あまやかされた鬼子資本主義
『経済ジェノサイド』を読もうと思ったのはどうしてだったんだろう。経済学の本なんてほとんど読んだことがない。いや、読もうとしたことは何度かあったけれど、面白くないので数ページでやめるパターンが多かった。
最近は経済についての情報はほとんど雑誌だけだ。「選択」「FACTA」「週刊金曜日」といった雑誌があればもうそれでおなか一杯だ(笑)。
でも昨年末からジワジワと世の中の変化が身近に感じられるようになってきて、ポスト・リーマンショックの世界について一度おさらいしておく必要性は感じていた。映画「ザ・コーポレーション」を見直し「インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実」も見たりしてるうちに活字でちょうどいい新書がないかなと頭の片隅で思っていたんだろう。
だからたぶん『経済ジェノサイド フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社新書)もタイトルに惹かれてなんとなく買ってみたんだろう。でも面白かった。最後まで読めた。頭のなかのモヤモヤが少し整理できた感じだ。
だからといって経済学について書けるスキルはないわけだが、とりあえずミルトン・フリードマンの「お金だけが大事」主義がグローバリズムの進展のなかで都合のいい人々に都合よく使われている実態がわかった。
資本主義は冷戦構造のなかで甘やかされてきたんだと思う。敵対する勢力との対抗上、もっとも資本主義らしい「強欲」や「究極の自由」がもてはやされているうちに、その部分によって甘い汁を吸ってきた輩がミルトン・フリードマンなどのお抱え経済学者を使って理論武装してきたんだろう。
しかし対抗軸がはっきりしなくなってくると、そういう鬼っ子が巨大化し社会は強欲資本主義を持て余すようになってくる。だが時すでに遅し。突出した強欲資本主義の最右翼となった新自由主義はすでに権力を持ち、強欲の自由を守るために世界を席巻するわけだ。
その延長線上にグローバリズムもあるわけだが、拡大する「自由」という魅惑的な言葉によって世界を縛ろうとする。自由の主語には決してなれない人々も、その自由がまるで自らも手中にできるかのような夢を見るのだ。そうやって経済ジェノサイドが世の中を覆っていく。
これを読み終わって、2004年当時に購入して読んでなかった『スティグリッツ早稲田大学講義録 グローバリゼーション再考』 (光文社新書)をもう一度読み直し始めた。すらすら読める(笑)。この程度の内容すら当時は難しくて面白くないと思っていたんだなぁ。
でも当時わからないながらもフリードマンやハイエクではなくスティグリッツを選んでた自分にちょっとホッとする。そしてガルブレイスもケインズもちゃんと読んでおく必要があるのかなとも思うのだが、なかなか手ごわそうで手が出ない()。やはりうまく解説してくれる新書がうれしい。
ただ自分自身相場を張っているということは、強欲資本主義のツールを活用しているという自覚も持っておく必要はある。ただし零細投機家の相場は経済ではないという言い訳をしながら。
この後は、内橋克人さんと宇沢弘文さんによる『始まっている未来 新しい経済学は可能か』(岩波書店)を読む予定。信頼できるお二人の対談なのできっと読みやすいと思う。
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