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6 posts from May 2014

2014.05.31

やっぱりノイズが好きっ!『シグナル&ノイズ』とベイズ統計

昔、須藤晃さんのエッセイ『みんなノイズを聴きたがる』という書籍を読んだ。尾崎豊や浜田省吾、玉置浩二の音楽プロデューサとして有名な須藤さんなので内容も面白かったが、なによりもこのタイトルが振るっていて記憶に残っている。

このタイトルのノイズとは、いわゆる昨今のテクノに多用されるノイズのことではまったくなく、「裏話」「秘話」といった意味合いだ。人気アーティストのプロデューサが仕事で出会った面白話にはみんな興味がある。それをノイズと揶揄したようなタイトルだといえる。

プロデューサとしては音楽を聴いてもらいたいわけだが、マスコミはときに作品よりアーティストの私生活やスキャンダルばかりを追いかける。ファンや大衆のニーズがそこにあるのも事実だ。私自身も楽屋話や制作秘話、またそういった類のドキュメンタリー作品が大好きだ。本編以上に見たいときもあったりする。

それは人間のサガなのだろうか。今回読んだ、ネイト・シルバー著『シグナル&ノイズ 天才データアナリストの「予測学」』は、さまざまな角度から予測について語った書物だが、やっぱり人間という高度に情報化が進んだ動物はノイズが好きなんだなぁと思わずにはいられなかった。みんなノイズを聴きたがっているのだ。

●シグナルを探そうとしてノイズを集める人類

たしか年末から読み始めて4月くらいにようやく読み終えた。本編だけで500ページくらいある厚い書物だ。帯には「私たちはシグナルを探そうとしてノイズを集めている」と書かれている。著者はデータアナリストであり、ギャンブラーから気象予報官、地震科学者、政治アナリストなど多くの人々を取材している。

ある分野の専門家を統計分析の専門家である著者が取材しているのだから内容は濃い。ただ、さまざまな予測データについてそれぞれ興味深いエピソードをちりばめてあるので、ある意味ノイズの多い本だった(笑)。だがやはりそのノイズが面白いので飽きずに読み終えた。

予測というものは対象によって取組み方も大きく異なる。すぐに結果のでる予測(プロスポーツの優勝チームや選挙、明日の天気など)もあれば、大型地震やパンデミック、テロに地球温暖化とすぐにはわからないものもある。ギャンブルや投資・投機、対戦型ゲームなど一瞬一瞬の判断も予測といえる。

どういう種類の対象にはどんな手法が使われ成功率はどのくらいか。あるいはなぜ失敗するのか。入手できない情報への対応方法は。などなど次々と湧いてくる疑問を専門家に聞いては検証する。あるいはテレビに出ている文化人のバイアスなどについても調べていく。テレビ文化人とはまさにノイズをまき散らす人種であり、それがその人なりに経済合理性を持つ行動でもあるといった皮肉も出てくる。

そんな著者だが、根底にあるのはベイズ統計学への信頼だ。天気予報以外の各種予測はあまり成功していない現実のなかで、いったいなにが邪魔しているのかを明らかにしていく。

ビッグデータがブームになって以降、確率・統計への注目も高まっているわけだが、ベイズ統計というのは好き嫌い(というべきだと思う)が分かれる手法だ。とくに事前確率という“思想”は、数学で統計を専門に(厳密に)やっている人ほど受け入れにくい手法だという。

事前確率は経験値といったようなあいまいな主観を前提にしている。これが有効なのはほとんど数千年に一度起きるか否かといったデータのそろわない未知の現象を予測する場合だ。事前確率というバイアスをあえて排除せず利用しながら、次々と入ってくる情報によって確率計算をやり直しブラッシュアップしていくのがベイズ統計だ(私も専門家じゃないので主観的にそう理解しているだけだが)。

実際に現代社会の様々な分野でベイズ統計は取り入れられ機能している。数学的厳密さがないと考えられた事前確率の存在によって、ベイズ統計は徹底的に糾弾されてきたようだ。そのあたりについては、シャロン・バーチュマグレイン著『異端の統計学 ベイズ』が面白い。文系的に読めるのでお勧め。わたしは『シグナル&ノイズ』を読んだ後、すぐに読み始めた。

●異なる意見を科学でまとめるベイズ統計

ベイズ統計がいちばん機能すると思うのは、異なる事前確率を認めるところだ。これを認めないと議論がはじめられない場合が多い。原発賛成・反対、戦争すべき、いや外交努力で回避すべき、それらはそれぞれ主張する人のバイアスによって出てくる統計結果も異なる。そもそも統計など無関係な思想であることも多そうだ。

そこでそういう異なるものを事前確率として受け入れてとにかく確率計算を始め、次に出てきた事実やデータを取り込んで新たな確率計算をする。いわば異なる意見や信念を科学的手法によってすり合わせていくわけだ。これを続けることで、予測精度を上げていけるというのがベイズ統計だと思う。

ノイズは最初からノイズだとわかればいいが、これがわからないからみんな困っている。異常値、外れ値として処理していいかどうかに迷う。何がわからないのかがわからないのだ。だからといってデータがないから分析できないのでは仕事にならない。

人類はノイズが大好きだが、一方で曖昧模糊とした未来を正しいシグナルで予測したい願望も大きい。そんな矛盾した人類にとって、ノイズの存在をとりあえず認め、それを含んだ事前確率を思い切って使い始めてしまう。人生経験やバイアスをとりあえず認めて、新しい事実やデータを付加していくのは非常に現実的だと思う。

もちろん次々と入手するデータにバイアスがかかっていたりすれば、間違いが広がっていく可能性はある。それはどんな統計手法であっても同じだ。社会科学の分野ではそういうことは多い。現代は医学ですらデータ改ざんされる時代だ。だが改ざんする人間はいつの時代もいる。

それらはまさにノイズ以外の何ものでもない。だがそれすらも事前確率として取り込んで、その後に統計的事実や正しいと思われるデータを次々と取り込みながらノイズを除去していくしかない。エビデンスによる医療などもそのひとつだろう。完璧な予測はできないかもしれないが意見を事実ですり合わせながら前に進むためにベイズ統計を活用できる社会になればいいと思う。

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2014.05.18

世界卓球からアニメ『ピンポン』へ興味拡大!

世界卓球を見た後、テレビで卓球のアニメをやっていることを知った。「Animation」を逆さに読んで「Noitamina(ノイタミナ)」というフジテレビのアニメ枠で4月から始まった「ピンポン」だ。

私が見たのは第4話の途中からだったと思う。強烈な原画と構図で、ハゲのごっつい男(風間やアクマ)が出ていた。これが高校生だと気づくまでにずいぶん時間がかかった(笑)。とっつきにくいが何か気になるアニメだった。でも第5話を見て確信した。これは名作だと。

原作は1996年の同名漫画だった。その頃のボクはすでにリアルタイムにマンガを読まなくなっていたし、アニメーションも制作側の技術的な部分ばかりをコンピュータエンジニア的な視点から見るような感じだったから、この「ピンポン」は同時代に楽しんだわけじゃなかった。だから懐かしさはなく、完全に新しい表現に出会った感覚だった。でもクレジットにタツノコプロと表示されたのはうれしかった。昔『タツノコプロインサイダーズ』という書籍を読むくらいには好きだったから。

世界卓球を見なかったら、平野早矢香の大逆転劇がなかったら、もしかしたら出会わなかったアニメかもしれない。だけどこのドラマは(あえてドラマというが)、高校卓球部の青春群像劇を超えて普遍的なかっこよさ(そしてかっこ悪さ)を持ってる。ハードボイルドだな、と思った。原作漫画も大判で復刊されたフルゲームを今日読んだ。アニメの1~4話もフジテレビオンデマンドで見た。

アニメ第5、6話で死ぬほど努力した凡人佐久間学(アクマ)の挫折へ向かう足掻きは響いた。多くの人間がアクマほど努力できない。それでも掴めない場所がある。非情な現実の前に、それでも足掻くアクマ。最後には必ず報われるといったファンタジーはここにはない。だが挫折が人生の終わりかといえばそうでもない。誰もが挫折の重さは違ってもその先に何らかの生き方を見つける。

主要な登場人物のキャラクター設定は個性が際立ち、皆ある種人間社会の典型的モデルのようにも思える。星野(ペコ)、月本(スマイル)、佐久間(アクマ)、風間(ドラゴン)、孔(チャイナ)はそれぞれに違った突出した面を持っているようなキャラだ。しかしパーフェクトな人間はひとりもいない。少ない登場人物だが描かれる精神世界は多様だ。そして深い。

ストーリーからするとペコとスマイルが主人公ではある。しかし主要な脇役の人間像もしっかり描かれる。それぞれの抱える弱さが交錯する。卓球台を通して対戦するときだけでなく。成功する者も挫折する者も、成功を望む者も放棄する者も、誰もが主人公だ。

言葉少なに語りかけるようなセリフ回しもハードボイルドで好きだ。マンガと同じセリフがたくさん出てくるが、アニメで再構成されたそれらの言葉は、さらに凝縮されインパクトが高まっている。名言の宝庫だ。

音楽もいい。牛尾憲輔は電気グルーブのエンジニアだったという。“卓球”つながりか(笑)。ボクも学生時代は石野卓球バリにW-30scを駆使してサンプリング音楽を作っていた。電気グルーブにはなれなかったが、スマイルやアクマほどのストイックさがなかったかもしれない。あっても電グルにはなれなかっただろう。

卓球とテクノは音でつながっているという視点には賛同したい。世界卓球の翌日、おそらくダイジェスト映像を見ていた時に思わずこんな風につぶやいていた。
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5月6日@hitokuchimemo
ポップンポール@hitokuchimemo

試合中に卓球台の真ん中にバイノーラルマイクを置いて録音してみたいなぁ。
posted at 11:28:23

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卓球で打ち合うラリーの音やリズムはプリミティブな躍動にあふれている。過激な静けさだ。戦っている相手なのに、ひとつのノイズミュージックを共同制作しているような錯覚を覚える。

この点ではアニメの第1話「風の音がジャマをしている」が好きだ。中国人選手の孔(コン)がコーチと学校の屋上で話していると卓球をする音が聞こえてくる。ペコとスマイルがラリーをする音だった。その音を聞きながらまだ見ぬ両者の力量や弱点を的確に言い当てる孔とコーチ。それが視聴者や読者への説明にもなっている。原作通りのこの演出はみごとだった。(どうでもいいけど風の音ってほんと録音のジャマなんだよね!)

今週の第6話は季節外れのクリスマスネタだったが、私世代にも胸キュンな回だった。思わずギターと浜田省吾の楽曲集を持ち出して(持ってるんだなこれが confident)、「MIDNIGHT FLIGHT ひとりぼっちのクリスマス・イブ」を練習した。いい曲だなぁ。今度カラオケで絶対歌おう。チャイナに敬意を表してチャイニーズスナックで(なんだそりゃ)。

来週からは後半戦となり、ついに天才ペコが復活してくる。キレッキレのハードボイルドな演出を楽しみたい。それと来週は『卓球王国』7月号が発売される。世界卓球の全結果が載っているはずなので買おう。人生で初めて買う卓球雑誌になる。

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2014.05.14

中島みゆきのアイドル歌謡への想い

まず初めに言っておきたいことは「中島みゆきはミーハーである」ということだ。間違いない。それはいまに始まったことじゃなく歌手になる前、吉田拓郎を追っかけていたころからずっとミーハーだったんだと思う。

ボクは中島みゆきファンをかれこれ30年以上続けているが、ようやく言えた(笑)。実はずっと思ってたんだ。いまやなんだか重厚感漂う大御所アーティストになってしまったが、基本はミーハーなお姐さんだった。

そんなことを書き留めておこうと思ったのは、ももクロの新曲「泣いてもいいんだよ」が中島みゆきの楽曲で、ももクロ史上初のオリコン1位になったというニュースを読んだから。

この曲、もう全編中島みゆき節で突っ走ってる。ももクロの歌を聴きながらも、中島みゆきの声が頭のなかで鳴ってしまうくらいにストレートなみゆき節だ。ツインギターのフレーズなんかもまさに中島&瀬尾フレーズっつーか。

多少みゆき節から外れているなと思ったのはサビがメジャーキーに転調してるとこ。このアイデアがどういう根拠なのかにはちょっと興味がある。ももクロらしいアイドル歌謡のフックとリフレインを意識したのか、彼女たちの歌えるキーの問題があったのか、そのあたりはボクにはわからないけれど、その違和感も含めていい曲だ!

ストレートなみゆき節と書いてしまったが、しかし実際のところ中島みゆき自身で歌う楽曲よりも、ほかの歌手への提供曲のほうにより中島みゆきらしさを感じてしまうのはボクだけだろうか。

うまく言えないが、中島みゆきの楽曲は誰が歌っても中島みゆきを感じる。そういう意味では作家性の強いアーティストだといえる。発注側もそのエッセンスを求めているだろうし、みゆきさん自身も応えようとして過剰に中島みゆき的なソングライティングをしているというと穿ちすぎだろうか。

特にアイドルへのアップテンポな提供曲は楽しんで作っているんじゃないかと思ったり(実際はもちろん生みの苦しみもあると思いますが)。筆が走ってるようなメロディラインが自然とみゆき節の表出につながっているみたいな気もする。妄想ですけど。

で、妄想ついでに中島みゆきミーハー説ですが。アイドル歌謡のときに表出するソングライティングの自然さ、これってたぶんみゆきさんは自分自身がアイドルになった気分で(ミーハー感覚で)作っていると思うわけです(笑)。

ジャニーズのときはジャニーズの一員として、ももクロのときはももクロの一員として、常にきらびやかなスポットライトを浴びて踊り歌う自分自身のイメージで作ってる。そしてそのマスな感覚と(作家としての)客観的な立場とがちょうどいい塩梅に調和して、無理のない「無の心境」が生み出されている。そう思うわけ。

「無の心境」というのは、いま中島みゆきさんの大きなテーマのひとつですよね。SONGSのときのインタビューで語られていたように。しかし自分で歌うときに無でいられることはほぼ不可能に近いわけです。ところがアイドル歌謡の歌詞というのは、まさに無が許される楽園だと思うのです。

それは歌詞が無意味ということではまったくなく、抽象的なフレーズのテンコ盛りによる普遍化を臆面もなく出来る分野であり、それがアイドルという存在を媒介にして抽象的かつ感覚的なメッセージとしてファンの胸に届いちゃう。それは言葉の意味じゃなく、躍動する波として伝わる。アイドルは巫女のような立場となり、そこに乗せる言葉は呪文のようなものになるわけです。大げさにいえば。

アイドル歌謡を作ることによって「無の心境」を体現できるのは、中島みゆきにとって快感に違いない。ボクのように歌詞の深読みなんかをして頭でっかちに聴くのではなく、ただただアイドルファンの熱狂と愛だけのなかでスッと心に残る。それも若者の。

そうやって覚えた大好きなアイドル歌謡って死ぬまで忘れなかったりする。ボクだってキャンディーズや聖子の楽曲は忘れないし。そうやって記憶に残っていく歌になることが嬉しくないポップソングのライターっていないと思うし、みゆきさんはそういう歌本来の伝わり方を人一倍求め続けていると思うのだ。ミーハーだから(笑)。

ボク自身も昔から頭でっかちに聴いてきたわけじゃなく、中島みゆきの楽曲を感覚的に聴いてきた。でも長いキャリアを生きてくるとどうしても何らかの「意味」は生まれてしまう。アーティストには嫌でも何らかのイメージがまとわりつく。それをどうはぐらかしながらサプライズを生み出せるかがアーティストのセルフプロデュース力でもある。

中島みゆきにとってほかの歌手への楽曲提供はひとつのサプライズでもあるし、シンガーとしての縦軸にライターという横軸が交わる「糸」かもしれない。その両輪を保ちつつ歌を末永く紡いでもらえるのは、ファンとしてもまた楽しみが増えてありがたい。

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2014.05.06

世界卓球2014の女子銀メダルを思い出に追加

名作ドラマは最終回のひとつ前が出色の出来栄えであるというのが私の持論だが、今回の世界卓球女子団体にもこのドラマ論があてはまるような大会だった。よく筋書きのないドラマといわれるスポーツの世界だが、最終回のひとつ前とはつまり準決勝を指す。そう思えば納得がいく。決勝を目指すエネルギーの沸点がもっとも高まる試合だ。

古くは当時珍しかった女子ジャンプサーブの益子直美を擁する共栄学園の春高バレー。大林素子のいる八王子実践に準決勝で勝ったときには鳥肌が立った(決勝では四天王寺に敗れた)。また準決勝ですべての力を使い果たし決勝は棄権するしかなかった「キャプテン」における墨谷二中(マンガだけどね)。そんな準決勝ドラマにまたひとつ、世界卓球2014東京大会の女子団体の対香港戦を加えたい。

●ゾーンに入った平野早矢香の粘りにシビれた!

圧巻だったのは中堅(3番手)に出てきた平野早矢香だ。私も小学生時代は剣道の団体戦で中堅をやることが多かった。先鋒、次鋒が1-1で来たときの中堅は試合の流れを呼び込む役割だし、0-2で負けているときは絶対負けるわけにいかない責任重大の立場だ。2-0で勝ってるとその後に副将、大将がいて気楽そうだが、相手はがむしゃらに来るのでタフな試合になる。大将や副将の器じゃないが参謀的な視点とムードメーカー的な役割と粘り強さを求められる、それが中堅だ(小学生時代の自分を若干美化してるが)。

今回の世界卓球団体の場合、両チームとも3人で5戦だが、各チームはABCABの順番かXYZYXの順番かを事前にコイントスで決められる(アルファベットが3人の選手を表す)。この並び順がどちらになるかは運次第だが3選手のうち中堅だけはどちらの場合も1回しかチャンスがない。準決勝・決勝ともにXYZYXとなった日本の3番手を任されたのが平野早矢香だった。

準々決勝のオランダ戦は日本がABCABで中堅はカットマンの石垣優香(ゆうかじゃなくゆか)だった。このときの石垣の粘りがあったからこそ準決勝進出できたことも忘れられない。相手のリー・ジエもカットマンでカットマンどうしの対決。途中で促進ルール(延々ラリーが続くことを防止するためにサーブ権を持つ側が13回レシーブされたら1点失うというルール)が適用されたが石垣が勝ってくれた。この1勝がターニングポイントになったと思う。このときから世界卓球にくぎ付けとなってしまった。

そして準決勝。相手は香港。XYZYXになった日本は石垣・石川・平野・石川・石垣という布陣。1-1で平野の出番となる。2ゲームを取られて後がない平野の第3ゲーム。4-9まで追い込まれた平野にスイッチが入る。いや、テレビ画面にアップで映った平野の表情はその逆と言ってもいい。非常に平穏な表情になっていた。焦りの色もない。そこから1点1点積み重ね10-10のデュースに持ち込みこのゲームを制した。

このときの平穏な表情を見て「あ、平野はゾーンに入ってる」と直感してツイートした。私自身はゾーンという言葉を相場用語としてしか知らなかったがスポーツの世界にもあるようだ。というよりスポーツのほうがたくさん書籍が出ていた。

考え方の基本は相場もスポーツも同じようだ。一言でいえばメンタルの強さなのだが、数多の書籍にあるような「ゾーンに入る技術」というものは存在しない。ゾーンに入れる人は日々の生活が違う。ゾーンとは、その日常の積み重ねが極限状態での対処の瞬間に滲み出てくる無意識の領域だ。日常を変えるという広義では技術といえるかもしれないがマニュアル化できる方法があるわけではないのだ。意識の持ち方といえるかもしれない。

テレビ東京は平野早矢香が桜井章一さんから会場で花束を贈られたという情報を流した。雀鬼会との交流は卓球ファンの間では数年前から知られていた情報だったようで、雀鬼会のHPにもちょいちょい登場している。桜井章一さんの著書を読んで会いに行って以来の交流だという。それで腑に落ちた。私も桜井章一さんの考え方に影響を受けてる。香港戦でゾーンに入った平野早矢香がもっと好きになった。

●素人目に直感した中国の強さ

準決勝は平野早矢香の大逆転劇から場の空気が一変し、日本のエース石川佳純も接戦の末に勝った。この日の日本は薄氷の勝利といっていいと思う。だが内容の濃い試合だった。

前回書いた通り、準決勝の勝利を見て決勝は会場で観たいと思った。31年ぶりに日本が出場する決勝戦だ。決勝の相手は最強の中国。世界ランクトップ3の選手ばかりのチームだ。日本は石川佳純の世界ランク9位が最高位だ。

いったい中国のなにがそこまで強いのかにも興味があった。そういう意味では男子決勝の中国vsドイツも非常に有意義な試合だった。

もっとも卓球素人の私だから直感でしかない。それはフィギュアスケートのキムヨナをはじめて観たときと同じだ。この直感を記録しておくこともこのブログの(個人的な)役割でもある。妄想だと思っていただいてかまわない。

中国は男女ともに技術があるのは言うまでもないが、その使い方と使いどころの厳しさがズバ抜けて攻撃的だ。攻撃への意志が非常に強い。常に先手必勝を考えているし、それを実現できる思考回路と技術を持ってるように見えた。

それを感じたのはプッシュで返すときの球筋と強さ。スマッシュとかチキータレシーブとか、そういう目立つところももちろんコースをついてくるし、もし先手(攻撃による場の支配)が取れなかった局面でも、将棋における怒涛の寄せのように徐々にコースを寄せてくる。死に筋に打ち返すことがほとんど無いように見える。それがプッシュや壁で返すしかないときにも出来る。どんな局面でも先手必勝の局面にアレンジできる強さを持っているように見えるのだ。

サーブ権を持っているとき、サービスエースを除けば先手必勝のチャンスは相手のレシーブ後の3球目になる。サーブ権がないときはレシーブ(2球目)から先手必勝の機会が来る。これらをことごとく貪欲に使っていく。遊ばないし休まない。ここで一回でも休めば相手に手を渡すことになるが、そういうムダな動きをしない。

相手のサーブがいい場合には不本意にも返すだけになりそうなことはある。だが守りに回る気は一切ない。たぶん「返すだけ」という動きはほぼない。何か一手間入れてくる。転んでもただでは起きないという感じだ。それを狙いでやるのではなく日常からそういう球筋をつくようにコントロールできてるような気がする。

●中国に勝つにはメンタルよりフィジカルか

カットマンは相手のミスが出るまでひたすら守り続ける専守防衛的な戦い方だが、中国は攻撃こそ最大の防御と言わんばかりの戦い方で、そこに技術がついてくるから延々と攻撃し続けられる。相手が打ち合いに乗ってくれたらしめたと思っている(ように見える)。

おそらくほとんどのチームも同じようにやってるんだとは思う。一手間の違いとは結局、どんな態勢からもコースをつくことを(変な言い方だが)義務付けられているような動きをするのが中国だ、という感覚だ。どうすればそんなことが出来るようになるのか。動的な技術の正確さをアップさせる訓練方法があるのだろうか。

これはメンタルじゃない。もっとフィジカルなものじゃないだろうか。体格差はどうしようもないが、柔かい筋力や平衡感覚はトレーニングでも作れる。最近はサッカーの長友の秘密と言われる体幹トレーニングもブームだがそれもひとつだろう。そうやって作った筋肉や平衡感覚がコントロールできないと崩れた態勢から瞬時にコースをつくことは物理的に不可能だ。

そのフィジカルにメンタルが乗っかって場数を踏むとようやく中国の強さに対抗できるかもしれない。中国を慌てさせるには先手必勝のパターンに乗っても打ち負けしないフィジカルが最優先になると思う。中国のなかにもラリーの中でも場を支配しようとリセットし始める(フラットな打ち合いにいったん戻して先手を探る)選手もいた。団体戦なら勝ち目はあると思った。

ともかく初めて会場でみた世界卓球だったが、卓球って競技自体が面白いとわかったので、今度は事前にチケット取っていこうかな。バレーボールに卓球にと、何気に着々と2020年東京オリンピックを目指して応援の下準備を始めてる私なのであった(笑)。

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2014.05.05

世界卓球決勝戦の会場にて

代々木体育館におります。試合開始までまだ1時間40分もあるけど疲れたので入場して休憩中。ブログでも更新してれば1時間くらいはつぶせるかなと。

今日の本来の目的はテレ東フェスでやってた「路線バスの旅トークショー」だった。しかし朝現地に到着してみたら既に長蛇の列で、警備員が既に定員オーバーですと叫んでいた。大粒の雨が冷たかった。

まぁ予想はしてた。この人気番組初のトークショーを無料でやろうってんだから。進行もモヤさま2で売り出し中の狩野アナだし。

もし路線バスの旅トークショーだけが目的だったらもう2時間早く来る。それをしなかったのは、もしかするとボクの潜在意識の中に世界卓球を観戦したいという欲求があり、それを優先したい気持ちが勝ったからかもしれない。

正直、昨日の女子団体準決勝の熱闘を見るまでは路線バスの旅トークショーが勝っていた。だが昨日の香港戦を見てしまったら来るしかないだろう!同じ代々木体育館なんだから。

最高なのは両方見れることだった。だが卓球日本女子団体が31年ぶりに決勝進出をしたこの大会の当日チケットが入手可能かは悩みどころだった。路線バスの旅トークショーを見てしまったら運が良くても自由席だろう。そう思った。

だが状況が変わった。路線バスには間に合わなかった。そこで思案することなく原宿門に向かった。雨は止んでいた。

当日券の列も相当並んでいたがその最後尾についた。そのすぐ後に応援席は売り切れた。そしてボクの数人前でアリーナ席も売り切れた。もし直行していたらアリーナ席だったなと思うと悔しいが仕方がない。結局スタンド席前方が取れた。いま座ってる席だが、コートを斜め45度後ろから全体を眺められる席でなかなかいい。

とりあえずチケットが取れたので、外に出てイベント会場の丼ものを食べた。それでもまだ11時台。5時間つぶさなければならない。映画館に行ってみたが全部満席。これだから都会は嫌いだw

どうしようかと悩み、旅行者だったらどうすると考えて、いま読んでる星野博美さんの『戸越銀座でつかまえて』を思い出した。そうだ、戸越銀座いこう。

新ビルのヒカリエに向かった。そこから五反田駅まで路線バスが出ていて、このシチュエーションだったら路線バスで行くか?と思ったが無難に電車に乗った。

時間はあるので五反田駅から歩いた。歩くと結構遠かった。さらに戸越銀座商店街も長い。とりあえず交差点から駅方面に歩いた。テレビでよく紹介されてるらしい唐揚げ屋に行列。だがもう今日は並びたい気分じゃない。隣のヘアブティックの超かわいい店員さんに目を奪われたりしつつ散歩した。

大通りまで出てしまったので民家のある路地を回ってまた戸越銀座商店街に戻り反対方面に歩いた。何を買うわけでもなくただブラブラした。星野博美さんに会えないかなと少し期待したが会えるはずもなく、会えたとしても話しかけられる勇気もない。

逆方向の商店街終点まで来たが、とりあえずそのまま歩き続けてみた。戸越銀座で迷子になる感覚をプチ体験。結局線路にぶつかり大崎駅までたどり着いた。なんのことはない。五反田駅から大回りして大崎駅までただひたすら歩いただけだった。

大崎駅から山手線で原宿駅まで戻り会場に入った。そこから既に1時間経ってる!やっぱブログが暇潰しには一番だな。

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2014.05.03

『HOSONO百景』で楽園を旅する気分のゴールデンウイーク

さぁゴールデンウィークだ!どこに旅しようかなっと考えて、ここに来た!細野晴臣の『HOSONO百景』(河出書房新社)の世界へ。読み終わったわけですけれど。ボクにとっては究極のインナートリップだよ。

細野さんの著書やインタビューは結構読んでる。スピリチュアル嫌いのボクだけど、宇宙とか地球とかパワースポットとか、いかにもあっち側の世界との親和性高めな細野晴臣の著作になぜはまるのかといえば、そこに音楽があるからに他ならない。

特に細野さんの紹介する音楽というのは一筋縄ではいかない。だけど難解でもない。ありそうでなさそうな幻想の楽園を希求する旅人のように音楽と向き合っているからじゃないかと思う。どこにいても楽園というレイヤーをかけて世の中を旅するマエストロ。路線バスの旅にも通じる(笑)

幻想の楽園には楽しいことやワクワクすることなら何が起きてもかまわない。UFOや宇宙人はいたほうが面白いし、キジムナーには会ってみたいし、全天の星空のもとで音楽を奏でてみたい。だけどガチャガチャうるさいだけの音楽じゃなく、心静かに安らかで、それでいてどこかウキウキな楽園音楽。

音楽でカタルシスを得られるから完全にあっちの世界には行っちゃわない。そこが重要だ。あっちの世界の住人になったら幻想の楽園も終わってしまう。そのギリギリのところ、境界線上をゆらゆらとたゆたうのがいい。それは音楽だからこそ。

昔、筑摩書房から『H2』というMOOKが出版されていた。1991年のことらしい。ボクはこのMOOKが大好きだった。まさに楽園音楽のカタログだった。

責任編集は細野晴臣。そこで紹介されたCDは入手困難なものも多かったが、都内にはヴァージンメガストアや六本木WAVEなどがまだ元気に営業していていくつか購入できた。楽園に手が届くいい時代だった。左画像のMOUTH MUSICはボクも何度も聴いた。ゲール語のフォークなんだけど細野さんもかなり気に入っているみたいだ。『H2』でも紹介していたし、今回の『HOSONO百景』でも紹介してる。

誤解を恐れず言えば、『H2』が書籍版として違った角度で復活したのが『HOSONO百景』といっても過言じゃない。楽園の音楽カタログとしても読むことが出来る。既にボクが持ってるCDも多いけど、『H2』が基本的にカタログだったのに対して、こちらはエッセイでありインタビュー集なので、細野晴臣がその音楽を紹介する背景などもわかってよかった。

ブライアン・イーノもある時期集中して聴いていたけど、イーノ的なアンビエントの極北は退屈だ(coldsweats01)。細野さんはスピリチュアルもアンビエントも決して“あっち側”には行っていない。それはダンスビートやポップスが身体に沁みついているからだと思う。ベーシストとしての性かもしれない。それが大衆音楽として聴けるギリギリのところで成立する、大衆線上のアリアなのだ。

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