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2014.03.08

ソチ五輪後に宮本武蔵『五輪書』でキムヨナを回想する

キムヨナの引退大会ソチ五輪が終わってしまい、このブログひとくちメモもまたリハビリに入っております。

祭りのあと、どう日常に復帰するか特に考えがあるわけでもなく、徒然なるままに日暮らしパソコンに向かいて心にうつりゆく妄想などをそこはかとなく書けるように戻れればよいかなと。

その一環として過渡的なヨタ記事ですが、宮本武蔵の『五輪書』現代語訳を読みました。実はキムヨナのショートプログラムが始まるより前に購入して読み始めました。五輪だから五輪書だろうと。それも76分で読めるというし。でも読み終えたのは今日でした。

五輪書は宮本武蔵が生み出した二天一流(二刀一流)の兵法を晩年の武蔵が綴った書であり、戦い方の極意が書かれています。「人を斬る(斬り殺す)」という技術を思想として高めた技術書兼思想書といった趣きで、現代でいえば自己啓発書、あるいはハウツー本の類いといってもいいかもしれません。

個別の状況での間合いであったり、他の流派批判であったり、刀で人を斬る必要がある人には有用かもしれませんが、その大半は読んですぐ役に立つといった書物ではありません。これを現代ビジネス書として読み解くには、相当な想像力もしくは妄想力は必要かもしれません。

あるいは現代社会では非現実的な技術書であるからこそ、そこに様々な比喩を読み取ることが出来るのかもしれません。ある種のファンタジーです。それは例えば私の大好きな坂井三郎さんの『大空のサムライ』にも通じます。時代を超えた名著が持つ匂いと言えるかもしれません。

宮本武蔵は人気があります。現代語訳した城島明彦さんも吉川英治の作り上げた武蔵のイメージがこの人気のルーツだろうと解説されています。その人気の根底には強さと悟りとがあるでしょう。技術書として具体的な自らの体験的極意を書き連ねながら、ほとんどの章の終わりは常に読者に考えること、精進すること、稽古することを課しています。

読書だけでは何も実現しないということがわかりきっている実践主義者宮本武蔵が、それでも極意を文書で残そうとした真意はそのあたりにあるような気がします。自分の頭で考えて実践しろということです。その考えるべき道筋のヒントを与えてくれているわけです。そのヒントはもちろん人を斬るためのヒントですけれど、拡大解釈して競い合うときの極意として自らの状況に当てはめて考え始めることが出来ればしめたものです。中島みゆきの歌詞のように沁みることもあるでしょう。たぶん。

またひとつだけ印象的なフレーズをあげるとすれば「有構無構」です。「太刀の構えはあってなきようなもの」という教えは、いわば臨機応変ということです。

自然な体の動き、拍子(リズム)のある行動、平静を保った心の目、それらはさまざまなスポーツや日常生活においても有効でしょう。基礎基本(有構)があってこそどんな状況にも対応できる(無構)。まさにキムヨナのことじゃないか!とも思ったわけで、ソチ五輪の最中ならもっと熱く「キムヨナは宮本武蔵だった」と語れていたかもしれません。しかしもう過ぎたことです。

『五輪書』は行動における姿勢を説いているわけですから恋愛にも当然活かせる書物です。キムヨナにはぜひ熱愛中の彼氏との日常も自然かつ拍子のある生活で過ごしてもらいたいものです...。そして4年後の韓国・平昌冬季五輪で「ママでも金!」と言ってもらいたいものです(うそです)。

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