google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 制作52周年の「ティファニーで朝食を」を観る: ひとくちメモ

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2013/03/10

制作52周年の「ティファニーで朝食を」を観る

2年前に制作50周年記念で発売された「ティファニーで朝食を」のブルーレイを衝動買いした。50年前の映画なのでブルーレイに画質の向上はあまり求めていない。もちろん「羅生門」くらいのデジタルリマスター処理がされているなら別だが、それよりも付録の充実こそが決め手になる。

今回の決め手は2つ。まずはオリジナルサウンドトラックCDがついていたこと。サントラCDが付録につく例はあまりないと思う。アカデミー賞歌曲賞の「ムーンリバー」があってこそのアイデアだと思うが、他の映画にもサントラ付きというのは追随してほしい。映画によってはサントラが入手困難なものもあるだろう。

もうひとつは字幕言語にハングルがあったこと。全部で30語の字幕が入っている。まさにブルーレイのメモリー容量を持て余しているかのようだが(笑)、語学学習に名画を使えるのは非常にありがたく、そういうニーズに応えてくれるかどうかは今後の古い外国映画リパッケージソフトには重要な要素だと思う。これは日本映画にも言える。英訳字幕やハングル字幕があればどれだけうれしいことか。

吹き替えについては、日本語(5.1chサラウンド)と英語(5.1chサラウンド ,2.0chモノラル)以外にハンガリー語(2.0ch モノラル)、ロシア語(5.1Chサラウンド)、ポーランド語(2.0chモノラル)、の五か国語が入っていた。旧東欧で人気なのか?今後は韓国語の吹き替えも増やしてほしいところだが難しいだろうか。

日本語吹き替えは池田昌子さんでよかった。やっぱりオードリー・ヘップバーンとメーテルは池田昌子さんですよね。

結局、届いて直ぐにまずサントラCDを聴き、続いて日本語吹き替えにしてハングル字幕で鑑賞した。その後、特典映像を順次みてから、制作者のひとりリチャード・シェファードによる音声解説を聴きながら通して観た。今週末は風が強くて黄砂もひどくて(景色が黄色い!)外に出る気になれなくて...。

●オードリー・ヘップバーンの思い出

子どもの頃、オードリー・ヘップバーンを見て母に似てるなと思っていた。いまでも昔の写真を見ると似てると思う。世代的にも完全にオードリー世代であり、デザイナーを目指していた母はジバンシーも好きだったことだろう。

ボクが実家に転がっていたジバンシーの空き箱に中島みゆきのLPを詰め込んで上京してきた背景には、オードリー世代でオードリーに似た母のジバンシー好きもあったに違いない(笑)。

ちなみに父はヒッチコック映画の常連ケーリー・グラントにクリソツだ。だから妹と「うちの両親は絶対顔で結婚してる」と話し合い、妙に納得した記憶が鮮明に残っている(笑)。そんな両親だったからか、オードリー映画で一番好きなのは「シャレード」だったりする。

子どもの頃はいわゆる名画をテレビで見るのが趣味だった。アカデミー賞映画を一通り見ておくことが教養だと思っていたのだ。当時オードリー・ヘップバーンの映画は古典でもなく、大人たちは世代的にオードリーの虜だったはずだから目にする機会は多かった。

深夜はテレビ放送も県外の局の電波が拾えていた。まだ深夜(といっても2時前くらいまでだが)には映画くらいしかやっていない時代、ノイズとともに県外テレビ局の深夜映画を見ていた。思えば中島みゆきのオールナイトニッポンもノイズとともにあったし、ボクの少年時代はノイズとともにあったといえる。

本当に必要な情報のほとんどはノイズの先にあったのだ。だから画質とか音質などをそれほど気にしないのかもしれない。映画の本質はそこにあるわけじゃないと思う。今でも。

そんな深夜に見ていた映画のひとつにオードリーの「マイ・フェア・レディ」もあった。RKB毎日放送だったかなぁ。当時はテレビで流す映画の吹き替え論争(字幕論争)やテレビサイズにカットすることの是非論争がかまびすしい時代だった。それらを踏まえて実験的に吹き替えでノーカット放送をしていたのが深夜映画枠だったわけだ。

●「ティファニーで朝食を」はやはりムーンリバーに尽きる

そんなオードリー映画のなかでも、「ティファニーで朝食を」はムーンリバーから入った。というより音楽と雨の中で泣いているオードリーの姿しか印象に残っていなかった。あらためて見直しても、基本的には音楽中心の映画という印象以上ではなかった。

ただ、その音楽が桁違いにいい。ヘンリー・マンシーニは常にクオリティの高い映画音楽作家だと思うけど、ムーンリバーはなにか化学物質のように”効く”。1曲があらゆる要素に勝る、そんな映画があってもいい。そんな映画のヒロインがオードリーだったことは幸いだ。

原作のトルーマン・カポーティはマリリン・モンロー推しだったそうだが、それではこのヒロイン、ホリー・ゴライトリーの持つ意志の強さと影の濃さは描けなかっただろう。原作とまったく異なる映画になったことが、この映画を21世紀にまで残した要因のひとつだと思う。

ホリーの隣人で日系人のユニヨシ氏は当時のステレオタイプに描かれた日系人だ。この描写については制作者リチャード・シェファードも大変悔いているようで、音声解説のなかで3回くらい「間違っていた」と言っている。確かに不自然だし浮いている。

特典映像にわざわざ「アジア人から見たユニヨシ」というアジア系の人々へのインタビュー集までつけている。市場性の高い日本への配慮だろうが、スタートレックのジョージ・タケイの映像まで使ってハリウッドの意思を伝えようという涙ぐましい努力が見えた。しかしリメイクしたくてもオードリーの「ティファニーで朝食を」を超えることは不可能だ。歴史的な記録としてユニヨシ氏は21世紀にも残っていくのだ。

日本人としてはそんな残念な描写もある映画だが、それでもジバンシーのファッションとムーンリバーという楽曲によってこの映画は名画といえる。付属のサントラには入っていないいくつものヴァージョンのムーンリバーを映画のシーンとともに楽しむという観方がいいと思う。

冒頭、午前5時のニューヨーク。ティファニーの玄関前にイエローキャブを横づけし、黒いドレスのオードリーが降り立つ。ウィンドウを眺めながら袋からおもむろにパンを取り出す。BGMはもちろんムーンリバー。60年代初頭の空気感、フィルム感、そして映画音楽。映画にはその時代の空気が詰め込まれてる。

オードリーがブルーサンバーストのパーラーギターを弾きながら歌うムーンリバーもすばらしい。制作者サイドはオードリーの歌を心配して「マイ・フェア・レディ」のときと同じ吹き替えも検討したとか、どこかカットせざるを得ず、あろうことかこのシーンもカット候補にあがったとか、いろいろあったシーンのようだが残して正解でしょう。

そしてなんといってもラストシーンですよ。タクシーのなかで指輪を握りしめたオードリーが泣き出すと、マイナーコードに移旋したムーンリバーが流れ始めます。そこから不安感を高めるようなマイナーコードが続くのですが、雨の中で猫ちゃんの鳴き声とともにメジャーコードに転換し本来の「ムーンリバー」となっていくところ。これぞ映画音楽ってところです。

いくつものムーンリバーを聴き比べるにはサントラでは無理で、映画を観るしかありません。ムーンリバーを聴きつくすには映画を通して観ることが必要なんですよねぇ。

●猫ちゃんについても触れとく

この映画はホリーの飼い猫が重要な役割を演じています。撮影は大変だったようです(笑)。でも自由奔放に生きるホリーは犬でも鳥でもなくやはり猫を飼うものなんですね。

ボクは相手役の“ポールという名の作家”にも個人的に親近感を覚えますが(笑)、生き方としては断然ホリーに惹かれます。何物にも縛られない、愛にさえも縛られないで自由に生きる姿に。しかしその苦しさや身勝手な寂しさにも共感を覚えます。

映画の主張としては、そういう自由奔放さはなかば否定されてしまうわけですが、それでもきっとホリーの数年後は本当に(原作の回想のように)アフリカに旅立ってしまいそうな妄想をしてしまいます。

そんなホリーの生き方と名もなき猫の生き方とはダブるところがありますね。ただし猫は決して自由ではない。自由でないことこそ幸せなんだという主張はここにも顔を出します。自由になった猫もホリーも一瞬で“つかまって”しまいました。

映画としてはそれが感動につながるんですけれど、自由を謳歌するホリー・ゴライトリーをこそ愛したいという思いが強いです。自由になるために名前を変えて生きる土地を変えておしゃべりで突拍子もなくてとらえどころがない社交的な女性。そこにある断絶こそが僕の理想とする女性像です。屈折してるけどここに妥協はないです(笑)。

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コメント

随所に共感できる記事です(笑)。

まず母親=オードリー、父親=ケイリー・グラントってところ。僕も母が若い頃のスカーフ巻いた写真を見て「オードリーやん」と思ってましたもんw。ちなみにうちの父親はショーン・コネリー似(かなりひいき目)。ポップンさんちが「シャレード」なら、うちは「ロビンとマリアン」ってところですな。

アカデミー賞作品を見るのが教養ってところ。ロードショー誌の付録「名作映画250」を死ぬまでに全部制覇したるっ!ってマジで思っていたもの。

映画での猫の存在。そうそう!僕も自由奔放なのに、実は甘ったれな猫=ホリー・ゴライトリーと思ってました。雨の中で猫を探すラストで、猫は幸せの象徴に変わる。

それにしてもこのディスクよいですね。

投稿: tak | 2013/03/10 19:47

いきなり親の褒めあい(笑)。

映画雑誌が面白かったいい時代でしたね。いまは情報過多ですぐアクセスできちゃうからわくわく感が薄い気がします。教養としての映画って感覚はどっかに行っちゃった感じだし。

山口県って映画不毛地帯だったので名画を観る機会は本当に少なくて、その渇望感が逆に情報を探す意欲につながってました。

映画マニア的にはもうひとつ脚本の縮刷版が付録でついてますよ。英語でタイプされたものに手書きでいろいろ書かれてる本物の縮刷版で、かなりマニア度高し!

takさんのレビューはどこかで読めますか?ティファニーだけじゃなくてオードリー全般でもいいですが。

投稿: ポップンポール | 2013/03/10 21:19

おっと、緊急速報!

takさんのご両親のそっくりさんが出演する「ロビンとマリアン」が本日テレビ東京の午後のロードショーで放映されるみたい(笑)。奇遇だねぇ。録画予約しとこう。

テレ東の昼の映画枠って昔から結構マニアック。昔から60~70年代の映画をたくさんやってました。

投稿: ポップンポール | 2013/03/11 07:37

オードリー主演作観てるのは、随分前なのでブログにはレビューあげてません。今観ると違った感慨があるかも。「麗しのサブリナ」はハンフリー・ボガードに、「昼下がりの情事」はゲイリー・クーパーに感情移入しちゃうかも。何か観ようかな。

「ロビンとマリアン」放送あるんですか、なんて偶然w。

投稿: tak | 2013/03/11 08:01

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