟で行くことだ。そしてそこは一度入ると抜けられないヤクザな世界だ。行くも地獄、行かぬも地獄の健康市場に生きる現代日本の民草。そんな人に糖質制限はおすすめ。薬を飲まなくて済む。ただそんなことすらしなくても、そもそもメタボ基準値のウソを知れば、国際基準では正常人の日本人のほうが多いはずだ。クスリを飲んで重篤な病気にならないよう注意するほうがよっぽど健康的だろう。

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2014.10.11

ガールズグループ春夏秋冬コンサートを堪能した夜

10月9日(木)、日本に誕生した一夜限りのガールズグループライブを堪能した。東京国際フォーラムAホール。春夏秋冬コンサートと銘打って昼夜2回だけの公演。メンバーは都はるみ、伍代夏子、八代亜紀、坂本冬美の4人。それぞれの名前から春夏秋冬となったわけだ。まさに昭和の歌謡ショーだった!

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当日引換券で予約していたので少し早めに出かけて近くのジャポネで早めの夕食。16時過ぎだったので行列はなかったが、席は1つしか空いていなかった。ギリギリセーフ。だいたいジャリコを注文するのだが、この日だけはインディアン・ジャンボにした。それには理由があった。

今年は私がインディアンを初めて食べてから10周年の記念イヤーなのだ(笑)。たまたまそれに気付いたのは先日の中村修二教授のノーベル賞受賞だった。そういえば昔講演を聴いたなぁと過去記事を読んだら、10年前にインディアンを見つけた興奮を書き記していた。なんでも書き残しておくものだ。

ジャポネを出て少し書店を徘徊して時間調整。17時ちょっと前に国際フォーラムに。この日ホールDでは氷川きよしコンサートがあり、当日券売り場に間違って行ってしまった。氷川君のスタッフは親切だった。そういえば氷川きよし君を見かけたのはハワイのアロハフェスティバルだったから2001年のことだなぁ、またすれ違ったなぁなどと思いめぐらせつつホールAへ向かった。

演歌のコンサートは初めての経験だった。演歌というより歌謡曲というほうがしっくり来る。ビッグバンドの演奏は夜のヒットスタジオなど’70~80年代のテレビ番組では当然だったが、こうして生で聴けたのは感激だった。最初の1音からもう満足していた。

残念ながらバックバンドの紹介はされなかったが、昭和のゴージャス感を醸し出すビッグバンドの存在感は大きい。最近は打ち込みの電子音やカラオケとかコンパクトな編成で音だけ大きいロックバンドばかりなので、ビッグバンドの生演奏が聴けるのは贅沢だ。ことバッキングにおいては芸能界は時代とともに大衆化し過ぎだと思う。プロの楽団をバックに本物の歌を聴ける機会は貴重だ。

4人の歌姫の歌は圧巻だった。坂本冬美より年下の私には、都はるみと八代亜紀はものごころついたころから知っているヒット歌手だが、その歌声の神髄に惹かれたのは大人になってからだった。阿久悠作詞の楽曲がヒットしていたのも影響してる。全盛期のお二人の歌を生で聴きたかったがチャンスがなかった。今回初めて聴けた。

春担当の都はるみ。50年以上歌い続けてきた唸りの凄みは健在だった。またステージでどう見えるか、ご自身の型を持ってる。振付も小さい身体をいっぱいに使って要所をビシッと決める。声量は多少落ちても技術で歌いきるプロの技だ。力のこもった唸りとまさに都はるみの型と言ってもいい身体の“反り”を最後に魅せてくれた。サービス精神旺盛だ。

秋担当の八代亜紀。トークが自由(笑)。しゃべりはじめると止まらない感じ。だけど歌ったらやっぱり八代亜紀だ。八代亜紀の歌声というのは天賦の才能で誰もマネできない。彼女も全盛期からすれば声量は落ちてると思うけど、このハスキーボイスは上品さと下品さとのギリギリのところにあって、その“際”が魅力の源泉なんじゃないだろうか。それが歌える楽曲の世界観というかレンジの広さにも通じる。

ベテランのお二人もよかったが、若手(?)の伍代夏子と坂本冬美もさすがに日本を代表する歌い手といえる。歌って喉で歌うんだなぁとあらためて演歌の持つ芸能ポテンシャルの高さを目の当たりにした。お二人を前に「上手いなぁ」という感想は失礼かもしれないが、とにかく上手い。2009年に平原綾香のライブを観たとき、うまい歌手の歌を聴ける幸せを書いたが、今回もそういう思いを強くした。

夏担当は、大先輩を立てつつ、しゃべり出したら止まらない八代亜紀を抑えながらトークの進行をしていく伍代夏子。そつがない(confident)。演歌の王道といった楽曲の伍代夏子だが、本当に歌がうまい。演歌はこうやって歌うのよというお手本のような歌だった。

そして冬担当の坂本冬美。ガールズグループ春夏秋冬のマンネ(末っ子)だ(lovely)。トークでは気おくれしてる感じもあったが、時々爆弾発言を放り込んで来るのが面白かった。坂本冬美は昔からリアルタイムで好きだった。坂本冬美の歌は一貫して攻めてる。彼女の楽曲は難しい。今回、都はるみとのデュエットで浪速恋しぐれを歌われたのだが(男性パートを都はるみが歌うというサプライズも良かった)、その台詞パートのうまさにもしびれた。いいお母さんになれそうなのに。

サプライズゲストで五木ひろしさんが登場した。1曲だけ、阿久悠作詞の居酒屋をガールズグループと熱唱。五木ひろしも50周年だが声が出てる。歌謡曲の歌手はそれぞれにオリジナルなテクニックを持っている。そこがまさに芸能なのだ。

ちょっと前にEテレで北島三郎さんと萩本欽一さんの対談番組「達人達」を見た。そのときサブちゃんが歌い方に関して企業秘密が2つあるとおっしゃっていた。おそらくそういうマル秘の部分を春夏秋冬の皆さんも持っているんだと思う。

生演奏のビッグバンドをバックにオリジナルなテクニックでいい歌を聴かせてくれる歌謡曲。いろんな音楽ジャンルがあって、どれもいいところがある。演歌や歌謡曲には日本で独自に進化した洋楽と邦楽のクロスオーバーな楽曲がたくさんあり、それらは才能のあふれた作家によって作られた。そして歌い手もしっかり歌える歌手が歌う。こういうホンモノの芸能の世界を21世紀に味わえたのは幸せだった。

客層は冗談抜きで私が最年少クラスだった。もちろん少数派だ。しかしこの若さ(?)でこのコンサートに間に合えたのはうれしい。八代亜紀が30代の頃の生歌には出会えなかったが、人間生きる時代は選べない。それでも何十年か生きてれば同時代の歌謡曲をこうして生で聴けるんだなぁ。またひとつ夢がかなった気分だ。

この一夜限りのコンサートは2015年1月にBS朝日で放送される予定。忘れずに観なければ。

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2014.10.08

10年一昔~中村修二教授のノーベル賞受賞を祝う~

ノーベル物理学賞は中村修二教授を含む青色LED関連の日本人3人が受賞した。中村修二さんの講演会を聴いたのは2004年6月8日のことだった。当時はまだブログよりホームページのほうが主流だった。10年一昔だ(笑)。

日亜化学の研究員だった中村さんは海外の科学者から「スレイブ中村」とまでいわれて同情されていた。日本のサラリーマン研究者の立場の弱さを訴えられたのがいわゆる中村裁判だが、その後多少なりとも企業意識を変えた裁判だったかもしれない。もっとも今回のノーベル賞に対する日亜化学のコメントは思わず苦笑してしまうものだった。

日亜化学曰く「日本人がノーベル賞を受賞したことは大変喜ばしいことです。とりわけ受賞理由が中村氏を含む多くの日亜化学社員と企業努力によって実現した青色LEDであることは誇らしいことです。

日亜化学はいまだに根に持ってるな(bearing)。かっこわる!中村修二さんの舌鋒はいつも鋭く率直すぎるので会社組織とは相いれないのかもしれない。でも昔の技術者なんてそういう人間が多かったような気がする。

いま考えても、当時の発明報奨金2万円はないな。1万円の企業もたくさんあったそうだけど。そういう搾取が日本企業の土台にあることを忘れちゃいけない。

中村さんの著書では『怒りのブレイクスルー』が面白いけど、アマゾンを見たら中古の文庫本が17480円だった…。中古単行本のほうがまだ安い。版元にはこの機会にぜひ復刊して欲しいものだ。もちろんボクは単行本を持ってるけどね。

青色LEDの成功には実験器具の自作(改良)というブレイクスルーがあった。ブレイクスルーという言葉にとても惹かれた記憶がある。

中村修二さんのノーベル賞は当時から確実と言われていたけれど、実際にものづくりの最前線で青色LEDを開発した人だというところは異色かも。おそらくそれもあって基礎研究の方と込みでの受賞となったような気がする。

いまでは日常となったLED。その端緒は中村修二教授のブレイクスルーだった。まさに世界を変えた発明だったと思う。ノーベル賞という賞そのものの是非はとりあえず置いといて、今回の受賞は素直に喜びたい。

2004年の中村修二さんの講演会の日、ブログひとくちメモも実は書いていた。その日はなんと、ボクが有楽町ジャポネのインディアンを初めて見つけて食べた日だったのだ!まさにボクにとってもブレイクスルーの日だった(ちっちゃ!)。当時はまだPHSを使ってたんだよなぁ。いまやジャポネも有名行列店に。嗚呼、10年一昔!

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2014.10.04

YOUは何しに日本、いやペルーへ!?

一か月前にテレビ東京の「YOUは何しに日本へ?」を礼賛したばかりだが、特番を見たらまたまた書いておきたくなった。ひとくちメモの記事ランキングでも一位になったし、THE INSPECTOR CLUZOのCDも外国から届いたし(これも一か月待ったよcoldsweats01)、何よりもエリック・エレーラさんを追っかけてペルーロケ敢行してたし!

「YOUは何しにペルーへ?」ってエリック・エレーラさんに会うために決まってんじゃん!ボクもペルーに行ってみたい。ペルーでチョーかわいいはレキチチチマだって。俗語かもしれないけど。いつか使ってみたい。

今回の特番では外国の旅行ガイドブックを目隠し指差しして日本の店に行っていたが、確かに外国人率の高い店が多かった。日本人の知らない日本を知る不思議な感覚!外国人と出会いたかったらその国で売ってる日本ガイドブックに載ってる店に行くといいのかも。それにしても外国では掲載許可とらずに勝手に乗せてるガイドブックばかりなんだろうか?まぁ宣伝で載せてるよりもその方が信頼できるが。

実はいま録画を見ながら書いてるんだけど、しりとりだけをしに日本に来たアメリカ人がすごい。日本語でしりとりして日本人相手に16連勝。ルとリを自在に操る。OLさんに負けたがおしゃべり好きな女性はやっぱ語彙が豊富なんじゃないかな。14連勝のところで設楽がリンダ山本があるのにと言っていたが鋭い!名前を入れれば結構ある。ルー大柴、ルイズルイス加部とかさ。日村の出したルビー・モレノもある。もちろんいまならルイルイhappy02)。

路線バスの旅もそうだけど、テレビ東京のバラエティがこんなに面白いのは、基本目線が優しいからじゃないかなぁ。これまでの日本のバラエティ(主にスタジオ収録)は素因数分解していくとどうもいじめとかいじりとか、貶める笑いが多かったような気がする。強者の笑いっていうか。それは即物的な笑いで全否定はしないけど、もうそういうのアップアップ。

共生的な笑い、おかしみみたいなのは例えば移民の国アメリカや小国の寄り合い所帯の欧州などには日常として脈々とあったと思う。逆に日本には島国根性と言えば言えるような、排除の笑い、スケープゴートの笑いというベクトルのものが多かった。これはボクの偏見かもしれないけど。

そういう得意技を突き詰めていったのは大手キー局の笑いだったと思う。だけど現実世界がレイシズムにあふれ、隣国嫌悪の増大する社会になると、もうそういう強者の笑いで笑えなくなってくる。

いっぽうで仲間意識がそれだけ強いから近所づきあいを円滑にする日常の笑いも同時に存在してる。人を貶めない笑い。落語なんかの豊かさはそういうなかにあった。英国のユーモアも同じかな。アメリカン・ジョークはまた違うが。これは滑り笑いに近い感じでボクにも理解できない(笑)。

ユーモアの笑いには世の大勢の裏側に潜む真実や願望をアンチテーゼとして見える化したり、少数派への納得や共感によってもたらされるものがあり、世相を逆に照らすものだと思う。基本的に手触りが優しいテレビ東京バラエティの手作り感はユーモアに近い気がする。それが広くウケる社会に、少し安心感を覚えながら見てる自分がいた。

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2014.10.02

糖質制限ダイエットメモ

引き続き日曜の講演会の聴講メモです。今回は江部先生の講演に移りますが、演目は「糖質制限食と糖尿病」でした。ただ私の場合は糖尿病ではなく、単にダイエット目的の糖質制限なので、微妙に視点が違うわけです。そこでその違いを意識してのメモになろうかと思います。

お話がお上手な江部先生、いきなり藤原道長の登場でした。肩書は“初代糖尿病患者”でした(笑)。ツカミはオッケーというところでしょうか。

ダイエット目的の場合、糖質制限のもっとも効果的な作用は中性脂肪を効率的に(最速で)減らせるという部分なのですが、これは糖質制限の副産物でしかありません。

糖質制限の真の目的は、食後血糖値の乱高下をできる限り減らし、血管内のイベントリスクを抑えるところにあります。「糖質・脂質・タンパク質のうち血糖値を上げるのは糖質だけである」という新事実は2004年に米国糖尿病学会によって発表され、それまで(1997年まで、日本語訳では2001年まで)の「タンパク質50%、脂質10%未満が血糖に変わる」というガイドラインは削除されました。いわば常識が変わったわけです。

ところが日本では古い常識が跋扈しており、新事実を知らない(あるいは故意に知らせない)医師も多いようです。それでダイエットにおいてもカロリー制限というリスキーな方法論がいまだに常識とされているわけです。カロリー制限はすでにビジネスとして確立されているため、いきなり「実はウソでした」とは言い出せないのではないでしょうか。

カロリー制限をしても糖質を摂取すれば血糖値は上昇します。言い方を変えると同一カロリーで多糖質な食事と多脂質な食事とでは、同じカロリー量にも関わらず多糖質(炭水化物過多)な食事のほうが太るわけです。いたってシンプルな法則です。

だからカロリーばかり気にして炭水化物を増やし、脂質・タンパク質を減らすと、太る唯一の原因である血糖を簡単に上昇させ、必要な栄養素(脂質・タンパク質)も不足して栄養失調になっていきます。

もっとも私の場合はもはや「カロリー」という単位そのものが栄養学的にはまったく無根拠で意味をなさない単位だと思っていますが、話がややこしくなるので一般常識的にカロリーという言葉を渋々使ってます(笑)。


心筋梗塞リスクも食後血糖値の乱高下(特に炭水化物食後すぐの急上昇から急低下する血糖値)によって血管に高い負荷をかけてしまうのが最も危険でしょう。コレステロールをしっかり摂って(健康な肝臓で製造して)、血管を強く保つ必要があると思います。強い血管を作り、血糖値の乱高下を抑える食事をする。これが唯一の基本戦略なわけです。

そういう生活をしていると体重が適正に調節されてしまう。これが糖質制限ダイエットと呼ばれるのは、炭水化物を食べ過ぎている人が多いからであって、あくまでも副産物なわけです。中性脂肪を落とすためにやることじゃないのに、糖質制限をすれば痩せたうえに血管の健康という特典もついてくると、まぁそういうことです。

炭水化物の食べ過ぎで太ってしまうと身体、とくに血管のイベントリスクが上昇してしまうので痩せる必要が出てきます。とくに脂肪肝なんてコレステロールを作る肝臓を弱らせるわけでしょう。中性脂肪なんかよりよっぽど危険です。

その肝臓を覆う脂肪、これは脂質やタンパク質じゃなくてすべて糖質(炭水化物)由来なわけです。それなのに炭水化物をたくさん食べてコレステロールを下げる薬なんて飲んでいては寿命が縮むことはあっても伸びるとは思えません。コレステロールを減らして弱った血管を作っておいて過度な運動なんてしたら死んじゃいますよ。

つまりカロリー制限とコレステロール低下薬と過度な運動という方法論を取るのは最悪なわけです。弱り目に祟り目といいましょうか、やってはならない最低の方法論、自殺行為であるわけです。それはもう古い呪術のような医術の名残にすがりついてまさに祟られるようなものです。

もはやダイエットという範疇で糖質制限を語るのはやめたほうがいいのかもしれません。カロリー制限も高血圧リスクも悪玉コレステロールリスクも、ほとんどすべてがウソだったということですわ。なんでも過度な状態は良くないから血圧もコレステロールも血糖値もいい塩梅というのがあります。それが健康診断の基準値ならいいわけですが、どうやら日本ではそうではないらしい。

ほとんどの日本人が病人とされ薬漬けにされている。その裏にはこの数値でがっぽり儲けている奴らがいる。遅まきながらグローバルな社会がそういう悪い奴らをようやく浮き彫りにし始めたというのが現代日本の現状なのかもしれません。

本当に薬が必要な人はもちろんいるでしょう。そういう人々を救うために税金を使うなら文句は言いません。強欲資本主義の尻尾が見え隠れしているにもかかわらず、そこに手を入れないで医療費高騰なんていってる。そういう悪い奴らに命をすり減らしてまで付き合う必要はないってことですな。

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