google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg キムヨナチーム2014年始動の巻: ひとくちメモ

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2014/01/05

キムヨナチーム2014年始動の巻

キムヨナの韓国大会の映像をようやく見た。youtube時代というのは非常にありがたい。キムヨナ・アルバムさんが素早く見つけてきてくれるので削除される前にDLできた。ホントに感謝感謝ですわ。

感謝といえばもうひとつ「ひとくちメモ」のキムヨナ記事を紹介してくれていたブログがあった。こちらからもアクセスが多い。ロシア語と思われるブログ名だが日本語ブログだ。

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フィギュアスケートに造詣の深いブログで、フィギュアに疎い私にとっては他の記事が逆に参考になる。アンチ情報にも詳しくなれる()。こういうブログに出会えるからアンチを恐れず(笑)ブログに興味あることを書いておくべきだなぁと痛感する。ちなみに私は若かりし頃、渋谷道頓堀劇場に影山莉菜引退公演を見に行った。伝説のストリッパーというものはやはりオーラを持っていた。

●韓国大会のご祝儀得点にキムヨナも苦笑い

KBSのカメラマンはなかなか腕がいい。またローカル局やSBSも独自に撮影していて、それらを合わせてみると国際大会とは異なるアングルでキムヨナの演技が見られる。とくにジャンプを俯瞰で捉えた引きの映像は、テレビではなかなか感じることのできないキムヨナの飛距離やスピードを見せるのにとてもいいアングルだと思った。国際大会も様々なアングルの映像を複数許可して欲しい。フィギュアスケートの発展のためにもその方が裾野は広がると思う。

Magazine_ifs_201004B級大会、国内大会、オリンピックという余裕を持った調整が出来るのもフィギュア不毛地帯韓国出身のメリットを生かしたやり方だと思うが、国内大会が第68回というのを見て不毛地帯などと言ってきたのは失敬だったと反省。年一回で68年間続いてきたのかどうかは知らないが歴史ある大会のようだ。その歴史のうえに悲願のオリンピック金メダル選手が育ったわけだ。

もっともアジアに金メダルをもたらした最初の選手が荒川静香(2006年トリノ五輪)だったわけだから、アジアの時代は最近のこと。もちろんパイオニアとしての伊藤みどりや中興の祖安藤美姫の積み上げてきた努力が前提にある。そしていまやアジア最強時代が3季続くことになる。まさに21世紀アジアの時代の象徴的スポーツのひとつかもしれない。

それにしても韓国大会SPで80.60という得点にはキムヨナ自身も苦笑いだった。勝負事に熱くなりやすく気前のいい国民性が出た点数だ。もちろん加点法だから出せた点数でもある。そこには気分よく送り出そうという国家的意志を感じる。それを不正だとかいい加減だと言いたくなる気持ちはわかる。

しかしこの大会は選考大会ではなく、韓国としてはキムヨナに気持ち良く滑ってもらって良いイメージを持って五輪に向かってもらうための壮行会のようなものだ。その良し悪しには賛否両論あることだろう。キムヨナ自身も「선생님들!この点数ははしゃぎすぎでしょ(苦笑)」と思ったんじゃないか。しかし気分よくノーミスで滑った自分自身への自信も戻ってきて、そんなご祝儀もありがたく受け取ったことだろう。

私も2010年バンクーバー五輪でのキムヨナ金メダルの雑誌の表紙画像をブログに飾って、いいイメージを持ってソチ五輪のテレビ観戦に挑もうと思っているところだ。

●興業的に取り組んでいそうなキムヨナチーム

世界選手権もオリンピックも頂点に立ち、今年現役引退を宣言しているキムヨナのモチベーションはどこにあるのだろうか。オリンピック2連覇というのはもちろんあるだろうが、そういう面での緊張感をまったく感じない。その堂々たる余裕を見ると、すでにキムヨナの意識はアマチュア選手ではなくオールザットスポーツというマネージメント企業の屋台骨を支える一本柱としての責任感なのではないかと私は考えている。

サマランチ以降のビジネス五輪を私は批判してきた。選手のアマチュアスピリットを利用して儲けようという企業サイドの強欲さが目に余る。ただ、そういう企業群なしに強い選手(金になる選手)を育てることも難しくなっているのが現実だ。あらゆるスポーツはビジネスと相互依存しながらしか存在できない時代になってしまった。

キムヨナは経費のかかるフィギュアスケートという競技を他の競技との国家予算争奪戦が激しい韓国で認知させ継続させていく使命を自覚している。後進の育成には時間がかかる。今後のことを考えればいまやキムヨナは韓国内に対してのフィギュアスケートの広告塔であるし世界への扉でもある。その意識はスポーツマネジメント企業を支えるプロのものだと思う。興行的な感覚が芽生えてもおかしくない。

日本の選手は純粋にアマチュアとしての高みを目指して精進できる環境をすでに持っている。その純粋さに日本のファンは声援を送る。かつての安藤美姫バッシングを見ても、アマチュア精神絶対主義的優等生礼賛のようなものが覆っている。その最高傑作が浅田真央だと思う。浅田はアマチュア選手として最高峰に位置づけられる。それに異論はない。

しかしキムヨナには日本的美徳とでもいえるそれがない。背負っているものがまったく異なるため実現させたい未来もまたまったく異なるのだ。韓国でのパイオニアとしての重責はオリンピックを興業的にも成功させなければという責任感に由来するように思う。

「ここで何点もらえる」とか「失敗したらここで立て直そう」とか、そういうアマチュア視点ではもはやなく、出来て当たり前という意識のもと「常に高水準の安定した演技を見せるのが興業」という意識なのではないかと私には見えるのだ。だからテレ朝ドラマ 『Doctor-X~外科医・大門未知子』のように「私、失敗しないので」というような堂々たる演技が出来るのではないかと思う。もっともそうは思っていてもそれをやり遂げられる体力と精神力は尋常ではないわけだが。

●あらゆる面で分析的なキムヨナチーム

山下達郎は自身の声域や歌声の個性(弱点も含む)を熟知し、それを活かしきれる方法論を検討し、届かない部分をサウンドによって補完することで、もとからある才能を活かしつつ音楽として最大限の表現に構築していく職人的アーティストだ。あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチはその突出した数学的思考力と想像力や構築力を最大限に活かして数学的に美しい絵画を描いた。棋界の巨人大山康晴は常にミスをしない手堅すぎるまでの保守的な勝負で負けない将棋を指した。

キムヨナはこれらのアーティストや勝負師と似た職人的なところがある。天才では決してない。天才でないからこそ能力を過信しない。それがリスク管理につながっているように思う。自分に出来ることと出来ないこととの分析と取り組み方を徹底的に分析してフィードバックしていると思う。

今回のSP「悲しみのクラウン」はキムヨナが他の選手が使っていて気に入った曲だということだが、穏やかな曲なのにダンスとのシンクロが非常にしやすい曲だと思う。弦楽器がちゃんとリズムを刻んでいて、ブレイクポイントをきっちり入れて編曲されている。そのブレイクポイントにやはりジャストで入っていけるキムヨナの体内時計は健在だ。

振付も音楽を理解して付けられている。私が好きなポイントは、踊りはじめの左足を伸ばして戻るところ、最初のレイバックスピンのあとの「行かないで~」といった感じで右手を前に突き出す(中島みゆきのヘッドライト・テールライトをも連想させる)ところ、そして後半の手を後ろで結んでしょんぼりした感じ(チャップリン映画に似た胸キュンな感じ)のところ。どれも動作の前の一瞬の休符が情感を増す。これらに共通する“せつなさ”は現代のポップミュージックにおいても重要なポイントだ(by 亀田音楽専門学校@ETV)。

衣装もタクワン色とも言われたイエロー系の衣装はそのままでいくようだ。この色はあまりなく個人的には以前もつぶやいた通り悪くないと思っていた。FSの衣装は若干色を変更するとか。これも見え方を分析して調節していく職人的かつ興行師的な意識といえるかもしれない。

余談になるが、荒川静香さんの『知って感じるフィギュアスケート観戦術』によると長野五輪以降の金メダリストはFSの衣装が「青」だったと書いてあった。それで荒川静香のコーチも験担ぎで青を指定し金メダルを取り、キムヨナも青い衣装だった。まだこの都市伝説は続いているのだ。

今回のキムヨナのFSは黒を基調に紫を差し色にするという噂なので、これまでの金メダリストの都市伝説から外れる。他のライバル選手がどんな色で登場するかも楽しみだ。ここで金メダリストの衣装においても新たな展開をキムヨナに見せてほしいと願っている。

とりあえず韓国大会FSでは高すぎない点数を望みたい(笑)。こんなところで突出してもいいことないよね?

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