Le voyage à Paris 14-17/11/2013
このタイトルあってるのかな?Web翻訳サイトで「パリへの旅行」といれてフランス語に翻訳したらこうなった。フランス語から日本語に翻訳すると「パリの旅行」と出たので、まぁ大丈夫だろうと思ってタイトルにしてみた。
パリから帰国して今日で6日になる。帰った日の夜からマンションのトラブルに巻き込まれて旅行気分は吹っ飛んでいるが、ぼちぼち旅行記も書き始めることに。ことしは6月末の石垣島に始まり、夏は宮崎、鹿児島、熊本、京都と巡って秋のパリ一人旅まで、旅行の多い年だった。
キムヨナの欠場が決まったエリック・ボンパール杯2013の観戦が発端の旅だったが、会場のベルシー体育館は2009年の同大会でキムヨナがショートプログラムの007を初めて披露した記念の場所だ。そこに一度訪れてみるという意味ではキムヨナファンとしての感慨があった。それがこのタイトル画像にも表出している()。
●エリック・ボンパール杯でキムヨナを懐かしむ
ネットではキムヨナが出ていない大会で掲げられた太極旗が物議を醸していたが、あの旗を掲げていた女の子は最初私の席に座っていた(笑)。席が分かりずらくて私も2回間違えた。一回目は日本人3人組の席のひとつに座ってしまい、「ここは違いますよ。もっと前ですよ。いい席でうらやましい」と言われた。相手が日本人でよかった。話が早い。
それで移動したのだが、今度は列だけ正解でイス番号を間違えていた。アイスダンスが1組終わったところで、隣のカナダを応援していた金髪の子にチケットを見せながら英語で「ここは私の席でしょうか?」的なことを訪ねて、ようやくもっと中央寄りのさらにいい席だったことがわかった。
そして正しい席に移動したら、そこには韓国人の女の子が太極旗をひざ掛けにして座っていたのだ。それで「ここは私の席です」と二人のチケットを見せ合いながら英語で話した。彼女の席はひとつ後ろだったので移動してもらった。韓国語で「すみません」と苦笑いしていた。普通の女の子だった。旗が映ったときは普通に面白がっていた。ほぼネタと言っていい。
このゴールド席のチケットを取るのは大変だしキムヨナが出場すると思ってずいぶん前から予約して取っているはずでその苦労もわかるし、いきなり9月になってキムヨナのいない大会をめちゃめちゃいい席で観戦することになった悲哀もわかる。そこでキャンセルせずに観戦しキムヨナ応援グッズとしての太極旗を持ってきて広げていたとしても、そこになにか政治的な意図を感じるのはナンセンスだと思う。もっと軽い感覚だったと思う。私がベルシー体育館とキムヨナ自伝(子ども用)との記念写真を撮っているのとそう変わらない(笑)。キムヨナへの思いを持ってこの大会に来ていたことだけは確かだ。
●パリでの四日間の全行程
最初なのでとりあえず全行程を簡単にまとめておきたい。数年後に見直したとき行程を忘れていることが多いから。一応毎日あったことは克明にミニスケッチブックに書いているがここではさらっと。
初日:日本時間11月13日深夜25:30羽田発のJAL便。26D席だったのだがCAさんがとっても美しく優しく良かった。現地時間14日6:30頃CDG空港着。日の出は8時ごろなのでまだ暗い。出口へ向かうとシャトル乗り場だったので乗り込んで、とにかく出口方面へ歩いていく。RER B線に乗ってパリ市街へ。とりあえず高台に行こうと北駅で下車しメトロに乗り継いでモンマルトルの丘へ。その後またメトロからRER A線に乗り継いでポワシー駅まで。目的のひとつル・コルビュジェによる現代建築の傑作サヴォア邸まで歩き内部を観光。帰りはポワシー駅までバスに乗りベルシー方面へ。かなり疲れて15時頃就寝したら深夜まで爆睡。
2日目:ゴミゴミした市街地よりもポワシーのような郊外のほうが落ち着けると思い、朝リヨン駅からR線でフォンテーヌブロー・アヴォン駅へ。駅からはバスで世界遺産のフォンテーヌブロー城へ。日本語のヴィジュアルガイドを借りて観光。かなり時間がかかり15時ごろリヨン駅行き電車に乗った。リヨンについたらすでにフィギュアスケートのショートプログラムは始まっている時間だったのでベルシー体育館に直行。男子SPには間に合い、羽生結弦の演技を鑑賞。なかなか良かった。アイスダンスも面白かった。音響がとてもいい体育館だった。
3日目:マンレイのお墓参りだけはしたいとモンパルナス墓地へ。そこからモンパルナスタワーに登る予定だったが天気が悪いためやめた。メトロのエドガー・キネ駅からモンパルナス・ビヤンヴニュ駅までのマルシェは雰囲気がとてもよかった。その後、1980年代ポストモダン建築のひとつリカルド・ボフィールの集合住宅を鑑賞してしばし公園で休憩し今後の計画を検討。
アンドレ・シトロエン公園で気球に乗った後コルビュジェのロシュ邸めぐりをしたかったが、曇り空なので気球もそっち方面散策もあきらめ、「観光しよ!」と思い立ってノートルダム寺院に向かう。このころにはメトロに随分慣れてる。
ノートルダム寺院の手前には映画『ミッドナイト・イン・パリ』にも出てきた二代目シェイクスピア・アンド・カンパニー書店(ヘミングウェイが通っていたのは初代の書店ですでにない)がある。ここも目的のひとつだったので、ヘミングウェイの『移動祝祭日』と書店とのコラボ写真をスマホで撮り、『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』と書店とのコラボ写真をデジカメで撮影。書店のなかは美女ばかりだ。客も店員も。超穴場だぞ(笑)。内部の写真も撮っていたら撮影禁止だとやんわり注意された。
書店を後にしてノートルダム寺院へ。起工850周年のイベントイヤーだけあって大変な賑わいだった。大行列なので中には入らず、もっぱら記念撮影している人々を撮影していた。観光地はみんな笑顔でいい写真が撮れる。そこからいったんモンパルナス方面に戻って昼食を摂り、おなじシトロエンでも公園じゃなくショールームに行ってみようとシャンゼリゼ大通りへ。C42というショールームを見学した。
せっかくなので凱旋門まで歩いてここでも写真を撮っていた。凱旋門から振り返ってコンコルド広場方面を見ると大きな観覧車が見えた。「冬の移動観覧車だ!」と直感し、これは乗るっきゃないとメトロで広場へ。いつのまにか夕陽が出ていた。観覧車からエッフェル塔や凱旋門、ルーブル美術館にモンパルナスタワーとコンパクトに観光し、16時を回ったのでいったんホテルに戻り荷物を置いてベルシー体育館へ。アイスダンスと女子フリープログラムを観戦。アシュリー・ワグナーが順当に優勝した。ここにキムヨナがいれば確実に勝てるレベルだっただけに残念。
最終日:フライトは18時過ぎだったが、入国審査に一時間かかったのと、ガイドブックにも時間に余裕を持ってと書かれていたので14時には空港に行き土産を買うという計画を立て、チェックアウトした後は午前中だけパリ市街に出た。ルーブル美術館の地下モールをぶらぶらし、ここでも土産を買ったり昼食を食べたりして過ごした。
空港にはRER B線で向かった。華やかなのはパリの中心街だけで、この列車が通るあたりはどこも華やかさをまったく感じない生活感のにじんだ町だった。しかしそういう町の風景のほうが落ち着ける。落書きばかりだし治安も決してよくなさそうなのだが、共和国の生活感にほんの少し触れることが出来るRERの旅は嫌いじゃない。
空港ではフライトの3時間以上まえから搭乗手続き可能になっていた。簡単にチケットを発行し出国審査へ。日本人はまだ見当たらない。大行列だったが思いのほか早く15分程度で窓口まで行けた。金属探知機は3回鳴り、身体検査された。Kゲートのショッピングモールで定番マカロンやチョコを購入。自分用に購入した分はレシートに含まれてなかったのでサービスしてくれていた。
フライト30分前になっても搭乗手続きされていない日本人を探すアナウンスが流れ、なにやら協議が始まっていたが時間通りに搭乗開始。一路日本へ帰国。2列だけの席で窓側の席は私、通路側はフランス人のおじさんだった。機内食にそばとそばつゆが出てきたのだが食べ方がわからないようだったので、そばつゆをかけて食べることを教えてあげたら「アリガト」と日本語で言われた。
番外編:帰国便で窓側の席を取ったのは日本につくのが午後だったので、途中の景色が楽しめるかもしれないと思ったからだった。翌朝高度一万メートルの天空から目覚めとともに見た雲一つないシベリアの景色は圧倒的に美しく、急いでデジカメを取り出した。この景色を見て思わず、「パリでの曇り空は帳消しだよ、地球君!」と心の中で叫んでいた。
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コメント
はじめまして、ゆきまると申します。
私もヨナ選手の大ファンで、2011の幻の東京ワールドのチケットを手に入れながらも競技生観戦が叶わなかった一人です。
今回のフランス杯では“We miss you , Yuna ”バナーも揚げられていましたね。ご覧になられましたでしょうか?
ヨナ選手の欠場を知りつつも、会場に足を運ぶファンの方々の健気さに心打たれました。
ゴールデンスピンでの新プログラムお披露目が待ち遠しいですね♪
投稿: ゆきまる | 2013/11/26 01:39
ゆきまるさん、はじめまして。2011年の幻のチケットは私も捨てずに持ってますよ(事情があって返金がかなわないチケットだったので)。
バナーは現場では気づきませんでした。太極旗と共にネットで物議を醸していて知りました。
キムヨナ選手にはしっかり足を治してソチで有終の美を飾ってほしいですね。
投稿: ポップンポール | 2013/11/26 07:23