藤圭子がボクの原点だった
もう昨日になってしまった。どうしようか迷ったけれど、ちょっと書いてから寝たいと思って。昨日の朝、マンション13階から落下して死亡した藤圭子さんが発見された。自殺と報道されてる。
ひとくちメモのプロフィールページに、ボクの音楽変遷史の図を載せてる(下図)。これ、このブログを始めたばかりの頃までなので2003年の状況なのだけど、その変遷史のもっとも最初にあるのが藤圭子さんだった。
ボクにとって音楽のルーツは藤圭子だ。天性の歌姫だと思う。それはこの図を描いたときもそう思っていたし、それ以前、ホームページを作っていた2001年にもそんなことを書いていた。
その根拠は、まだ物心がつく前にまで遡るから、家族の証言による。赤ちゃんの頃、どんなに泣いていてもテレビに藤圭子が出てくると、必ずピタリと泣き止んだそうだ。
このエピソードがボクはずっとお気に入りだった。それは藤圭子という歌手をキチンと認識できる年頃になった時にも、藤圭子の歌声やルックスが大好きだったからだ。
時系列的には藤圭子が好きだというボクに、そういえば赤ちゃんの頃…と母がエピソードを聞かせてくれたんだと思う。
でもおそらく、その後に中島みゆきや歌謡曲、フォーク、ブルース等へと広がっていく嗜好のベクトルは、物心つく前の藤圭子体験によって形成された根源的な音楽への欲求だったんだと思う。
彼女よりずいぶん年下のボクにとって、“その日”はいつか来るはずだと漠然とはわかってたけれど、こんな風に訪れて欲しくなかった。彼女を見て赤ちゃんの頃のボクは泣き止んだけど、彼女が永遠にいなくなったいまボクは泣くしかないじゃないか。
ボクはボク自身の、藤圭子から始まるこの音楽人生が好きだった。大好きだった。彼女は62歳という若さで亡くなってしまったけれど、ボクの音楽人生はその悔しさの先を生きていかなければならない。
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