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2013.01.21

欽ちゃんの運命論再考

ひとくちメモでは2006年2010年と2回ほど欽ちゃんこと萩本欽一の運命論について書いたことがある。どちらもその主旨はテレビという特殊な世界を生き抜く指針として「欽ちゃんの運命論」はあると考えてきた。いわば「特殊欽ちゃん運命理論」だ。

しかし帰省からの帰りに購入した新書『ダメなときほど運はたまる』を読むにつけ、欽ちゃんの運命論は“運”を中心にすえたひとつの規律に貫かれたもので、あらゆる生活の場面を支配していることがわかった。いわば重力のある世界だ(笑)。そこでこれを「一般欽ちゃん運命理論」と命名し、再考してみようと思った次第だ。

欽ちゃんはさまざまな仕事をしてきたが、基本は5年計画だという。もちろんその仕事に“運”がないとわかれば初期の段階で打ち切ることもある。相場格言でいうところの「損切りは素早く」のようなものだろう。

その“運”を決めるのはスタッフや自分自身や家族の私生活での幸・不幸だったりする。相場で言えば幸・不幸のチャートでブル・ベア判断するような感じだ。そして欽ちゃんは不幸の中に光を見つけてその不幸に投資する。そして成功というトレンドを形成していくのだ。低位株投資法のようだ。テレビ界のバフェットと言っても過言ではない。

●従うべき指針を“運”と呼ぶ!

運命論のもとになるのは欽ちゃんが“運”と呼ぶ感覚だ。“運”は各人の行動や考え方によって溜まったり失ったりする。お金のようなものだが、その溜まり方や失い方は目に見えない。そして日常生活のあらゆる局面でこの“運”は変動する。

相場の話に似てくるのは必然的だ。それは予測の出来ない現在、そして未来を生きるための知恵と規律(ディシプリン)によく似ているからだと思う。考えてみれば相場やテレビの世界だけでなく、世の中には常識の通用しない局面が多々あり、その荒波のなかをどう航海していくかは人それぞれ違う。

しかし一つ共通しているのは、自分なりのルールを厳格に守れる人しか成功しないということだ。そのルールは必ずしも誰にでも当てはまるものじゃない。ほとんどお呪いのような場合もある。だが生き方において何が正しいかを突き詰めると、その根拠はお呪いのようなものだったりする。

例えば倫理や道徳というある種の“常識”が社会にはある。倫理も道徳もその絶対的な根拠はわからない。それを突き詰めようとしている学者もたくさんいるだろうが、現代社会の倫理や道徳が100年前または100年後に通用する保証はどこにもない。

それでも現代社会はある種の規範・規律・公共といった思想を教育し、同時代的な倫理や道徳を“常識”と呼んでみたり法律に盛り込んだりしながら世の中をなんとか運営している。大なり小なり誰もがこの空気を読みながら生活している。

時代が変われば世の中の常識は変化する。戦闘の最前線の“常識”が博愛でないように、時と場合によって生きていくための思想は変化する。絶対の根拠などないのだ。

●“運”という物語は欽ドン賞である

欽ちゃんの“運”は世間の常識の外にある。しかし欽ちゃんにとってこの“運”は絶対的な存在であり規律だ。もちろん解釈する主体としての欽ちゃんのさじ加減ひとつのように第三者には見える。しかしこの運命論こそ常識を突破できる者だけが持つ嗅覚のようなものではないだろうか。

選択肢が複数あり、どれかに決めなければいけないが絶対的な根拠などない場合、占いに頼ってみたり、サイコロを振ってみたり、過去の履歴に軽重をつけて優位性を見出してみたり、家族や仲間や恩師に聞いてみたり、様々なことを行って人はなんらかの判断をする。絶対の根拠がないときにも選択はでき、その選択をした判断の根拠らしきものは何かあるはずだ。

常人はその根拠が毎回異なる。なんとなく選んでしまう。しかし欽ちゃんはあらゆる局面を“運”というフィルターを通して判断するのだ。常に“運”について考えているからこそ独特の勘が働く。それが正解なのか不正解なのかが問題なのではなく、どんな結果になってもその“運”に従うという規律の存在こそが重要なのだ。

欽ちゃんが“運”で判断するとき、その“運”は必ず物語を携えている。非常に美しい物語が“運”には不可欠なのだ。あたかも欽ちゃんがいくつもある選択肢というハガキを読みながら、もっともすばらしい“運”の物語に欽ドン賞を与えているかのようなのだ。

●“運”がポジティブ・シンキングのキーワード

それがウケればそれでいいし、ウケなければ素早く切る。美しい“運”の物語が続く限りその“運”に導かれた仕事は成功しているといえる。もし物語が途絶えたなら、そこからまた次の物語を探す、つまり“運”を溜める生活に入っていく。

不幸のなかで“運”は溜まり、その環境をすねたりせず受け入れることで“運”はさらに溜まる。これって一種のポジティブ・シンキングじゃないか。“運”という抽象的な言葉を使いながら、常にポジティブに前向きに生きる方策が「一般欽ちゃん運命理論」の核だと思う。

一般人が運がいいとか悪いとか言うときは、その運は100%偶然性に左右されていると考える。しかし欽ちゃんは違う。“運”は苦労した人間により多く溜まると説く。この恣意性は“運”についての一般常識から外れている。人生は“運”で決まるといいながら、欽ちゃんの言う“運”は一般人からすると非常識な“運”なのだ。

偶然性に左右されるどころか日常生活のつつましさや実直性、素直さ、謙虚さなどによって人の“運”は左右されると説いている。これはもうお寺の和尚さんの説教に近い。にも関わらず、その“運”が判断の決め手になるときには、恐ろしく独特な解釈なのはなぜだろう。

それはやはり天才的なストーリーテラーとしての萩本欽一が誰にも描けない“運”の物語を紡いでいるからだと思う。タロットカードの絵解きにも似ている。スピリチュアルとまったく無縁なボクが欽ちゃんの運営論を好きな理由もそのあたりにあるような気がする。

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