google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 深夜に映画『PARIS』を観た: ひとくちメモ

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2013/10/07

深夜に映画『PARIS』を観た

パリ旅行の日が近づくにつれ、やはり気分は高揚してくる。パリは3度目だけど前回はずいぶん昔の話だ。ガイドブックをむさぼるように読んでる。女性目線のガイドブックが9割以上で、K-POPに出会ったときと同じようなめまいを覚える。

先週末には『ラ・ブーム』と『ラ・ブーム2』を観た。30年前の映画だ。一発でソフィー・マルソーファンになった私には、ソフィーがほとんどフランスとの出会いだったかも知れない。いま「ラ・ブーム」を観ても13歳のソフィーに惹かれてしまう。

「ラ・ブーム」鑑賞をきっかけにフランス映画、とくにパリを舞台にした映画がむしょうに観たくなり、日曜の深夜(月曜早朝)、『PARIS』という映画を観た。タイトルがズバリ「パリ」だったこともあるが、2008年公開の群像劇だったことが現代のパリの映画としてふさわしいように思えた。

単館系で上映されるような淡々とした欧州映画だ。決してウキウキする映画じゃない。だが最後まで魅せる映画だった。

'90年代から'00年代、ポスト・モダンからロスジェネへと“進化”してきた現代都市生活者の精神世界にパリという衣を着せたらこんな風になるんだろう。エリック・ボンパール杯にキムヨナが来ないことが決まって目的を失ったままパリ旅行に向かういまの私にはなんだかしっくり来た()。

何人かのパリジャン、パリジェンヌの生活が切り取られる。その人々は直接的に関係があったりなかったり。心臓病を病んでいる元ダンサーの男が映画の後半にタクシーで病院に向かうのだが、その途上でたまたま目に止まった人々、そんなたまたまパリにいた人々の生活を遡って再構成したような映画だった。こういう群像劇は嫌いじゃない。むしろ好き。

いろんなタイプの人物が出てくるが、基本的にパリの人々の頭の中は男女のことばかりだ。すべてはセックスにつながっている。会話をすれば常にシモの話だ。それが成立してしまうのもパリマジックなのか。

自分の学生に恋をしてストーカーまがいの行為に及ぶ大学教授(自称15歳のガキのように恋してる)にこんなセリフがあった。

「みんな冗談を言って虚無と死の影から逃げている」

これを言うタイミングがあまりにも映画的な飛躍の後で笑ってしまうのだが、この言葉こそが映画『PARIS』を言い得ていたように思う。

死の影、本当の死、または生命の誕生、そして性の交わり。登場人物それぞれが普通の生活人であり、誰にも起こり得る生と死の場面を普通の生活のなかに感じながら、ただパリという都市だけでつながっている。あるいはそんな「普通」であることに悩んだり、普通であることについて議論したりもする。

「これがパリ。誰もが不満だらけで文句を言うのが好き」

と、心臓病の青年はパリの人々を眺めながらつぶやく。誰もがその幸せに気づいていないと。だがそれはここがパリでなくても、東京でもソウルでもロンドンでもニューヨークでも言えることじゃないか。

だがパリには「これがパリ」と言わしめる何かがあると言いたげな映画だ。それは何なのか。東洋人の私にはよくわからない。この映画が『PARIS』であることを肯定できるかどうか、『PARIS』だからこそこの映画を観ているという人々にだけわかる感覚かもしれない。それって『男はつらいよ』に感じる愛郷心と似てる気もする(笑)。

男のひとり旅で行くパリという視点からすると、この映画もいいが、じゃんぽ~る西のマンガ『パリ 愛してるぜ~』シリーズ3部作も面白かった。このマンガでパリの人々は部屋にいてカーテンを閉めなくて覗かれても平気という気質を知った。そこが映画『PARIS』にもつながっていて参考になった(覗こうとしているわけではない)。

都市生活者が深夜に淡々と見るにはいい映画だ。パリを意識していればなおさら。パリに行くから『PARIS』を観たというシンプルなシチュエーションもまた良かった。自分自身もこの群像劇のひとりになったような気分でパリへ入って行けるかどうかはわからないが。

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