google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 10年一昔~中村修二教授のノーベル賞受賞を祝う~: ひとくちメモ

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2014/10/08

10年一昔~中村修二教授のノーベル賞受賞を祝う~

ノーベル物理学賞は中村修二教授を含む青色LED関連の日本人3人が受賞した。中村修二さんの講演会を聴いたのは2004年6月8日のことだった。当時はまだブログよりホームページのほうが主流だった。10年一昔だ(笑)。

日亜化学の研究員だった中村さんは海外の科学者から「スレイブ中村」とまでいわれて同情されていた。日本のサラリーマン研究者の立場の弱さを訴えられたのがいわゆる中村裁判だが、その後多少なりとも企業意識を変えた裁判だったかもしれない。もっとも今回のノーベル賞に対する日亜化学のコメントは思わず苦笑してしまうものだった。

日亜化学曰く「日本人がノーベル賞を受賞したことは大変喜ばしいことです。とりわけ受賞理由が中村氏を含む多くの日亜化学社員と企業努力によって実現した青色LEDであることは誇らしいことです。

日亜化学はいまだに根に持ってるな()。かっこわる!中村修二さんの舌鋒はいつも鋭く率直すぎるので会社組織とは相いれないのかもしれない。でも昔の技術者なんてそういう人間が多かったような気がする。

いま考えても、当時の発明報奨金2万円はないな。1万円の企業もたくさんあったそうだけど。そういう搾取が日本企業の土台にあることを忘れちゃいけない。

中村さんの著書では『怒りのブレイクスルー』が面白いけど、アマゾンを見たら中古の文庫本が17480円だった…。中古単行本のほうがまだ安い。版元にはこの機会にぜひ復刊して欲しいものだ。もちろんボクは単行本を持ってるけどね。

青色LEDの成功には実験器具の自作(改良)というブレイクスルーがあった。ブレイクスルーという言葉にとても惹かれた記憶がある。

中村修二さんのノーベル賞は当時から確実と言われていたけれど、実際にものづくりの最前線で青色LEDを開発した人だというところは異色かも。おそらくそれもあって基礎研究の方と込みでの受賞となったような気がする。

いまでは日常となったLED。その端緒は中村修二教授のブレイクスルーだった。まさに世界を変えた発明だったと思う。ノーベル賞という賞そのものの是非はとりあえず置いといて、今回の受賞は素直に喜びたい。

2004年の中村修二さんの講演会の日、ブログひとくちメモも実は書いていた。その日はなんと、ボクが有楽町ジャポネのインディアンを初めて見つけて食べた日だったのだ!まさにボクにとってもブレイクスルーの日だった(ちっちゃ!)。当時はまだPHSを使ってたんだよなぁ。いまやジャポネも有名行列店に。嗚呼、10年一昔!

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