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2013年8月の19件の記事
2013/08/30
2013/08/26
徳山から京都へ
実家では買い物以外は食っちゃ寝食っちゃ寝の生活を続けていた。自家製ゴーヤジュースを飲みながら。でもそのおかげで読書ははかどった。そういう時間も大切だ。また夕飯ではご飯を食べないと宣言していたので、プチ糖質制限は実家でも行っていた。その成果があったか、埼玉に戻った翌朝の体重は出発前より500g増レベルで収まっておりホッとした。
妹の子どもたちもどんどん成長している。ひとりは高校の後輩になった。そのせいで実家の衣紋掛けに母校のセーラー服が掛けてあった。この年齢になってお恥ずかしい話だが、高校時代には想像も出来ないその光景に出会い、タイムスリップしたかのようなえもいわれぬ感慨といったらいいのか不思議な懐かしさと気恥ずかしさがあった。学生服ではこういう気分はないだろう。
実家を出る日、車で迎えに来てもらい徳山の某中華料理店に行った。家族でよく行っていたお店で、母と女将が同級生のお店だ。盆と正月の間はお店もお休みのため、なかなか帰省中にいけなかったのだが、今回はお盆過ぎだったので数年ぶりに訪問できた。ここの唐揚げとチャーハンと餃子は定番だ。やはり美味かった!
昼過ぎに徳山を出発し一路京都に向かった。京都のホテルは予約済みだったが、予定の20時には到着できず、21時に着いた。四条通にあるホテルでロビーの雰囲気は外国っぽいテイスト、外国人客も多かった。しかし室内は抹茶色と茶色という和のテイストで調和がとれていて、さすが京都のホテルだと思った。結構気に入った。
それ以上に気に入ったのは四条通りだ!ここは『映画「立候補」』のなかでマック赤坂が踊っていた交差点付近だ。ボクは今年公開されたこのドキュメンタリー映画が大好きなのだ。京都の交差点がここだと知らずに歩いていたら、まさにマック赤坂のロールスロイスが止まった交差点そのものの風景だったので思わず写真を撮った。
大阪府知事選の泡沫候補だったマック赤坂が、大阪府知事選なのになぜか京都に乗り込み、この交差点のど真ん中にお立ち台を置いてその上で踊っていた。公安が注意しに来るとマック赤坂は「公職選挙法を知らないのか!大阪府知事選候補者の名前も知らないのは職務怠慢だ!」とやり込め、警察車両に向かって叫んだりやりたい放題するのだ。公職選挙法をここまで使い切った人は見た事がないが、交通事故から法は守ってくれないんだから気をつけて欲しいものだ。
そんな四条通りだが、もっと驚いたのは美人の多さだ。横断歩道で信号待ちするたびに対面する女性がことごとく美人で驚いた。なにかイベントでもあったのかと思ったほどだが、ナチュラルメイクな京美人の皆さんは、イベント的ケバケバしさのまったくない、まさに京都の清楚なイメージそのものだった。
私的旅こまちグランプリの結果発表後であったが()、もう上位ベスト7くらいまで総入れ替えとなりそうなくらいに美女ばかりが歩いていた。もちろん宮崎の鵜戸神宮の運玉売りの巫女さんはゆるぎないが、平日夜の四条通りも侮れない。ただし飲み終わって0時を回ると美女は皆無だった(笑)。また早朝も然りだ。四条通りの夜はシンデレラの街だったのだ。
これまでの夏旅は京都をあえて外して来た。「観光の王道にわざわざ行くなんて」という意識があったからだが、四条通りは今後何度も訪れたい地域ナンバー1に急浮上だ。それも平日夜限定で...。
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2013/08/23
藤圭子がボクの原点だった
もう昨日になってしまった。どうしようか迷ったけれど、ちょっと書いてから寝たいと思って。昨日の朝、マンション13階から落下して死亡した藤圭子さんが発見された。自殺と報道されてる。
ひとくちメモのプロフィールページに、ボクの音楽変遷史の図を載せてる(下図)。これ、このブログを始めたばかりの頃までなので2003年の状況なのだけど、その変遷史のもっとも最初にあるのが藤圭子さんだった。
ボクにとって音楽のルーツは藤圭子だ。天性の歌姫だと思う。それはこの図を描いたときもそう思っていたし、それ以前、ホームページを作っていた2001年にもそんなことを書いていた。
その根拠は、まだ物心がつく前にまで遡るから、家族の証言による。赤ちゃんの頃、どんなに泣いていてもテレビに藤圭子が出てくると、必ずピタリと泣き止んだそうだ。
このエピソードがボクはずっとお気に入りだった。それは藤圭子という歌手をキチンと認識できる年頃になった時にも、藤圭子の歌声やルックスが大好きだったからだ。
時系列的には藤圭子が好きだというボクに、そういえば赤ちゃんの頃…と母がエピソードを聞かせてくれたんだと思う。
でもおそらく、その後に中島みゆきや歌謡曲、フォーク、ブルース等へと広がっていく嗜好のベクトルは、物心つく前の藤圭子体験によって形成された根源的な音楽への欲求だったんだと思う。
彼女よりずいぶん年下のボクにとって、“その日”はいつか来るはずだと漠然とはわかってたけれど、こんな風に訪れて欲しくなかった。彼女を見て赤ちゃんの頃のボクは泣き止んだけど、彼女が永遠にいなくなったいまボクは泣くしかないじゃないか。
ボクはボク自身の、藤圭子から始まるこの音楽人生が好きだった。大好きだった。彼女は62歳という若さで亡くなってしまったけれど、ボクの音楽人生はその悔しさの先を生きていかなければならない。
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2013/08/19
2013/08/12
熊本から徳山へ
知覧を出発してまた鹿児島中央駅方面へ。せっかく鹿児島に来たので焼酎を2本土産に購入した。名高いラサール高校を通りすがりに眺めた後、高速道路へ入った。鹿児島から熊本までそれほど遠くなさそうだったが、事故渋滞にはまって予定より2時間近く遅れて到着した。
すでに夕飯には遅い時間だったが、繁華街へ繰り出した。日曜の夜も結構居酒屋はやっていた。ただ平日よりラストオーダーがちょっと早いようだった。あたりをつけていた馬刺のある居酒屋に入り食べまくった!翌朝2000g も体重増だったのはこの店のせいだ!美味かった。特に馬肉入り玉子焼きが美味くて(糖質制限的には甘く危険な味)、2回オーダーしてしまった。
最終日の朝、熊本城に行った。昼までに解散なのでこのときばかりはチャキチャキ動いた。さすがに観光地だけあって朝から観光客が多い。梅佳代に影響されてる私は、あまりにも絵になりすぎる熊本城はそこそこに観光客ウォッチングに勤しんでいた。観光地ではみんないい表情をしてる。まさに観光は平和の証しだ。
無料シャトルバスで城下町的な売店ゾーンにも降りてみた。バスのなかが涼しくて降りたくないくらいだったが。そこのあんみつ屋で冷製カレーを食べた。その勢いで昨晩行った街中まで歩き、桂花らーめんも食べた。糖質制限は実家に帰ってから再開だ。
桂花らーめんを食べた後、乗りたい新幹線の時間まで30分余りしか猶予がなくなっていた。くまモングッズを買いたい衝動を抑え、再びシャトルバスで二の丸駐車場に戻り出発。もう間に合わないと諦めていたが、熊本駅には新幹線発車の14分前くらいに着いた。ここで解散し、新幹線さくらの自由席チケットを買ってホームに駆け込んだ。なんとか発車5分前には並べた。熊本から徳山へ乗り換えなしの臨時列車だ。熊本から徳山に98分で着いてしまう!なんて近いんだと思った。この近さは旅心をそそる。
サイドストーリーとして進めていた私的旅こまちグランプリだが、第3位は帰りの新幹線で熊本から徳山まで同じ区間を乗っていた麦わら帽子の女性。第2位は初日泊まった東横イン栄の受付の女性。そして第1位は?鵜殿神宮の運玉売り場の巫女さんに決定!(>それが言いたかっただけだろ!)
「あ、それ私!」とピピッときて連絡くれたら記念にボクのハートを差し上げます。
すんません。ボク頭おかしいんで。以上、2013夏旅でした。スマホがあると便利だな。
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知覧から熊本へ
鹿児島中央駅のあたりに宿をとり、天文館通方面へ夕食に。名古屋で手羽先、鶴橋で牛肉、宮崎でチキン南蛮とくれば鹿児島では黒豚だろうと店を探した。とってもいい居酒屋が見つかり、黒豚や首折れ鯖などを肴に焼酎を。
翌朝は一路知覧へ。特攻平和記念館は長年行きたかったところ。膨大な展示物のひとつひとつに厳粛な思いがする。近くにあるほたる館も合わせて行った。
特攻作戦への怒りや若くして散った命の悲しさはしかし、飛び立った特攻基地の側からだけでは見えないものもある。それを意識したのは今年、沖縄の作家目取眞俊の著作を読んだからだ。
特攻で沖縄に飛び立って戻らなかった命と、戦闘が行われた土地で失われた命と。どちらの命も同様に、それを失わせた主体への想像力を働かせる必要があると思う。
怒りや悲しみをその現場だけでなく、直接見えない暴力的な権力への怒りや悲しみとしなければまた戦争は起こる。民主主義で戦争を止めるにはそんな想像力を誰もが持つことだ。
特攻で散った彼らは最後に母を思う。圧倒的に父ではなく母なのだ。それだけに女性の発言力が民主主義のなかで重要だと思う。死地に赴くまえに生きる選択をさせる力が女性・母性にはあると思う。男社会の暴走を止める力になって欲しい。それは戦争だけでなく原子力開発や地球破壊でも同じだろう。
知覧に長い時間滞在したため鹿児島はほぼ知覧のみで、熊本に向かった。馬肉の待つ熊本へ。
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2013/08/11
宮崎から鹿児島へ
フェリーのなかは人でごった返していた。桜庭一樹の小説を少し読み、消灯前から寝た。夕食は食べなかった。夜中に何度か目が覚めた。さすがに熟睡は出来なかった。北海道の時ほどの歯ぎしりは聞こえなかった。それでも2人くらいは歯ぎしりしていたから、歯ぎしりする人って案外多いんだなと思った。
宮崎港には定刻に着いた。道の駅フェニックスでブランチ。その後景色を撮影したりしていると地元紙の記者さんに声をかけられ、インタビューされた。新聞は郵送してくれるそうで、ちょっとした思い出になった。
その後、青島神社へ。鬼の洗濯板は確かに不思議な地形だった。海水浴場を通って参拝する珍しい神社だった。
引続き鵜殿神宮へ。古い方の1300年前の参道を歩いて超疲れた。だが運玉を投げたら全玉命中!その甲斐あってか、運玉売り場の巫女さんがめっちゃかわいくて、 左利きの男には有利な運試しだったとか、20回くらい投げる人がいるとか、運玉は子どもたちが作ってるとか、ついついそんな世間話をしてしまった。この運が一番よかったな。
14時をまわり一路黒豚が待つ鹿児島へ!
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2013/08/10
2013/08/09
名古屋泊
昨夜は名古屋泊で飲み会。三保の松原経由で名古屋へ向かう予定だったが、また渋滞に阻まれて断念、名古屋に直行した。
名古屋の皆さまに恐る恐るキムヨナの話をしたが、好意的な意見がたくさん聞けてホッとした。さすが日本のフィギュアスケートの中心的な役割を担う地域は懐が深い!
気分を良くして山本正之の話も出したが、いまいち通じず残念。名古屋と言えば山本正之だろう!
仕方なく、東京の文化を伝えようとマック赤坂の政見放送を見せてあげた。驚愕していた!
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2013/08/03
妄想ドラマ ~ 斉藤さんは仮面ティーチャーを説得できるか!?の巻
いまオレがもっとも見たいのは、斉藤さんと仮面ティーチャーの夢の競演だ。ふたつの正義のぶつかり合い!どちらも日本テレビのドラマであるところに実現可能性を期待したい。かつて見たウルトラ六兄弟の勢ぞろいに匹敵する感動があるはずだ(笑)。
よく番組改編期にそれぞれの番組出演者が集まってクイズ大会などをやってるが、ああいう改変期バラエティをドラマのキャラそのままでやってくれたらいいのに。もちろん台本ありで構わない。役者の素を見せるのもいいが、過剰にキャラを立たせた虚構バラエティドラマも絶対面白いはずだ。もっとも出演者の負荷は高まるが。
ある日、斉藤さん(観月ありさ)の町に仮面ティーチャー(藤ヶ谷太輔)がやってくる。玉井さん(南果歩)とその取り巻き連中は、仮面ティーチャーが大鷹高校に赴任したことに大喜び。これで不良高校生が一掃されるはずだと期待する。
だが斉藤さんだけは疑問を持つ。暴力が教育かと。そして仮面ティーチャーの真意を確かめようと斉藤さんは大鷹高校に赴く。だが高校ではその仮面ティーチャーが暴力と教育のはざまで悩んでいた。そんな仮面ティーチャーの姿を見た斉藤さんは、仮面を脱ぐよう仮面ティーチャーを説得する。
斉藤さんの説得に揺れている仮面ティーチャー。その一部始終を見ていた大庭さん(猫背椿)が、それを玉井さんに報告してしまう。激怒した玉井さんは小学校の教頭(きたろう)を動かし、小学校にも別の仮面ティーチャーを入れて対抗しようと画策するのだ。
高校と小学校とで二人の仮面ティーチャーが相対する構図になり、斉藤さんは小学校の仮面ティーチャーの説得にも動くが失敗して痛手を負ってしまう。怪我をした斉藤さんのもとを訪れた高校の仮面ティーチャー。自分のせいで斉藤さんが怪我をしたのだと自分を責め、小学校の仮面ティーチャーとの対決を決意する。
しかし斉藤さんは、そんな仮面ティーチャーをさらに説得する。どんな理由だろうと暴力はダメだと。そうこうしているうちに小学校の仮面ティーチャーは玉井さんのフラワーアレンジメント教室の会員にもなり(笑)、すっかり玉井一派に籠絡される。もはや小学校の仮面ティーチャーは玉井一派の用心棒となってしまったのだった。
小学校の仮面ティーチャーは小学校内で好き勝手に振る舞うようになる。小学生相手に体罰で絶対的な権力を持ち始める。親が玉井一派か否かでえこひいきを始めた小学校の仮面ティーチャー。子どもどうしは仲が良かった小学校もこの仮面ティーチャーによって分断されていく。
そんなとき、彼の前に山内麻耶(桐谷美玲)があらわれる。そして麻耶に一目惚れしてしまう小学校の仮面ティーチャー。その麻耶が斉藤さんを慕っていることを知った彼は簡単に寝返り、麻耶とともに斉藤さんのところまで謝罪にやって来た。仮面ティーチャーを自分が説得できたと思った麻耶は得意満面で「ひょー!」を連発。
だが斉藤さんはそんな彼の下心を見破り、教育者として恥ずかしくないのかと説き始める。麻耶も麻耶だと麻耶のことも諭す斉藤さん。麻耶はその言葉に自身の浅はかさを反省して小学校の仮面ティーチャーに謝罪するが、メンツをつぶされた小学校の仮面ティーチャーは我を忘れて暴れ出す。
そこへ高校の仮面ティーチャーが登場!小学校の仮面ティーチャーと一戦を交える。そして高校の仮面ティーチャーが勝利する。だが斉藤さんの目前で戦った仮面ティーチャーの心は沈んでいた。暴力でしか戦えない自分を責める高校の仮面ティーチャー。
そんな仮面ティーチャーに斉藤さんは助けてくれた礼をいい、さらに慰めるのだ。「暴力は嫌いだけど、今日は助かったよ。ありがとう。人はすぐには変われないけどさ、いま悩んでいるあなたの心が、わたしはうれしいよ。もっと悩んだらいい。そしていつか仮面を取る日が来るのを待ってるよ。」
その言葉に、仮面ティーチャーは仮面の奥で涙を流すのであった。じゃじゃじゃーーーん!
そんなドラマどうだろう(笑)。
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