google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2014年7月

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2014年7月の5件の記事

2014/07/30

脳内曲名 や行編

暇つぶし、リハビリ、いろんな場面でたまに書いてる脳内曲名。前回は1年2か月も前にま行編をやってました。今日は時間もあるので、久しぶりに脳内にある「や行」で始まる曲名を思いつくままに棚卸。年のせいかもの忘れもヤバいっ、や行編です。

や:夜曲
い:イエローサブマリン音頭
ゆ:夕陽が泣いている
え:Yes Yes Yes
よ:よォーこそ

結構、スラスラ出てきた。や行の曲は多いのか?

夜曲は中島みゆきさんの名曲でございます。名盤『臨月』のラストを飾る曲。最近の中島みゆきファンで昔のアルバムをどれか聴いてみたいとお悩みの際には、確実におすすめできるアルバムのひとつです。ただ季節は冬かな。

イエローサブマリン音頭、昨年末亡くなった大瀧詠一さんの楽曲。いわゆる冗談音楽の部類か。でも金沢明子の民謡はモノホンだったから、本気度が伝わってきた。「いかすぜ!この恋」と競ったが、いちおうや行なんでYで始まるこっちに軍配上げた。今日の脳内にビートルズという選択肢はなぜかなかった。“音頭”だった。夏だから?

夕陽が泣いているはスパイダース。GSはずいぶん上の世代だと思うけどいい曲はやっぱいい。マチャーキの声は耳触りがとてもいい。英語ヴァージョンもあるようだが、日本語でしょやっぱり!

「え」で Yes Yes Yes というのはセーフか?これも一応Yにこだわった結果。オフコースの曲。だったら Yes/Noでもいいわけだが、Yesが「え」で成立するのかを繰り返し唱えているうちに、Yes Yes Yes に落ち着いた。この曲はラストの壮大な感じが好き。

「よ」ではRCサクセションのよォーこそが瞬時に浮かんだ。メンバー紹介の曲だけどライブバンドにふさわしい名曲で、この一曲だけで観客の高揚感もすぐにトップギアに入った。いまや当たり前の夏フェスだけど、こういう歴史的名盤をひとつずつ聴いて歴史を学ぶのもおすすめ。夏休み長いし!

うーむ、しかしこうして5曲の脳内曲名を並べただけで、大瀧御大もキヨシローもいないこの世の中に、うわーーーーん、この世の中に、う、う、うえーーーーん、愕然としてしまうんです!(野々村元兵庫県議風に)

というわけで、YAH YAH YAH をあえて外したわけじゃない、や行編おしまい。

次回、ら行編でおあいしましょう。

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2014/07/26

ボクの記事の有益性は100%ですw 『リスク・リテラシーが身につく統計的思考法』

ベイズ統計に興味を持っていくつかの統計にまつわる本を読んでいる今年、この『リスク・リテラシーが身につく統計的思考法―初歩からベイズ推定まで』(ハヤカワ文庫)は目からウロコの良書だった。教科書や参考書的な書物ではなく、読書の愉しみに耐え得る内容だったと思う。

統計的思考法というと誰もが確率=パーセント表示だと思ってしまうのではないか(ほぼ無意識に)。ほとんど常識といってもいい。それを著者のゲルト・ギーゲレンツァー氏は悪しき習慣だと考えているようだ。この著書の言いたいことは、ほぼそれに尽きるといってもいい。確率=パーセン表示、それをやめたらどうかという問題提起ともいえる。

相対表示と絶対表示については、私もかねてから使い分けの難しさ、使う場面の選択に悩んできた。あるときはプレゼンターとしてあえてパーセント表示をしたこともある。それはひとえにその数値の印象操作をしたいからに他ならない。

この著者はそんな誘惑についても一刀両断である。騙されないためのスキルは騙す側ほど熟知しているものだ。だが問題はもっと根深く、騙すつもりがなくてもつい確率=パーセント表記を使用してしまうことで正確さを欠く、いや完全に誤った結論に達してしまうリスクが存在するということなのだ。

しかもそういうった無知からくる誤謬は法曹界や医学界において顕著である。この書物は過去の事例を採り上げながらどこに問題があったのかを丁寧に検証していく。

犯人か否か、エイズ検査やガン検診結果における偽陽性の確率、DNA鑑定の不確実性などなど、間違いだった場合に影響の大きな事例について示しながら、統計的思考方法の違いによって結論がどう異なるかを解説していく。

「確実性」に取りつかれてしまう怖さ、検査試薬等における偽陽性・偽陰性の問題、そういったエラーやミスの多くが数字オンチによる誤謬によってもたらされている。そしてそんな数字オンチは表現方法を変えるだけで劇的に減らすことが出来、正しい評価が可能になるというのだ。

驚くべきことに同じ事象でも、伝え方次第でまったく違った結論が導かれる。しかも多くの関係者がその間違いに気づかない。法曹界や医学界という権威の渦巻く世界では余計に間違いが起こり得るのかもしれない。

確率=パーセント表示による説明がなんの検証もなく使われ、誰もそれを疑わない。そしてそこに示されている数字を自分が理解できていると信じてしまう(実はほぼ完全に誤解しているにも関わらず!)。

誰もがパーセント表示はごく日常的に使っているだろう。様々な魅力的広告にも素晴らしい実績を示す数字が輝いている。だがその数字が意味する真実をどれほどの人が正しく理解できているかは疑問だ。

例えば「クジの当選者が今回は3倍に!」といった場合、分母についてどれほど意識するだろう。100人中1人当たりから3人当たりになっても、1,000,000人中1人当たりから3人当たりになっても当選者は3倍だ。前者は3%の確率、後者は0.0003%の確率だが、当選者数はどちらも300%アップ。広告に書くなら「300%アップ=3倍に」を採用したくなる。後者で「0.0001%が0.0003%にアップ!」といってもまず広告にならない。なぜか?当たる気がしないからだ。だが現実には300%アップしても当選確率は0.0003%でしかない。当選者数3倍は嘘ではないが、基準が巧妙に隠れている。

くじ引きの広告ならそれで許されるかもしれない。しかし法曹界や医療界がそれでいいのだろうか。さらにいえばその基準となるグループの選び方から間違っていることも多いようだ(詳しくはこの書物を読んでみて欲しい)。

そこで著者は「自然頻度」によって提示することを提案している。人類は基本的なリスクを自然頻度で理解する能力を持っている。だからできる限りリスクを示す側は自然頻度を用いて、わかりやすく説明すべきだということだ。何人のグループを基にして何人が当選するのか、具体的な整数値で表現することで聞き手の理解度は格段に改善される。また、表現する側も無意識の誤謬を防止できる。

相手を騙すという意図がない限り、この表現方法の変更はかなり有効な手段に思える。ぶっちゃけ、パーセント表示での説明はかっこよく見える。見栄えがする。だがそれだけだ。正しく伝わっていない可能性がある。それを意図しない場合、自然頻度に置き換えるスキルは誰にとっても有益だろう。特に人とコミュニケーションをとる必要がある職種においては確実に有効だと思える。

確率計算の結果を「何人中何人です」という自然頻度に置き換える。ただそれだけを伝えるためにいくつもの事例を引き、検証し、例示した書物だ。その答え=自然頻度があまりに当然のことなので拍子抜けするかもしれない。しかし現実の世の中を見回すと、その当然の表現、誰にでもできる表現がどうにも少ない気がする。

確率・統計の重要性が増す現代社会において、原点回帰ともいうべき自然頻度という表現方法のススメは地味な取り組みながらも斬新に思えた。

ちなみに私にとって今日のこの記事の有益性は100%である。分母は私1人だ。1人中1人に100%有益な記事だった。もちろんこれは悪い例の典型である。

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2014/07/19

ひとくちメモ 中村伸一院長記事セレクション

最近はブログをサボりっぱなしでございますが、中村伸一院長との再会を祝し、またお会いした中村伸一院長ファンにささげるリンク集をアップしておきましょうかね。

まったくの門外漢だと思ってビビりながら参加した地域医療系ワークショップでございましたが、「どこが門外漢ですか!?」とお誘いいただいたI女史(お誕生日おめでとうございます)に突っ込まれるくらい溶け込むことができました(笑)。

また院長からは「こんなにしゃべれる人だとは思わなかった」というお言葉もちょうだい致しました。まぁヨタ話ならいくらでも()。

集まった皆さんの真摯な真面目さと濁っていない瞳に心が洗われるようでした。地域医療に興味を持つ若い人たちの存在はとても力強い日本の草の根パワーになっていくと思います。

●寄りそ医ドロクター中村伸一院長リンク集

2009.07.05 3人の中村伸一トークライブ!キーワードは「相互信頼」

2011.11.03 3人の中村伸一トークライブでちょっとポジティブ・シンキング

2011.11.24 禁煙よりもメタボ対策よりも地域絆力が長寿への道!

2012.09.15 『寄りそ医』がドラマ化!

2012.09.29 ドラマ「ドロクター」のメッセージを深読み

国民健康保険 名田庄診療所所長中村伸一のブログ

●ドロクターワークショップを終えて

最初は爆笑ネタ満載の講演が出来るお医者さんという認識でいたのですが(笑)、地域医療への思いを聞けば聞くほどハートが熱い方だなぁと思います。それは個人的な資質プラス名田庄村での“地域絆力”によって院長自身も名田庄村に育てられて来たんだなという思いを強くしました。

地域医療とひとくちに言っても、各地域はひとつとして同じ状況・環境のところはありません。だけどその地域の医療を担う人材のひとりひとりがどうコミュニケーションを構築していくか、最終的には、あるいはそのとっかかりには、熱いハートがモノをいうと思います。

その熱いハートの上に様々な技術やメソッド、経験などが生まれて全体水準を上げていくのだろうと思います。まずは心ありき。愛だね、愛!

中村伸一院長をモデルにした「ドロクター」というドラマには、カルテに患者さんとの会話内容や趣味嗜好を都度都度メモる中村伸一先生の姿が描かれていました。

これって出来る営業マンが顧客をつかむノウハウにも似ています。中村伸一院長はビジネスマンになっても成功されたんじゃないかと思わせるエピソードでした。そういう細かい情報の積み重ねはどんな地域でも通用するコミュニケーション構築のひとつのメソッドになり得るのではないでしょうか。

病気だけを見るのではない、地域の人、地域の生活を見るのだという姿勢。これは総合医ならではと思いがちです。でも、どんな仕事をしていても自分の専門とそこから連なる前後の業務への想像力がある人とない人とではその成果は決定的に異なります。

点と点を結ぶ線を意識し、線と線が合わさって面となり、面が重なってやがて立体的に構築されていく仕事のイメージ。それはおのずと他者への想像力を喚起せざるを得ず、「おたがいさま」の精神へと自然につながっていきそうです。

「地域医療に門外漢なんていません!」と院長に励まされて参加したワークショップでしたが、こういう真面目な雑談のできる場はあまりない機会で、とても有意義な時間を過ごせました。お声をかけていただいたI女史にも感謝感謝です。

もちろんドラマファンとしてドラマ「ドロクター」の裏話が聞けたことも実にありがたかったです。イッセー尾形さんの六さんはメンターのような存在だと思っていたのですが、実在する6人の方を合体させて作られたキャラクターだったと知り、まさに謎が解けた感じでした。

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2014/07/08

日帰りじゃもったいないぞ野々村君!城崎温泉

野々村兵庫県議の号泣会見、日が経っても、いや日を追うごとにその一挙手一投足が面白くなっていく。最初に見たときはあまりのことに驚いたが、その後ニュースで繰り返されるごとに笑ってしまう。こちらが冷静になればなるほど面白い。見るほどにおもしろくなっていく。こんな上質のお笑いVTRはそうそうない。彼自身のモットーだった「この世の中を変えてやる。うえーーーーん!」という夢が少し実現できたかもしれない(笑)。どう変わったかは置いといて。

今年は不思議な人々の会見目白押しの年になった。佐村河内守、小保方晴子、野々村竜太郎が3大会見だろう。彼らは皆、その(広い意味での)奇行によって世界的に有名になった。日本は表層的には彼らに代表される国になってしまった。安倍政権が危機感を募らせるのもわかる(ウソ)。もちろん安倍の極右&嘘つきイメージもトンデモ・ジャパンの最右翼だ。

野々村議員に話を戻すと、昔は芸能人から政治家になる人が多かった。いかにも政治家向きだったが政治には行かず引退された上岡龍太郎さんは「芸能人なんて底辺の仕事だが、その芸能人が転職できる政治家はもっとレベルが低い」といったようなことを言われていた。もちろん上岡流の悪態だが、いまや政治家から芸能人を超えるお笑い芸が飛び出す世の中。芸能人と政治家との逆転現象が起き始めてるかもしれない。危機感を持つべきは芸能界だ。

さて、野々村議員が日帰り出張を繰り返していたと噂の城崎温泉(きのさきおんせん)。ホームページへのアクセスが倍増しているという。どんな温泉なのかという純粋な興味からならいいことだ。城崎温泉は期待を裏切らない温泉街だから。

ボクも2006年にその城崎システムの素晴らしさについて「城崎にて。自立した温泉郷」という記事を書いてる。その後、再訪したのだが、チケットシステムがさらに効率化されていた。進化している温泉郷でもあるのだ。私は2回しか行ったことがないが、野々村議員よりも本質を見てきた自負はある(笑)。野々村県議はカラ出張だったのではないかとの疑惑もあるが、本当に全部日帰りだとしたらそれこそもったいない!泊まってこいよといいたい(笑)。

家族連れでぜひ訪れてほしい温泉郷だ。そのときはホテルなどに泊まらず旅館がいい。これは絶対だ。城崎温泉でホテルに泊まるというのはアウェイそのものと言える。遠方から大量に客を運ぶツアーにはホテルは確かに便利だが、それでは城崎温泉の本質に触れることは出来ない。そこにある文化に触れたことにならないと思う。

また中学生以上のお子様だったらこの機会に志賀直哉の『城の崎にて』を読んでみるというきっかけにしてほしい。野々村議員のような大人にならないために。

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2014/07/05

開店休業、なわけではない

最近ブログを書いていない。
6月はなんと1日しか書いていなかった。

こんなことはなかった。少し前までは。
コーヒーカップはいつだってふたつ運ばれてきて…

そんな風にリンゴを口ずさんでみる。
だがリンゴは食べない。糖質過多だから。

自宅のメインパソコンがノートに変わった。
ツイッターでつぶやいてそれでとりあえず代替してる。
書きたいことはあるが、まとめる気力がない。
サプライズな発想がない。


いろんな理由はある。すべて当てはまる。

ツイッターの140文字より少し多めに書く。
そんなお手軽ツールとしてブログを書くくらいわけないはずなのに。

これまで長文化の一途を辿ってきた「ひとくちメモ」。
ちょっと初心に戻るべきかもしれない。
初心には戻れなくても、長文化前くらいに(笑)。
気楽なブログに戻りたい。

でもブログを書いていない時期は誰かにメールを書いてる。
去年もそうだった。今年もそう。相手は異なるけれど。
世代も性別も異なる楽しいコミュニケーション。
マスコミュニケーションでなくパーソナルコミュニケーション。
昨年はそれを往復書簡と呼んでみたりした。

ネットの自分とリアルな自分との使い分け。
それがだんだん薄れてきてる。
というより、リアルな自分に最近目覚めた。
だからブログがおろそかになる。
これが一番大きな理由かもしれない。

だけどいつでも戻って来れる。
開店休業じゃない。
毎日、スパムコメントは消している!
もう来るな!ボケ!スパムのボケ!
それがいいたかった。以上、終わり。

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