google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2013年9月

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2013年9月の5件の記事

2013/09/28

初海外旅行のスナップ#002

初海外旅行から早くも22年の歳月が流れてしましました。前回#001としてスナップ写真を少しアップしたのは2005年。そこからも既に8年経ってます。いやはや光陰矢のごとしとはこのことですな。どうでもいいけど光は矢より速いです よね

さて、前回#001ではドイツの写真を載せたので、今回はパリの写真でも少し載せてみます。そんな気分になったのは今年11月にパリへ行く予定だからです。前の記事に書きましたが、現役キムヨナの演技をこの目で見ておきたいという動機でした。ところがキムヨナがまさかの怪我で出場断念となり、こちらも観光主体の旅行に切り替える必要が出てきました。

そこで少しでも気分を高めようと昔の写真を引っ張り出してみたわけです。パリは初海外旅行の最後のほうの4日間滞在しました。当時は使い捨てカメラの時代でしたので、あまり多くの写真が残っていません。そこから自分自身が写っている写真を除くと更に少なくなりますが、今回の旅につながりそうな3枚を選びました。クリックで拡大します。

Paris1991_01

このワイド版の写真はセーヌ川の遊覧船です。10フランで買ったペットボトルのエビアンを船のイスに座ったとたん落としてしまい、エビアンの底が抜けて水が飲めなかったという思い出だけが強烈に残っています(笑)。ユーロ導入前の10フラン硬貨は金と銀でデザインされたとても美しい硬貨でしたね。

Paris1991_02次の写真はパリで宿泊したホテルの部屋の写真です。ペイズリー柄の壁紙が時代といえば時代なのでしょうか?

アルバムのコメントにはこう書いてました。
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でスペシャルプライスと念押しされた。一泊500フラン(通常は700~800Fらしい)のホテル。フロントのおねえちゃんは、あまりに美形だったため、落ちついてから写真を撮らしてもらおうと思っていたが、最初に会ったときがラストチャンスだったようで、その後はハゲのおじさんが、フロントに居つづけた。
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インフォメーションでよっぽど「安い!」と言われたんでしょうか。まったく覚えてません。当時は湾岸戦争の真っ只中でしたので、パリの駅ではコインロッカーが封鎖され軍人がやたらと警備していました。そんなときの観光客なので確かにディスカウントされていたのかもしれません。

500フランスフランってユーロで言えば75ユーロくらいでしょうか(100フラン=15ユーロ換算)。現在なら大体1万円くらいです。4,5千円のディスカウントって感じですね。本当なら確かに安くなってます。結構パリのど真ん中だと思うので、京都などの観光地に照らしてみるとひとり1泊500フランなら本当に安かったのかも。

フロントの美しいパリジェンヌもまったく覚えてないです。ハゲのおっさんはなんとなく記憶にありますが。結局、旅の思い出なんてのはトラブルのほうが強いってことですな。ただ黙々と仕事をこなしていただけのおっさんに向かって「居つづけた」はないだろうと、いまおっさんになった私は少しだけおっさんに同情しちゃいます。

このホテルの名前も覚えてないですが、朝食のクロワッサンがとても美味しかった思い出があります。パリ以前に食べたパンの多くは固くてパサパサしていたのですが、さすがはパリだと思いましたね。今回の旅行もパン食が多くなると思います。糖質制限はしばし休憩という感じでしょうか...。

Paris1991_03最後の写真はラ・ヴィレット公園です。銀色の球体はジェオードというIMAXの3D映画館です。今でこそ3Dなんて当たり前ですが、このときは驚きましたね。アルバムには次のようにコメントしてました。

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この銀の球体がジェオード(Geode)という映画館。自分の視界を越えるほどのスクリーンで見る立体映像はすばらしい。このジェオードを筆頭に、ここはあらゆるものの“イメージ”を体験できる。新感覚遊園地である。ただ、英語もそれほど書かれてなく、今はまだ、フランス人が行く観光地という感じ。
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21世紀以降、普通の映画館で3D映画なんて一度も見ていない私です。当時のラ・ヴィレットは開発途中でしたね。写真の右側もまだ掘り返してるところです。いまでは綺麗な公園になってるようなので、同じ場所から写真が撮ってこれたらいいなと思ったりしてます。

他にも観光地の写真はいくつかあるのですが、22年も経ってリピートするわけなんで、変わらないたたずまいの名所旧跡よりも変わりゆく風景のほうが面白いと思ってこの写真を選んでみました。のだめのロケ地だったコンセルヴァトワールは前に紹介しました

ラ・ヴィレット公園やベルヴィル公園から北側のあたりはいわゆる下町な風景がありそうなので、今回の旅行では天気がよければそのあたりを散策してみたいなと思ってます。あとは夜のパリの中心街もまだ未体験なので、きらびやかな風景の1枚も撮って来れたらいいな。

11月の旅行は、当初はキムヨナの演技だけが目的だったので3泊5日と短い旅行計画です。でも昨年、長らく行っていなかった海外旅行で初めて韓国の釜山旅行に行ってリハビリが出来ました。そして今度はパリひとり旅です。

実は海外ひとり旅は初めてです。英語もフランス語もしゃべれません。これで楽しんで来れれば気分もまた次の海外旅行につながると思って、トラブルも含めて面白いネタがひとつでも出来ればうれしいと思ってます。

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キムヨナの来ないパリを楽しむ10の方法(?)

昨日のひとくちメモ検索ワードの2トップは「キムヨナ ひとくちメモ」と「ひとくちメモ キムヨナ」でした。どこのどなたか存じませぬが、ご心配いただきありがとうございます()。キーラ・コルピのパリ大会欠場ニュースを聞いた9月23日、ツイッターでこうつぶやきました。

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キーラ・コルピが怪我で出場辞退してた。キムヨナの次に目当ての演者だったのに!キムヨナも怪我だけは気を付けてもらわんと。
posted at 11:03:19

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そこからたった4日後にキムヨナも怪我で欠場決定です。

キムヨナを応援しにパリ行き決定!」を書いたのは今年の6月。あれから3か月、不安もあったけれど旅の準備は楽しいものでしたよ。

ツアーには短すぎる3泊5日の計画を立て、まずはエリック・ボンパール杯のチケット探し。何とかゴールド席のチケットを入手できました。そして、パリのベルシー体育館に近いホテル3連泊をネットで予約し、深夜の羽田便の往復チケットを確保し、とりあえず全行程が確定しました。

初日はキムヨナの演技がない終日フリーなので、チェックインするまでにプチ旅行が出来ると、使い勝手のいいスーツケースも買いました。パリを歩き回るのにいい靴はないかとカンペールの靴も買いました。カンペールのお店ではキムヨナちゃんを見にパリに行くという雑談で盛り上がりましたね。

パリ・ビジット5日券のゾーン1-5も購入して手元に届きました。これがあればパリのバスやメトロ、RER、トラムなど乗り放題です。そうそうスマホもキムヨナのために買ったんだったな。そのときコメントいただいた千香子さん、どうやらキムヨナのレポートは書けなさそうです。

スマホにはwi-fiが便利だろうと、ちょうど先週、空港で受け取れるwifiルータも予約しましたよ。パリ旅行案内のアプリとパリ鉄道局のアプリもスマホに入れて、最近は『地球の歩き方』やその他の旅行ガイドを見ながら仮想パリ旅行をしてました。なにせキムヨナが出場するはずだった時間以外で効率的に観光しなきゃと思ってましたからね。

でも、もはやそんな心配は不要です。3泊5日でも観光の時間はたっぷり出来ました。もちろん、いまキャンセル可能なチケットもいくつかあります。もっとも大きい航空券やホテルもキャンセルできます。でも、やっぱり行こうと思います。幸い花の都巴里なら観光に困ることはないですから。

エリックボンパール杯のチケットも使おうと思います。一度もフィギュアスケートを生で見たことはないので。キムヨナは生で見たことあります。でも現役の演技を一度は生で見たかったな。

キムヨナの来ないパリ、そこを楽しむ方法はこれから考えます。10と言わず20でも30でも楽しんで来れればいいな。キムヨナの影を探してしまうかも。フランス語のスケート雑誌とか。

でも今日までの三か月で随分楽しめました。旅先で雨に降られるのも、お目当てのオブジェや絵画がたまたま見れないのも、旅にハプニングはつきものです。キムヨナが来ないのも想定内ではありました。2年前に一度経験してますから。

でも本当に見たかったです。この時代に生きてるわけだから。生をこんなに見たくて見れなかった経験はミル・マスカラス(プロレスラー)以来だな()。伝説は伝説のままにってことかもしれませんね。今後、現役引退後に韓国でアイスショーをするなら、それを見に行くという道を目指します。

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2013/09/27

キムヨナが怪我でパリ大会欠場に。何をしにパリに行くのかな?ボク。

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2013/09/23

糖質制限一周年。そして安値ブレイク!

今年9月15日は糖質制限開始一周年、同21日は糖質制限開始後最安値記録!ということでひとり祝っておきたい(笑)。

昨年9月15日のTBS報道特集がボクにとって福音となった。そのときの様子はブログで熱く(長く)語っている。その後は記録したい変化が起きたときにツイッターでつぶやいてきた。体重を相場に見立て売り仕掛けを展開してきた。

一年経った15日の体重は過去最高値の天井からすると11.3kg減だった。安値ブレイクした21日で11.9kg減。成功といっていいのではないだろうか。そもそも今後10年で8kg減らせればいいくらいの意識しかなかったのだ。1年前までは。それも毎年、ここから10年、ここから10年と念仏のように言うだけでダイエットする気なんてサラサラなかった。

それでも始められたのは趣味に出来たからだ。「2週間ですぐやせる?運動しなくていい?うっそつけよ!」みたいなかるーい感じで始めて、本当にやせてしまった。人間、体験ほどに信じやすいものはなく、コロっと信じて一周年だ。結果が出てよかったよ(笑)。医者の言うこと聞いてたら薬漬けのうえにカロリー制限して運動運動また運動だろ。ストレスで死んじゃうよ!だろ?糖質制限さまさまってことなんですよ。

糖質制限の書籍をいろいろ読むと、20kg減や30kg減も当たり前といった体験談が見つかるが、それは最高値が100kg越えの皆さまに多い。普通のデブはそうそう30kg減なんてできない。それでも糖質制限だけで数週間あれば5kgくらいはすぐに落ちる。

もちろん落とす必要のない体重を落とそうとする誤ったダイエット女子も日本にはかなり多く、そういう人は糖質制限することで逆に体重が増える可能性もある。ある調査によると(柴田博先生のエッセイで読んだ)、日本の若い女性には北朝鮮と同レベルの栄養失調がかなりいるという。過度なダイエットの弊害を象徴的に物語るエピソードだ。カロリー制限や栄養の偏った食事が招く悲劇だろう。

適正体重とは健康体重ともいえる。健康に生きるには個体レベルでバランスのいい値があるはずなので、なんでもかんでもダイエットというのは間違っていると断言しておきたい。糖質制限することで自分の健康体重を知るという目標も出来てくる。もはや私にとって糖質制限はダイエットではなく健康維持に欠かせない方法論となっている。

体重を落とすだけならいろんな方法があるのかもしれない。しかし健康、とくに血液のことを重視することが中年以上には重要なファクタとなる。糖質制限は糖尿病治療の方法論として研究されている食事療法の一種といえる。だからこそ血液と代謝の関係について素人でも考えるきっかけにしやすい。

●普通に献血できたのも糖質制限のおかげ

先週は超久しぶりに献血もした。たぶん10年以上ぶり。もう献血車での“作法”も忘れてる。しかし献血は手軽に血液の検査もしてくれるし人助けにもなるので糖質制限後のいいタイミングでしたいと思っていた。これも一周年記念行事なのであった。

献血カードを作る間にスポーツドリンクをガン飲みさせられる。水分をしっかりとる必要があるからだが、ここで糖質制限中だからと拒否するのは野暮なのでガンガン飲んだ。

最初の問診前に血管が出やすい腕を確認し、出やすくない方の腕で一滴だけ血をとり、血液型の検査液で血液型を検査する。0型で間違いなかった。Rh+OM型というとこまでは高校時代の生物の授業で確認済みだ。最近は授業で血液取ったりしたら問題視するバカPTAも多いと聞くが、当時の私は率先して立候補し血液の遠心分離実験台になった。

血液型以外に肝機能ALT(GPT)もその場で確認された。献血の場合この値が45以下でないと出来ないそうだ。この値は22だったので、「基準値内で問題ないですね。」と言われ、無事に献血が出来た。

終わった後はイスに座ってジュースを飲んだ。このジュースも食物繊維が多いもので23g以上の炭水化物を含んでいたが飲んだ。400gの血を取った後だし。ただお菓子は食べなかった。

この日はカメラっ子純情とゴルゴとゴルゴの後輩女子と4人で飲むことにしてたので夜は新宿御苑へ。献血後ではあったが糖質ジュースを大量に飲んでいたのが良かったのか問題なかった。

異変に気付いたのは帰宅後だった。すんなり献血できたわけだが、ALTが基準値以内というのが解せない(笑)。ALTはいわゆる脂肪肝などで高くなる数値だ。献血の基準値45は割と甘い。健康診断などでは上限30、甘くて38くらいだと思う。

太ってなくてもALTが基準値外で献血できない人も結構いるようだ。それが基準値以内だったので、「これまでそうだったかな?」と疑問に思い過去の健康診断結果を見直してみた。

4年前までの結果が見つかったのだが、2009年以降一度も正常値だったことがない。2009年はALTが111だった!その後はさすがに健康診断前だけ飯抜きしたりしていたのだが、それでも平均で68くらい、要精密検査レベルだった。

それが約10か月後には22になっていたのだ。脂肪肝でなくなったわけだ。完全に糖質制限の成果だろう。これがもし精密検査を信じて医者にかかっていたら薬を飲まされるだけだったはずだ。薬を飲むと数値が改善しても献血は受けられない。この差はとても大きく感じた。

数値の改善と体内環境の改善とは似て非なるものだ。でもいい数値は欲しい(笑)。だからといって薬でごまかしたくはないし無用な運動もしたくない。そんな欲張りで怠惰な私には糖質制限以外の選択肢はなかったと思う。普通の生活をして普通の健康を手に入れる。一番真っ当な生活態度だと思った。

ただ現代社会は普通の食事、つまり現代の日常的運動量に合った適度な糖質量の食事がしずらくなっている。運動量の多かった明治時代あたりまでと同じ量の米飯(とくに白米)を食べることが糖質過多になってしまうのは、現代の調味料や調理法(レシピ)が現代の運動量に対して基本的に糖質過多だからともいえる。そこで一番手っ取り早く糖質接種を減らす方法が「主食抜き」だったのだと思う。

そう考えるとカロリー制限をして毎日日常生活以上の運動をするのは理にかなっている。ただその運動量と運動時間を、摂取する糖質量に合わせて調節し常に維持しないと、摂取する糖質量が多いため健康を害するリスクが高い。途中でキツイ運動をやめ、「せめてカロリーだけでも少な目に」という判断がもっとも危険だと思う。運動をやめたらカロリーよりも糖質量を下げなければダメだ。

カロリー計算をしながら糖質量と運動量とのバランスも満たす計算もして、日々それだけの運動量をこなし続けるなんてのは普通の生活者には出来ないだろう。入院でもすれば別だろうが。また、そこまで健康に関して計算できる人なら糖質制限の理屈なんてあっという間に理解できると思う。

●カロリー制限の考察を趣味に加える

最近、どうしてカロリー制限がこんなに幅を効かせてしまったのかに興味の対象が移り始めている。それでちゃんと学ぼうと思って書物を探すのだが、糖質制限と同レベルにカロリー制限を解説した実践的な理論の書物がほとんど見当たらないのだ。もはやカロリー制限は自明のことになっていて、医者も栄養士も古い知識をそのまま何の疑いもなくただ継承してきているだけじゃないかと疑いたくなる。

物理法則や数学においては古い知識でも非常に厳密な証明がなされて初めて正しさが認められる。「正しさ」とはそういうものだ。しかし自然科学やその一分野としての医学は、物理や数学ほどピュアで単純な学問ではなく、複雑系の学問といえる。数学における証明というレベルでの答えはまず見つからない。だが確実に進歩する余地はあり、そのためにデータをそろえたり仮説を実験しては事実に対応して「確からしさ」を確認していくわけだ。であるならば、まず事実に謙虚になる姿勢が必要であり、常に古い知識に縛られるべきではない。

そんなときに読んだブルーバックスの『栄養学を拓いた巨人たち』は面白かった。栄養学という新しい学問はまさに既得権益や医学的権威との闘争の歴史といえそうだ。感染症と思われていたビタミン欠乏症の発見に至る戦いや日本陸軍の脚気への取り組みで軍医の権威だった森林太郎(森鴎外)の頑迷さがいかに多くの陸軍兵士を殺して来たかなど、読み物としても興味深かった。

糖質制限食という方法論もまたそのような医学的権威との闘争の歴史の線上にあるビビットな課題だと思う。いまはまだ自分自身で考えて実践し効果をあげている人にしか理解できない方法論かもしれないが、黙っていても医者から糖質制限を勧められる世の中が来るまで待っていられない。何十年も先に結果がでたとして、自分自身の健康とは無関係だ。やるにしろやらないにしろ自分で考えるしかない。そのための参考書がこれだけあるのは幸運だと思う。フードファディズムによるダイエットブームとの根本的な違いをよく知る必要がある。

新しい知見に対して複数のアプローチがあるのは科学も医学も同じだと思う。その過程の確からしさをエビデンスレベルで確認していくことも大切だろう。その過程で物理や化学の成果を取り入れるのも必要だろう。それが製薬というアプローチでもいいし、食事療法でもいい。ただ、自分の健康と密接に関わる課題だけに、納得のいく説明はして欲しい。私の場合は産業医が説明を放棄し「医学書を読んでください」と放り出してくれたことで医学書を読むきっかけが出来た。彼らが読んできたものとは異なる医学書だとは思うが。

「医者の言うとおりやってりゃ間違いない」というほどに医学は科学的な確からしさを備えていない。さらに最近では裏に巨大利権が渦巻くとウワサの医学会だ。そういう世界は必ず腐敗する。それは仕方がない。腐敗した医療にもいいところはある。カネさえあれば最高の医療が受けられる。だがどうだろう。腐敗した医療はカネを生む治療法を選択し勝ちだ。のんびり糖質制限させるより、高額な薬を投与し外科手術もして延命につぐ延命をしたほうが医者にとって美味しい医療だ。カネがあっても適切な治療をされるかどうかわからない。それが現代社会である。

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2013/09/07

京都から埼玉へ

とりあえず書いとかないと夏旅2013も完結しないような気がしたので完結編。京都の朝はイノダコーヒー本店へ。朝定食は京都プライスで1200円と780円とあったが、基本朝は食べない性質なので780円の軽いほうにした。「コーヒーは砂糖入りをおすすめしてます」と店員さんに勧められたのでそれにした。小さな角砂糖の味まで含めてイノダのコーヒーなんだろう。美味かった。京都プライスもこの雰囲気まで含めて納得。

龍安寺の蓮の池のさかさま写真店を出て駐車場に向かうと精算機の点検・整備が始まっていて無料で出庫させてくれた。京都プライスな駐車料金が無料になり幸先いいぜ!と思わずツィートした。そこから14年ぶりに龍安寺へ向かった。初めて龍安寺に行った14年前から龍安寺のつくばい(吾唯足知)の意匠が大好きなので、ぜひグッズを買って帰りたいと思った。買えてよかった。

龍安寺は石庭も有名だが裏のつくばいが素晴らしい。あのアイデアはとてもいい。また池も素晴らしい蓮の池だった。この日もいい天気で、池には空が映りこんでいた。天と地とが混然一体となったこの不思議な感覚もこの池の魅力のひとつだ。あえて天地を逆にした写真をアップしてみる(クリックで拡大)。風景として成立してる!

龍安寺を後にして、高雄病院を検索した。京都の高雄病院といえば糖質制限食のエヴァンジェリスト江部先生のいらっしゃる病院だ。調べると龍安寺からかなり近いことがわかりせめてあやかりたいと横を通ってみたりした。そうこうしているうちにもう正午を回っていた。この日のうちに埼玉に戻る必要があったので先を急いだ。

昼食は浜松餃子を食べたかったので、第二東名のサービスエリアまで食べなかった。それで15時過ぎてしまった。途中、日本一の金持ち自治体と今年(日テレ「月曜から夜更かし」で)噂の飛島村出口を通り過ぎた。たしかに村とは思えない大工業地帯にかかった橋が飛島村出口だった。

神奈川に入るあたりで天気がにわかに悪化し始めた。道路情報も渋滞を示し始めた。高速道路とは名ばかりの東名高速出口。厚木から横浜町田まで25kmの大渋滞。恒常的な渋滞なんだろうが、とにかくストレスだ。そこで秦野中井で高速を降り一般道を走ることに。

246号方面に向かう予定だったが、右折すべきポイントを素通りしてしまった。引き返しても良かったがスマホの地図を見る限りヤビツ峠を通っても帰れるはずなのでそのまま直行。

●ヤビツ峠越え

夜のヤビツ峠はすばらしいがおそろしい。登り始めてすぐ夜景スポットがある。すばらしいのはここまでだ。確かに渋滞はないし、後続車もほとんどない、信号もない、東名高速と違って時速30kmも出せる道だ。たまたま雷は鳴り響いていたが雨はほとんど降っていなかったので走行に支障はなかった。途中で自転車の男性を追い抜いた。こんなヤビツ峠の夜道を自転車で!勇気がわいた。

もし雨が降ったらがけ崩れの危険がある。もし対向車が来たら避けきれない可能性もある。途中でメス鹿と小鹿に遭遇した。もうちょっと行くと立派な角が生えたオス鹿にも出会った。自動車に慣れてないのかじっとこっちを見ている。ちょっと前進すると道路を直進して逃げていく。お化けでも出そうな道だ。一人だったらさびしくてどうしようもない道だと思った。だが後戻りも出来ない。峠道を超えて民家を見たときはホッとした。

もう二度と来ることはないかもしれないヤビツ峠だが、一回だけなら走る価値ありだ。夜より昼のほうがいいかもしれない。この旅行でもっとも印象に残ったことだけは確かだ。

そこから圏央道の高尾山ICに入った。途中で中央道が空いていることがわかり中央道に入って首都高速へ。逆車線では警察が現場検証をしていた。なんにもない直進で事故のようだった。そこから反対車線は大大大渋滞だった。あんなとこで事故が起きるなんて信じられないような首都高の直進コースだった。

埼玉方面は空いていたが豪雨が降りだした。前をバイクツーリングのグループが走っている。そのなかに一人だけアメリカンに乗った女性がいた。アメリカンバイクに乗ってる女性は120%美しいと思う。豪雨で大変そうだった。

自宅には23時前には着いた。今回は車で帰れたので荷物が多くても楽だった。前半の南九州もよかったが実家から京都経由ヤビツ峠越えの帰路も夏旅史に残る出来事だったと思う。旅はこういうハプニングが面白い。

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