google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2014年8月

« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »

2014年8月の7件の記事

2014/08/23

夏旅2014 京都散歩編

早いものでもう帰宅した。昨年から2年連続復路も友人の車で帰っている。同じシトロエンだが今年は一味違う!往路の四国でクーラーが壊れている(配管が折れてガスが抜けている)状態のままなのだ。復路は完全クーラーなし、窓全開の高速走行で帰った。

人間、やればできるものだ()。高速道路を渋滞なしで走っている限り30℃以下ならまったく問題なし、35℃レベルでもなんとかなった。もちろん水分補給をこまめにしたり、涼しい吉備高原方面を選ぶなどもした。雨が降らなかったのが幸いだった。また、トンネルがうるさいとか、いろんな臭いに悩まされるとか、渋滞でトラックやバスの後ろについたら排気ガスが怖いとか、いろんなことを学んだ旅だった(笑)。

Anteoise_japon8月21日(木)、山口県の実家を昼過ぎに出発し京都に着いたのは21時頃だった。昨年と同じホテルに泊まった。ひとくちメモ読者でもあり10年来のお付き合いになるYさんからお土産が届いていた。いつもありがとうございます!メレンゲが大好きなうえに抹茶風味という京都らしい洋菓子でとても美味しかったです。

到着が遅い時間だったのでアタリをつけていた京野菜盛り合わせのある居酒屋へ直行。ちょっと歩いたが四条通を歩くのは楽しい。料理はどれも美味しかった。京料理は多品種少量でいろいろ食べられるのがいい。我々の食欲だとちょっと高くつくけど(笑)。ホテルに戻ったのは深夜だった。メールを1つ書いて2時過ぎに就寝。

翌22日(金)の朝はイノダコーヒーで朝食。これも昨年と同じだが、ホテルとの位置関係を改めてみると歩いて行ける距離だったのでチェックアウト前に出かけた。高田渡のコーヒーブルースに出てくるお店だ。♪三条へ行かなくちゃ~(

イノダは居心地がいい。今回は分煙席の2階で朝食を取った。とても気が利く2階の店員さんの仕事ぶりも朝から気持ちがいい。たくさんのスプーンが額に入って飾られていたので、往年のスプーンを飾ってあるのかと思って聞いてみると、先代の趣味で収集されたスプーンだと教えてもらった。聞いてみるもんだね。

ギャラリー妖精村チェックアウトは11時と遅めのホテルなので朝食後散策した。前から行って見たかった永田萠さんのギャラリー妖精村がこれまたイノダから目と鼻の先にあることを知って驚き、そこへ向かった…つもりだったが行き過ぎた。

行き過ぎたあたりに御池中学校があった。一階がレストランになっている不思議な中学校だった。まさか学食じゃないよなと思ったら、土地の有効活用の一環のようだった。富山でもデパートのなかにある公立学校を見た気がするが、狭い日本にはいろんな土地活用があるものだ。

再度、通りを確認してギャラリー妖精村を目指した。迷っている間に朝10時の開店時間となりその日最初の来場者になった。永田萠さんのファンタジー感あふれる小さなショップ兼ギャラリーは三条の街並みに溶け込んでいてとても癒される空間だった。店員さんもとっても明るい方だった。

妖精村では「気ままな旅」というまさにこの朝にぴったりのタイトルのイラストを購入。他に「水仙郷」も額装してもらった。お土産用にポストカードも選んだ。このギャラリーもまた来たい。年間展示回数は少ないが原画展も開催されることがあるようだ。原画もぜひ見てみたい。

イノダといい妖精村といい三条はなんて京都らしい“はんなり”した空間なんだろう。ゆっくり滞在してみたいものだ。

ホテルに戻ると10:40だった。すぐにチェックアウト。この夏旅において京都は中継地点なのでゆっくり観光していない。見どころの多い京都だけに観光するなら目的意識を持って滞在したほうがいい。今夏の京都は散歩だけで出発した。でも充実感はあった。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/08/20

ヒッチコック映画三昧の夏 2014

夏休みもそろそろ終盤に差し掛かっている。久しぶりに「ひとくちメモ」の更新頻度か上がっている。ブログも書きグセをつけていないと続かないので貴重な夏休みだった。いくらあってもいい(笑)。

さて、ヒッチコック映画だ。「ヒッチコック サスペンス傑作集」というDVD10枚組は非常にいいラインナップだった。1938年から1951年までのヒッチコック映画から10本選んでいるのだがお買い得。もう10枚くっつけて20枚組での発売もされているが、別々に買ったほうが安い場合もあり要注意だ。個人的には初期のヒッチコック映画はこの10本程度で、あとは珠玉のカラー作品とヒッチコック劇場を見れば必要充分だと思う。

このセットは赤羽で買った。クーポン券マニアのK口さんにデパートのクーポン券をもらって買ったのでさらに安かった。いい買い物だった。おそらく見たことがある作品6本、未鑑賞作品4本だった。

せっかくなので未鑑賞作品を中心に今日までに6本みた。見た順は「海外特派員」(1940年)、「見知らぬ乗客」(1951年)、「疑惑の影」(1942年)、「バルカン超特急」(1938年)、「汚名」(1946年)、「断崖」(1941年)だ。後半の3本のうち「汚名」以外は見たことがあったと思うが、シーン以外忘れていた部分も多く楽しめた。

このうち鑑賞済みで再度見たのは「バルカン超特急」と「断崖」。その他の既鑑賞4作品は、「レベッカ」(1940年)、「逃走迷路」(1942年)、「ロープ」(1948年)、「白い恐怖」(1945年)だ。4つとも名作なので再度見たいと思う。全10作品中「ロープ」だけがカラー映画だ。

「バルカン超特急」は見たことなかったかと思っていたが、ところどころ見たことがあるシーンがあった。この映画全体がトリックのような作風はヒッチコックらしさを堪能できる。80年近く前の映画とは思えない(画質は時代相応だが…)。

未鑑賞作品のなかでは「海外特派員」が特に面白かった。これを最初に見たのはいい選択だった。

ヒッチコックのサスペンス映画では巨大建造物が臨場感を生み出す映画も多い。「海外特派員」でも風車のシーンはいかにもヒッチコックだと思わせられる。「逃走迷路」の自由の女神像も有名なシーンだろう。こういう「オレの構図」を持っている監督ってのはまさに職人だ。

自宅にもどったら、未鑑賞の映画「ヒッチコック」を観る予定。これも赤羽で同時に買ったが実家ではブルーレイが見れないかもと思って持ってこなかったのだった。ヒッチコック自身をネタにした映画なので、ヒッチコック映画を知らない世代には、ヒッチコックとはこんな監督だったという予習にこちらを先に観るという手もある。

日本人としては、この10枚組DVD収録映画が公開されたのが第二次世界大戦前後の時期であることに複雑な気持ちにもなった。

敗戦濃厚な日本や地上戦の沖縄が八方塞の戦火のなかで地獄の様相だった頃、欧米ではこれほどの娯楽映画が次々に公開され人気を博していたのだ。この豊かさの差にあらためて唖然とした夏でもあった。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/08/19

愛のむきだし 全部むきだし

以前、ひとくちメモに「でんでんが見たくて『冷たい熱帯魚』鑑賞」を書いたが、先日は地上波で映画「少年H」をやっていて思わずでんでんに再会。校庭の二之宮尊徳像が鉄砲の弾として供出されるとき万歳三唱してる校長先生でしたね。田舎のオヤジがほんと様になるなぁ。「少年H」では昼間ケーブルテレビで見ていた「相棒」の水谷豊さんとも再会。水谷豊さんとは街で再会したいな。実家にも特製ジャケのCD持って帰ってるし!(山口じゃ無理かぁ)

そんな風に実家で(テレビでの)再会を楽しんでいるヒマな夏なわけだが、でんでんつながりで見た『冷たい熱帯魚』の園子温監督にもずっと興味はあって他の作品も見たいと思っていた。しかしなかなか機会もなく時が過ぎて行った。そんなとき、このブログも読んでくれてる韓流女子会のM嬢が業を煮やして(?)「愛のむきだし」を貸してくれたのだった。M嬢は園子温フリークでもあるようだ。引き出し多いな。

しかしいきなり4時間のR-15指定映画というデータにビビった。いまどきインターミッションのある映画なんて。「ベン・ハー」以来じゃないか(笑)。しかもベン・ハーより長い!こりゃ大変だ。いつ観るのか!?…と思っていたが、ヒマな夏休みなんでしっかり鑑賞した。

ただしR-15指定で盗撮の達人が主人公の映画なので、実家にいる妹のお子様方(みんなお年頃)には見せられない。いや、この映画がどういう映画かの解説もせずに、見ている自分の姿を見せられない()。というわけで、2日に分けてこそこそ鑑賞したのであった。

●圧力のある園子温映画

「冷たい熱帯魚」のときも書いたが、園子温監督の映画は独特の圧力を持っている。色処理の迫力が往年(70年代)の日本映画に近い。土着的な色彩とザラツキ感にグイグイ引き込まれる。BGMもそうだ。今回はキリスト教と新興宗教とを扱っているが、そこでベタなクラシックや賛美歌を使いつつ、ヨーコ(満島ひかり)の闘争シーンではプリミティブなリフで観客を高揚させる。

4時間という長さは必要だったと思えた。昔、映画製作研究会だった頃の私の持論は「主要な登場人物は全部とんがっていていい」というものだったのだが、この映画はまさにそういう映画だ。それだけに各人物の背景を丁寧に描くとそれだけで短編映画のようになる。その処理も見事だった。

宗教を描く。盗撮を原罪として。そのぶっ飛んだ設定を納得させるには時間がかかる。それも間延びさせずに次から次へと圧力のある画面で見せる。人物それぞれのなかにある闇の部分を各自を主人公としたオムニバス短編映画のような手法で明らかにしながら、彼らが出会った瞬間の爆発力に変えていく構成も見事だった。

それにしてもきわどいテーマをこんなぶっ飛んだ映画に出来る日本人はいま園子温監督しかいないんじゃないだろうか。

ボクのなかでは増村保造、塚本晋也、若松孝二といった監督のカテゴリに入るかな。前期のキム・ギドク監督作品にも感じた身体の芯からゾワゾワするような感じもある。もちろん「女囚701号 さそり」の伊藤俊也監督へのオマージュもあるのかもしれない(いや、サソリなんだからビシバシあるのだろう)。

女優では新興宗教の幹部をやった安藤サクラが好き。顔が好き(笑)。

●全部むきだしの園子温映画

ぶっとんだ設定のなかに、必ず家族とか愛とか普遍的なテーマをそれこそ“むきだし”に投げかけてくる園子温映画だが、世界中で共感を得るのはどういう部分なんだろう。

キリスト教を揶揄するような部分が多分にあるが、欧州でも受け入れられているところを見ると、宗教という存在そのものの持つ胡散臭さは程度の差こそあれそれなりに世界中の誰もが感じ取っているのだろう。

それでも信じなければ生きられない人々もいる。先祖代々ひとつの宗教のなかで生活してきた家族もいるだろう。この映画ではそういう敬虔なクリスチャン一家がまるごと新興宗教に洗脳される。おそらく何も信仰していない家族よりも改宗させるのが困難と思われる家族をあえて改宗させてみせる。

これがもし敬虔なクリスチャンでなかったなら、ここまで伝わる映画になっただろうか。神父の親の期待に報いるため原罪を生み出す息子の盗撮や満島ひかりによる新約聖書の長台詞が生まれた背景には、この設定が生きている。

では、彼らは新興宗教から救われた後にキリスト教信者に戻れたのだろうか。むきだしの愛によって救われたとして、その愛は何に対する愛なのか。神か人か。その受け取り方でキリスト教などのメジャー宗教をも危うくする要素を持っている映画だと思う。宗教のむきだし。

無宗教の多くの日本人にとっては特異な設定で、その分第三者的な立場で娯楽映画として楽しめるかもしれない。ただそこに家族の問題やネグレクトなどを見てとると一気に問題が一般化する。

出てくる人々はみな病んでおり闇を抱えている。共通のキーワードを求めるとすれば「愛着障害」や「回避性愛着障害」の人々である。おそらく現代日本の社会問題としては宗教よりもこちらのほうが大きいだろう。現代社会には愛の渇望が根底にある。むきだしに出来ない愛の存在を、あえて特異な設定を使って提示しようとしたのではないか。

愛とともに重要なのが“悪”だ。いちおうカッコ付きの“悪”としておきたい。主人公のユウ(西島隆弘)は盗撮によって成長していく。その倒錯した世界は映画ならではだと思うが、ある種の通過儀礼としての“悪”を園子温は肯定している。

“悪”の周辺に漂う幻惑、“悪”によって出会う人間関係、“悪”による断罪、“悪”の限界、“悪”からの脱皮、そういった環境が人を強くする。“悪”のなかにいたことのない人間の弱さも浮き彫りにする。自身の加害認識が世界とつながる鍵になる。必要悪とはあえていわない。業と言い換えてもいいかもしれない。それを宗教者は原罪と呼んだりするのだろう。

“悪”を克服できたのが「愛のむきだし」の主人公ユウならば、“悪”を克服できなかったのが「冷たい熱帯魚」の村田(でんでん)だ。だれもが“悪”を通過儀礼に出来るわけじゃない。“悪”に染まってしまう人間もいる。その危うさも含めて人間のむきだし。

愛だけでは環境に適応できない人間社会。それでも愛を求めることをあきらめずに「生きるとは何か」「人間とは何か」を問いかけてくるのが「愛のむきだし」。単なる娯楽映画とも違う、バイオレンス映画とも違う、園子温映画としか言いようのない4時間R-15指定映画だった。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/08/17

アントニオ猪木はトランスナショナルの体現者

今治ではタオル地のハンカチなどお土産を購入し実家にたどり着いた。まとまった時間があるので数冊の新書を読んだり映画を観たりしてる。そのなかの一冊がアントニオ猪木と辺真一の対談本『北朝鮮と日本人 金正恩体制とどう向き合うか』だった。

アントニオ猪木といえば新日本プロレス時代から何度も試合を見てきた。山口県で興業があるときには会場に足を運んだ。それこそ高田延彦がドン荒川に手玉に取られている時代から。母の後輩である長州力に頼んで猪木さんのサインをもらったこともある(笑)。

簡単に言えば大ファンなわけだが、猪木批判本(ミスター高橋の暴露本など)も読んでいる。周りの人間からすれば猪木の荒唐無稽とも見えるアイデアや振る舞いに振り回されっぱなしで、散々な目にあってきたんだろう。新間寿さんにはつくづく同情する…。

そもそも今のアントニオ猪木、つまり国会議員をやったり紛争地帯や北朝鮮で興業を打ったり、他の日本人には到底出来ないであろう外交(民間外交を含む)を実際にやってしまうアントニオ猪木の原点ともいえるモハメド・アリとの異種格闘技戦の実現の裏で、関係者がどれだけ苦労したかは想像を絶する。

しかし売名行為と罵られても世紀の凡戦と揶揄されても、モハメド・アリと一戦交えた男という事実はどんなチャンピオンベルトよりもメダルよりも世界中で受け入れられている。猪木にとって決定的な一戦だったといえるだろう。あの一戦がなければ今のアントニオ猪木は存在しないと言ってもいい。

もっとも北朝鮮の場合は、祖国の英雄・力道山の直系の弟子という経歴が最重要だ。そう考えるとアントニオ猪木の人生そのものが、時代のキーマンとの出会いによって宿命づけられていたとも思う。そういう自身の経歴を全部利用して行動できるアントニオ猪木の人間力あってこそなのはもちろんだ。

猪木が現在所属する次世代の党は石原慎太郎の政党(党首は平沼赳夫)なんで、私はまったく支持していない。石原は自分の目の黒いうちに中国と一戦交えたいだけの暴走老人でしかないと思っている。

そういうアブナイ極右勢力と非常に近い位置で政治活動を続けるアントニオ猪木参議院議員。あえてダークサイドと言わせてもらうが、それら清濁併せ飲んだうえで、それでもアントニオ猪木の人間力や行動力には惹かれる。

おそらく猪木が現実として場を動かそうと行動する、それも石原のように戦争指向ではなく、「どんな場所でもスポーツイベントをやってやる」というプロ興行師として自分にしか出来ない興業を打つ一点に特化しているからだ。まさにそれが猪木のプロレス人生なのだ。猪木自身の心のなかは、いまでもスポーツ平和党の党首なんだと思う。

●惑星意識で捉えた歴史のなかにアントニオ猪木を位置づけてみる

同じ時期に読んでいたもう一冊の新書がある。入江昭さんの『歴史家が見る現代世界』だ。歴史学は随分進化している。歴史の事実は変化しないが、歴史の見方が進化しているのだ。国家中心の歴史ではなく、人や文化の交流(あるいはハイブリッド)な動きに注目した歴史の見方で現代を捉える。トランスナショナル・ヒストリーといった捉え方が新たな歴史学の潮流となっているという。

アフリカで誕生したとされる人類はそもそもがハイブリッド(混血)であり、人類の歴史は国家という概念をはじめから超えている。地理的な制約がどんどんなくなり、国家による外交以外の様々な交流を中心に人類の歴史を捉えようとするのがトランスナショナリズムだ。

そういわれるとNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を毎週楽しみに見ている私は、戦国時代と現代とで見えている「世界」の差を感じる。戦国時代にはこの小さな島国日本のなかに他国があり戦っていた。近隣諸国と常に戦闘状態にあった。当時の軍事政権(武将)には近隣諸国への深謀遠慮が渦巻き、殺しあいをしていたわけだ。

しかし同時に、例えば民俗学者宮本常一の足跡で見られるような海の道・塩の道の歴史を辿ると、おそらく太古の時代から昭和初期まで、民間の海の民や山の民による交流が活発に行われていたことがわかる。どちらもある瞬間では同時代の歴史であった事実が、その捉え方、切り取り方によってまったく異なるストーリーとして記録される。記録されない民の歴史も当然ある。

どれも歴史認識ではある。だが現代世界を見るという目的で捉える場合、戦国史的歴史観で見るべきか交流史的歴史観で見るべきかを考えると、生物の生存権を最優先で考えるならば後者のように思うのだ。

戦国時代の小さな国家は日本という大きな国家になった。明治以降、国際関係の視野も広がった。都道府県レベルの近隣憎悪なども小さくなった。その分、より大きな国家間での近隣憎悪を持つ人々は増えたようだ。そこでのナショナリズムやレイシズムなどは視野の広がりに精神の成熟が追いついていないだけであろう。

ここで更に大きな共同体意識を考えてみる。それが惑星意識(プラネタリティ)であり、トランスナショナリズムではないかと思う。「世界はひとつ人類はみな兄弟」の笹川良一がトランスナショナリストだったかどうかは知らないが、まさに地球市民という歴史観を持てるのが現代社会だ。

そこに仮想敵を想定するともう異星人との宇宙戦争(スターウォーズ)にならざるを得ないため、ナショナリスト的な精神構造の人々には敵対的宇宙人を見せるしかなくなるのがやっかいだが、惑星意識の歴史観は多くの地球市民には受け入れられるものだと思う。また受け入れなければ人類の生存権も危ういのが現代世界のリスクでもある。

レイシズムなどの近隣憎悪は惑星意識のもとでは些細なものになっていく。新聞の社会面を時たま賑わすご近所トラブルレベルに。それは世の中の意識の変化によって解決できるものであり、交流の活発化が意識や視野を変えていく。

かたくなに拒絶するナショナリストとはいわば町内で孤立しているゴミ屋敷の住民といえる。そんなゴミ屋敷の住人さえも同じ地球市民だ。清濁併せ飲んでこその世の中でもある。ただ紛争によってでなく交流によって現代世界の環境を変えていくことが重要だ。

かなり遠回りしたが、ようやくアントニオ猪木の取り組みとトランスナショナルな歴史観との接点が見えてきた。あえて猪木は紛争地帯や仮想敵国に乗り込む。そこでミサイルではなくスポーツイベントを打つ。ムラ社会に生きる人々に見えていない現代世界が猪木には見えている。民間交流というルート開拓で成果をあげる。清濁併せ飲む懐の深さもプラスに働く。

もちろん地域紛争を根絶することはまだ出来ないかもしれない。しかし平和の実現には交流の積み重ねしかない。個人と個人の交流の糸が集積して地球を覆う。そんな惑星意識によって歴史を描き、政治を変えていくことが重要だと思う。そしてトランスナショナルから真のグローバルな地球史へと歴史の捉え方が進化・統一されていくことを望みたい。石原の目の黒いうちに戦争は起こさせないが、オレの目の黒いうちの地球史統一もまた困難ではあろうが。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/08/14

夏旅2014 道後温泉編

道後温泉本館

道後温泉に着いたのは8月10日(日)の16時ごろだった。本館そばの小高い駐車場に車を止めた。今年4月に改築120周年の大還暦を迎えた道後温泉本館。私にとっても12年ぶりの道後温泉だった。12年前の四国旅行はこちら

車を止めてすぐに入浴。今回はお茶菓子等は食べず入浴だけにした。なにせ今夜の宿もまだ決まっていない。タオルを買って中に入った。それなりに混んでいたがすし詰め状態ではなかった。

夏目漱石の『坊っちゃん』では坊っちゃんが湯船で泳いで「坊っちゃん泳ぐべからず」と張り紙をされる。それを知ってか知らずか、どこぞの坊っちゃんが人の少なくなった湯船を狙って泳ぎ始めた。それを眺めながら湯船に浸かっていた。

湯から上がってスマホで今夜の宿さがし。できれば今治の焼き鳥を食べたいということで今治市で探したところ、すぐに見つかった。日曜の夜限定の安いビジネスホテルだ。便利な世の中になったものだ。

道後温泉から今治市までは一般道で30分程度。山越えの風が心地いい。クーラーが故障してなきゃ味わえないね!駅前のホテルには汗もかかずに着いた。

ホテルについて30分後に集合した。時間は19:30で夕飯にはちょうどいい…はずだった。今治市は駅前から1kmほどあるいた先に繁華街がある。そこへ向かった。しかし繁華街はすでにほとんどの店が閉店していて暗かった。入り口のわたみん家だけが煌々と輝いていた。

あたりをつけていた焼き鳥屋に行くとここもすでにネタ切れで閉まっていた。どんだけ夜が早いんだ今治!周りにも赤ちょうちんしかない。そこで開いている店をスマホで検索。少し遠いが「はち八」というお店が良さそうだということになり予約を入れてタクシーで向かった。幸いタクシーだけはたくさん停まっていた。

20140810_88_torikawaはち八は混んでいた。予約を入れて良かった。すぐに奥に通された。そして念願の鳥皮ネギ入りやせんざんぎ(唐揚げ)などを食べまくった。また珍しいところでは新鮮な鶏でなければ食べられないせせりの刺身なども食べることができた。

鳥皮はネギ抜きを注文しキャベツと一緒に食べるというのも通好みな食べ方だ。鳥皮の唐揚げはアツアツで出てくるが多少冷まして食べた方が味が染みていいらしい。いろいろ教わって食べた。

かなり飲み食いし、お勘定のときにタクシーを呼んでもらった。街中はあんなにひっそりとしていたのに、このお店の中は22時を回っても客足が途絶えない。女将風のおばちゃんに「流行ってますね」と声をかけてみたら「土日だけですよ」とご謙遜。日曜の夜にこれだけ客を集めるのは地元に根付いている証拠じゃないだろうか。

「また来ます」と店を出た。なかなか来れないが、今治に来たらまた行きたいお店になった(ブログに書いておくと忘れないのだ)。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/08/12

夏旅2014 台風一過編

徳島の宿では夜中から暴風雨の音が続いていました。それは朝食時にも続き、さらに強くなっていたようです。宿の食堂にはプロジェクターがあり、そこでニュースを流していました。テレビの台風中継は何度も見ていますが、テレビの映像よりも現実の窓外の景色のほうが荒れているのは初めての経験です。まさしく台風直下にいることを実感しました。

チェックアウトは朝10時なのでギリギリまで我慢して様子をうかがっていました。10時頃には雨も止み、これなら出発出来るとチェックアウトしました。

目的地は道後温泉。高速道路は通行止めだったので一般道を通って向かいました。すると台風の爪痕が至るところにありました。現場を見ると台風を侮れないことがよくわかります。自然災害の規模は年々大きくなっているのでしょうか。日本は自然が豊かな島国ですが、いったん自然が牙を剥くと被害も大きくなるわけでいかに畏怖しつつ共存していくかが重要ですね。

鯛茶漬け御膳進行方向は台風と逆方向だったので途中から高速道路にも乗れ、走っているうちに通行止め区間も解除され、思ったよりも早く松本市に着きました。ともかく昼食ということで、鯛めしのお店には入りました。そこで食べた鯛茶漬御膳も美味しかった!

食事の後はいよいよ道後温泉です!しかし温泉に入る前に思わぬ事件が発生してしまったのでした。10年以上続くこの夏旅史上、もっとも危機的状況を体験しました。台風をうまく回避して来れた旅でしたが、好事魔多し…。

●湯煙まえに、水煙の巻

松本駅前のパーキングに車を停めていたのですが、このパーキングの車止めフラップはとにかく上がるのが早い!レシートで確認したらいったんお金を払って出庫するまでに3分以内でなければ、またフラップが上がって出庫できなくなってしまうのです。これまで数多くのパーキングに車を止めて来ましたが、ここまで早い駐車場は見たことがありません。松本駅前のパーキングは要注意です!

今回ここで別れるメンバーがいたので、このパーキングであいさつしたりして見送り、それじゃこちらも出発しようと車を動かした瞬間、ゴーンという音が。車止めのフラップが上がっていたのでした。

さらにプシュー!という音とともに水煙が立ち上りました。車の底に駐車場のフラップが当たり水煙が上がるという最悪の事態です。

ただ油の臭いはしていなかったので、クーラー系統だろうと考えました。たまたま近所にシトロエンのディーラーがあったのでそこに持ち込もうということになりました。この時、再度駐車料金を払ってレシートを見たら3分しか経ってませんでしたので、フラップが上がったのはもっと早かったはずです。松本駅前に駐車する旅行者はご注意ください。

シトロエンの整備士さんに診てもらったら一発で診断終了。やはりクーラーの配管が折れてガスが全部漏れていました。部品交換ですが取り寄せになるため、どの部品が必要かを確認しました。整備士さんがおっしゃるには運転には支障がないとのこと。高速運転ももちろん大丈夫ということで、最悪の事態は逃れました。

そしてこの瞬間から、クーラーのない旅が始まったのです。

不幸中の幸いは、今夏は冷夏でこの日の外気は28℃前後だったことです。窓を開けて走るととても気持ちのいい風が入って来ます。ガソリンも減りもなんとなく少なく感じます。そんな気休めの会話をしつつ、一路道後温泉に向かったのでした。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/08/09

夏旅2014 台風直撃編

いま徳島県の宿でこれを書いています。夏旅を10年以上続けてますが、台風直撃は初めてかもしれません。ここ数年はゲリラ豪雨に見舞われることが増えました。気候の変化を毎年実感します。

今年の出発は8月8日の金曜日。最初の目的地は山梨県のシャトー勝沼でした。単純によくスーパーで購入してるワインのメーカーなので、現地でハウスワインを土産にしたかったから。天気は曇り時々雨。

勝沼のインターを降りるとブドウ畑のオンパレードで自然と気分が高揚してきます。この演出は見事だなぁ。

シャトー勝沼では試飲しながら数本のワインを購入し実家宛に送りました。もちろん到着日にあわせて。

その後、勝沼で富士吉田うどんのお店を探して、山のうどん屋さんに行きました。冷たいぶっかけ肉うどんを食べました。お店のきれいな奥さんがとっても感じいい方で、また来たいと思ううどん屋さんでした。

その後、中央自動車道を走り続け、一気に滋賀県の能登川まで走りました。途中豪雨に遭遇しましたが、予定に一時間遅れくらいで到着し、ホテルで先に来ていた2名のメンバーと合流しました。

一休亭聖ドラゴンロース合流してすぐアタリをつけていた近江牛のお店一休亭聖さんにに電話をかけ、4名で予約して出かけました。この近江牛が想像以上に美味しかった!ドラゴンロースはお店の美人店員さんが上手に焼いてくれるので美味しさ倍増でした。

翌朝は既に雨がひどくなって来ましたが、とにかく出発し、織田信長の館を見学。戦国時代にこれほど異質な天守閣を作ってしまう織田信長の感性に稀有な才能を感じました。

見学後の時間は10時半くらい。台風は未だ四国に停滞していましたが、とにかく神戸まで行ってみようと出発しました。

すると大阪あたりで晴れ間が見えてきました。しかし淡路インターは通行止めの表示。天候の改善を頼みに淡路インターまで行きましたが、解除の気配はありません。6時間くらい待ってるおじさんもいました。もう意地でもここで待つという覚悟のようでした。

我々は徳島のホテルに予約を入れていたため、キャンセルするか否かの選択を迫られましたが、早めに動き始めていたので、瀬戸大橋経由で行ってみようということになりました。それでダメなら岡山県に泊まればいいと。

結果的にこれが正解で、かなり風に煽られたものの、無事徳島に着きました。チェックインも30分遅れで済みました。

夕飯は以前来て美味しかった店を目指しましたが台風のせいか休業!仕方なく他のお店で食べました。

明日の予定は台風次第ですが、西に向かうので徐々に動きやすくはなるだろうと期待してます。宿が未定ですが何とかなるでしょう。たぶん…。


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »