浅田真央の確かな成長を見た
NHKスペシャルの浅田真央特集を興味深く見た。ツイッターなどを見ていると一部の浅田ファンから不平不満が出ていたが、こうして特番を見られることがどれだけうらやましいことか、そのありがたみがわかっていない。どんだけやれば満足するんだろう。金メダルが取れれば満足なのかな?
浅田真央は金メダルそのものよりも自分自身納得のいく完璧なラストダンスを目指しているように見えた。もし4年前にキムヨナがいなければ浅田はあの失敗演技でも金メダルを取れていただろう。だがそれで終わりにならなかったのは浅田にとってもファンにとっても良かったのではないかと最近思う。
キムヨナは計算し尽くし、ビート単位で身体に覚え込ませた演技を完璧に踊り切り、バンクーバーで金メダルを取った。基本的にそこで一回燃え尽きている。それはその直後に行われた世界選手権での姿を観ればよくわかる。完全に緊張の糸が切れていた。
もしも浅田があのミスした演技で金メダルを取っていたら、バンクーバーのあの演技で引退していたかもしれない。あるいはそこで成長は止まったかもしれない。しかし4年後の現在、浅田真央にはこれほどの伸びシロがまだあったわけだ。それをよくまとめて提示した番組だったと思う。
NHKスペシャルの解説を聞きながら、採点に関して先日書いた観点に沿って考えると、今回のジャンプの改良はまさに審査員からのメッセージに対してはっきり伝わる返答メッセージになっていると感じた。
●高跳びから幅跳びへの転換
浅田真央の改良されたジャンプは、助走スピードを上げてその力をジャンプ力に使うわけだが、そこには2つのポイントがあった。ひとつはスピードに乗って遠くに飛ぶこと。もうひとつはスムースな着地によって次の動作に自然と入っていくこと。この2つは相互に関連している。
遠くに飛ぶというのは、素人目には伊藤みどりのジャンプと比較すると分かりやすいように思った。伊藤みどりは唯一無二のジャンプ力を持っており、助走スピードを高く飛ぶ力に変換して飛べていた。いわば“走り高跳び”のような力の移動だ。伊藤みどりだからこそできた力の方向だったように思う(正月のNHK「語り亭」の映像を見た感じで)。
浅田真央もこれまでは高跳び的な力の方向で飛んでいたようだが、いま浅田真央がやろうとしているジャンプは“走り幅跳び”のような力の移動だ。より高くという力を抑え、それをより遠くに飛ぶ力に振り向けようとしている。
これによって着地が変わる。より高く飛ぶ力を優先すると助走から着氷後への滑らかな軌道を阻害する要因になる。回転は得られても着地したときに足元が詰まってしまいがちだ。しかし遠くに飛びながら回転すれば、軌道は比較的確保しやすく滑りの延長にジャンプを位置づけることが可能になる。軌道が滑りの延長にあるから着氷後もスムースに次の動作に移っていける。
この影響は非常に大きいはずだ。これによってジャンプと音楽の流れとがシンクロしやすくなる。これまで「大技見せますよ!」という期待感だけで音楽が聴こえなくなってしまいがちだった「流れを断ち切る大技」を、音楽の流れの中で表現できるようになる。それは音楽の理解度、表現力という演技構成点に確実に好影響を及ぼすに違いない。
そう思う根拠は、まさにキムヨナにある。前から言い続けているようにキムヨナは助走スピードが速く、遠くに飛びながら余裕をもって3回転を飛び、着氷後は何事もなかったかのように次の演技に入っていく。素人の私がキムヨナにジャンプが邪魔だと思えた理由は、音楽の流れの中でサッサと飛んでしまえるこの技術力の賜物だった。それは荒川静香さん他の専門家のご意見が一致するところで私が学んだところだ。
この音楽の理解力と表現力こそがキムヨナの最大の特徴でありアピールポイントであった。浅田真央のジャンプの改良は、まさにキムヨナと同じベクトルを向いている。つまり新しいルールのキモとなる部分にひとつの答えを出そうとしているわけだ。これはこれまでの道のりで受け取ってきた数々の審判団からのメッセージ(得点・評価)への正しい回答であり、成功すれば確実に審査員の印象がよくなると思う。
つまり今年の浅田真央はキムヨナと同じベクトルの方法論(勝利の方程式)を、自身のトレードマークであるトリプルアクセルも盛り込んで実現しようとしているのだ。この試みが成功すれば浅田真央に敵はいないかもしれない。
●役者がそろってこそ舞台は踊る!
この「気付き」ともいえる変化はやはりコーチの影響が大きいように思う。基礎的なスケーティング技術の見直しが活きてくるだろうし、浅田にしか飛べないジャンプを音楽表現のなかで演じ切れれば、ジャンプが音楽の阻害要因でなくなる。
もしソチ五輪でキムヨナと浅田真央がお互いにノーミスで滑れば、私は浅田真央が金メダルを取るだろうと思う。4年前からの成長の跡をここまで目に見える形にして来たことは必ず評価されると思う。
そんな舞台に再びキムヨナがいることは浅田真央にとってはプレッシャーでもあるが幸せでもあると思う。完璧な演技でキムヨナに勝ってこそ、この4年間という物語はグッと深みを増す。
キムヨナには五輪金メダルへのこだわりはすでになくノープレッシャーで出てくる。興業的な責任感ではないかと前に書いたが、もしかするとキムヨナから浅田真央へのリスペクトによって出場を決めたのかもしれないとちょっと思った。
勝っても負けてもそれは勝負のアヤでしかない。しかし浅田真央が不本意な形で銀メダルに終わった大会から復活する場面には完璧な演技で対峙するキムヨナがいるべきだ。どちらが勝つかではなく、どちらも自分らしい演技を完璧に決めて現役引退する、そういう舞台に役者は揃うべきなのだ。そこまで揃えばもう勝敗などは些細なことでしかない。物語とはそういうものなのだ。
この二人にはもはや勝負は眼中にないだろう。あるのは自身の演技の完成形をオリンピックで再現することに尽きる。特に浅田真央にとってはノーミスで終えることが最大のプレッシャーだ。頭で滑らず音楽の一部になることが出来るかどうか。そのプレッシャーを乗り越えることがメダルよりも重要なラストステージになるように思う。
浅田は自分に勝つこと、それだけが唯一のそして最大の壁だ。そして「それを乗り越えなきゃまたキムヨナがいるよ」と、そういうことなのだ。自分自身に妥協を許さない。そう頭で思っていても、脅かす存在がいなければ必ず心に隙が出来る。
多少ミスしても金メダルを取れるのが浅田真央の実力だが、完璧な演技をしなければ勝てない相手=キムヨナがいることは浅田真央が浅田真央に勝つために必要不可欠な条件のように私は思う。キムヨナもそれを知ってるような気がする。だから4年前に一度燃え尽きたキムヨナも浅田真央と同じステージに復活し、キムヨナ自身も完璧な演技を目指すことによって、同じ舞台で燃え尽きたいんじゃないだろうか、と。
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