映画「黒部の太陽」をホームシアターで観る
以前、熊井啓監督著『黒部の太陽 ミフネと裕次郎』(新潮社)の単行本を買って読んだ(その後文庫化)。そのオビには「再上映もDVD化もされない幻の超大作映画 初公開から38年のいま、その全貌を、監督自ら明かす!!」と書かれていた。
「黒部の太陽」という映画は石原裕次郎の「大スクリーンで観て欲しい」という意向からパッケージ商品化されずにいたと聞いたことがある。熊井監督の著書によると2003年の裕次郎17回忌に記念上映されたそうだが、そのときは3時間15分の封切版ではなく2時間数十分にカットされたものだったらしい。
昭和43年(1968年)封切られ733万人を動員した大ヒット映画。その幻の日本映画がついにDVD化・ブルーレイ化されたのだ。もちろんオリジナルの封切版だ。
いまや時代は変わり、テレビも大型化、高画質化し、映画の視聴スタイルも多様化している。熊井監督がこの映画の書籍を出版されたのも、オリジナル版をもっと多くの人に観て欲しいからだった。石原裕次郎も許してくれるだろう。
さっそくブルーレイを購入し、裕次郎の意向に少しでも沿うべく自宅の大スクリーンで鑑賞した。昭和の山岳地帯が美しく大迫力で迫ってくる。美しい大地のどてっぱらにトンネルを掘る戦後の一大事業。骨太でブレのない真直ぐな映画だ。フィルムから伝わるこの迫力は昭和映画ならではだと思う。それはCGもなくロケーションでやらざるを得なかった時代そのものの迫力だ。もう真似しようとしても出来ないだろう。
黒部ダムに行ったのはいつだったか検索してみると2006年の夏だった。そのときのひとくちメモを読むと、ノホホンとした雰囲気が全面に漂っている。だがこの映画を観てから行けば、多少なりとも胸に迫るものがあったと思う。文明の進化というものは、開拓者と未来の受益者とでここまで意識が変化してしまうという見本だ...。やはり記録は残さなきゃいかん。
音楽は黛敏郎だ。右翼のイメージが強いわけだが、この映画ではその力強さと壮大さが、戦後復興にかける日本人の純粋な闘志と美しくも険しい日本の山々にうまく溶け込んでいた。
●家族の映画としての「黒部の太陽」
一大スペクタクル映画といえるが、登場人物はそれぞれ家族の問題を抱えている。大工事を請け負う大きな組織のなかで、そこにいる人間ひとりひとりに焦点を当てたところが共感を呼んだのかもしれないと思う。中島みゆきもここで地上の星を歌いたくなるわけだ(笑)。
裕次郎は現代的なエリートの役だが、戦中派の父親との葛藤、誤解、そして和解といった親子の問題を描く。裕次郎は現代から見ればかなり“いいとこどり”に見えるシーンも多いわけだが、それもまた昭和のスターな感じでいいじゃないか。シュワルツェネッガーが絶対玉に当たらないようなものだ。
世界のミフネは、現場を任された関西電力の管理職役だ。安全第一をモットーに、しかし工期と予算の駆け引きに奔走する。そして現場中心の生活で疎遠となる家族との問題を抱えている。
主演の二人が抱える親子の問題だけでなく、黒部で働く労働者の家族の問題もある。安全第一だったがフォッサマグナに阻まれた工事はついに事故を起こす。そして工夫の反発と大量離脱。家族からは帰郷させるために「チチキトク」「ハハキトク」といった電報が次々舞い込む。
この映画には撮影中に起こった本当の事故の映像を使ったシーンもあるという。過酷な現場だったに違いない。オープニングクレジットは五十音順だ。そこにはスターも脇役もない。時代背景や五社協定の影響もあったのかもしれないが、この映画の持つ仲間意識の一翼を担うオープニングクレジットだった。
熊井監督の映画では「サンダカン八番娼館 望郷」が大好きだ。民俗学者宮本常一先生からの流れでこの作品に行きついた。原作も映画も非常に良かった。貧しさのなか生きる女性の波乱万丈なオーラルヒストリーをどっしりと腰を据えて描き出した。腹の据わった監督だ。
「黒部の太陽」よりも「サンダカン八番館 望郷」のほうが後に作られている。サンダカンの現場に裕次郎がふらっとあらわれて「やっぱり映画はいいな」とつぶやいて立ち去っていったと熊井監督の著書に書かれていた。当時の石原プロは事業が順調でなく、映画制作から遠ざかっていたらしい。
裕次郎が生きていたら、と考えても仕方がないが、「黒部の太陽」他のパッケージ商品でお茶の間に蘇った裕次郎はやはり昭和のカリスマだったと思う。ミフネの「羅生門」とともに、日本のホームシアターには必携の1枚と言っても過言ではないだろう。
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