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2013.05.12

説明しない日本映画「リンダリンダリンダ」

初めてオンラインのレンタルショップに登録して観たけど、楽でいいな。

気にはなってた映画だったけど公開当時は韓国にも興味なかったし、ペ・ドゥナの良さもわかっちゃいなかった。その後、韓国映画や韓国ドラマをいろいろ見て、ペ・ドゥナの良さがわかった。

ポン・ジュノ監督映画に出てたのも大きいし、ドラマ「グロリア」にもはまった。その流れがあってから観た今回の「リンダリンダリンダ」だから、より楽しめたように思う。

作品や役者との出会いも人間関係と似て、何らかの嗜好性のベクトルが一致するとそこから関係性が深くなっていくよね。作品は人間関係と違って壊れないしね。でも出会うタイミングは重要だってことかも(coldsweats01)。

日本映画にしては説明表現が少なくてとても良かった。日本映画って予算が少ないからか、何気に説明が多すぎる。全部そうだとはいわないけど、映画学校がそういう撮り方を教えてるのかと思うほど説明するのが好きだ。脇役にしゃべらせたり、ナレーション入れたり、画が撮れないから言葉でつなぐみたいな。もっと映像で語ってほしいと思うことがままある。

でもこの映画は、そういう説明的な描写があまりない。ペ・ドゥナが韓国人留学生役だから、状況を日本語で言ってみるようなシーンはいくつもあるが、それが日本の高校生とのズレを巧みに演出するツールになってる。

ストーリーの単純さもそれに貢献しているような気がする。いわゆる準拠枠(日本人の高校生としての行動様式に対する観客も含めた共通認識)に頼る面ももちろんあるわけだが、そこにペ・ドゥナがいることでまたズレが出て面白くなってる。

ペ・ドゥナがバンドに誘われるくだりの強引さ。どうして留学生でなきゃならなかったんだろう。流れからするとたまたま偶然留学生を選ぶことになっちゃったわけだけど、意図的でないはずがない。

他のバンドメンバーの3人は、バンドが好きだけどのめり込んでるわけでもなく、ただ文化祭でレディースバンドをやりたいだけの普通の高校生だ。だけどメンバーどうしでケンカして解散状態。

そういうどこにでも転がっている状況に1つのスリットを差し込むような事件が起きなければ、それもごく日常のなかで起きなければ、この映画は成立しない。そのギリのラインが留学生ボーカルだったような気がする。

留学生ボーカルの加入によって、もっと濃いストーリーに持っていくことも可能だったはずだ。しかし「リンダリンダリンダ」はあくまで等身大を貫く。ペ・ドゥナの存在以外の日常は、どうにも映画らしくない。でもその落差がキモなんだと思う。

だからといってペ・ドゥナを大々的にピックアップして、その人間的成長とか日本の学校への溶け込みとか、そういう教科書的な説明もいっさいない。

ただブルーハーツの歌を一所懸命に覚えて文化祭のステージで歌う。しかしその鼓動の高ぶりは、例えば深夜の練習の合間に体育館のステージに一人で立ち、自国語でメンバー紹介をする(本番では当然できない伸び伸びとした感情吐露)だったり、例えば文化祭によくある“留学生による自国の文化紹介と展示”のような閑散とした教室の展示物に、ブルーのペンキでバンドの告知を書きなぐる、といった描写で表現される。

「リンダリンダリンダ」は地味でなきゃいけない。日常でなきゃいけない。だけど留学生ボーカルでなきゃいけない。説明されなくても伝わる単純で日常的なストーリーをちゃんと映像で語りきる。そこがこの映画に一番惹かれたところだ。

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